画像で振り返る「共謀」フォークジャンボリー後半・⑥2019年05月13日 23時39分03秒

★弱つよむ 二回目のステージは、女性陣と初「共謀」す

 この人は本当に実力者だと常にいつも感嘆させられる。「お笑い」系のうたとは、プロアマ問わず、まずそもそもきちんとしたテクニックがないことには誰でもできるものではない。
 しっかりした実力がまずあってこそ、バカバカしいことがきちんとカタチにでき、そこで笑いが生まれる。生半可な力や才能ではとてもできることではない。
 そんなテクニシャン、実力派の人が何故かナンセンスとか言いようがない不思議なうた、バカバカしいうたを次々と歌いまくるのである。最初、藤しんいちろうがコタンで演ったとき、彼も観て、目が点になりそしてすごく気に入った。こんなバカバカしいこと、考えてもしょうがないことを大真面目で歌にして唄っている人がいる。素晴らしいではないか。今風の言葉でいえば、我のツボにはまったということだ。そしてその歌もじつにメロディアスで自然に耳になじむ。
 
何でこんな素晴らしい異能の方が、あまり相応しいとは思えない場(失礼‼)コタンに出てるのか訝しく思い、ぜひもっと多くの方々に知ってもらえたらと考えて、先に「共謀」番外編を企画し、「笑えるうた」のときお招きした。そして期待通りの大爆笑のステージとなった。
 何がすごいって丁丁発止やりとりで、常にどんな悪条件でもきっちり対応して場を〆てくれることだ。期待を外さない。この方は真のプロである。ぜひまたこれからも「共謀」したいとこちらから頭下げる思いでいる。ぜひまたかけこみ界隈で弱つよむのオンステージ企画したいと願っている。

画像で振り返る「共謀」フォークジャンボリー後半・⑦2019年05月13日 23時43分35秒

★ウッディ― 二回目のステージ

 今回の参加者・出演者中唯一の初登場のウッディ―。先の女たちの「共謀」コンサートに飛び入り的にハーモニカで「共謀」してきた人で、我はまだ個人的に話したこともないのでその人柄は謎だ。いったい何をしている人なのであろうか。不思議なステージ衣装である。

 が、確かなハーモニカプレイヤーとして即感心し、我もその端くれなので今回の参加を呼びかけた次第。彼がいれば、我はもうハーモニカ吹かないで済むという思惑もあった。
 そして期待通り、いや期待以上に多くのステージでしっかりハーモニカで「共謀」して頂いた。お疲れさまである。彼には、秋口の『五郎と「共謀」コンサート』でもしっかりハーモニカ吹きまくってもらう予定である。むろん彼のうたも含めて乞うご期待だ。

画像で振り返る「共謀」フォークジャンボリー後半・⑧2019年05月13日 23時46分13秒

★ここで飛び入り・小次郎が登場

 三重県津市河芸に、不思議なライブハウスがあった。今もあるかは定かではない。ライブハウスと書いたが、ライブ空間としか言いようがなく、そもそもが戦前?の古い水産加工場の廃屋であり、そこを勝手に「占拠」して、ライブスペースとして活用している男がいた。ガスリーと呼ばれてた。
 その彼とは大阪の春一で知り合った。共に年期の入った熱烈なフォークマニアであったから即意気投合した。その男が毎夏、春一的なイベントを地元でも開催しているから来ないかと言う。それが、「ええかげん祭り」であり、我はまだ母たちが元気で自由に動けた頃は何回か参加してきた。
 その「フォークソングのお祭り」は、地元関西系のミュージシャンだけでなく、中川五郎、いとうたかお、金森幸助、よしだよしこら、メジャーシーンでも活躍している人たちが大勢出る素晴らしいイベントで、いつも感心感嘆させられた。ただ夏場でもあり冷房機などはなくそこは常にものすごく暑かったけれど。

 小次郎氏とは、そこで知り合った。当時は関西にお住まいだったかと思う。名刺交換した。そして今回このコンサートの直前に我に連絡があった。今げんざいは、こちらに住まいを移して活動しているとのことだった。これも縁である。で、当日来られるならば数曲だけどと、飛び入りで出てもらった。
 突然まったく未知のシンガーが出て場が浮かないかと心配もしたが、かけこみの方々は懐が深く大変暖かい好意的反応が返って来たのでほっとした。またの機会あらばである。

画像で振り返る「共謀」フォークジャンボリー後半・⑨2019年05月13日 23時49分04秒

★山口敦子

 「共謀」コンサートは二回目となる彼女。女性では珍しいマンドリンとギターでしみじみと心に染み入るうたを聴かせてくれる。静謐と言う言葉がいつも頭に浮かぶシンガーだ。

 彼女は、今はなき西荻「のみ亭」の主人・やっちゃんからお名前だけはよくお聞きしていた。彼のお気に入りのシンガーとして。が、じっさいに会ったのは、町屋の葬儀場で、そのやっちゃんのご遺体を挟んでであった。遺体安置室での出会いであった。

 のみ亭では、我はずいぶん多くのシンガーや音楽仲間と出会えた。それは今も我の財産となっている。そしてあろうことか彼は死しても最後の最後まで、我らに縁を繋いでくれたのであった。そしてそんな奇縁で関係が生まれ今回もこのコンサートに出てもらった次第。
 ならばこの縁、「共謀」の繋がりをこれからもさらに広げ続けていかねばと彼女のうたに亡き人を思い偲んだ。