共謀フォークジャンボリーを画像で振り返る・その前に2019年05月08日 21時47分54秒

★終えて三日過ぎて思う

 2019年5/5日、谷保かけこみ亭での「共謀」フォークジャンボリーが終わって三日たつ。素晴らしいコンサートとなって無事終了となったが、これまでにない最多の出演者と最長の開催時間のビッグイベントは、事後処理もそう簡単には今も終わらないでいる。
 いつも我マスダはコンサートが終えれば、その晩はともかくも、翌日から数日間は成し終えた解放感と一気に疲れが出て、数日間はひたすら眠れる限り寝て身体を癒すのだが、今回に限っては、残務処理があれこれあってちっとも休めないし気持ちも未だ解放されない。

 安倍政権の超愚策、改元に関連して前代未聞の10日間もの超大型連休のおかげで自らの仕事も溜まってしまい、注文本の発送などその応対にも追われてちっとも休めない。何が辛いって、コンサート前日から続いている睡眠不足で、今も毎晩長くて4時間ぐらいしか眠れないのがしんどい。ずっとそれで頭は重くにぶい頭痛が続いている。目もかすんできてぼんやりしてろくに見えやしない。
 それでも今日はようやく父も不在ということもあって午後は久しぶりに夕方5時頃まで深く眠れた。仮眠というより数時間でも熟睡できたのでようやく頭はスッキリした。
 父は明日の夕刻帰って来るが、それまでは自分のことに専念できるので、このブログも含めて終えたコンサートのことは一区切りつけたいと思う。

 昨日のこのブログに関して、いったい何があったのか、何のことだかわからない、という疑問・質問の声が寄せられた。書いた我も、かなり疲れていて睡眠不足とアルコールで意識朦朧で一気に書いたので、読み返してみると確かにこれはご不審の念を読み手に抱かせると思えるものである。
 なので簡単に説明付け加えておく。

 当日のコンサートでは、今回、記録のため映像を撮ってもよいかという申し出があり、我はそれを許可した。コンサートの撮影や録音に着いては人それぞれいろいろ思うところやご意見もあるわけだが、私的営利目的でないならば、ちっともかまわないというスタンスでいる。手持ちのスマホ一台で何でも可能の今の時代はそれを禁止し取り締まることの方が逆に難しいわけで、「うた」や演奏というカタチに残らないものだからこそ、逆に誰かが記録していることは後々有難いことだとすら我は考えている。
 じっさいこのマスダは、自分が企画したり関わったコンサートでなくても許される場ならば、基本どこでも写真や録音、場合によっては映像も撮るようにしている。それは若い時から続けていて、70年代の大阪春一番での録音から今に至っているほどだ。

 特に今回のコンサートは、ある意味記念すべき特別なイベントであったし、我もいつも通り録画録音しておくつもりでいたが、司会進行役に加えてデジカメで写真撮りながらビデオカメラまで回すのは聖徳太子だって難行であろうから、誰かが録画担当してくれることは安心なことであった。何しろかつてない長時間のコンサートなのだから、果たしてビデオカメラの電池が最後までもつかわからない。そしてその時点ではいつもビデオカメラを担当してくれる友人が今回は来てくれるか、その連絡はなかった。

 そんなわけで、その記録映像を撮りたいと連絡くれたF氏に撮影をお願いした。有難いことである。後から詳しくわかったことだが、彼は反原発運動の集会や安倍政権に抗議する集会やデモ行進、各地のそうしたイベントなど、マスメディアが報道しないイベントや活動・行動をそこに出向いては映像に記録してYouTubeに上げて誰でも広く観られるよう意義ある記録活動をされている「デモ・抗議集会専門独り撮影隊」(氏の名刺に記されている)有志の方であった。
 そして彼は、客席後方で三脚たててビデオカメラを開演時から終わるまでしっかり回してくれたのだが、終えて、今日の映像をYouTubeに上げて良いかと、ミュージシャンたちに問われた。その場にいたミュージシャンたちからは異論はなく、F氏は我に名刺を渡して帰られたのだが、コトはそれからである。

 そもそもきちんとその彼とその撮影された映像をどう扱うのか。どんな状態でYouTubeにアップするのか、もう少しく詳しく話を突き詰めておかなかった我がいけないのだが、翌6日、彼となかなか連絡がとれないまま夜になり、さて、彼が撮った映像はどうなったんだろうと気になって名刺にあったYouTube内の彼のサイト?っていうのか映像リストが表示されているところを見てびっくりした。
 5/5かけこみ「共謀」フォークジャンボリーというタイトルで、前半の部分が1本、後半部が2本に分けられて計3本の映像が既にそこにアップされていたのだ。そのうちの最初のをクリックして再生してみてまたさらに仰天した。コンサートのオープニングの場面で、我マスダがいきなり映し出されたではないか!!
 慌てて他のビデオもざっと確認してみてわかったことは、このフォークジャンボリー全体がライブ映像として、開演から最後のフィナーレまで全て一切の編集無しでそのまま世に、誰でも観れるような状態で上げられていたのだある。こりゃマズイ・・・

 我はYouTubeに上げると聞かされて頭に浮かんだのは、そこにある、ミュージャンごとのそれの如く、名前とタイトルごとに1曲、もしくは何曲かまとめて、一つの映像作品として編集されているそれ、であった。コンサートの中の一部としてのそれである。
 が、そうした編集作業は時間がかかることと、撮影されたF氏自身が他の集会で常にされてるのと同じく、撮影したイベントそのものをただそのまま一切の編集せずそっくり頭から最後まで録画したまま通しで流す、という形式で、まさかそういうモノとは思ってもなかったから本当にびっくりして困惑した。演奏シーンから始まるならともかく、何しろまずこの我が登場するのだから。
 そこにはうたの合間のオフレコばなし的な語りから最後のフィナーレシーンでは楽しんでるお客様の顔まではっきり映っている。あくまでもその場の観客や出演者たちだけのコンサートのはずで、YouTubeに公開する旨は、開演時には誰にも伝えていない。演者たちはともかくこのまま世間に公開されると観客の個人情報の公開にもつながるのではないか。何とかしないとならない。ドキドキした。

 幸い撮影されたF氏とはすぐに連絡がつき、電話で我の不安を話したところすぐに理解・承諾してくれ、当初は仲間内だけが観れる限定公開にするということで話がついた。そしていちおうその晩、出演者たちには、YouTubeで既にコンサート全体がそっくり未編集のままで公開されていることを知らせて是非を問うことにした。かれらのほとんどは別に自分のシーンは問題ないという返事であったが・・・

 そして翌7日のお昼の時点で、それらの映像は、一般公開から限定公開へと変更してもらい、これで世界中の誰でも、たとえ安倍晋三でもいつでも観れる状態ではなくなったと思いほっと安心した。
 が、その後に友人が、念のため「共謀フォークジャンボリー」で検索したところ、とある映像紹介のサイトが表示されて、そこからまたコンサートの記録映像にアクセスできることが判明した。クリックすると相変わらず我マスダがいきなり出て来るとのことである。限定公開になっていないようだ。YouTubeの仕組みもこうしたシステムに不明な我は、不安と心配で頭と胃が痛くなってきた。どうしたものか、である。

 けっきょく、F氏は、上げた映像すべてを「非公開」にしてくれて、もうそれからは我も含めて誰であろうと観ることはできなくなった。詳しくはわからないが、一度観た人は、「限定公開」にしても、アクセスすればまた観れるとのことだそうだ。
 と、いうわけで、もうこれでそのビデオで我自身の姿を世の人全てに見せること、観られることはなくなっただろうと思ったが、念のために、もしまだその未編集ビデオがどこかで公開状態になっていないかと、「お尋ね者」として書いた次第。

 思うに、F氏は、他の反体制集会や抗議デモと同じようなものと考えて、世間に広くカクサンさせた方が良いとお考えで、即撮影後、こうしたイベントがあったとして、そっくりそのまま未編集でそのコンサートの全体をYouTubeに上げたのだと思う。
 確かに集会やデモ行進などならそのこと自体がプロパガンバになり、後々まで世に知られ運動が勢いづきプラスになろう。参加者も歓迎することだろう。
 が、「共謀」コンサートは、コンセプトは近しくてもあくまでも音楽の、娯楽的なイベントであり、政治的集会ではない。ミュージシャンたちは常日頃から人前で堂々と顔見せて歌ったり演奏しているから、YouTubeにうたや演奏を公開されても困りもしないだろうし逆に宣伝にもなるかと喜ぶかもしれない。
 しかし、我のように市井の、アマチュア以前の、本来は裏方、企画者的立場の者が、何の覚悟も了承もないままネット上にその姿をさらされるのはまず何より驚く。ともかく実に恥ずかしいし、ただただ困惑し苦痛でしかない。おそらく来られたお客様もその姿がネットに流れているのを知れば同様だろう。そう、それはその覚悟も、そうなる予想もしていないからだ。

 誰でも世界中に自らさまざまな画像や映像、情報を発信、公開できるネットの時代である。でもそれは良いことばかりだろうか。
 女性がストーカー化したかつての別れた「彼氏」に、交際時に撮られた恥ずかしいプライベート写真などをネット上に「公開」されて、悩み苦しみときには自殺したりすることがある。そうした事件の報道は何度も読んだ。
 我は、今回、まったく予期せず突然自分の姿、拙く歌ってるシーンがネット上にあるのを観て知って、まず驚き心痛で不眠に陥った。そしてようやく今までヒトゴトだった、そうした「被害者」たちの心境がほんの少しだけわかった。

 何であれ、覚悟と決意の問題なのでもある。最初からこれが撮影されてYouTubeなどで我も誰にでも観られるのだと了解・承知していたらばそれなりに格好にも気をつけだたろうし立ち振る舞いや言葉も慎重になったはずだ。そうした覚悟ができていなかったこともあるが、いきなりのそれはやはりとても驚いた。我に関してはこれからも要請受けても承諾しない。
 司会進行役だって好きでやりたくてしているのではない。他に担当してくれる人がいればお願いしたいが、誰もいないし企画した者がやったほうが手っ取り早いからやっているに過ぎない。
 我は生涯裏方でかまわないだけでなく、これからもそういうつもりで生きていく。かつての青島や前武ではあるまいし、放送作家やプロデューサーがステージにしゃしゃり出てどうするつもりか、である。だいいち我は彼らのような機転の利く才覚など微塵もない。ギターとうただって一曲だけやらせてもらうのはあくまでもコンサート本編前の「余興」に過ぎない。その後を引き立たせるためのものだ。

 そんな思いで仕方なくコンサートの始めに出、前口上述べているシーンからネットに映し出されて、まさに青天の霹靂、驚き困惑し対応に悩み苦しんだ。見た瞬間思ったのは、何だコイツは!?、である。それで、YouTube怖いと書いたのだ。
 どこの誰だか一度も会った事もない知らない人に何千人、何万人もフォロワーされるインフルエンサーなる女子の気が知れない。そんな女はいつか街でいきなり、向うは知っててこちらは知らない誰かに刺されて殺されるかもとは考えないのか。

 我は自分が認知している目の前にいる人としか関わる気はない。こちらは知らない人に、勝手に我を知られるのはまっぴらごめんだ。芸能人じゃあるまいし。