「夜空のムコウ」ではないけれど2020年01月06日 20時57分18秒

★自分はどこまで真っ当に、少しはマシになっているか

 と、去年暮れ頃から自問し続けていた。

 私事だが、3年前の秋に母が死に、以後、一人で認知症かつ、ほとんど動けない老父を抱えて、何とかこの家での生活を維持してきた。
 しかし、基本何でもきちんとできやしない、生活無能者である我は、母不在というPTSDもあって、掃除も片付けも一切ネグレクトしてしまい我が家はメチャクチャのゴミ屋敷と化してしまった。
 しかし、多くの友人たちの暖かい励ましとお手伝いもあって、ようやく去年あたりから生活再建し始めて、気持ちも現状も少しは「回復」もし始めてきたと思っていた。
 「うた」のデビューも、コンサートの企画なども再開して、拙宅での毎年クリスマス時候恒例の「無頼庵謝恩ライブパーティ」も去年に続いて今年も企画した。
 が、どれも現実的には失態失敗の連続となり、自分ではあれからもう回復して少しは真っ当に、最悪のときは脱したと思っていただけに、その突きつけられた「実際」の事態、情けない相変わらずの現実に、大きなショックというか、憂慮と悔恨の念しか残らなかった。
 何だ、少しはマシになってきていると思っていたのに、現実的には相変わらずダメのままではないかと、絶望はせずとも大きく失望した。

 スマップのかつてのヒット曲に、確かスガシカオが歌詞書いたと記憶する『夜空のムコウ』という佳曲がある。
 日本のポップスの世界は、愛や恋に関して、哀しみや淋しさ、そして喜びを唄ったものばかりだが、この曲は珍しく内省的な、過去をふりかえり今と対比してみて、果たしてあれから僕らは今どうなってるか、少しは良くなったのかと自問する内容で、うたとして稀有のものだと高く評価している。

 大晦日の晩、というか、元旦の早朝、まだ時間的には早暁というより深夜の頃、立川から歩いて帰ってきた。
 中央線も青梅線も終夜運転はしていたのだが、谷保のかけこみ亭で新年を迎えて、その後は、盟友太田三造さんと国立まで大学通りを歩いて、国立駅前の居酒屋で少しまた時間をつぶして、それぞれ中央線に乗って彼と別れた。
 3時過ぎ立川にはすぐに着いたものの、自分の利用している青梅線は、次の電車の発車時刻まで一時間近くも間があった。
 駅構内でそのままぼんやりその青梅線が出るまで待つか、どうするか少し迷った。気の短い我は、駅の中で一時間時間つぶすのは耐えられず、ともかく改札を出て昭島方面へと歩いて帰ることにした。
 幸い風もない暖かい晩であって、荷物も軽いし、酔い覚ましに歩いて帰るのもいいかなあと思えた。一緒に降りた人たちは皆タクシー乗り場に急ぎ足で集まっていたけれど。

 我は、以前、南武線の谷保からギターケースを抱えてやはり歩いて一晩かけて帰ってきたこともあり、それを思えば立川から足早に歩けば休憩なしで一時間強で帰れるのはこれまでも青梅線の終電を逃しては仕方なく徒歩で帰宅したことは何度もあってわかっていた。
 その晩も、青梅線の線路沿いにただひたすら足早に帰った。が、途中で、本来我が立川から乗る予定だった電車に抜かれてしまい、当初の予定では、ほぼ同時刻には下車駅に着けるだろうという目算は狂ってしまった。結局駅前に停めた自転車でウチに着いたのは、4時半頃であった。
 しかし、歩いたことと無事歩けて帰れたことに何も悔いはなかった。心地良い疲れだけがあった。※去年夏頃からの足底筋膜炎はいつしか完治した。

 そしてじっと室内で夕方から留守番していた犬のベルコを連れ出し、まだ真っ暗な明け方、近くのドラッグストアの駐車場を散歩して夜空を見上げた。
 山梨では毎夜ごく当たり前に見える冬の星座が、正月休みということもあってか、珍しくはっきりと、北斗七星や昴まで確認できた。東京で見たことは久しぶりだった。
 そしたらどこからか、SMAPの、そのうたが頭の中に流れてきた。

 あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ
 全てが思うほど うまくいかないみたいだ

 あれから僕達は 何かを信じてこれたのかなぁ
 夜空の向うには もう明日が待っている

 少しはマシになっていると、人生は良くなってきていると思い込んでいたが、実際はそうではなかった。ダメは相変わらずダメであった。
 しかし、だからといって絶望して、もう諦めてここで終わらすわけにはいかない。その現実は現実として、少しでも一つでもマシに、良くなるよう努めていくしかない。
 母亡きあと、誰も助けてくれないしたとえ助けてくれる人がいたとしても根本解決にはならない。この人生は自分で背負って最後まで面倒見て始末しないとならない。

 そう、夜空の向うには新しい年が待っていて、今年も2020年が始まってしまった。
 拙を守る、という言葉もあるが、ダメを抱えてダメ人生をどう生きていくか。その答えではないけれど、先日、詩人の宮尾節子さんのポエトリーリーディングを聴いていて、一つの示唆を受けた。
 そのことも記しておきたいが、別稿で。

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