まずはこの夏を無事に乗り切ること、だ。2019年08月05日 05時59分17秒

★災害級の暑い八月に

 八月に入った。また当ブログ、更新できず間が空いてしまい申し訳ない。ご心配おかけしたかも。

 梅雨明けの前後から晴れ間の時間帯と共に気温が連日上昇し続けて、八月に入ってからは、連日真夏日と熱帯夜が続いている。
 平年より一か月も異常に寒く長い梅雨が続いていたから、令和元年の夏は、冷夏かと案じたが、やはり真夏の暑さがきちんと戻ってきた。それ自体は悪いことではない。
 暑さに慣れていなかったということもあるが、連日、熱中症で死亡する人が増え続けて、ニュースでは災害級の暑さに警戒を、と呼びかけている。
 じっさい、何もしてなくても蒸し風呂の中にいるかのごとく、汗が噴き出して来る。電気代のことも心配だが、ともかく今は冷房入れてこの猛暑を乗り切るしかない。

 そう、今これを記している、デスクトップのパソコンがある小部屋はエアコンつけっぱなしにしていても南東の窓からの陽射しの強さでちっとも涼しくならない。
 そもそもこの部屋にはクーラーはなく、隣室にある天井に設置してある空調から余熱ならぬ予冷を入れて何とか涼をとってしのいでいる。
 だが、パソコン自体、常に熱をもつマシンだから、八月になって猛暑が続くようになってからは、長時間のパソコン使用は、おっかなくて控えざる得なかった。それもあってブログ更新できなかった。

 数年前の九月頭、愛用していた富士通のデスクトップパソコンが、エアコンのない部屋で汗かきながら使っていたら突然クラッシュした。修復に苦悶したことがある。立川の修理専門店に出して復旧したがかなり金もかかった。
 九月とはいえ残暑が戻って来ていて外気温は30度半ばあった頃だった。なのに冷房のない暑い室内で、常に発熱する機械を使い続ければそれは壊れるのも当然だった。
 その教訓から、この猛暑、パソコンを使うのもできるだけまだ涼しい早朝などの時間帯や、こまめに電源を切ってマシン本体が熱くならないよう常に留意している。

 それに加えて・・・拙宅は構造上、道路に面した南側の部分と裏側、北にある部分とに分かれている。それは時間おいて二度に分けて建てたことによる。以前にも報告したと思うが、まず、裏側に新建材で八畳ほどの板の間の上下1DKの二階建てを建て、後から表側に建っていた古い家屋をリフォームかつ増築して表と裏を「合体」したのだ。それは、どこかに引っ越しせずに住みながら「増改築」するための苦肉の策であった。当然エアコンも各部屋に設置してもらった。
 しかし、裏側の「新館」部分には、エアコンは一階にしかない。それは父母たちの寝室だった部屋で、今もその部屋に電動ベッドを入れて父の寝室にしている。
 息子である我は、その上、二階が、寝室兼プライベートルームであった。が、その部屋には、エアコンが付いていない。数年前の夏にパソコンが暑さでクラッシュしたのもその部屋でのことだ。
 しかし、父の寝ている部屋のパナソニック社製のエアコンが、昨年の夏は使えたのに、いつしか壊れて寒くなってからは、暖房のスイッチ入れても起動しなくなってしまった。仕方なく去年の冬は、暖房は、オイルで部屋の空気じたいを温めるデロンギのそれで何とかしのいだ。しかし夏が来たらどうするか、だ。エアコンは毀れて動かないのだ。

 今年の夏は幸いずっと梅雨寒で冷房の必要がなく、七月末までは、父もその裏の新館で暮らせていた。しかし、やはり梅雨明け後の猛暑となると、エアコンの修理代も、新たに新機種を取り付ける金もない。悩んだあげく表側の玄関脇の小部屋に簡易ベッドを入れて、父を夏の間はそこで寝かせることにしたと先に報告したのだった。※その小部屋は母が死ぬ日まで暮らした部屋で、電動ベッドをレンタルでいれて死に臨む母を我が介護したのだ。そこには最新のエアコンがある。
 しかし、その部屋を片付けるため、友人を招き、かなり慌て急いでそこにあった古本古雑誌の山を山梨へ運んだりしたから我は足底を痛めたのだ。
 さらにこの連日の猛暑。昨年の夏は、その裏側のエアコンのない部屋でも我は、扇風機つけて涼をとりその自室のベッドで汗まみれになりながら眠っていた。
 しかし、今年の夏は、あまりの熱さにいくつ小型扇風機を回してもただ生暖かい風が吹き付けるだけでちっとも涼しくなく、その部屋で眠るのは断念した。いまは、表側の、エアコンのある大広間・無頼庵の部屋のソファーで一昨日から眠っている。エアコンのおかげで身体は伸ばせなくても久しぶりにに深く眠れた。

 そんなで今、災害級の猛暑と言われる夏。ブログやフェイスブックで書きたいことやお知らせしたいことも多々あるが、今はともかくまだこの夏を無事に乗り切る事から、だという思いでいる。
 父も介護保険利用限度額いっぱいに、ショートステイやデイサービスに預けるようスケジュール組んだし、そんなで暑さを鑑みつつパソコン作業に向き合うしかない。
 思えば、もう八月であり、梅雨が一か月も長かったのだから、既に夏は半分終わっている。お盆休みがあければ、晩夏となり秋めいて来るのではないか。

 子猫たちをどう「始末」するか、あれこれ考えねばならない「人生の本質」ではない部分が今はまたさらに肥大してしまった。じんせいをもっとシンプルに、すっきりと、とスローガンのように自ら言い聞かせているが、現実は、ますます増えて停滞するばかりで、どこにもまだ逃げ道も出口も見えてこない。
 しかし、とにもかくにもまずは命にかかわる暑いこの夏を乗り切って、涼しく快適な秋を喜びをもって迎えたいとただ望む。
 世界は変わらないし、どんどんさらに悪くなって行くようにも思えるが、楽しいことを思い、良いことに目を向けて「暗澹」や「絶望」にとらわれずともかく生きていくしかない。
 誰にとっても大変な人生だが、そもそも大変じゃない人生などないし、まだ死なずに生きているだけで「有難い」のだから。がんばりましょう!

熱射病で倒れました2019年08月08日 08時12分41秒

★体調悪く土曜日までお休みします。

 猛暑が続く、この6~7日と、山梨の倉庫兼民家へ、道に伸びた庭木の伐採作業に行ってきた。※これは集落の顔役から何とかしてくれと言われていたのだ。

 が、このところのソファーで毎晩寝てるので熟睡できず仮眠的慢性睡眠不足と、向うでも異常な暑さで、昨日、早朝からの作業を終えた後、頭痛にメマイと吐き気で倒れてしまい意識不明に。数時間横になって何とか昨日午後、まさに命からがら帰って来た。
 今回は、毎度の笠間から友人招いて作業手伝ってもらったのだが、彼は、免許がなく我マスダが倒れると帰宅できなくなってしまう。彼も未だ老母を抱えている。
 さらに、子猫たちも親猫と一緒に家の中に閉じ込めてきたので、我も帰れないと餌もトイレも大変なことになる。親子合わせて9匹、暴れて何をしでかすかわからない。
 頭痛抱えながら意識失わないようハンドルをしっかり握りみゆっくり休み休み古い車の冷えない冷房全開にして、何とか無事に帰宅できた。まさに奇跡的生還の感じがした。
 友人をすぐに帰らせて、横になったが、吐き気とメマイは残っていて、さらに夜には下痢までして、家に戻って来てもなかなか熟睡に至らない。
 幸い、父が帰って来るのは、今日の夕方なので、それまで身体休めて体調を戻すことに務める。ただ、今晩から明日一日は父が在宅の日なので、その世話をしないとならないので、寝てばかりもいられない。これはしんどい。

 先に、何とかこの夏を乗り切ることだ、と書いたばかりなのに、さっそく自分が熱射病で倒れるとは情けない。まあ、軽いものだったから意識も体調も戻ったが、そんなでもう無理はできない。
 土曜日朝、父を週末のショートステイに送り出せたら、ゆっくり今回の顛末も含めてブログに向かいたい。
 皆さまもともかくこの猛暑、無理せずご自愛ください。

ご心配おかけしました2019年08月12日 10時54分20秒

★何とか体調は戻ってきた・・
 
 歳をとって体力が落ちて体調が弱ってきたからか、それとも今夏の災害級の猛暑のせいなのかはともかく、夏を乗り切ろう!と拙ブログに記したとたん、熱射病で倒れてしまった。以後体調がすぐれず全く何もできないままひたすら寝込んでいた。ご心配おかけしました。申し訳ない。

 犬猫の世話や自らの食事など最低限のことだけは何とか終えると、父が不在なのをいいことにこの土日も昼夜問わず冷房入れた父のベ゛ッドでうつらうつらしていた。パソコンにさえ向かえなかった。ともかく全身が怠く足も腰も節々が痛くて、しんどくて起きていられない。
 やっと今日月曜になり、身体は軽くなってきて今ブログ記している次第。たぶん危機は抜け出したかと。
 
 暑い最中、少し外に出て動き回ったりすると、また熱射病が再発するというか、同様の症状が出て、頭が痛くなりフラフラして気持ちが悪くなる。仕方なく濡れタオルを頭や首に巻いて横になるしかない。
 足腰たたたない、という言葉があるが、まさに足も腰も身体中怠く痛くて何もする気が起きず、いや、身体がしんどくて何ひとつできず、ひたすら水分とって冷房入れた部屋で横になるしかなかった。
 これが老いなのかとも思うし、もうこのまま何もできないまま半病人としてこの動けない体抱えて死んでいくのかとさえ思いもした。

 昨夜は、うちの地方では、真夜中2時半ごろ、突然パラパラと久しぶりのにわか雨があった。雨が降り出した音で、浅い眠りを覚まされ、庭に出していた猫砂の箱などを濡れないところに取り込んだり出しっぱなしにしていたものを家の中に慌てて避難させた。30分ぐらい降ったりやんだりしていたようだ。
 その雨のおかげで、今朝がたはいつもの朝よりは涼しく、道も濡れていて犬との散歩はかなり楽だった。このところは朝から強い陽射しで散歩から戻ると汗びっしょりでふらふらとなるのだが。
 そして今日は時おり陽射しもあるものの、曇りがちで連日の猛暑日よりはずいぶん楽だ。台風が近づいていることもあるが、八月も半ば近くとなってきて、やっと殺人的猛暑も陰りが見えて来たと言えようか。

 このまま寝たきりになってしまうかとも不安にもなったが、まだここで、こんなことで人生を終わらせるわけにはいかない。もっと大変な難病に苦しみ闘っている人もいる。
 まだ我の人生は続く。良いことも悪いこともあろうが、大変じゃない人生なんてないのだから、投げ出さず、諦めず、ともかく一つ一つ、我が人生と向き合ってやっていくしかない。

 後ほど、今回の「熱射病」騒動の経緯について記したい。が、今日、月曜は老父が夕刻にショートステイから戻って来る。幸い明日の朝また別施設に行かせる。
 ともかく、ボケ老人の父がいると昼寝も何もできやしない。どれほどこちらが体調悪くても彼は容赦なく騒ぎまくる。目が離せない。気が休まらない。で、何一つ我のことはできなくなる。すべてはまた父を施設に送り出してからだ。
 まあ、何であれ、ともかく全てまだ在ることはそれだけで有難いことなのだが。

何とかこの夏を父と共に乗り切れそうだ2019年08月16日 22時45分44秒

★暑中に涼ありて

 いろいろご心配かけて申しわけありません。
 何であれ、病気になると後遺症も残るし、完治しても同様の条件のときには記憶が戻るかのようにバックすることもある。いちど熱射病になると、暑さに対して身体が過敏に反応するようで、猛暑の昼下がりなど外に出たとたん、頭痛やふらつき吐き気など、その初期症状が、いや、そんな感じがすぐにしてくる。危険信号、その兆候か。
 まあ、それは「予報」、「予兆」のようなものだと受け取って、それ以上悪化させてまた本格的に倒れないよう無理はせず、何をさておき御身大事に対処するしかない。
 そんなで、義理あるシンガーのライブなども、会ったのだが行きたくても自制してともかくまずはこの夏を乗り切ること、体調維持に努めている。不義理したとしても本当に倒れて再起不能となったり早々死んでしまえば、こんな自分でもそうなったとき、やはり困る人もいるだろう。喜ぶ人ばかりだとは思えない。

 何しろ我も周囲も皆高齢化で、今後も含めて動ける人はどんどん少なくなっていくのだから、たとえ我にも与えられた役割があるとしたら、それを動ける限り、最低でもあと10年は何とか果たしていきたい。そのためにも無理はできないし、まずは御身大事に体調管理に務めていく。

 大型台風は、四国、山陰を抜けて日本海へと通り過ぎた。遠いこちら、関東地方、東京の三多摩地区は被害は何もなかったが、ときおり強い雨が降ったり強風が残ったり不安定な天気がこの数日続いていた。
 今日も颱風の余波というか、置き土産の強風が吹き荒れて、おかげで午後から晴れて強い陽射しは戻ったが、いつもよりはいくぶん涼しく感じられた。
 まあそれも、災害的猛暑に身体が慣れて来たからで、忙中閑ありという言葉があるが、達人の心持として禅的に昔から言われるように、暑中の涼を感じられるようになったら一人前なわけで、これもまた夏の味わいかとも思える。
 今日、8/16日は我の誕生日だった。しかし、母の死後、いろいろ戸籍とか取り寄せて調べてみると、昔から聴かされていた我が生まれた場所と違う場所が記されているし、果たして記載されている日がほんとうの生まれた日なのかもだいぶ怪しい。
 いまはそんなことはないだろうが、戦後の昭和30年代初頭はけっこうずさんだったようで、役所への届け出もテキトーだし我の出生に関してもいろいろ家庭的にワケアリのようだ。
 しかし、まず間違いなく自分は我を育ててくれた両親の子だと思えるし、いつどこで生まれようが、今自分が生きてここにいることだけは間違いない事実だから、過去のことなどはどうでもいい。

 そして今、我は、60代に入り、90代半ばとなる父と二人で、母亡きあとこの家で二人だけで暮らしている。父があと何年生きるかはわからないが、有難くもこの夏も特に体調崩すことなく先の7月の冷夏とこの猛暑を無事に乗り切ってきている。
 日々、確実に呆けと全身の衰弱、老化は進んでいるのだけれど、元々が頑健にできているのだろう、入院するほどの病に至らないし週の大半はデイサービスやショートステイに任せているので、我=息子も何とか過度の負担は凌ぐことが出来ている。
 しかし、この木、金と、水曜の夕方から、父は終日在宅中で、我としてはかなり憂鬱、不安であった。このところは終日家に居るのは金曜一日だけというスケジュールにしてもらってたのだが、昨日木曜は月一の歯医者の予約があり、今日は訪看が来る日で、二日間まるまる父と一日中過ごさねばならない。

 そして・・・何よりこのところ頭痛めているのは、朝起こすと彼は、紙オムツの中の吸収パッドなどを全部寝ながら自分で取り外してしまうことだ。
 その小便でぐっしょり濡れたパッドをベッドわきに投げ捨ててあったりベッドの上にそのまま置いてあったりする。とうぜん、パットからまた小便が逆流して辺りを濡らすだけでなく、それを外した後は、吸収するものは何も履いていないわけで、敷布団の上は小便で世界地図となる。
 しかもひどいときは、大便、それも軟便も出ていることもままあって、ちちの寝ている部屋は大変な事態となってしまう。
 むろん寝る前に厳しく言い含めて、当人も絶対に外さないと誓う。が、寝ているときは不快感からか、朝方?無意識のうちに取り外してしまうようなのだ。そのためこのところ父が家に居た日の朝は、洗濯機はフル稼働であるし、布団も全部外に出して干さねばならぬ。
 さらに困ったことに、二層式の洗濯機の脱水機能が不具合が起きていて、脱水層が回らず、今は脱水ができやしない。仕方なく手で懸命に絞っては干している次第。
 下着類など小物は、それでも何とか乾くが、父が汚したシーツ類は、一人ではカンタンに絞ることも難しい。これ以上濡れたシーツ類が溜まるともはや替えもない。どうしたものか。
 辛酸佳境に入る、の感、ますます強し、であるが、まあ何とかこの夏は我も父も乗り切れそうな気がしてきた。増えすぎた子猫たちのことも頭痛いけれど。

館野公一、語り歌の継承・8/17日、山口敦子を迎えて2019年08月17日 23時54分37秒

★Wマンドリンという稀有なシーン

子猫貰い手募集中2019年08月18日 14時41分21秒

★あたしたちをも貰ってくだニャイ!!

 左から、新モフモフ♀ キジ子♀ キジ丸子♀

終わりが見えて来た2019年の夏に思う・前2019年08月20日 17時59分43秒

キジ子とクロスケ。確認できた限りクロスケだけが男の子だった。
★暑さも和らぎほっと一息だ。

 この数日、曇り空、雨もよいの日が続き、おかけで気温も下がってきた。災害級の殺人的暑さもどうやら終わりを告げたようだ。

 昨夜は、かなり強い雨が明け方まで降り続いて、今日も夕方短時間だが、かなり強い夕立があった。
 湿度が高く蒸し暑いことは変わりないが、他の地方はともかく、ウチの界隈は、夜は30度なく、冷房のない自室でも窓開けて弱く扇風機つけただけで深く眠れた。そう、30度に届かないだけで、体調が全く違う。気持ちまで軽くなってやる気が満ちて来た。

 これまでは少し何かしようと動き出すと室内で冷房入れててもすぐ汗が吹き出して鈍く頭痛し吐き気に至らなくも胃がむかむかして気持ち悪くなってしまう。
 先に、山梨で熱射病に罹って以来、そういう「体質」になってしまったようで、暑さに過敏というか、堪えがきかずすぐにその初期症状が出てフラフラとなってしまう。
 いきおい無理はできず、父がいないときは、風呂場で冷水のシャワーを浴びては、冷房効かせた父のベッドで仮眠をとる。一日に何回でもそれを繰り返す。それでも体調不全感は相変わらずで、ともかく無理しないよう、最低限のことだけし終えたら夜は早く寝るし、そんなでブログも何もかも進めることはできなかった。

 今、ようやく涼しくなってきて、やっと本腰入れて片付けも何もかも少しづつ再開しばしめたところだ。で、まずは子猫たちのコトから。

 子猫たちのことも貰い手がみつからず何とも頭痛いが、幸いにして一匹だけ仮にであるが、奇特な方に里子に出して預かってもらえたので、ほんの少しだけ世話する負担が減った。といっても七匹が六へと微量な変化に過ぎないが。トイレの掃除も餌やりも我一人では限界に近づいている。
 かといって、猫ドア全開にして、好き勝手に外に出させると、前々回の出産のときのように、突然行方不明、「失踪」する可能性も高く、今月いっぱいは、まだ室内飼いに務めるつもりだ。
 むろん、各自勝手にどこかへ行って、失踪もまた新たな貰い手の元へ行ったならそれはそれで構わないのだけれど、できればきちんと飼主をみつけて愛されて飼ってもらいたいと切に願う。
 このままでは、単に、この界隈に「野良猫」が増えるばかりとなって、目くじら立てた、ご近所のオバサマたちがどのような強硬手段に出てくるかわからない。
 自らのだらしなさ、迂闊さが撒いた種とはいえ、最後はまた「放擲」という手段は、してはならないと思う。
 今回の猫たち、問題はやたら雌が多いことで、雄は、やがて修行の旅に出ていくから、もう心配も何もしないことにしたが、雌はまた今回のように一年ですぐさま妊娠してまたこの家で三匹も四匹も子を産んでしまう。ネズミ算ならぬ猫算である。

 貰い手がなくこの家で仕方なく飼うことになったらば、ともかくまず母猫から避妊手術して、残った雌の子たちは全員早めにそう手を打つ。何もしなければ来年度は、単純計算で子猫たちだけで20匹子を産む。また多大な出費となるだろうが、もうこれ以上猫は飼えない。
 今も手を尽くして、貰い手を探しているのだが・・・

終わりが見えて来た2019年の夏に思う・中2019年08月21日 22時07分47秒

★いくつもの峠を越えて

 今日は曇りがちの晴れで、夕方からまた雷雨があるかと案じたが、東京西多摩、ウチの地方は雨は降らなかった。
 が、あの猛暑日が続いていた頃に比べると気温も低くずいぶん過ごしやすくなった。けっきょく、今年の夏は、七月は異常に長い梅雨寒が続いて、梅雨明けしたとたん連日死者が続出するとほど苛烈な災害級の猛暑日が二週間ほど続いたが、台風を境に暑さも和らぎ秋めいて来たと言えようか。
 むろんまた暑さがぶり返す日もあって然るべきだが、今ようやく我は何とか今年の夏を乗り切れると安堵している。我が人生において今年の夏こそ生涯いちばん暑く辛く体に堪えた。
 ともかく身体が不調で、御身大事に専念するしかなくブログも落ち着いて書けやしなかったのはご覧の通りだ。

 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、とは、あの徳川家康の遺訓だとされている。この名言、多くの方もご存じであろう。まさに同感だ。おそらく誰もが共感するのではないか。
 人それぞれの負う荷は違うが、家族や仕事、借金、いつしか集まってしまったモノなどあれこれ抱えて、その責任や人間関係、様々なしがらみに押し潰されそうになりながらもともかく先へと遠くへと歩いていく。それが生きていくことだ。
 基本、誰もその荷を代わりに担いでくれないし、その荷物を全部下ろせるのは、死んで天に召される時しかない。
 ただ、ときに同行者がいて励ましあったり、たまには砂漠のオアシスの如く、荷を下ろして休息の一時を持つこともあろう。しかしその後も旅は続く。

 我は、このところ、日暮れて途遠し、の感強く思うが、私的感慨はさておき、その遠き「道」とは、平坦な道であろうか。
 生きていくと言うことは、とりもなおさず老いていくことと同義である。ならば遠き道を行くとは、年齢を重ねるということでもあろう。そして歳と共にいろいろ不具合も出てきて、生きていくこと、歩くのもしんどくなっていく。
 だから我がイメージするその道は、平坦ではなく基本上り坂で、ところどころにかなり急な上り坂がある。峠と言っても良い。その苦しい峠を登り切ればしばらくはまた緩やかな道が続き楽もできる。年齢に照らし合わせば、何歳頃か。

 若いときは、体力もあり新陳代謝も盛んだから、無理はきくし、生命力が漲っているから人はカンタンに死ぬことはない。
 が、中高年になると、不摂生や過労など無理がたたって、身体がしんどくなる年頃がある。その「峠」を乗り切れずに死んでしまう人も出て来る。

 思うに、まず最初の軽い峠は、五十代半ば頃ではないか。我の友人知人でも還暦まで生きずに死んでいった者たちの顔が何人も思い浮かぶ。
 そして次の山場というか、峠は、還暦前後の頃で、男の厄年もちょうどその頃に設定されていることから、やはり身体にガタが来る年代なのだろう。まずそこを乗り切れば、存外六十代は、安定していてすぐに古希が来る。
 しかし、年上の友人知人たちを見ていても、六十代後半から痛風とか体調不良を訴え始めてくるし、不具合が表に出ずとも脳梗塞やヘルペスなど突然の予期せぬ病に見舞われる人も多いようだ。

 その70歳の峠を無事乗り切れれば、80歳近くまではわりと平たんな道が続く。しかし、やはり80歳の峠を越えるのはかなり大変なようで、我が母を思い出してもそれまで若々しく非常に元気だった人でもその峠を越えられても発病、やがて半病人となって、なかなか九十の大台を迎えられる人は少ない。
 これはあくまでも私感だから、何の根拠もないが、周りを見ていてもやはり病魔に倒れる年頃というのは、確かにあると信ずる。つまりそれが遠き道を行くときの難所、「峠」なんだと思う。

 今、我は還暦を越え過ぎて、始終全身の不調感に悩まされている。幸いミニドックの結果では、特に内臓などに問題はみつからなかったが、先の左足の足底筋膜炎もまだ回復途上だし、寒暖差アレルギーに加えて、恥ずかしいことだが、意識すると尿失禁となる過活動膀胱、さらには、男の更年期障害である、顔だけが熱くなって汗が出ると言う「のぼせ」や立ちくらみなど、どれも重病で入院・治療中の人からすれば嗤われるような「些末」かつ「些細な」軽い病気に始終悩まされている。
 そうした体調不良と睡眠不足から、ついに初めてこの夏、熱射病に倒れて、以後、体力もない我は今夏はほぼ寝たきりの半病人状態であったという次第。多くの人にご迷惑おかけしてしまった。
 これが老いなのかと思うし、ともかく無理せずに、まずは この「峠」を乗り切ることだと、自らに言い聞かせて、この道を進んでいくしかない。

 今は、こんなに元気でも、ゆめゆめ過信することなかれ。先のことは誰も何もわからない。どうか皆さんも無理されずご自愛のうえ、共に同時代を、今生きている皆無事に乗り切って行きましょう!!

終わりが見えて来た2019年の夏に思う・後2019年08月22日 10時39分35秒

もうだいぶ大きくなってきた子猫たち。いちばん奥のは、超レア猫しんちゃん。
★まずは無事この夏を乗り越えて実りの秋を迎えたい

 というわけで、2019年の夏、八月は、時間あれば涼しい所みつけてひたすら横になっていた。ギターも一度もさわらなかった。

 と言っても、最低限のことはやらねばならないわけで、本の注文があれば期限ぎりぎりで発送し、父が在宅のときは、うっかり目が離させないから、どれほど身体がしんどくても仮眠も休息もできず、父を寝かしつけたら早く寝て、父よりも早く起きることだけに専念していた。
 だから、お泊り施設に送り出した後は、どっと疲れが出て、その後は、終日食事以外はひたすら眠り続けていた。

 また、お世話になった人のライブなどにどうしても顔出さねばならないときは、どんなに猛暑でも出かけたが、その後も翌日はどっと疲れが出、父がいなければ終日寝込む始末であった。※行かねばならないライブ、全部行けたわけではない。よしこさんとパギやんのはどうしても動けず諦めるしかなかった
 それ以外は猫や犬の世話だけで精いっぱいで、ただひたすら夏が過ぎるのを、涼しくなるのを待ち焦がれていた。何一つできなくても日々生き抜くことだけでギリギリでまさに命からがらであった。
 そして今、連日の曇り空のこの数日、蒸し暑さは残るものの気温は下がってきて、この夏を振り返っている。さあ、これからだ、という決意をこめて。

 若いときから、きちんと就職も結婚もせずカタギでない生き方をしてきたから、老後の悠々自適のライフスタイル、孫たちに囲まれ妻と二人でんびりと過ごす余生なんて願いもしなかったが、歳と共にますます人生は行き詰って、身体まで動かなくなりまさに困窮極まるとは想像できなかった。
 正直、何とかなるだろうと思っていたし、老いという「現実・事実」を甘く見ていた。しかし今さら悩み悔やんでも人生は二度ないのだからやり直しもきかない。今を少しでも何とかして、この先どう生きていくかだけだ。

 犬猫たち、動物を見ていて感心するのは、彼らは基本あれこれ考えないし当然悩みもしない。その時々の現実、現状に対して条件反射的に反応して、精いっぱい生きることだ。そして待つときには気長にひたすらじっとそのときを待つ。
 彼らには過去はないし、ある意味、未来もない。先のことなど考えない。あるのは今このとき、この瞬間だけなのだ。それを精いっぱい生き生を存分に楽しんでいる。
 思えば、この我も若い頃はそうであった。金はなくても身軽、気軽に思いついたら何でも始め、どこへでもふらっと出かけた。今思えば、僕は本当に自由だった。

 友部正人が、「どうして旅に出なかったんだ」を唄っていた頃のことだ。吉祥寺のぐゎらん堂に置いてあった、来店者が書き込むノートブックに、そのうたを聴いて、やむにやまれず東京に出て来たという書き込みがあった。それを読んで、ならばオレも、と発奮した。大垣行き夜行列車で、キセルして大阪に向かったのだった。そこで天王寺野音での春一番を知ったのだった。
 それが十代後半の頃で、もうそれから40年以上が過ぎた。鏡に映る姿は、かつての少年も蓬髪白髪の老人である。中国の古詩にある白髪三千丈という言葉の如くに。

 では何が変わったのだろうか。モノは増えて、身体はガタが来て、親たちは母は死に、父も間もなく最期のときを迎えようとしている。だが、自分は何一つ変わっていない。愚かさも迂闊さも含めて、その内面はあの十代のままだと断言できる。
 ならばもう一度、今さらながらも、とことん思い通りに自由に生きてみたいと願う。金で得られる自由もあるが、我は昔からそんなものは必要とはしなかった。
 先のことは確かに不安だし、これからも明日の支払いに頭悩ますことばかりかと思う。しかし、ともかく今、この瞬間、今日一日をとことん思い通りに生きていくことから始めるしかない。先のことをあれこれ憂いて思い悩むのはバカらしい。そんな時間あれば、今やるべきこと、今できることをほんの少しでもやることだ。
 誰のものでもない自分の人生なのだ。思い通りにできず、納得できないで終わらせたらモッタイナイ。

 勇造の古希記念の京都丸山はそんなわけでとても行けなかったが、彼のうたは、若い時からずっといつも常に我の中で鳴り響いている。そう、♪さあ、もういっぺん、火の消える前に、である。
 とことん自由に生きてやる。それが、自分にとってリベンジだと信じて。

 ※寓話『アリとキリギリス』の話でいつも思うのは、冬の寒さに死んでいくキリギリスだが、彼に楽しい夏の日の思い出があるならば、それもまた悔いなしだろうということだ。
 むしろ働きづくめのアリたちの方が不幸ではないのか。一番良いのは、キリギリスにアリは、食べ物を与えて、キリギリスは代わりに彼らに音楽を提供するという「共生」、助け合いの社会であろう。持つ者は持たない者に分け与えて、それぞれができる得意なことをすれば良いだけのことだ。
 トランプ、安倍流の分断と対立、亀裂を煽り作り出す社会からは何一つ生まれない。その行く道は破壊と滅亡だけである。そう、丸山議員曰く、「戦争するしかないじゃないですか」だ。

サマークリスマス2019のお知らせ2019年08月23日 01時01分58秒

★以下内部情報ですが、もし関心あればどなたでもご参加を。


今年のサマークリスマスの「詳細」です。

★ハヤシヨシオメモリアルクラブ残党有志主催 「サマークリスマス2019」 ■日時/時間 8月25日 午後2時半開場 3時開始 7時頃閉会予定  

■プログラム 前半第一部 三留まゆみのミニ映画塾 映画界の今~天国の林さんに伝えたいこと  フォークシンガー・館野公一の語り歌・映画うた

■会場場所/行き方 京王井の頭線の井の頭公園駅下車、改札を出て右へ歩1分。 〒181-0001 三鷹市井の頭3-32-15 2F 寺小屋二階スタジオ  以前にもそこを何度かお借りして開催しました。 パントマイマー松井さんのスタジオです。 ※冷暖房完備 ★井の頭公園駅の改札は一つしかなく、出たら右へ歩き交番のほんの先、  角側の建物です。

■参加費/前半第一部のスタジオでのアトラクションのみは、 ¥1000 後半第二部は、今回は吉祥寺駅北口いせやに移動して懇親会を行います。 第二部の懇親会は いせや北口店で午後5時半より ¥2000 ※予定  スタジオから歩いて13分ほど。ヨドバシカメラの近くとのことです。 第一部のみ、第二部のみの参加も歓迎いたします。※一部はスペースも広いので突然の参加も何も問題ありませんが いせや北口店は、席人数の予約連絡もあるため、参加者はせめて当日中には携帯に連絡入れてください。

★旧会員、関係者とも皆さん高齢化が進み、おそらくこれが最後の「懇親の集い」となるかと思います。来年からは8/25日は平日となるため開催の予定はありません。ぜひこの機会にお時間と体調に問題ない方はご参加を、心待ちにしております。 ■幹事/問い合わせ マスダ 090-8175-8479 ※クラブ会員外の方でも誰か会員と知人・友人の関係あればどなたでも歓迎いたします。当プログの読者の方も。  当日携帯 090-1886-2729 出席予定者は村越、マスダまで。 ★いせや 北口店 •住所: 東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目20-3 • 電話: 0422-23-8577 •