危急存亡の秋2019年11月02日 10時13分40秒

★苦難の歳月を受け容れていく~まだできることとすべきことがある。

 11月に入った。今頃になって秋めいて来たというのはおかしいが、ようやく秋らしい晴れて穏やかかつ爽やかな秋の日が続いている。
 10月はともかく颱風が続いて来て天気も悪く、おまけに寒くて街行く人はコートにマフラーの冬の装いであった。
 今年は秋がなく、このまま一気に冬が来るのかと心配したが、もう晩秋ではあるが、この数日やっと秋らしい日が続いている。有難いことだとつくづく思う。被災地の皆さんにとっても恵みの晴天であろうか。

 私事ではあるが、このところ多事多難でついに人生行き詰ってしまった。そのことをどうこのブログで書くか、どこまで書くべきか迷っていたし、それ以前にとてもそんな気分にさえなれなかった。
 何であれ、書き残すには、ある一定の結末、結果と余裕がなくてはとてもその「現場」にいるときは書けやしない。誰だってそうだろう?
 どうしていいか出口も解決策もみつからず我が人生最大の危機とは大げさだが、記憶にある限り最も困惑する事態が生じた。

 一つは、まず金のことだ。世間には何百万、何千万もの借金や負債を背負ってその返済に追われ家も家財もすべて失うという方もいるだろうし、また、自然災害で家も家族も失う方も多々いよう。
 そうした人たちに比べれば実に些細な、小さなことで、嗤われても仕方ないが、自業自得とはいえ、いま、まず、ある件の支払いに頭痛めている。

 ウチに今春、子猫が何匹も産まれたことは記したと思う。その中の一匹のキジ柄の雌の子が、先月初旬に交通事故に遭い、まさに瀕死の状態で帰って来た。
 ウチの前の線路で電車にはねられたものか、後ろ足を大腿から切断する大ケガだった。太ももから骨が見えていた。血まみれで下半身の皮も総剥けていた。残った足も一部損傷、股関節も外れていた。
 泣き叫ぶ子猫をともかく動物病院に連れて行き、ともかく診察を仰いだ。その時点で、極めて命の危険な状態であり、医師から残った部分を切断する手術をするか、それともこのまま安楽死させるか判断を迫られた。
 その時の手術の見積もりは、20万円近くであった。我としては、ウチで産まれた子であり、そんな大ケガでも即死せずに必死に助けを求めて帰って来たのだから、みすみす死なすことは当初から頭になかった。ともかくできることはしてくださいと頼んだ。

 それで大型台風襲来の10日、かなり長い時間かけて手術は行われた。残った部分は付け根から取り除かれ、皮膚を寄せ集めて縫い合わせたが皮膚の皮が足りなく剥き出しの箇所もかなり広く感染症や敗血症の可能性も高いとのことで、果たして治る以前に生存できるか医師は返事ができなかった。
 そもそもウチに戻ってきた日より前に「事故」に遭ったようで、その部位は血は止まっていてやや腐敗も進み様々な菌に汚染されていたのだった。手術自体も体温が低下していて、輸血して何とか成し終えたとのことだった。

 だからまずは果たしてその後も生き永らえるかまったく予想もつかず、我としては日々ただ神に祈り、生死はその御心に委ねるしかなかった。
 が、毎日見舞いに、様子伺いに行き、当初はろくに口から食事もできなく一時期は元気もなく諦めたときもあったが、17日の頃から奇跡的にじょじょに回復の兆しも見えしてきて、こちらの呼びかけに反応も大きく確かになって、ようやく命の危機は脱したようだと、点滴の管は外され、このところは自力で餌も食べるようになってきた。

 やれやれ、だとほっとした。まさに神のご加護があった。が、当然のこと、保険のない動物の入院治療であり、次の問題はその支払いである。
 先月末の時点で、これまでのトータルの額を出してもらった、聞いて息をのんだ。最初にまず入れた一万円を除いても50万円近くであった。我としては30万円台ぐらいかと期待的に予測していたが、やはり手術代以外に当初の様々な薬や血液検査代等、日々の入院費がかさんでいた。
 しかしそれもこれも仕方ない。そもそも保険がきかないのだから暴利だとはまったく思いもしないが、さて、では、どうその金を工面するか、だ。しかもまだ、子猫は入院中なのである。これからも一泊だけで2500円消えていく。それに食事代と包帯取り換え代など看護費用が加算されていく。

 向うも幸いにしてこうした場合については理解もあって、毎月定期的に分割で支払ってもらえればと言ってくれた。で、昨日とりあえずまずは今月分として貯金下して5万円だけ入れてきた。※もう我の銀行預金は残額10万円を切った。
 正直に書けば、我家は父の年金だけではもう家計は成り立たないのである。介護保険とその施設利用料だけで父の年金の三分の二は消えていく。だから仕方なく「生活費」として毎月我の預貯金から、あるいは九州の妹から送金してもらって何とか補填してやりくりしている。
 そこに、猫の医療費の月月の支払いが新たに加わった。

 幸いにして動物病院は、有難いことに金利もつかず毎月ともかく数万でも返済していけば良いとのこととしてくれたが、カツカツの状態のところに更なる支払いが増えたわけで、どうその分をさらにまた工面するか頭痛めていた。
 我としては、ともかく父が生きている間、つまり父の年金が入って来るうちにはその病院への支払いは終わらせたい。恥ずかしい話、我自身は無年金なのだから父が死ねばさらに困窮する。となると、何としてもあと2年は父に生きてもらわねばと、心新たに決意した。しかし、そうなると父は97歳である。現実問題としてそんなことは可能なのか。
 まさに心千々に乱れて、つまるところ、我自身がもっと働いてしっかり稼ぐしかないと今さらながら大いに決意した。そのためには「商売」、まずは我の生業古本家業に精出すことである。

 子猫の件は何も後悔はしていない。まだ生きているものを、金がかかるからとみすみす安楽死させていたらもっと頭おかしくなっていた。だからそれはともかくとして、金の工面のことや三本足の猫が帰宅してからのことなど、先のことを考えると夜も眠れなくなるが、汝、明日のことは思い患うなかれと、イエスも言っている。ともかくまず一日一日何とか生きていくしかない。
 
 と、やっと決意したとたん、一昨日、今度はその父が、施設から帰ってくる日に、向こうで食べた昼食を全部嘔吐したと帰宅時に知らされた。熱はないしその理由もわからない。そしてその晩もほとんどウチでも何も食べられず、いよいよ老衰が進んで、口から食事も摂れなくなってきたのかと暗澹たる気持ちに陥った。
 しかし現時点では何とか持ち直してくれて、今はまた介護施設へショートステイで行ってくれている。向こうから特に連絡はないから、まあ食事もできているのだと思う。そう楽観的に考えるしかない。

 それにしても・・・還暦を過ぎて、自分でもこれからの人生はできるだけ何事も増やさず、面倒にせずに、スッキリ、シンブルにしていこうと誓った。
 が、あろうことか、現実はそうなるどころか、猫は増え続け、さらに大怪我して入院治療となるなど、ますます事態はさらに複雑に面倒になっていっている。抱えるものはさらに増えて多事多難とはこのことである。
 ますます身動きとれないし金ばかり出ていく。いったいどうしたらよいものか。この先に出口はあるのか。いつ抜け出せるのか。

 やることはいっぱいあるが、幸いにして今はそれに向き合う時間、そのための時間がとれるのが有難い。それがうまくきちんと成し終えられるかはともかく、も。

 今思うは、すべては神、主の意思、御心の計らいだとするならば、人はその苦い杯でも飲まねばならないということだ。ましてこれもまた自らが播いた種、結果なのだから。
 小猫のこと、これが愛だとか愛の証だなんてとても言えはしないが、何にしても我は今もその誠実さが問われ試されていることだけは間違いない。あとは、それにどう少しでもきちんと応えていけるか、だけだ。

 ともかく一日一日、無事に、誰も損なわれることなくすごせることを 祈り感謝するしかない。まずは祈ることからだ。焼け落ちた首里城の復興も。そして非力でもいまできることをやっていく。