老いた父を抱え父と共に生きていく2019年09月18日 17時22分24秒

★残された日々を確実に、丁寧に、慈しみながら

 また外は雨がしとしと降っている。昨日に比べてややうすら寒い夕暮れである。父のこと、どうしたものかとずっと考えていた。やっと覚悟を決めた。

 良いことも悪いことも、辛いことも楽しいことも、つまるところ何であれすべては生きている間だけのことのだから、何であれ起こること全てを受け容れていくしかない。
 ようやくそう「悟り」が開けた。明けない夜がないように、死なない人はいないし、モノゴトすべてには終わりが来る。
 父はまた在宅時は、これからも毎晩毎朝寝小便を繰り返しベッドや衣類を汚すだろう。さらには大便さえ撒き散らすこともするだろう。
 それをどう防ぐか、対策をあれこれ考えた。ペット用の監視カメラのようなものを設置するとか動きに反応して鳴って知らせるセンサーも考えた。※オムツを外せないようにまさか腕をしばり拘禁するわけにはいかない。

 しかしすべては事後対応に近いわけだから、慌てて階段を寝ぼけ眼で下りて静止したとしても防止には至らないだろう。
 ならば、父が家で眠っているときは、我は一晩徹夜して、適時様子を見に行ってオムツ交換したりして「惨事」に至らないよう注意するしかない。
 それで朝になり父を起こし朝食摂らせてから、我は昼まで少しだけ仮眠とれば、その日は何とかなる。昼までは、父も昼寝などせず起きてテレビでも見ているはずだ。むろん外に徘徊に出ないようカギをしっかりかけてのことだ。
 今の父のルーティンは、木曜の夕方施設から戻り、金曜日は終日在宅で、土曜日の朝また施設にお泊りに行くというパターンだから、この家で眠るのは二晩だけだ。
 問題は、二晩目、徹夜も二日目となると果たして起きていられるか、だ。
 まあ、結局失敗してまた布団やシーツ、パジャマを汚したとしてもその晩は施設でお泊りだから、その後の処理はともかくその夜の布団の心配はない。
 そして朝、父を送り出してから土曜は夕方まで眠り続ければ体調は戻るだろう。不養生だが、それがいちばん金も手間もかからず簡便だ。夜中起きてれば片付け作業も捗るかと期待もする。

 こうした認知症が進んでしまい自ら就寝中にオムツを外してベッドを汚す老人の扱いについては、介護側はおそらく皆が頭悩ましているはずだ。※友人のミュージシャンには本業は介護に携わることをされている方も多々いるので今度ご教示受けてみるつもりだ。
 施設などの場合、聞けば、3時間おきぐらいに夜勤担当者が見回りの際に交換しているとのこと。ならば大失禁には至らないかと思うし、当人自らも勝手に外さないのかもしれない。
 問題は、在宅で家人が世話している場合で、特にウチの場合は我一人なので、交互に担当してくれる人はそもそもいない。
 けっきょく、我も朝まで眠りたいとの思いから、父に夜間は幾重にもオムツの中にパッドを重ねて履かせているわけだが、当人としては蒸れたり暑苦しく不快感ゆえに、寝ながらも取り外そうと常に試みるのかと想像する。
 ならばやはり施設の夜勤の職員のように、数時間おきに交換して快適な睡眠環境を与えるしかない。
 この我自身体調はあまり良くなく決して健康体ではないが、毎回毎朝洗濯したり、洗濯ものがこれ以上溜まるのは心身ともに疲弊する。そう、晴れの日ばかりとは限らないから、外干しが出来ない日も多い。近くにコインランドリーもあるけれど、毛布や掛布団まで乾燥機に入れられるのか。抱えて持って行く手間も含めて考えただけでうんざりしてくる。

 まあ、経験上どんなことでも過ぎてしまえば、人は後になって振り返ると、そのときはどんなに苦しく大変でも懐かしく思えるものだから、父とのこともそう思える時が来るだろう。
 在宅で母が死ぬ前も我は介護で不眠不休で、睡眠不足で倒れる寸前だった。しかし、今思うと、その「苦しさ」さえもう少し辛抱できたと思うし、どんなに苦しくても一日でも長く母に生きていて欲しかったと今でも思う。

 父はまだ生きている。この秋95歳になる。その父を抱えて我は父と共に生きていく。

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