令和元旦?に思う2019年05月01日 23時38分24秒

★令和なる新時代となったからと、何を浮かれ騒ぎ喜ぶのか

 多様性社会とか、みんな違ってみんないい、とか叫ばれる時代になったはずなのに、この改元騒ぎからの新元号開始の祝賀・お祭りムードには我はうんざり辟易している。どうしてメディア挙げて、国民皆で大騒ぎして祝賀しないとならないのであろうか。
 日本人の横並び主義、皆が好むことにすぐ同調する気質は何も変わっていない。

 そもそもこれは天皇家の人たちの「行事」であり、国事行為とするほうがおかしいと思う。それが日本国の「象徴」であるとしても国民一人一人にとっては何の得も益も無い。ただ元号が代わって、平成時代が終わってこれからの日々は「令和」として括られるだけの話だ。
 むろんそうした区分、括り自体は意味なくもないし、何であれ、いったん一区切りがつき、また新たに何か始まるきっかけは、気持ちを切り替える意味でも「良いこと」だとは思う。改元自体は支持している。
 ただそれは新年と同じことで、毎年の元旦に、今年こそは、と新たな誓いを立てたとしても、そのための努力が果たせねば全くの無意味であり、新元号の時代が始まったとしてもそこに何か「良くなる」「良いこと」を期待するのはナンセンスだと言うしかない。

 外の社会を変えるのは、まず内面からの変化によるヒトの行い、行動しかないわけで、何よりも先の統一地方選の結果以前に、その投票率全体の低さを見る限り、もうこの国の民主主義は根幹から揺らぎほぼ成立不能となっていると嘆息し絶望してしまう。
 誰も選挙に行かず、立候補する人も少なく無投票当選が増え続くのならば、議会制民主主義はもはや成り立たない。選挙のつど組織力のある政党の議員だけが当選し、他の多くの民意は一切反映されなくなる。特に小選挙区制の現行選挙制度では。
 今日の安倍一強独裁政権を許し支え続けているのは、そうした政治に無関心の多くの国民であるし、同様に世論操作的メディアに素直に踊らされる国民性であろう。一億総白痴化ならぬ総安倍洗脳化である。

 今日から新しい時代が始まったからといって、その「功労者」として安倍晋三とその最凶極悪自公政権が免罪されてはならないことは言うまでもない。これ以上の悪行の先は、安倍四選と憲法九条改正としてはならない。しかし、これでまた支持率は回復することであろう。

 この令和の改元狂騒がいつまで続くかわからないが、日本人には早く現実に再び目を向けて、自らの暮らしを見つめ直し、冷静に今夏の参院選を見据えてほしいと心から願う。ほんとうにこのまま安倍自公政権が新時代もずっと続いて良いのか、だ。
 この四月から食料品などの物価は上がり諸々の税金はまたさらに上がり年金はいっこうに増えない。さらにそこに消費税は上がるのだ。
 それでも自公政権を支持するのは痛いのを好むマゾヒストか、頭がおかしいとしか思えない。現政権で恩恵を甘受する富裕層は国民の10人に1人もいないのだから。
 
 令和という新時代には新政権を。サヨナラ平成、サヨナラ安倍政権。古い上着よ、さようなら、だ。

離れているときでも清志郎のこと忘れないさ2019年05月03日 16時19分12秒

★ラジオから流れて来た清志郎の歌声に涙した。

 何か天気のスッキリしない雨もよいの日が続いていた超大型連休であるが、ようやく後半になって天気は回復してきたようだ。
 昨日は、晴れたと思ったら急に雨がぱらついたり、不安定な天気だったが、今日は朝からカラッと晴れて、さまさに風薫る五月の言葉通りの爽やかな五月晴れとなった。憲法記念日である。やっと洗濯物が乾く。

 明後日5日の共謀フォークジャンボリーを前に、まだまだやるべきことはいっぱいなのだが、昨日は、父が介護施設から戻るのに合わせて甥っ子が久しぶりに来るので、汚部屋と化した居間や玄関内を少しでも綺麗にしておこうとラジオを流しながら聞くところもなく掃除に専念していた。

 と、突然ラジオから、ピアノの伴奏に合わせて鳥が絞め殺されるようなヘンな声で「♪ほしいものはたくさんあるの~」と調子はずれのうたが流れて来た。一瞬驚いたが、聴いたことがあるメロディで、すぐに忌野清志郎だとわかった。そしてその後、パートを変えて唄う女性は、矢野顕子である。そう、これは二人のデュエット曲『ひとつだけ』なのだと思い出した。

 ♪離れている時でも ボクのこと 忘れないでいてほしいよ ねえ お願い
  悲しい気分の時も ボクのこと すぐに呼び出してほしいよ ねえ お願い

 聴きながらいつの間にか涙が出てきた。哀しい歌ではない。ずいぶん前にはよく聴いて、いつの間にか忘れていたうたが流れてきて突然思い出しただけだ。でも今は亡き清志郎が切々とうたうサビのフレーズに、ああ、清志郎は今も変わらずここにいるのだと涙が止まらなかった。

 昨日5月2日は、清志郎の命日だったのだ。58歳だったと記憶する。いつの間にか我はその彼が死んだ歳を追い越して今も馬齢を重ねている。ラジオのパーソナリティはその後に曲名も何も彼について語らなかったが、おそらく命日でもあることでこの曲をかけてくれたのだろう。

 村上春樹の『ノルウェイの森』の冒頭も、確か旅客機の中で、主人公が機内のヘッドホーンから流れて来たその曲で、かつての過ぎた日々のことを思い出すという展開であったと記憶するが、虚を突かれると人は涙することは確かにあるのである。
 その「ひとつだけ」についてもその曲から、その当時のことで我にもいくつも思い出があり、急に何十年も前のことをあれこれ断片的に思い出した。ただそれはごく個人的なことなのでここに書くべき必要はない。

 それにしても名曲だと今にしてつくづく思う。矢野顕子作詞作曲のこのうたを何で清志郎とデュエットすることになったか、その由来も昔は記憶していたと思うが、いまはもう思い出せない。
 しかし、彼の間奏でのハーモニカも抜群の鳴りであるし、アッコちゃんもノリノリである。命日に彼から届いたメッセージとして、そこに何か意味があるのだと確信した。
 そう、離れている時でも彼のことは絶対に忘れないし、哀しい気分の時も、いつだって彼の音楽を呼び出し聴いては救われている。

 幸いYouTubeには、その元気な頃の清志郎が矢野顕子と共にステージで二人でこの曲を唄っている映像が流れている。素晴らしいステージだが、昨日、突然ラジオから流れて来た「ひとつだけ」の印象のほうが我には強い。
 明後日の谷保かけこみ亭での「共謀」フォークジャンボリー、国立市は彼の地元でもあり彼を追悼してフィナーレでRCの曲を皆で唄う。何が出るか、お楽しみに。
 清志郎!今も愛してるぜっ! この世と天国とに離れてしまったけれど、絶対に忘れない。

 https://www.youtube.com/watch?v=qS9tn8QeMw0

いよいよ明日5日、かけこみフォークジャンボリー開催2019年05月04日 23時50分47秒

★どうかたくさんのお客様が来ますように。

 東京多摩地方は今日も天気が不安定で、朝は晴れて暑いぐらいだったのに、午後から曇ってやがて雷が鳴り出した。

 我は、パソコンで明日用の簡易なプログラムの版下を作ってたのだが、しだいにl雷鳴が近づいたので中途で断念して電源落とした。
 以前、家のイチョウの木に落雷があり、電気製品はかなり被害受けたことがある。もしまた雷が落ちたら停電騒ぎではなく、データも含めてパソコン自体が壊滅的被害を受けてしまう。強い雨も降り出した。どこそこでは雹も降ったとか。
 そんなで、作業は中止して、いったん横になり、夕方起きたら、まだ遠雷が聞こえて雨もまた降り出した。

 それから何とか腰すえて、A判用紙ペラ一枚だが、表面だけ完成させて、まずその面だけ印刷してたら紙詰まりを起こして、ノズルチェックと目詰まりクリーンを何度も繰り返してもなかなか綺麗に印刷できない。
 そうこうしているうちに手持ちの黒のインクは1本だけとなっていることがわかり焦った。あちこち探したが予備の替えはないのである。
 でもかろうじてギリギリ予定数分は、裏表とも印刷できた。もしかしたら明日朝いちばんで駅前の大手電機屋に純正インクを買いに走り、それから大慌てで印刷することになるかと心配したが、かろうじて足りた。
胃が痛くなる思いである。何で今さらながらこうなるのか。

 今日出かける予定も実はあったのだが、体調も風邪気味だったので、明日に備えて大事をとって中止にしてやはり正解だった。天候は予測できないし、雨の後はまた急に寒くなって来て、今も鼻水垂らしている。
 しかし、何とか日付が変わる前にはプログラム表は完成・印刷し終えられたので、今晩は風呂入って体温め枕高くして眠れると思える。

 我は不安神経症でもあるから、先日見た夢では、コンサートが始まってミュージシャンたちは勢ぞろいしているのにお客は一人も誰も来ないという「悪夢」にうなされた。
 でもほんと、出演者のほうが総数にして観客より多いことだって現実としてあり得るわけで、今回の企画、見る側としては多彩な顔ぶれが次々出て来ていろいろ楽しめ非常にお得だと思うけれど、企画側としては不安でならない。それに見合う数の観客が来るかだ。
 我は、かつて浅草木馬亭で不入りの大失態しでかしたこともあるので、それはトラウマになっていると今また気づいた。今回もまた自腹切ることになろうか。それもまた良しと。

 しかし、ともかく明日は、素晴らしい音楽仲間たちとまず我自身がとことん楽しむつもりでいる。時代が平成から令和に変わったからではないが、我にとって今回である意味一つの節目として、こうした企画活動はここいらでしばらくひかえようと思っている。
 その意味でも今回はこれまでの集大成として、大いに楽しく満足のいくものにしたいと願う。来られた方は絶対に満足できる最良最高のコンサートにしていく。このメンバーならそれが間違いなく出来るのだから。
 あとはただ神に祈るだけだ。一人でも多くの皆と「共謀」できますように。もう何も怖れない。一人ではないのだから。

本日、国立市谷保の「かけこみ亭」で共謀フォークジャンボリー!!2019年05月05日 12時42分37秒

★午後3時から9時過ぎまでやってます。どなたでもお気軽にご参加を!

 有難いことに爽やかに朝から晴れた。汗ばむほどの行楽日和である。
 が、今日は地下の穴倉のような「かけこみ亭」で、志あるミュージャンと有志市民による、護憲と反戦平和のための「共謀」フォークジャンボリーが開催される。
 代金は、それぞれの懐具合でかまわない投げ銭制で、出入り自由のとてもフリーで気楽な音楽イベントだ。ぜひぜひお時間ある方は、お好きな時間にお越しください。
 とにもかくにも安倍政権の妄動、九条改憲を断念させるべく、音楽の力で、唄い楽しみながら「共謀」いたしましょう。

 無事終わったらのちほどまた画像交えて報告いたします。さあ、これから出発だ。令和元年、安倍退陣を願ってここからスタートだ!!

生涯最高の熱く濃いコンサートを成し終えた。2019年05月06日 00時58分01秒

★が、興行的にはやはり失敗。しかし何の悔いもない。

 日付は変わったが今さっき帰って来た。今日のかけこみ亭での「共謀」フォークジャンボリー、延々6時間を越す超ロングの、総勢10数組を上回るシンガーが出る大きな催しは先ほど9時半過ぎに終わった。
 それから打ち上げで皆と熱く語らい、11時過ぎの南武線で、さらには五日市線の最終で無事家に帰れた。
 一言でいうと、ここまで熱く盛り上がったコンサートは記憶にない。自分が声かけて協力願った人たちばかり集めたからだが、ここまで盛り上がるか、である。すべてが濃い人たちの予想以上の熱く激しい「共謀」ぶりであった。
 もう、各出演者それぞれの出番ごとに、フィナーレのそれのような激しく熱い盛り上がりを見せて、企画した者自身、ちょっとこれでは最後まで気持ちと体力が持つか心配になる程であった。
 今まで自らの企画した以外も含めて様々なコンサート、ライブを観続けてきた我だが、予想外、未体験と思えるほどの熱くものすごいノリのコンサートとなった。そう。信じられないほど素晴らしいコンサートであった。

 ただ、残念ながらやはり予想し怖れていたことだが、観客は、出演者総数を上回るかどうか、といった入りで、最後の方でかけこみ亭関連の方がやっとまとまって来てくれたが、収益、つまり「投げ銭」そのものの額は、残念ながらも今までの「共謀」コンサートでいちばん低い結果となった。
 しかしそのことに悔いはないし、今回は、予め、出演者各自ごと、自分が何とか出せる、ほぼ最低限の交通費ほどの「寸志」は用意していたから、それを渡してご容赦頂いたが、これが現実なのである。情けない限りだが。

 興行として冷静に考えれば、そもそも「投げ銭制」、つまりフリーカンパ的形式で、これだけの人数が出演するコンサートを企画して興行として成り立つわけがないではないか。よほど気前のいい人は別にして、大概千円札一枚といったところなのだから。これも安倍政権の偽装された好景気の結果であろう。
 それは事前からわかっていたことだし、それでもこのビッグイベントをこの大型連休にやりたい、その意義と価値があると考えて始めたことだから。※はっきり書けば、春一の風太への個人的リベンジから来ている。
 つまりそもそも無理ある企画、設定のうえでのことで、それでも我はこれまで関わって頂いたミュージシャンたちに声かけて、地元で今回の「共謀」ジャンボリーを企画したのだった。ほんまのバカである。

 昔聴いた関西の楽曲のタイトルに、「負けると知ってて博打をしたよ」ってのがあったと思うが、つまりそういうことで、絶対興行として成り立たないことを俺はやったのだ。そして、やはり案のじょう観客は出演者の数も入らず、我はあらかじめ用意した「交通費」ほどの出演料を出られた皆さんにお支払いした次第。まったくもって申し訳ない。もっと大勢の観客が来られれば上乗せも考えていたが、やはり無理であった。

 でも、ほんとに素晴らしいコンサートであった。出られた誰にも心から感心した。当初の予定にはなかったみほこんも飛び入りで参加してくれたし、長時間で大変であったが今終わってしまえば、何かものすごく楽しい夢を見たような気分でいる。これは現実だったのかという感じがしている。

 つまりそもそも絶対赤字のイベントを無理を承知で企画してしまったことなのだから、せめてもう少し観客が来てくれればという悔いはあるけれど、我が声かけお願いした出演者の方々は、期待以上の素晴らしい「仕事」をしてくれた。ならば「興行」的なことはさておきこれは大成功ではないか。
 はっきり言う。こんな素晴らしいコンサートがすぐそこでやってたのに、来ない人が悪いのである。もったいないことをしたことに気づきもしないのだ。つまりその人にとっての「音楽」とはそれだけのものでしかないということでありそもそも縁がなかったのだ。ならばそれはそれで仕方ないではないか。

 むろん世間に向けて宣伝告知、その努力が足りなかったという責は問われようが、本当に濃くて熱い、ちょっと信じらない程素晴らしいコンサートはそこで成し終えた。
 我マスダは企画者として心から出られた皆さんに感謝し、彼ら全員を誇りに思う。企画者としての誇りとは、つまるところ自分の眼鏡に狂いはなかったということだ。
 むろん午後から長時間拘束して、しかも微々たる額の出演料しかお渡しできなかったのだからただ心苦しく申し訳なくも思う。毎度ながらいくつか失敗、失態もあった。しかし、もし我らの「音楽」というもの、このコンサートの趣旨がわかっている方ならば、こうした「場」の持つ意味、それを企画する者の気持ちはご理解頂けると信ずる。
 
 何より励まされたのは、終わって打ち上げのとき、出演者の一人から、マスダがやろうとしていることは、興行ではなくムーブメントなのだから、との有難い言葉をもらったことだ。
 そう、興行というその場の儲けなど刹那的なことはそもそも目的にしていない。それ以上に、こんな時代に熱く良い確かな音楽を唄い演奏する、我が出会い認め応援するミュージシャンたちを一同に集め、彼らを繋ぎ、そこからまた新たなネットワークを築くことこそ、つまり志ある仲間たちの「共謀」こそが目的で、その場をつくる役割が我の使命なのだった。
 彼らもそれに十二分以上に応えてくれた。ならばもうそれだけで良いじゃないか。
 
 というわけで、先にも記したがこれでしばらくは企画活動はお休みとしたい。再開の次回は夏の参院選後、秋口となってから御大中川五郎を迎えて、『五郎と共謀コンサート』だ。詳細は後ほどお知らせいたします。共演は今回の「共謀」ミュージシャンズだ。

 今はただ関わって頂いた全員、全てに感謝、という気持ちだ。この場を借りて、ビデオ撮影のOさん、Fさん、機材を事前に運んでくれたIさん、受付担当してくれたMたん、その他来られたお客様方に心から御礼の気持ちでいっぱいだ。我一人では何一つできなかった。我は真に幸せ者だ。神はそこにいてくれた。

YouTube怖い!!2019年05月07日 20時50分56秒

★この男の動く映像をネット上で見かけたら直ちにお知らせください。薄謝進呈します。

 人生には驚きや予期せぬ出来事がつきものである。が、近年我がいちばん驚き仰天したのは、この画像の男が、我のパソコン内に登場してきて何やらもぞもぞ口上を述べたかと思うと何とも下手くそなギターとうたを唄い出したことだ。本当に呆れるほどヒドイ。

 どうやらどこかのライブハウスでのコンサート?など何かの催しの最初のシーンと思える。その映像は何の一切の編集もなく店のトイレが詰まったとか尾籠な話をした後、この男はいきなり歌いだすのである。そしてコンサート本編が始まるようだ。司会進行しているつもりなのか!?
 何もかもそのビデオはいきなりこの男からして最低である。何で世に、YouTubeにアップされているのかフツーの人は理解に苦しむ。我もそうであった。偶然見て、真にびっくりした。心臓が止まるかと思った。ただ見苦しい。

 というのも、我のよく知っている非常に長い付き合いのある人にそっくりで、我マスダはそいつと生まれた時から付き合っているような気がする。まあ、真に幼い時は記憶がないが。
 少なくともこの数十年は鏡の中で毎朝顔合わせているような気がする。そいつが何で臆面もなく何かのコンサートの冒頭で、亡き遠藤ミチロウのように拡声器もってあれこれがなり立てたかと思うと下手くそな歌を唄い出すのである。いったい何のつもりだろう。頭オカシイのではないか。
 非常に不快である。その後に続くコンサート自体はなかなか味わいがあり、画像も音も綺麗で、出演者たちはどれも素晴らしいようだが、ともかくそのビデオは最初がひどすぎる。まさに目を汚す。

 あまりに驚き不快なので、我は、これをアップした人にすぐさま連絡して、公開、つまり世界中の誰でもが常に観れるような状態にするのはやめてくれと懇願した。
 幸いその撮影してYouTubeに上げた方は、すぐにまず「限定公開」に変更してもらった。もうこれで安心、ほっとしたと思えたが、知人が、「共謀フォークジャンボリー」とか「かけこみフォークジャンボリー」とかで検索すると、別のリンク先がヒットして、また相変わらずこの男が登場してくると知らせてくれた。ちっとも関係者だけの限定公開になっていない。理由はこの世界に暗い我にはよくわからない。

 胃も頭も痛くなってきて、精神的にもまいってきたので、再度申し入れして基本、「非公開」にしてもらった。いちおうあれこれネット上で検索してみても今現在はその男が出てこない。この画像は表示できませんということになっている。
 ほっとした。が、いちどネット上に出回ってしまった画像、映像は誰かが自らのパソコンなどに取り込んでいて再度アップさせることもあると聞く。
 もし、このブログをご覧の方で、この男が出てくる「かけこみ共謀フォークジャンボリー」関連の画像を見かけたらばぜひまず我マスダにお知らせお願いしたい。

 この世に怖いものは多々あるが、YouTubeが一番怖い。次いでは酒とフォークソングのコンサートが怖いと言っておく。もう女なんか怖くない。

共謀フォークジャンボリーを画像で振り返る・その前に2019年05月08日 21時47分54秒

★終えて三日過ぎて思う

 2019年5/5日、谷保かけこみ亭での「共謀」フォークジャンボリーが終わって三日たつ。素晴らしいコンサートとなって無事終了となったが、これまでにない最多の出演者と最長の開催時間のビッグイベントは、事後処理もそう簡単には今も終わらないでいる。
 いつも我マスダはコンサートが終えれば、その晩はともかくも、翌日から数日間は成し終えた解放感と一気に疲れが出て、数日間はひたすら眠れる限り寝て身体を癒すのだが、今回に限っては、残務処理があれこれあってちっとも休めないし気持ちも未だ解放されない。

 安倍政権の超愚策、改元に関連して前代未聞の10日間もの超大型連休のおかげで自らの仕事も溜まってしまい、注文本の発送などその応対にも追われてちっとも休めない。何が辛いって、コンサート前日から続いている睡眠不足で、今も毎晩長くて4時間ぐらいしか眠れないのがしんどい。ずっとそれで頭は重くにぶい頭痛が続いている。目もかすんできてぼんやりしてろくに見えやしない。
 それでも今日はようやく父も不在ということもあって午後は久しぶりに夕方5時頃まで深く眠れた。仮眠というより数時間でも熟睡できたのでようやく頭はスッキリした。
 父は明日の夕刻帰って来るが、それまでは自分のことに専念できるので、このブログも含めて終えたコンサートのことは一区切りつけたいと思う。

 昨日のこのブログに関して、いったい何があったのか、何のことだかわからない、という疑問・質問の声が寄せられた。書いた我も、かなり疲れていて睡眠不足とアルコールで意識朦朧で一気に書いたので、読み返してみると確かにこれはご不審の念を読み手に抱かせると思えるものである。
 なので簡単に説明付け加えておく。

 当日のコンサートでは、今回、記録のため映像を撮ってもよいかという申し出があり、我はそれを許可した。コンサートの撮影や録音に着いては人それぞれいろいろ思うところやご意見もあるわけだが、私的営利目的でないならば、ちっともかまわないというスタンスでいる。手持ちのスマホ一台で何でも可能の今の時代はそれを禁止し取り締まることの方が逆に難しいわけで、「うた」や演奏というカタチに残らないものだからこそ、逆に誰かが記録していることは後々有難いことだとすら我は考えている。
 じっさいこのマスダは、自分が企画したり関わったコンサートでなくても許される場ならば、基本どこでも写真や録音、場合によっては映像も撮るようにしている。それは若い時から続けていて、70年代の大阪春一番での録音から今に至っているほどだ。

 特に今回のコンサートは、ある意味記念すべき特別なイベントであったし、我もいつも通り録画録音しておくつもりでいたが、司会進行役に加えてデジカメで写真撮りながらビデオカメラまで回すのは聖徳太子だって難行であろうから、誰かが録画担当してくれることは安心なことであった。何しろかつてない長時間のコンサートなのだから、果たしてビデオカメラの電池が最後までもつかわからない。そしてその時点ではいつもビデオカメラを担当してくれる友人が今回は来てくれるか、その連絡はなかった。

 そんなわけで、その記録映像を撮りたいと連絡くれたF氏に撮影をお願いした。有難いことである。後から詳しくわかったことだが、彼は反原発運動の集会や安倍政権に抗議する集会やデモ行進、各地のそうしたイベントなど、マスメディアが報道しないイベントや活動・行動をそこに出向いては映像に記録してYouTubeに上げて誰でも広く観られるよう意義ある記録活動をされている「デモ・抗議集会専門独り撮影隊」(氏の名刺に記されている)有志の方であった。
 そして彼は、客席後方で三脚たててビデオカメラを開演時から終わるまでしっかり回してくれたのだが、終えて、今日の映像をYouTubeに上げて良いかと、ミュージシャンたちに問われた。その場にいたミュージシャンたちからは異論はなく、F氏は我に名刺を渡して帰られたのだが、コトはそれからである。

 そもそもきちんとその彼とその撮影された映像をどう扱うのか。どんな状態でYouTubeにアップするのか、もう少しく詳しく話を突き詰めておかなかった我がいけないのだが、翌6日、彼となかなか連絡がとれないまま夜になり、さて、彼が撮った映像はどうなったんだろうと気になって名刺にあったYouTube内の彼のサイト?っていうのか映像リストが表示されているところを見てびっくりした。
 5/5かけこみ「共謀」フォークジャンボリーというタイトルで、前半の部分が1本、後半部が2本に分けられて計3本の映像が既にそこにアップされていたのだ。そのうちの最初のをクリックして再生してみてまたさらに仰天した。コンサートのオープニングの場面で、我マスダがいきなり映し出されたではないか!!
 慌てて他のビデオもざっと確認してみてわかったことは、このフォークジャンボリー全体がライブ映像として、開演から最後のフィナーレまで全て一切の編集無しでそのまま世に、誰でも観れるような状態で上げられていたのだある。こりゃマズイ・・・

 我はYouTubeに上げると聞かされて頭に浮かんだのは、そこにある、ミュージャンごとのそれの如く、名前とタイトルごとに1曲、もしくは何曲かまとめて、一つの映像作品として編集されているそれ、であった。コンサートの中の一部としてのそれである。
 が、そうした編集作業は時間がかかることと、撮影されたF氏自身が他の集会で常にされてるのと同じく、撮影したイベントそのものをただそのまま一切の編集せずそっくり頭から最後まで録画したまま通しで流す、という形式で、まさかそういうモノとは思ってもなかったから本当にびっくりして困惑した。演奏シーンから始まるならともかく、何しろまずこの我が登場するのだから。
 そこにはうたの合間のオフレコばなし的な語りから最後のフィナーレシーンでは楽しんでるお客様の顔まではっきり映っている。あくまでもその場の観客や出演者たちだけのコンサートのはずで、YouTubeに公開する旨は、開演時には誰にも伝えていない。演者たちはともかくこのまま世間に公開されると観客の個人情報の公開にもつながるのではないか。何とかしないとならない。ドキドキした。

 幸い撮影されたF氏とはすぐに連絡がつき、電話で我の不安を話したところすぐに理解・承諾してくれ、当初は仲間内だけが観れる限定公開にするということで話がついた。そしていちおうその晩、出演者たちには、YouTubeで既にコンサート全体がそっくり未編集のままで公開されていることを知らせて是非を問うことにした。かれらのほとんどは別に自分のシーンは問題ないという返事であったが・・・

 そして翌7日のお昼の時点で、それらの映像は、一般公開から限定公開へと変更してもらい、これで世界中の誰でも、たとえ安倍晋三でもいつでも観れる状態ではなくなったと思いほっと安心した。
 が、その後に友人が、念のため「共謀フォークジャンボリー」で検索したところ、とある映像紹介のサイトが表示されて、そこからまたコンサートの記録映像にアクセスできることが判明した。クリックすると相変わらず我マスダがいきなり出て来るとのことである。限定公開になっていないようだ。YouTubeの仕組みもこうしたシステムに不明な我は、不安と心配で頭と胃が痛くなってきた。どうしたものか、である。

 けっきょく、F氏は、上げた映像すべてを「非公開」にしてくれて、もうそれからは我も含めて誰であろうと観ることはできなくなった。詳しくはわからないが、一度観た人は、「限定公開」にしても、アクセスすればまた観れるとのことだそうだ。
 と、いうわけで、もうこれでそのビデオで我自身の姿を世の人全てに見せること、観られることはなくなっただろうと思ったが、念のために、もしまだその未編集ビデオがどこかで公開状態になっていないかと、「お尋ね者」として書いた次第。

 思うに、F氏は、他の反体制集会や抗議デモと同じようなものと考えて、世間に広くカクサンさせた方が良いとお考えで、即撮影後、こうしたイベントがあったとして、そっくりそのまま未編集でそのコンサートの全体をYouTubeに上げたのだと思う。
 確かに集会やデモ行進などならそのこと自体がプロパガンバになり、後々まで世に知られ運動が勢いづきプラスになろう。参加者も歓迎することだろう。
 が、「共謀」コンサートは、コンセプトは近しくてもあくまでも音楽の、娯楽的なイベントであり、政治的集会ではない。ミュージシャンたちは常日頃から人前で堂々と顔見せて歌ったり演奏しているから、YouTubeにうたや演奏を公開されても困りもしないだろうし逆に宣伝にもなるかと喜ぶかもしれない。
 しかし、我のように市井の、アマチュア以前の、本来は裏方、企画者的立場の者が、何の覚悟も了承もないままネット上にその姿をさらされるのはまず何より驚く。ともかく実に恥ずかしいし、ただただ困惑し苦痛でしかない。おそらく来られたお客様もその姿がネットに流れているのを知れば同様だろう。そう、それはその覚悟も、そうなる予想もしていないからだ。

 誰でも世界中に自らさまざまな画像や映像、情報を発信、公開できるネットの時代である。でもそれは良いことばかりだろうか。
 女性がストーカー化したかつての別れた「彼氏」に、交際時に撮られた恥ずかしいプライベート写真などをネット上に「公開」されて、悩み苦しみときには自殺したりすることがある。そうした事件の報道は何度も読んだ。
 我は、今回、まったく予期せず突然自分の姿、拙く歌ってるシーンがネット上にあるのを観て知って、まず驚き心痛で不眠に陥った。そしてようやく今までヒトゴトだった、そうした「被害者」たちの心境がほんの少しだけわかった。

 何であれ、覚悟と決意の問題なのでもある。最初からこれが撮影されてYouTubeなどで我も誰にでも観られるのだと了解・承知していたらばそれなりに格好にも気をつけだたろうし立ち振る舞いや言葉も慎重になったはずだ。そうした覚悟ができていなかったこともあるが、いきなりのそれはやはりとても驚いた。我に関してはこれからも要請受けても承諾しない。
 司会進行役だって好きでやりたくてしているのではない。他に担当してくれる人がいればお願いしたいが、誰もいないし企画した者がやったほうが手っ取り早いからやっているに過ぎない。
 我は生涯裏方でかまわないだけでなく、これからもそういうつもりで生きていく。かつての青島や前武ではあるまいし、放送作家やプロデューサーがステージにしゃしゃり出てどうするつもりか、である。だいいち我は彼らのような機転の利く才覚など微塵もない。ギターとうただって一曲だけやらせてもらうのはあくまでもコンサート本編前の「余興」に過ぎない。その後を引き立たせるためのものだ。

 そんな思いで仕方なくコンサートの始めに出、前口上述べているシーンからネットに映し出されて、まさに青天の霹靂、驚き困惑し対応に悩み苦しんだ。見た瞬間思ったのは、何だコイツは!?、である。それで、YouTube怖いと書いたのだ。
 どこの誰だか一度も会った事もない知らない人に何千人、何万人もフォロワーされるインフルエンサーなる女子の気が知れない。そんな女はいつか街でいきなり、向うは知っててこちらは知らない誰かに刺されて殺されるかもとは考えないのか。

 我は自分が認知している目の前にいる人としか関わる気はない。こちらは知らない人に、勝手に我を知られるのはまっぴらごめんだ。芸能人じゃあるまいし。

画像でふりかえる5/5「共謀」フォークジャンボリー・①2019年05月09日 21時19分48秒

★オープニングアクトは、広瀬波子

 というわけで、司会進行役のマス坊の「共謀」コンサートのテーマ曲『ケ・サラ』に続いて、広瀬波子のブラスから2019年5月5日午後3時、かけこみ「共謀」フォークジャンボリーは始まった。

 これから、素晴らしい演奏とステキな歌声と素晴らしい音楽で、護憲と反戦平和を願う音楽家が集い「共謀」を繰り広げた夢のようなコンサートを、出演順に時間を追って画像で振り返っていく。

画像でふりかえる5/5「共謀」フォークジャンボリー・②2019年05月09日 21時41分49秒

★次いで、「共謀」コンサートには毎回登場、パーカションの槇篤‼

 オープニングアクトは、鼻笛によるラベルの「ボレロ」の独奏で早くも観客を沸かせた。
 彼は、この日、午後9時まで、様々な打楽器を駆使してどのミュージシャンのステージでも見事に「共謀」し続けた。まさにこのコンサートには常になくては欠かせぬ、縁の下の力持ちである。

画像でふりかえる5/5「共謀」フォークジャンボリー・③2019年05月09日 21時50分31秒

★うたのシーンのトップバッターはウッディ―

 今回、一連の「共謀」コンサートには初参加のウッディー。地下足袋に、サングラス、麦わら帽子という植木職人のようなダンディな姿で登場し会場を魅了した。