無頼クリスマス謝恩パーティ12/22日。どなたもお気軽に2019年12月19日 19時59分06秒

★慌ただしく年も過ぎ去っていく~多くの人に励まされ支えられて

 晩秋から年末は一年のうちで一番忙しい季節であるのは言うまでもないが、冬支度と新年を迎える準備に加えて、拙宅では恒例の『クリスマス謝恩ライブパーティ』を開催するので、今必死でその準備に追われている。
 毎年毎度のことながら、約20畳ほどの広いはずの拙宅二階の「無頼庵」のスペースも、一年間経つと本や雑誌、紙ゴミ類、レコード、CDでいっぱいとなり、またもや客人を呼べる場所がなくなってしまっている。
 毎年恒例の「行事」が予定されているのだから、そこに何も置かずに広いまま空けておけばよいわけだが、生きていくということは、ともかくモノが溜まっていくということであり、溜めないよう日々その場その時こまめに片づけて処分していけたらと思うものの、今は手のかかる老いた父や犬猫たちを抱え我一人で孤軍奮闘していると、とてもそんな時間的余裕はない。毎日その日を無事やりすごすだけで精いっぱいだ。

 気づけば商売柄、古本は日々溜まり増え続け、売れない本はその都度少しは処分したり山梨の倉庫へと運び出してはいるのだが、けっきょく片付けられない症候群でもある我は、どこもかしこもゴミ屋敷にしてしまう。
 だからといって、スペースがないから中止とすれば、またさらに二年越しでモノは増え続けてしまうわけで、とにもかくにもこの「クリスマスイベント」を開催して、人が来るからということで必死に大掃除も兼ねて片づけを進めないと事態はさらに「悪化」していくだけだ。

 というわけで開催日が迫って来て、今週からいよいよ本気で、当日を見据えてカウントダウンで必死で片づけを進めている。
 が、先の土曜夜は下北沢で、恭蔵&クロちゃんの追悼コンサートに誘われて出かけたり何かと忙しく、やっと今週月曜から笠間からまた友人であるウチの「社員」氏を招いて、二人で必死に溜まった本を階下に手渡しで下ろして何とか動線が作れたし、どこをどう片づけていけば良いか「道筋」も見えてきた。
 もう山梨へ車に乗せて持っていく時間はないので、1階裏側奥の、元父母たちが寝室として使っていた部屋に運び入れることにした。まだ父の電動ベッドが残っているが、そこしかスペースはなく、二人で二階から何度も階段を往復して古本、雑誌類をほぼ降ろして何とかスペースが見えてきた。

 が、まだ未整理の紙ゴミ類が大量に残っていて、それをそのまま箱詰めしてまた移動させてしまうと去年の二の舞で、使うものも含めて何がどこにあるかわからなくなる。それで今必死に、捨てる紙ゴミと、父や我の医療費の領収書とか分別している。
 今日は木曜、果たして明日一日でどこまで片づけられるか不安で胸もドキドキして来るが、「前夜祭」の土曜日は、盟友太田三造さんもお手伝いに来てくれるとのことだし、今現在、その土曜夜の来訪予定者は連絡皆無なので、本番当日は日曜、22日だと考えれば、若干時間的余裕もある。

 じっさい、去年までの23日の先の天皇誕生日が無くなってしまい、この年末は祝日が減ったことでクリスマス前はやたら慌ただしくなってしまった。
 これまで参加してくれた旧知の友人知人のミュージシャンに声かけても、今年は、21、22日は、クリスマスライブのイベントが重なって忙しくて顔出すのは 無理そうだという「返答」が返って来た。
 けっきょく現時点で、来られるとの返信メール頂いたのは、数名だけであり(一人+未定)、後は当日になってふらっと誰が来るかまったく未知数で何とも心もとない。
 といって、今さら中止したりもできないし、とりあえず例年通りのクリスマス料理はつくるつもりで、今日は丸鶏を買ってきた。これから塩水というか調味液に漬けて、味をつけて中に詰め物をいっぱい入れて薪ストーブで当日焼くのである。

 ともかく、我としては今年も多くのミュージシャン及び友人知人にお世話になり、何とか無事生き永らえ今年を無事に終えられそうであるわけで、その感謝の気持ちを何とか示したいと思う。
 当ブログの読者の方々も含めて、ぜひ未知の方でもお気軽にお越し頂けたら幸甚である。果たしてどこまで片づいてスペースが出来ているか正直、まだ何とも言えないが、精いっぱいの手作りのクリスマスディナーはお出ししたいと思っている。
 何か今年は、童話『泣いた赤鬼』のような気分でいるが、我にとってこのイベントを終えないことには今年は終わらないし新年も来ないわけで、一人でも多くの人に拙宅をあるがままお見せした上でできるだけの歓待いたしたいと思っている。

 まあ、誰が来ようと、あるいは誰も来なくても、太田さんとお手伝いの三留嬢を加えて、ディランの昔のビデオを見たりニューポートフォークフェスなど古いレコードをかけたり、三人でしみじみ歌ったり食べたりしてだらだら過ごしているだろう。