令和元旦?に思う2019年05月01日 23時38分24秒

★令和なる新時代となったからと、何を浮かれ騒ぎ喜ぶのか

 多様性社会とか、みんな違ってみんないい、とか叫ばれる時代になったはずなのに、この改元騒ぎからの新元号開始の祝賀・お祭りムードには我はうんざり辟易している。どうしてメディア挙げて、国民皆で大騒ぎして祝賀しないとならないのであろうか。
 日本人の横並び主義、皆が好むことにすぐ同調する気質は何も変わっていない。

 そもそもこれは天皇家の人たちの「行事」であり、国事行為とするほうがおかしいと思う。それが日本国の「象徴」であるとしても国民一人一人にとっては何の得も益も無い。ただ元号が代わって、平成時代が終わってこれからの日々は「令和」として括られるだけの話だ。
 むろんそうした区分、括り自体は意味なくもないし、何であれ、いったん一区切りがつき、また新たに何か始まるきっかけは、気持ちを切り替える意味でも「良いこと」だとは思う。改元自体は支持している。
 ただそれは新年と同じことで、毎年の元旦に、今年こそは、と新たな誓いを立てたとしても、そのための努力が果たせねば全くの無意味であり、新元号の時代が始まったとしてもそこに何か「良くなる」「良いこと」を期待するのはナンセンスだと言うしかない。

 外の社会を変えるのは、まず内面からの変化によるヒトの行い、行動しかないわけで、何よりも先の統一地方選の結果以前に、その投票率全体の低さを見る限り、もうこの国の民主主義は根幹から揺らぎほぼ成立不能となっていると嘆息し絶望してしまう。
 誰も選挙に行かず、立候補する人も少なく無投票当選が増え続くのならば、議会制民主主義はもはや成り立たない。選挙のつど組織力のある政党の議員だけが当選し、他の多くの民意は一切反映されなくなる。特に小選挙区制の現行選挙制度では。
 今日の安倍一強独裁政権を許し支え続けているのは、そうした政治に無関心の多くの国民であるし、同様に世論操作的メディアに素直に踊らされる国民性であろう。一億総白痴化ならぬ総安倍洗脳化である。

 今日から新しい時代が始まったからといって、その「功労者」として安倍晋三とその最凶極悪自公政権が免罪されてはならないことは言うまでもない。これ以上の悪行の先は、安倍四選と憲法九条改正としてはならない。しかし、これでまた支持率は回復することであろう。

 この令和の改元狂騒がいつまで続くかわからないが、日本人には早く現実に再び目を向けて、自らの暮らしを見つめ直し、冷静に今夏の参院選を見据えてほしいと心から願う。ほんとうにこのまま安倍自公政権が新時代もずっと続いて良いのか、だ。
 この四月から食料品などの物価は上がり諸々の税金はまたさらに上がり年金はいっこうに増えない。さらにそこに消費税は上がるのだ。
 それでも自公政権を支持するのは痛いのを好むマゾヒストか、頭がおかしいとしか思えない。現政権で恩恵を甘受する富裕層は国民の10人に1人もいないのだから。
 
 令和という新時代には新政権を。サヨナラ平成、サヨナラ安倍政権。古い上着よ、さようなら、だ。