何とかこの夏を父と共に乗り切れそうだ2019年08月16日 22時45分44秒

★暑中に涼ありて

 いろいろご心配かけて申しわけありません。
 何であれ、病気になると後遺症も残るし、完治しても同様の条件のときには記憶が戻るかのようにバックすることもある。いちど熱射病になると、暑さに対して身体が過敏に反応するようで、猛暑の昼下がりなど外に出たとたん、頭痛やふらつき吐き気など、その初期症状が、いや、そんな感じがすぐにしてくる。危険信号、その兆候か。
 まあ、それは「予報」、「予兆」のようなものだと受け取って、それ以上悪化させてまた本格的に倒れないよう無理はせず、何をさておき御身大事に対処するしかない。
 そんなで、義理あるシンガーのライブなども、会ったのだが行きたくても自制してともかくまずはこの夏を乗り切ること、体調維持に努めている。不義理したとしても本当に倒れて再起不能となったり早々死んでしまえば、こんな自分でもそうなったとき、やはり困る人もいるだろう。喜ぶ人ばかりだとは思えない。

 何しろ我も周囲も皆高齢化で、今後も含めて動ける人はどんどん少なくなっていくのだから、たとえ我にも与えられた役割があるとしたら、それを動ける限り、最低でもあと10年は何とか果たしていきたい。そのためにも無理はできないし、まずは御身大事に体調管理に務めていく。

 大型台風は、四国、山陰を抜けて日本海へと通り過ぎた。遠いこちら、関東地方、東京の三多摩地区は被害は何もなかったが、ときおり強い雨が降ったり強風が残ったり不安定な天気がこの数日続いていた。
 今日も颱風の余波というか、置き土産の強風が吹き荒れて、おかげで午後から晴れて強い陽射しは戻ったが、いつもよりはいくぶん涼しく感じられた。
 まあそれも、災害的猛暑に身体が慣れて来たからで、忙中閑ありという言葉があるが、達人の心持として禅的に昔から言われるように、暑中の涼を感じられるようになったら一人前なわけで、これもまた夏の味わいかとも思える。
 今日、8/16日は我の誕生日だった。しかし、母の死後、いろいろ戸籍とか取り寄せて調べてみると、昔から聴かされていた我が生まれた場所と違う場所が記されているし、果たして記載されている日がほんとうの生まれた日なのかもだいぶ怪しい。
 いまはそんなことはないだろうが、戦後の昭和30年代初頭はけっこうずさんだったようで、役所への届け出もテキトーだし我の出生に関してもいろいろ家庭的にワケアリのようだ。
 しかし、まず間違いなく自分は我を育ててくれた両親の子だと思えるし、いつどこで生まれようが、今自分が生きてここにいることだけは間違いない事実だから、過去のことなどはどうでもいい。

 そして今、我は、60代に入り、90代半ばとなる父と二人で、母亡きあとこの家で二人だけで暮らしている。父があと何年生きるかはわからないが、有難くもこの夏も特に体調崩すことなく先の7月の冷夏とこの猛暑を無事に乗り切ってきている。
 日々、確実に呆けと全身の衰弱、老化は進んでいるのだけれど、元々が頑健にできているのだろう、入院するほどの病に至らないし週の大半はデイサービスやショートステイに任せているので、我=息子も何とか過度の負担は凌ぐことが出来ている。
 しかし、この木、金と、水曜の夕方から、父は終日在宅中で、我としてはかなり憂鬱、不安であった。このところは終日家に居るのは金曜一日だけというスケジュールにしてもらってたのだが、昨日木曜は月一の歯医者の予約があり、今日は訪看が来る日で、二日間まるまる父と一日中過ごさねばならない。

 そして・・・何よりこのところ頭痛めているのは、朝起こすと彼は、紙オムツの中の吸収パッドなどを全部寝ながら自分で取り外してしまうことだ。
 その小便でぐっしょり濡れたパッドをベッドわきに投げ捨ててあったりベッドの上にそのまま置いてあったりする。とうぜん、パットからまた小便が逆流して辺りを濡らすだけでなく、それを外した後は、吸収するものは何も履いていないわけで、敷布団の上は小便で世界地図となる。
 しかもひどいときは、大便、それも軟便も出ていることもままあって、ちちの寝ている部屋は大変な事態となってしまう。
 むろん寝る前に厳しく言い含めて、当人も絶対に外さないと誓う。が、寝ているときは不快感からか、朝方?無意識のうちに取り外してしまうようなのだ。そのためこのところ父が家に居た日の朝は、洗濯機はフル稼働であるし、布団も全部外に出して干さねばならぬ。
 さらに困ったことに、二層式の洗濯機の脱水機能が不具合が起きていて、脱水層が回らず、今は脱水ができやしない。仕方なく手で懸命に絞っては干している次第。
 下着類など小物は、それでも何とか乾くが、父が汚したシーツ類は、一人ではカンタンに絞ることも難しい。これ以上濡れたシーツ類が溜まるともはや替えもない。どうしたものか。
 辛酸佳境に入る、の感、ますます強し、であるが、まあ何とかこの夏は我も父も乗り切れそうな気がしてきた。増えすぎた子猫たちのことも頭痛いけれど。