改めて今年1年を思う2020年01月13日 09時53分32秒

★次は、1/25日の「月刊・共謀」コンサートだっ

 毎度毎年のこと、年末から新年にかけては、貧乏暇なし、愚図の大忙しの言葉通り、怠けてほったらかしにしていたその一年のツケが噴出して、寝る間もその場所もないほど大騒動、大忙しとなるわけだが、この年明けは特にひどい。

 22日の拙宅での来客を招いてのイベントは何とか不満足でも終えられたわけだが、その後も事後処理と正月を迎える準備、つまるところ大掃除に追われて、大晦日はかけこみ亭で過ごして立川から歩いて元日早暁帰宅。その後も片づけに追われ何とか3日になって甥っ子を迎えて形ばかりの正月を終えたと思ったとたん、翌日は国分寺のギ―で、中川五郎、館野公一、そして詩人宮尾節子さんたちのコンサートがあり、それに出向いてまた終電でへべれけになって帰宅。
 そうこうしているうちに、何とか数少ない年賀状の返事だけ書き終えたと思ったらこの12日の、かけこみ亭での館野公一企画「語り歌の継承」、ゲスト太田三造となって、次は、月末土曜日25日の「月刊・共謀」コンサートが二週間後と迫って来た。

 そうした対外的なこと以外でも家庭内では、父や猫のことでた新たな動きという騒動があり、いまそれを書くべきか迷っている。
 ただ、昨日の、盟友太田さんが招かれた「語り歌の継承」が終わったので、やっと少しだけ一休みでき、自分のコトにようやく落ち着いて向き合えるという、ほっと一息の気分でいる。ブログも書きかけのものから「続き」を書き足してきちんと一つ一つ終わらせていく。

 今年は誰にとっても多事多難のたいへんな年になると先にも書いたと思うが、我にとって特に正念場と言うべきかいよいよ「待ったなし」のときが来ていると強く感じている。
 いちばんは我の老父のことで、間違いなく確実に衰弱が進んできて、百歳近い歳も歳なので、来年の正月を迎えるのは難しいだろうという「現状・現実」である。
 また増えすぎた猫のことも、我が先手を打たないことにはさらにまた新たな子が産まれてゴミ屋敷が猫屋敷となり、経済的にも完全に破たんしてしまう。
 真に生活再建のためには、家の片付けと同時に、そうした適切な「管理」が何よりも必要なわけで、お金がどれほどかかろうとも放擲せずにきちんと何事も向き合わねばならない。
 そして父のことも、「そのとき」に備えて、突然であろうとなかろうと、あたふたまたパニックに陥ることなく、その準備と支度も計画立てて進めて行かねば、我自身が混乱、収拾できずに父を追って自滅的に死んでしまうことにもなろう。まずはその覚悟と対策である。

 ともかく時間も金もなく、まだ三本脚の猫キジ子の動物病院への借金が40万あるわけで、緊縮財政もこの一年さらに切り詰めてやっていかねばならないし、毎月の「月刊・共謀」もそれはそれとして盛況、成功へと導いていくという責務もある。

 ただ今は、もう先のことはあれこれ考えてもしょうがないと達観している。何が起こるかは誰もわからないのだから、よく目を開き耳をすますことはするけれど、今はもう一切合切何が起ころうと全てを赦し受け容れていこうと決意した。そう、何が起ころうと、今生きて、まだここに、こちら側にいるのならばそれだけで全て良しとしていこう!

 どれほどひどいことが起きたとしても、もし今年一年、父も犬猫も含めて、我の愛する者たちがこれ以上今年も誰も死なずに生き永らえて一年を終えられたとしたら、それだけで100%満足し良しとしたい。そしてその「奇跡」をただ神に、関わる多くの人たちに感謝しよう。

 ともかくもう時間もない。命は短くはかない。とことん長く深く眠りたいとか、のんびり温泉に浸かって疲れを癒したいと願えども、今年はそんな「快楽」は後回しにしてともかく頑張るしかない。
 そう、待ったなしなのだ。今年は大変な年になる。