祝・ローマ教皇来日~そのあまりにも大きく感動的なメッセージ2019年11月25日 23時25分38秒

★平和のための「革命家」に、愚かな晋三は内心「この共産党!」と野次を飛ばしたに違いない。
 
 今日の東京ドームでのフランシスコ教皇の御ミサ、YouTubeでの配信でリアルタイムで観ることができた。
 自宅に居ながらミサに参加しているような気分になれるとは、まさに21世紀だと感嘆するしかない。素晴らしくよく撮れていて、じっさいのドームの感動が眼前に伝わって来た。開始前から涙が溢れ出た。

 それにしてもお元気な82歳である。昨日は、長崎、広島と飛び回り、今日は、午前に皇居で天皇と面会、次いで東日本被災者に会い、昼には、若者たちとの集い、そして東京ドームでの5万人を前にしてのミサ、そして首相と面談と続いていた。
 そのドームでのミサの生中継を観れた。じっさいのドームでは豆粒ほどの大きさであろう教皇がまさに目の前におられた。その表情もはっきり見れた。実に感動的という言葉しかない。

 教皇は、連日の移動疲れもまったく見せず、満面の笑みで専用の大歓声の中オープンカーに乗って登場。会場内をゆっくり周って、とくに幼子を抱き上げては祝福された。そして約2時間にもわたる御ミサを滞りなく無事に勤められた。
 正直、5万人ものクリスチャンを集めてのミサはどうなることか、教皇様の体調も含めて不安に思えたが、最後はややお疲れの様子も見られたもののここドームでも熱く力強いメッセージを世界に向けてしっかり発信された。

 キリスト者に対するミサであるから、信者でない者にとっては意味のない、理解できない部分もあるかもしれない。
 しかし、フランシスコ教皇は、その名の元になった聖人・伊アッシジのフランシスコと同様に、何より自然と生き物たちの命を愛し、清貧に生きてきた人だから彼の訴えは、教会以外の人たちの心にも広く届くと我は信ずる。
 先に、長崎の爆心地公園で発したメッセージにあるように、唯一の被爆国の民である日本人をとてつもなく大きく勇気づけ励ますものであった。

 軍備拡張戦争は、貴重な資源の無駄遣いと断じ、「本来それは人々の全人的発展と自然環境の保全に疲れるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは途方もないテロ行為です」とまで言い切ったうえで、核の傘の下、被爆国当事者でありながら米国に追従して核兵器禁止条約に加わらない日本政府を暗に批判された。これは実に意義ある踏み込んだ発言であった。
 宗教者として、実に革命的であった。

 さらに教皇は 「核兵器のない世界が可能であり必要だとの確信をもって政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いする」として

「核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威から私たちを守ってくれるものではない。人道的及び、環境の視点から、核兵器の使用がもたららす壊滅的な破壊を考えないとなりません。核の理論によって促される、怖れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのか、複雑で困難な持続可能な社会のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考えなくてはなりません」と。また「防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てる」提案をしていることも付け加えた。

 こうした指摘と発言には、真の利己主義者、アメリカ一国主義のトランプ大統領としては、「共産主義者よりタチが悪い」とツイッターなどで罵声を浴びせることであろう。また安倍晋三も同様に、国会と同じく声には出さなくても、この爺は「共産党!」と内心苦々しく思ったに違いない。
 だが我は、キリストを信ずる者である以前にマルクスを齧ったコミュニストであったから、はっきり言える。キリスト教と共産主義は、世に知られるように反目し合う水と油ではなく実は同根の思想だったのだと。
 
 新約中のルカによる「使徒行伝」を読めばわかるように、イエスの死後、残された信者たちは、共に暮らして持つ者は持たない者に分け与え、財産を共有する原始共産社会を構成していたことが記されている。
 それは帝国の弾圧により雲散霧消と化してしまうわけだが、キリスト教の思想には、元々コミュニズムが根源にあるのである。すべてを赦し互いに愛しあえ、ということこそが、だ。
 それこそがイエスの説いた絶対的無償の「愛の教え」であり、旧ソビエトや北朝鮮のような変質した共産主義とは異なり、持たずに互いに共有し相互扶助する世界、真の共産主義社会と同等のものと言えよう。

 ミサでは、教皇はこう信者に説いた。しかし、これは人類にとってもまさに共感できることであろう。
 この世界は、いのちと美に満ちており、何よりも私たち先だって存在される創造主からの素晴らしい贈り物であることを。
 「神は、お造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それはきわめて良かった」(創世記)
 美と善は分かち合うため、また他者に与えるために与えられました。
 わたしたちは主人でも主人でも所有者でもなく、創造的な夢にあずかる者なのです。

 フランシスコ教皇の教えと発言には百%共感できた。今まで自分の中ではっきりできずまとまらなかった考えや悩み、迷い、不安への答えがそこにあった。うまく言葉にできなかったことを「言葉」にしてくれた。
 我にとって、大きな指針と自信を得た。いや、人類が成すべき道を彼が示してくれたのだ。まさに神に感謝!である。