酒とラーメンの日々にオサラバだ2019年12月08日 07時56分17秒

★自分の「物語」を紡いでいく、続けていく

 12月に入ってこのところさすがに寒くなった。数日前からウチの前の畑は朝方は霜で真っ白である。
 今年もあと一か月を切った。自分の課題、必須のやるべきことは、21~22日の拙宅での恒例謝恩ライブパーティの場所づくりと準備だけだが、当日まであと二週間、日々片付けは進めているが、まだ先行きが見えず、果たして間に合うのかとやや焦り気味である。
 
 先行きが見えないのは、自分の人生も同様で12月に入ってずっとブログの更新できなかったのは、体調も悪く気持ちももう一つ乗らなかったからだ。心身ともに苦しかった。もし、ご心配された方がいたとしたら申し訳ありません。
 近況を記す。

 俗に人生とは、自分が主人公の一つの小説、物語だとも言えよう。
 そのストーリーを考え決めるのは、当人、主人公なのだが、良い学校を出て安定した会社に入って、結婚し家庭を築き、子や孫に囲まれての潤沢な年金生活で何の心配もない悠々自適、順風満帆の人生もあれば、我のように、先のことは全く見えない、常にその場しのぎで無計画の羅針盤すら持たない漂流船のような人生もある。
 で、このところ、我のその「物語」の筆先が鈍ってきて、さてこの先どう自らのストーリーを進めていくか、しばし迷っていた。

 先月20日の、東中野じみへんでの太田三造さんの「前座」でのライブ以降、我の「失態」は、それはそれでやれたのは「良かったこと」なのだと受け容れて、心の中ではきちんと「処理」できたはずなのだ。が、やはりどこかにトラウマのような「しこり」になってしまい、何よりまず自分の中の「うた」が無くなってしまったことがこのところ苦しかった。
 「うた」、それに付随した「音楽」に関する情熱と関心があれから失せたというか、心中どこを探しても見つからなくなってしまい、どうしたものかと困惑するぱかりであった。我が「うた」の価値と意味を自問するしかなかった。

 そのことは、人生への「やる気」の喪失にも繋がり、このところは父が居ようと不在であろうと自堕落に、正直に告白すると毎晩吞んだくれていた。
 我の慢性的咳の発作については前にも書いたが、季節の変わり目、寒暖差アレルギーからか、ふとした気温の変化で咳が激しく出て、出るとなかなか止まらない。
 仕方なく、咳止めとして、焼酎やウイスキーなどをお湯割りにして喉に流し込む。すると身体が暖まるせいか、咳は収まる。このところそんな風にして寒さもあって、暖かくしたアルコール類をひたすら吞み続けていた。そして陶然となって夜も早く寝てしまう。だからブログ更新する暇はない。

 いや、この年末、本格的な冬を前にしてともかく庭木がある家は冬支度に忙しく、このところは連日、早朝から我家のイチョウやケヤキの落葉掃きに、両隣の家の前の道まで清掃に追いまくられている。その来客があるクリスマスの謝恩イベントがないとしても年内はあれこれともかく忙しい。
 朝方、どんなに冷え込もうと30分も道の落葉を掃いていると汗かくほどの労働だ。父がいる日は、朝起こしてから晩に寝かしつけるまで食事から下の世話までともかく慌ただしく気が休まらず、そこに我の「咳」も加わり、「これが吞まずにやってられるか!」という気分でアルコールを吞み続けてフラフラになって一日が終わる。

 おまけに、父不在の時は、我一人だと何か食事つくるのも面倒で、近くの家系ラーメンの感謝デーの日とか、寒いこともあってこのところひたすらこってり系ラーメンを食べる機会が多かった。何かの用事で出かけると必ずラーメンを食べる。
 それも昼時などは、ライス無料のところが多かったから、ラーメンおかずにしっかりご飯もたらふく食べてしまう。そしてスープも底まで残さずに飲み干す。
 元々麺類好きで、特にラーメンは大好物だったが、寒いこの季節、熱い汁物が恋しくて、かなりの頻度で家でも自ら作って食べていた。

 我はこの数年、親たちの介護をするようになってから、その食事の世話に追われて朝食は食べない。ともかく何だかわからないほど常にあれこれ忙しいものだから、気がつくと朝からコーヒーだけで、お菓子を齧った程度で夕方まで何も食べていないと気づくこともままある。
 結局、一日一食、それも食べる時はドカ食いしてしまうということもままあって、特に、外でラーメン&ライスをたらふく食べた日は、それだけで一日分としてしまうことは常のことだった。
 しかし、炭水化物に炭水化物を足してしかも塩分が高い。これは身体に絶対悪い。気がついたら食事の回数は少ないはずなのに、先日、山梨の温泉で体重を測ったところ、この夏頃より5Kも増えていた。ラーメンライス効果であろう。こりゃちょっとマズイと思った。何より靴下穿くときなど足が重くて上がらない。

 そして先日のことだ。やはり父を送り出して、その晩は一人でのんびり酒をたらふく吞んで寝た晩のこと。その夜はかなりしっかり食事も摂ったかと記憶する。
 真夜中、寝返りうったのがきっかけなのか、突然足がつってその強い痛みで目が覚めた。以前も酒飲んでそのまま酔ったまま眠ると脱水症状から足がつることは何度かあったが、今回は両足である。両足が激しくつった。
 その激痛で身体は動かせないし、喉もカラカラで、ともかく早く水分摂るしかないと思いつつも激しい痛みで身体はベッドから抜け出せない。
 おまけに急に尿意も催してきて、痛みと小便がしたくて何とか身体起こして立ち上がろうと必死でまさに汗まみれとなった。誰かに助けを求めようとしても一人暮らしだから誰もいない。後は、救急車を呼ぶことだが、ともかくまず自ら何とかしないとならない。急を要す。まさに悶絶した。

 けっきょく、恥ずかしく情けない話だが、小便を垂らしながら二階のトイレ、洗面所へと必死に何とか歩いて行き、水をガブガブ飲んでやっと痛みは遠のいた。正直なところ、死ぬとは思わなかったが、孤独死する人の「最期」はこうしたものなんだろうと強い「実感」があった。
 まさに苦悶としか言葉はない。痛みと苦しさで呻きあがいても誰も傍らにいないから救いを求めても誰も助けてはくれない。人は一人でこうして苦悶のまま死んでいくのか。
 永井荷風や江利チエミや多くの孤独死して死後に発見された人たちのことが頭をよぎった。これはやはり辛い。何より苦しい。この死に方は嫌だ。

 そう、まさにアルコール多量摂取とこのところのラーメン過食が招いた不調なのだと思える。塩分とアルコールで体内の水分が抜けだして足がつる。下手すれば脳梗塞とかになるかもしれない。こんな風にして我も死ぬか半身不随になるのか。

 こうしたとき、自ら警察や救急車、医療関係に助けを求める以前に、もっと簡便な「救援・見守り・相談」的関係が持てる誰がいてほしいと思ったし、一人暮らしの孤独者が街に溢れている時代だからこそ、死後孤独死発見となる前に、行政などに頼るのではなく友人間・仲間内での互助ネットワークなど作れないものかと今は考えている。
 さておき、そんなで、10分もなかったかもしれないが、激痛に襲われて「死ぬかも」と思う目に遭ってから、さすがに我も考え反省した。
 一人暮らしだからこそ、このまま自堕落に自制なく破綻した生活を送っていたら早晩早逝してしまうことは間違いない。まだ今はここで死ぬに死ねない。

 この一件以後、さすがに我自らに対するネグレクト、自暴自棄な生活は改めようと決意した。酒とバラ、つまり女ならばまだしも、酒とラーメンの日々で死ぬのは嗤い者でしかない。
 そして、昨日からずっと大音量で、我が若き日から心底敬愛するエルヴィス・コステロとヴァン・モリスンのCDを大音量で鳴らし続けてやっと音楽が我に戻って来た。
 ここだけの話だが、自分にとっての音楽、それも洋楽とは、ディランでもピート・シーガーたちでもなく実のところ、若き日に出会ったコステロとその後に知ったヴァン・モリスンがマストなのである。
 彼らの老いても自在な歌声と精力的活動を鑑みて、これで良いのだ、と自分も元気づけられた。これこそが自分の求める、理想とする音楽なのだから。音楽の充電はなった。もう大丈夫だ。

 ようやくまずは年内の「道筋」が見えてきた。物語が動き出した。まずは、22日の「無頼庵謝恩ライブパーティ」を、人が招けるよう大掃除も兼ねて場所づくりを進めていくことからだ。
 あと二週間。でも何とかなる。何とかしていく。もう、酒とラーメンとはしばらくオサラバだ。そう、酔っぱらってる暇はない。

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