離れているときでも清志郎のこと忘れないさ2019年05月03日 16時19分12秒

★ラジオから流れて来た清志郎の歌声に涙した。

 何か天気のスッキリしない雨もよいの日が続いていた超大型連休であるが、ようやく後半になって天気は回復してきたようだ。
 昨日は、晴れたと思ったら急に雨がぱらついたり、不安定な天気だったが、今日は朝からカラッと晴れて、さまさに風薫る五月の言葉通りの爽やかな五月晴れとなった。憲法記念日である。やっと洗濯物が乾く。

 明後日5日の共謀フォークジャンボリーを前に、まだまだやるべきことはいっぱいなのだが、昨日は、父が介護施設から戻るのに合わせて甥っ子が久しぶりに来るので、汚部屋と化した居間や玄関内を少しでも綺麗にしておこうとラジオを流しながら聞くところもなく掃除に専念していた。

 と、突然ラジオから、ピアノの伴奏に合わせて鳥が絞め殺されるようなヘンな声で「♪ほしいものはたくさんあるの~」と調子はずれのうたが流れて来た。一瞬驚いたが、聴いたことがあるメロディで、すぐに忌野清志郎だとわかった。そしてその後、パートを変えて唄う女性は、矢野顕子である。そう、これは二人のデュエット曲『ひとつだけ』なのだと思い出した。

 ♪離れている時でも ボクのこと 忘れないでいてほしいよ ねえ お願い
  悲しい気分の時も ボクのこと すぐに呼び出してほしいよ ねえ お願い

 聴きながらいつの間にか涙が出てきた。哀しい歌ではない。ずいぶん前にはよく聴いて、いつの間にか忘れていたうたが流れてきて突然思い出しただけだ。でも今は亡き清志郎が切々とうたうサビのフレーズに、ああ、清志郎は今も変わらずここにいるのだと涙が止まらなかった。

 昨日5月2日は、清志郎の命日だったのだ。58歳だったと記憶する。いつの間にか我はその彼が死んだ歳を追い越して今も馬齢を重ねている。ラジオのパーソナリティはその後に曲名も何も彼について語らなかったが、おそらく命日でもあることでこの曲をかけてくれたのだろう。

 村上春樹の『ノルウェイの森』の冒頭も、確か旅客機の中で、主人公が機内のヘッドホーンから流れて来たその曲で、かつての過ぎた日々のことを思い出すという展開であったと記憶するが、虚を突かれると人は涙することは確かにあるのである。
 その「ひとつだけ」についてもその曲から、その当時のことで我にもいくつも思い出があり、急に何十年も前のことをあれこれ断片的に思い出した。ただそれはごく個人的なことなのでここに書くべき必要はない。

 それにしても名曲だと今にしてつくづく思う。矢野顕子作詞作曲のこのうたを何で清志郎とデュエットすることになったか、その由来も昔は記憶していたと思うが、いまはもう思い出せない。
 しかし、彼の間奏でのハーモニカも抜群の鳴りであるし、アッコちゃんもノリノリである。命日に彼から届いたメッセージとして、そこに何か意味があるのだと確信した。
 そう、離れている時でも彼のことは絶対に忘れないし、哀しい気分の時も、いつだって彼の音楽を呼び出し聴いては救われている。

 幸いYouTubeには、その元気な頃の清志郎が矢野顕子と共にステージで二人でこの曲を唄っている映像が流れている。素晴らしいステージだが、昨日、突然ラジオから流れて来た「ひとつだけ」の印象のほうが我には強い。
 明後日の谷保かけこみ亭での「共謀」フォークジャンボリー、国立市は彼の地元でもあり彼を追悼してフィナーレでRCの曲を皆で唄う。何が出るか、お楽しみに。
 清志郎!今も愛してるぜっ! この世と天国とに離れてしまったけれど、絶対に忘れない。

 https://www.youtube.com/watch?v=qS9tn8QeMw0