命を守るのも「自己責任」で、か。2019年10月13日 21時11分35秒

★哀しいほどのお天気の「台風一過」。

 今日は、朝からカラッと晴れて今年最高の好天気、気持ちの良い久々の秋日和となった。吹く風も爽やかなまさに台風一過の青空であった。

 が、台風通過後一夜明けて、東日本各地でその被害の全貌が明らかになってきた。記録的な豪雨をもたらした今回の颱風19号。関東や東北の多くの河川が決壊、氾濫して濁流が市街地に流れ込み多くの家屋。建物が水没している様相が明らかになって来た。
 先の15号は、強風、突風の風颱風だったわけだが、今回は巨大かつ勢力の大きかったため、長時間広範囲に雨が観測史上ないほど降り続き関東、東北の各地で「水没」地域が多発した。
 我が地域は大した被害はなかったから、良かったと安堵したとしても、現実のはなし、こうして水没した自宅の二階の屋根に上がってヘリコプターに向かって救助を求める人たちの映像には胸を締めつけられるものがある。
 命は助かったとしても、住まいは二階までも水浸しとなってしまえば、衣食から家財一式何もかも使い物にならないわけで、家自体は無事だったとしても生活再建はいったいどうなってしまうのか。ましてこれから寒い冬がやってくるのである。
 15号での、屋根が吹き飛ばされたままの千葉県の人たちも、さらなる被害の程度はわからないが、この冬を無事に自宅で乗り切ることができるのか。
 様々な不安と生活困難がいっぱいの被災者たちに、何かできることはないものか。哀しいほどのお天気となった今日、まさに、テレビを前にしていろんなことを考えさせられた。自分のところが無事だったから良かった、幸いだったとすましてヒトゴトとしてはならないと強く思う。

 連続多発する激甚災害の時代に我々はどう生きていけば良いのか。何をすべきなのか。

 それにしても昨日からテレビの報道を見ていてちょっと気になる「発言」がある。それは、ニュースの中で、アナウンサーが何度も「皆さん、ご自分で命を守る行動をとってください」と繰り返していたことだ。
 それだけ危険が迫っている事態だから、自分自身で身を守れという意味なのだと思う。それ自体は当然のことだ。のんびりかまえて、行政が助けに来てくれると思ってはならない、ということなのだろう。

 が、何か我は気になる。どこか気になる。自分で自分の身を護るのはごく当然のことだ。誰だって死にたくないし何とかしなくちゃと思うはずだ。それをことさらに、自分で命を守る行動をとれ、と言われると何かカチンと来てしまうのは、我だけか。
 まあ、何もかもが「自己責任」を求められる時代ではあるが。そこに行政や県・国の責任は問われないのだろうか。

 我の嫌いな言葉、昨今よく目に耳にする言葉に、「あくまでも自己責任でお願いします」というのがある。
 これは、何かを向うが教示してくれたとき等に、それを貴方がやった場合、結果として、もし何かトラブルなど起きたとしても(こちらは)責任はとりませんから、という「言い訳」である。
 たとえば、パソコンなどカスタマイズするとき、これこれこうすればメモリが増設できるという教示する記事があるとする。それを書いた人は、そうすればメモリ容量を増やせるという有益な情報を提供したわけだが、もしそれを読んでやってみた人が、その通りにうまくできなかったり、そのパソコンに不具合が生じたりした場合、抗議されたり責任を問われないようにとの予め「保身」のための言葉だ。その気持ちはわからなくもない。
 特に企業などの場合、結果として不具合やトラブルを生じさせた場合、社会的責任を取らねばならないから、何につけてもお客様がなさる場合は、どうかあくまでも「自己責任」でお願いしますと付け加えるのは必須のようだ。

 まあ仕方ないかもしれない。しかしこれを友人間で平気で用いる人もいる。とある知人が我の関心ありそうなサイト、そのURLをメール等で教示してくれたのは良いが、そこに「あくまでも自己責任で」観てと、付け加えてあってカチンと来た。そんなことを言うのは友人ではないと思うし、友人ならば万福の信頼もってそれを知らせるべきであり結果トラブルが起きたとしてもその「責任」を負うべき関係ではないのか。

 さておき、自然災害というのは、人的災害ではないから、あくまでも自己責任で自らの命は守らなくてはならないとお考えの人も多々いる。
 しかし本当の自然災害というのは、火山の噴火や地震のようなものだけで、河川の氾濫による水害とか大津波による原発事故もたぶんに人災の要素が大きいと我は考える。
 緊急災害時に、命を守る行動を自らとるのは当たり前であり、それをことさら何度も呼びかけねばならないほどの異常な、何十年に一度という大災害が年に何度も起こる社会は、まずそもそもそこにそれを招いた人的要素があると考えるべきだと思う。

 今さらながら、この世界的異常気象をもたらしたのは誰なのか、世界の政治家たち、とくに温暖化対策を何もしない日米の首脳たちこそ北欧の少女の訴えに改めて真摯に耳を傾けるべきではないか。
 このままでは、人類は核戦争などが起きなくても異常気象、海洋汚染、自然災害で、今世紀中に自滅してしまうだろう。
 我らの世代はもうあと数十年のうち死んでしまうからかまわないが、大人たちではなく、これからもさらに過酷な環境を生きていかねばならない若者、子供たちと野生動物たちが可哀想でならない。

 我々大人は彼らのために責任ある未来を残さねばならないのではないのか。それこそが、我々の「責任」だと思う。