誰よりも長く生きて老いて死を迎えること ― 2020年01月18日 15時48分16秒
★我が父のこと
いま、このブログを読まれている方で、今秋96歳となる、我の父よりも年上の人、そしてその方を介護している人はいるのだろうか。もし、おられたとしたらそちらの「状況」をお聞かせ願いたい。
おそらく、そんな人は皆無と想像してそうした年寄りの「現実」とはどういうものか、このところの差し迫った状態を記しておく。
政府が言う「一億総活躍・人生百年」時代だとすれば、百歳近くまで人は生き永らえ、そしてそれを在宅で看護、介護する人もこれから多々増えていくことは間違いない。ならば、ほんとうの「年寄り」とはどういうものか、ここに書き記しておくのも無意味ではないだろう。
そう、ヒトは老いるし必ず死ぬ。明日は誰にとっても我が身なのだから。またマスダの愚痴かぁとお思いの方は今回は読まないでください。
心配していた積雪は朝から粉雪が降り出したものの積もることなく、午後には雨に変わり今、夕刻時にはやんでいる。ほっとした。
子どもの頃は、雪が待ち遠しかったし降り出すと歓迎したが、北陸、東北、北海道のように毎年雪は必ず降って積もる地方はそれはそれで仕方ないが、ごくたまに積もる程度の雪が降るか降らないかという東京では、ともかく降らないのにこしたことがない。特に我も老いてきてそう強く思うようになった。
積もる程の降雪は、何より後始末が大変で、ただでさえ疲労困憊、青息吐息で日々やり過ごしている身としてはまた新たな労働が課せられる。家の前の道の雪搔きだけでもそれで腰痛が悪化して寝たきりとなる可能性も高い。
やれやれ、である。父を送り出したショートステイの施設からは幸い何も連絡は来ていない。今朝も送り出すまでが大変だった。
父はこの数年、ルーティンとして、週の内二回、別の施設にそれぞれ二泊三日でお泊りに行ってくれている。土曜朝から月曜の夕方までと火曜朝から木曜夕までだ。
基本、我は送り出しと迎え入れる時は当然のこと、ウチにいなくてはならない。が、このところ週末は必ず介護施設に父を預けられるので、土日開催の自ら企画したコンサートやお誘い受けたライブにも顔出せるようになった。家は、犬猫たちに留守番させて。
が、数日、数晩でも父が在宅の日が大変で、起きてるときは目が離せないだけでなく、寝かせてもオムツ交換に深夜、早朝に起きねばならないから父がいる間は常に睡眠不足である。
今日も朝方まだ外は真っ暗の最中一回起きて、父のオムツの中の吸水シート、紙パッドだけは交換した。でないと、溢れてシーツを汚すこともあるし、ときに当人自ら溜まった尿で不快なオムツを外して、ベッドの上や枕元、室内に投げ散らかすこともあり、大変な惨事が起きてしまうからだ。
父が終日家にいる日は、それからまた我も寝直すこともできるが、今日土曜は、またショートステイに送り出す日だったので、寝足りない気分であったがそのままベッドでスマホいじったりメール確認したりして8時ごろ父を起こした。施設の迎えが来るのは、9時半だが、それでも時間的には余裕はない。いまは、ともかく食べるのも含めて移動から着替えまで万事時間がかかり、起こしてから一時間では絶対に何事も終わらないからだ。
けっきょく、父を送り出してから朝昼兼ねて残り物を食べて腹を満たし倒れ込むように眠ってしまった。外の雪のことが気にかかったけれど。
それから2時半頃たっぷり約3時間眠ってやっと起きた。小雪はまだ降っていたけれど、降ってはすぐに溶けたようで地面は黒く積もってはない。ほっとした。そして窓から外を眺めつつこれを記している。
また、垂れ流しの排泄のことは度々書いて来たが、今いちばん頭を痛めて困惑していることは、それよりもついにこのところ父が食べない、食べられなくなってきたことで、今朝がたは無理強いして食べさせたらお粥なのに途中で全部吐いてしまった。※ともかく、しっかり食べろと急かしても、これ全部食べるのか?どうやって食べるんだと、食べたくない故大騒ぎしてちっとも食が進まないのでまいった。
このところ排便がなく大便が溜まっていたこともある。しかし、基本、内臓だけは丈夫で、今も自分の歯もかなりある人で、嚥下障害がありながらも食欲だけは常にあった。若い時から健啖家として親戚内でも知られていた。
だからこの歳まで生き永らえてきたわけで、それがこのところ加齢と共に年々さすがに食が細くなってきて、体重も減る一方でどうしたものかと案じていた。
そしてついに年明け、正月さなかに施設から戻って来た晩は、夕方の仮眠から起こしたら、食べたくない、まだ寝たいと言い張り、ひと悶着起こしまた寝室へ行ってしまった。夜中に起きだして騒ぐと思っていたが、けっきょくそのままひたすら眠り続けてしまい、オムツもキチンとセットすることなくさらに朝まで12時間も寝続けたから、翌朝はベッドに大世界地図を広げてしまった。その日は着てたものから敷布団、毛布、シーツ、マットまでボーダイな量の洗濯と干すのに終日追われた。
考えてみれば、施設からウチに帰って来ていったん仮眠とってからまた起きて着替えて居間まで来て食事をとることも百歳近い父にはまたかなり体力とられることであり、基本横になって眠るのが一番楽なわけで、もはやそういう状況になってきたことかと気づく。
つまり特に大きな病気もなく、ただ歳とって老いさらばえた者の最期は、そうして飯も食べなく、食べられなくなってただひたすら眠ることを欲するのだと思えてきた。そしてまさに眠るように息をひきとる。それが老衰死ということなのだと。
昔の電球、蛍光管などだと長く使って古くなると最後はチカチカしてきて点いたり点かなかったりしてくる。乾電池、バッテリーも最後、切れる前は同様の状態を示す。父もついに電池が切れてきたのだ。
呆けも仕方ないし歩けない、動けないこと、下の世話も大変でも仕方ないと思う。ただ、いろいろ父のために買ってきたものを食べてくれなくなったり、頑張って作ったものが食べられなくなったのならば、家で我が介護する意味があるのかと自問している。
最後はただこんこんと眠り続けて意識もなくなっていくのならば、下の世話も含め父の介護は、息子でなくても誰でもできよう。そういう回復の見込みのない老人たちを収容する専門の入院施設もある。
さて、父をこれからどうしたものか。叱りつけ怒鳴りつけ食べさせても結果吐いて戻してしまうのならば、誤嚥、そして肺炎にもなるわけで、もう息子ができることはない。
母のとき同様、出来れば最後の日まで、父をこの家で過ごさせて看取りたいと思っていたが、今朝の騒動を振り返るとそれはどうも難しいことだと強く思えてきた。
新年そうそういよいよその時が来たか。あるいは少しでも持ち直すか。何につけても人が死ぬこともまたタイヘンなのである。死んだ後はもちろんのこと。まあ、死んだ当人は、真に解放されるだろうが。
いま、このブログを読まれている方で、今秋96歳となる、我の父よりも年上の人、そしてその方を介護している人はいるのだろうか。もし、おられたとしたらそちらの「状況」をお聞かせ願いたい。
おそらく、そんな人は皆無と想像してそうした年寄りの「現実」とはどういうものか、このところの差し迫った状態を記しておく。
政府が言う「一億総活躍・人生百年」時代だとすれば、百歳近くまで人は生き永らえ、そしてそれを在宅で看護、介護する人もこれから多々増えていくことは間違いない。ならば、ほんとうの「年寄り」とはどういうものか、ここに書き記しておくのも無意味ではないだろう。
そう、ヒトは老いるし必ず死ぬ。明日は誰にとっても我が身なのだから。またマスダの愚痴かぁとお思いの方は今回は読まないでください。
心配していた積雪は朝から粉雪が降り出したものの積もることなく、午後には雨に変わり今、夕刻時にはやんでいる。ほっとした。
子どもの頃は、雪が待ち遠しかったし降り出すと歓迎したが、北陸、東北、北海道のように毎年雪は必ず降って積もる地方はそれはそれで仕方ないが、ごくたまに積もる程度の雪が降るか降らないかという東京では、ともかく降らないのにこしたことがない。特に我も老いてきてそう強く思うようになった。
積もる程の降雪は、何より後始末が大変で、ただでさえ疲労困憊、青息吐息で日々やり過ごしている身としてはまた新たな労働が課せられる。家の前の道の雪搔きだけでもそれで腰痛が悪化して寝たきりとなる可能性も高い。
やれやれ、である。父を送り出したショートステイの施設からは幸い何も連絡は来ていない。今朝も送り出すまでが大変だった。
父はこの数年、ルーティンとして、週の内二回、別の施設にそれぞれ二泊三日でお泊りに行ってくれている。土曜朝から月曜の夕方までと火曜朝から木曜夕までだ。
基本、我は送り出しと迎え入れる時は当然のこと、ウチにいなくてはならない。が、このところ週末は必ず介護施設に父を預けられるので、土日開催の自ら企画したコンサートやお誘い受けたライブにも顔出せるようになった。家は、犬猫たちに留守番させて。
が、数日、数晩でも父が在宅の日が大変で、起きてるときは目が離せないだけでなく、寝かせてもオムツ交換に深夜、早朝に起きねばならないから父がいる間は常に睡眠不足である。
今日も朝方まだ外は真っ暗の最中一回起きて、父のオムツの中の吸水シート、紙パッドだけは交換した。でないと、溢れてシーツを汚すこともあるし、ときに当人自ら溜まった尿で不快なオムツを外して、ベッドの上や枕元、室内に投げ散らかすこともあり、大変な惨事が起きてしまうからだ。
父が終日家にいる日は、それからまた我も寝直すこともできるが、今日土曜は、またショートステイに送り出す日だったので、寝足りない気分であったがそのままベッドでスマホいじったりメール確認したりして8時ごろ父を起こした。施設の迎えが来るのは、9時半だが、それでも時間的には余裕はない。いまは、ともかく食べるのも含めて移動から着替えまで万事時間がかかり、起こしてから一時間では絶対に何事も終わらないからだ。
けっきょく、父を送り出してから朝昼兼ねて残り物を食べて腹を満たし倒れ込むように眠ってしまった。外の雪のことが気にかかったけれど。
それから2時半頃たっぷり約3時間眠ってやっと起きた。小雪はまだ降っていたけれど、降ってはすぐに溶けたようで地面は黒く積もってはない。ほっとした。そして窓から外を眺めつつこれを記している。
また、垂れ流しの排泄のことは度々書いて来たが、今いちばん頭を痛めて困惑していることは、それよりもついにこのところ父が食べない、食べられなくなってきたことで、今朝がたは無理強いして食べさせたらお粥なのに途中で全部吐いてしまった。※ともかく、しっかり食べろと急かしても、これ全部食べるのか?どうやって食べるんだと、食べたくない故大騒ぎしてちっとも食が進まないのでまいった。
このところ排便がなく大便が溜まっていたこともある。しかし、基本、内臓だけは丈夫で、今も自分の歯もかなりある人で、嚥下障害がありながらも食欲だけは常にあった。若い時から健啖家として親戚内でも知られていた。
だからこの歳まで生き永らえてきたわけで、それがこのところ加齢と共に年々さすがに食が細くなってきて、体重も減る一方でどうしたものかと案じていた。
そしてついに年明け、正月さなかに施設から戻って来た晩は、夕方の仮眠から起こしたら、食べたくない、まだ寝たいと言い張り、ひと悶着起こしまた寝室へ行ってしまった。夜中に起きだして騒ぐと思っていたが、けっきょくそのままひたすら眠り続けてしまい、オムツもキチンとセットすることなくさらに朝まで12時間も寝続けたから、翌朝はベッドに大世界地図を広げてしまった。その日は着てたものから敷布団、毛布、シーツ、マットまでボーダイな量の洗濯と干すのに終日追われた。
考えてみれば、施設からウチに帰って来ていったん仮眠とってからまた起きて着替えて居間まで来て食事をとることも百歳近い父にはまたかなり体力とられることであり、基本横になって眠るのが一番楽なわけで、もはやそういう状況になってきたことかと気づく。
つまり特に大きな病気もなく、ただ歳とって老いさらばえた者の最期は、そうして飯も食べなく、食べられなくなってただひたすら眠ることを欲するのだと思えてきた。そしてまさに眠るように息をひきとる。それが老衰死ということなのだと。
昔の電球、蛍光管などだと長く使って古くなると最後はチカチカしてきて点いたり点かなかったりしてくる。乾電池、バッテリーも最後、切れる前は同様の状態を示す。父もついに電池が切れてきたのだ。
呆けも仕方ないし歩けない、動けないこと、下の世話も大変でも仕方ないと思う。ただ、いろいろ父のために買ってきたものを食べてくれなくなったり、頑張って作ったものが食べられなくなったのならば、家で我が介護する意味があるのかと自問している。
最後はただこんこんと眠り続けて意識もなくなっていくのならば、下の世話も含め父の介護は、息子でなくても誰でもできよう。そういう回復の見込みのない老人たちを収容する専門の入院施設もある。
さて、父をこれからどうしたものか。叱りつけ怒鳴りつけ食べさせても結果吐いて戻してしまうのならば、誤嚥、そして肺炎にもなるわけで、もう息子ができることはない。
母のとき同様、出来れば最後の日まで、父をこの家で過ごさせて看取りたいと思っていたが、今朝の騒動を振り返るとそれはどうも難しいことだと強く思えてきた。
新年そうそういよいよその時が来たか。あるいは少しでも持ち直すか。何につけても人が死ぬこともまたタイヘンなのである。死んだ後はもちろんのこと。まあ、死んだ当人は、真に解放されるだろうが。
1/25日(土)「月刊・共謀」コンサート第1回目開幕! ― 2020年01月20日 23時05分56秒
★ともかく毎月末の土曜日、思いあらば唄える場があるということ
いよいよ、リニューアルして今年一年、毎月ごと、月一で開催することとなった、谷保かけこみ亭での「月刊・共謀」コンサート、その第一回目が今週末に迫って来た。
正直、毎月開催は、かなり大変だとこのところひしひしと思い知っている。
というのは、これまでは、一回のコンサート、その本番を終えればしばらく数か月は、のんびりできてそれから次回の準備におもむろに取り掛かれた。
それが、毎月開催となると、その毎回本番のときに、次回、次々回までの日程と出演者も告知せねばならず、常に並行して数か月先の予定も検討、出演者の手配、準備しなくてはならない。まいった。
が、何とか今ようやく第一回を前にして、この先、4月の回まで、日程と主だった出演者は確定できた。それぞれの回のコンセプト、特色も大まかだが決まりほっとしている。
2月は、アメリカン・トラッド、カントリー中心に、3月は、亡き高坂一潮さん追悼としての「共謀」。そして4月は、詩人たち中心に、ポエトリー・リーディングとフォークソング、つまり詩朗読とうたの「共謀」と大まかな色合いが決まった。
問題は、そうしたコンセプトは考えずに、ほぼ何の考えもなくともかくやっていこうと突っ走って決まったこの1月の回で、果たしてどうなるのか、ある意味すごく不安もある。果たしてどれだけ観客は来てくれるのか、だ。
が、事前の仕込みなく、ほぼ出演希望者だけで集まった回は、ある意味、このコンサート開催の「本質」であろう。名のある好きなミュージシャンが出るから行こうか、とお考えの方は、足が向かないかもしれないが、「月刊・共謀コンサート」の趣旨、つまり「護憲と反戦平和」のため「人が人であるために」という気持ち、その志向を抱く方こそ、ともかくまず覗きに聴きに来てほしいと強く願う。何しろここから一年間全12回のスタートなのだから。以下詳細を記す。↓
・「月刊・共謀」コンサート第一回目/ 2020年1月25日 午後6時スタート 終演9時頃の予定 ※その後、懇親会・打ち上げあり。どなたでもお気軽にご参加ください。
・出演参加者/藤しんいちろう 槙篤 ペピータ 館野公一 えいちゃん やちむん刺激茄子(from沖縄) ぼけまる 司会進行役・マスダ昭哲
・参加費/投げ銭制 ※ワンドリンクorワンフードのご注文お願いします。
・会場/谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
この今週末土曜日・1/25日開催の記念すべき第1回目、出演者は確定し既に時間枠は埋まった。が、もし当日、1曲でも歌わせてくれ、という「飛び入り」希望者がいれば、柔軟に対応するつもりでいる。
マスダ ℡090-8175-8479
今思うのは、つまるところ何をどう見せるか、どういうミュージャン、シンガーを集めるかではなく、いかに趣旨に沿って、毎月月末の最終土曜日(たまに日曜)に、同じ思いを持つ仲間たちが誰でも気軽に集うことのできる場、唄ったり語ったりすることができる場が、そこに「ある」ということこそが大事なこと、「肝要」なのだと気づく。
そう、毎月、定日時に必ず開催していくということこそ、「その場」があるということなのだから。そしてそこから新たに始まることが必ずあると信ずる。
どうかどなたでもお気軽に、今年一年間、毎月ごと全12回開催しますので、できれば毎月、お一人でも1回でも多くご参加ください。心からお待ちしております。 頑張ります。マスダ
いよいよ、リニューアルして今年一年、毎月ごと、月一で開催することとなった、谷保かけこみ亭での「月刊・共謀」コンサート、その第一回目が今週末に迫って来た。
正直、毎月開催は、かなり大変だとこのところひしひしと思い知っている。
というのは、これまでは、一回のコンサート、その本番を終えればしばらく数か月は、のんびりできてそれから次回の準備におもむろに取り掛かれた。
それが、毎月開催となると、その毎回本番のときに、次回、次々回までの日程と出演者も告知せねばならず、常に並行して数か月先の予定も検討、出演者の手配、準備しなくてはならない。まいった。
が、何とか今ようやく第一回を前にして、この先、4月の回まで、日程と主だった出演者は確定できた。それぞれの回のコンセプト、特色も大まかだが決まりほっとしている。
2月は、アメリカン・トラッド、カントリー中心に、3月は、亡き高坂一潮さん追悼としての「共謀」。そして4月は、詩人たち中心に、ポエトリー・リーディングとフォークソング、つまり詩朗読とうたの「共謀」と大まかな色合いが決まった。
問題は、そうしたコンセプトは考えずに、ほぼ何の考えもなくともかくやっていこうと突っ走って決まったこの1月の回で、果たしてどうなるのか、ある意味すごく不安もある。果たしてどれだけ観客は来てくれるのか、だ。
が、事前の仕込みなく、ほぼ出演希望者だけで集まった回は、ある意味、このコンサート開催の「本質」であろう。名のある好きなミュージシャンが出るから行こうか、とお考えの方は、足が向かないかもしれないが、「月刊・共謀コンサート」の趣旨、つまり「護憲と反戦平和」のため「人が人であるために」という気持ち、その志向を抱く方こそ、ともかくまず覗きに聴きに来てほしいと強く願う。何しろここから一年間全12回のスタートなのだから。以下詳細を記す。↓
・「月刊・共謀」コンサート第一回目/ 2020年1月25日 午後6時スタート 終演9時頃の予定 ※その後、懇親会・打ち上げあり。どなたでもお気軽にご参加ください。
・出演参加者/藤しんいちろう 槙篤 ペピータ 館野公一 えいちゃん やちむん刺激茄子(from沖縄) ぼけまる 司会進行役・マスダ昭哲
・参加費/投げ銭制 ※ワンドリンクorワンフードのご注文お願いします。
・会場/谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
この今週末土曜日・1/25日開催の記念すべき第1回目、出演者は確定し既に時間枠は埋まった。が、もし当日、1曲でも歌わせてくれ、という「飛び入り」希望者がいれば、柔軟に対応するつもりでいる。
マスダ ℡090-8175-8479
今思うのは、つまるところ何をどう見せるか、どういうミュージャン、シンガーを集めるかではなく、いかに趣旨に沿って、毎月月末の最終土曜日(たまに日曜)に、同じ思いを持つ仲間たちが誰でも気軽に集うことのできる場、唄ったり語ったりすることができる場が、そこに「ある」ということこそが大事なこと、「肝要」なのだと気づく。
そう、毎月、定日時に必ず開催していくということこそ、「その場」があるということなのだから。そしてそこから新たに始まることが必ずあると信ずる。
どうかどなたでもお気軽に、今年一年間、毎月ごと全12回開催しますので、できれば毎月、お一人でも1回でも多くご参加ください。心からお待ちしております。 頑張ります。マスダ
いまが一番寒い。が、何とかここを乗り切れば ― 2020年01月21日 18時52分21秒
★近況追記
今日も晴れて陽射しは暖かったが、北風が吹き荒れ体感的にはかなり寒かった。さすがに「大寒」である。
が、何はともあれ、ここを乗り切ればと今強く思う。
私事だが、このところ経済的にも時間的にももうギリギリの状態となって、日々何とかその日をやり過ごすのだけで精一杯という状況が続いている。
そこに加えていろいろ心配事も重なり、泣きたい気分というか、思う存分声上げて泣けたらどんなに楽かと思うが、それこそそんな時間もない。
幸いにして調子崩していた父は持ち直してくれて今日もショートステイに行ってくれた。まったく有難いことだとつくづく思う。ここで父が倒れて新たな段階になってしまったらば我は処理能力オーバーで発狂していたか倒れていたかもしれない。
いま、父を預けた夜、軽く今日初めてきちんと食べてパソコンに向かってる。
今週末、25日の「月刊・共謀」コンサートのほうは、フェイスブックなどへの告知、出演者たちに連絡事項も含めてとりあえずほぼすべきことは終えた。
後は、当日、観客、つまり「共謀」仲間がどれだけ来てくれるかだが、今はもう興行的なことは考えていないから、いかにそこに集った皆が一つの思いで盛り上がれるか、その出来如何しか心配していない。むろん一人でも多く参加者が増えて、「投げ銭」が多くなることを願ってはいるが。
何しろ今年一年毎月やっていくのである。個人的にはとうぜん赤覚悟で、演者たちに最低限の「お車代」をお渡しするためにも自らの商売と生活再建に必死で頑張らねばならない。
今、冬だが、自分にとって今年は、人生いちばんの大変な転機の年だと覚悟している。この「危機」を乗り切れれば、素晴らしい人生が待っていると信じて、まずはこの冬を乗り越えていく。
そんなで、ブログもなかなか更新できないと思う。昔のように、自由気ままに与太をだらだら書き記せた頃が懐かしい。いまは、ほんとうに時間がない。もう日々生きていくだけ、その日をやり過ごすだけで一杯いっぱいだ。まずは、すべては25日を無事に盛況のうちに終えてからだ。
神は我を見捨てないでいてくれるか。
今日も晴れて陽射しは暖かったが、北風が吹き荒れ体感的にはかなり寒かった。さすがに「大寒」である。
が、何はともあれ、ここを乗り切ればと今強く思う。
私事だが、このところ経済的にも時間的にももうギリギリの状態となって、日々何とかその日をやり過ごすのだけで精一杯という状況が続いている。
そこに加えていろいろ心配事も重なり、泣きたい気分というか、思う存分声上げて泣けたらどんなに楽かと思うが、それこそそんな時間もない。
幸いにして調子崩していた父は持ち直してくれて今日もショートステイに行ってくれた。まったく有難いことだとつくづく思う。ここで父が倒れて新たな段階になってしまったらば我は処理能力オーバーで発狂していたか倒れていたかもしれない。
いま、父を預けた夜、軽く今日初めてきちんと食べてパソコンに向かってる。
今週末、25日の「月刊・共謀」コンサートのほうは、フェイスブックなどへの告知、出演者たちに連絡事項も含めてとりあえずほぼすべきことは終えた。
後は、当日、観客、つまり「共謀」仲間がどれだけ来てくれるかだが、今はもう興行的なことは考えていないから、いかにそこに集った皆が一つの思いで盛り上がれるか、その出来如何しか心配していない。むろん一人でも多く参加者が増えて、「投げ銭」が多くなることを願ってはいるが。
何しろ今年一年毎月やっていくのである。個人的にはとうぜん赤覚悟で、演者たちに最低限の「お車代」をお渡しするためにも自らの商売と生活再建に必死で頑張らねばならない。
今、冬だが、自分にとって今年は、人生いちばんの大変な転機の年だと覚悟している。この「危機」を乗り切れれば、素晴らしい人生が待っていると信じて、まずはこの冬を乗り越えていく。
そんなで、ブログもなかなか更新できないと思う。昔のように、自由気ままに与太をだらだら書き記せた頃が懐かしい。いまは、ほんとうに時間がない。もう日々生きていくだけ、その日をやり過ごすだけで一杯いっぱいだ。まずは、すべては25日を無事に盛況のうちに終えてからだ。
神は我を見捨てないでいてくれるか。
「月刊・共謀」コンサート、初回1/25日、いよいよ明日開催!! ― 2020年01月24日 08時55分16秒
★当日のお手伝いも含めて、広く参加者求めます!!
新年1月も終わりに近づき、大寒を過ぎてさすがに寒い日が続くが、いよいよ明日25日の土曜、国立市谷保のかけこみ亭で、『護憲と反戦平和他のための「月刊・共謀」コンサート~人が人であるために』が開催決行となった。
何でも同じかもしれないが、特にイベントというのは、当日を迎えるまでの下準備が演者を募ることからあれこれタイヘンで、その準備に常にかなり時間がとられる。
半面、その本番当日が来てしまえば、始まったとたんあとはただ時間は過ぎていき、気がつけばあっという間に終わってしまう。結果はともかく、もだ。
今回のコンサート、この後に今年一年間毎月続く全12回の「月刊・共謀」コンサートの幕開けというだけでなく、次回、次々回、そしての春先までの毎月の開催内容の告知の場でもあって、その先の回の手配と準備にずっと追われていた。
今何とか4月度までほぼ内容も出演者も目安が付き、ほっとしている。そして、自分のことも含めて、喫緊の初回の準備にまだ何も気も手も回らないことに気づく。
宣伝も不足してると思うし、はっきり言って広く世に知られたメジャーなシンカーは介在していない。つまりそれだけ集客力は落ちるかもしれないということで、後はこの企画のコンセプトだけでどれだけ観客が、つまり「仲間たち」が来てくれるかだ。不安はある。
が、今さら焦っても仕方ないし、次回に繋げていくためにも、観客の多寡よりも良い、内容のある熱く先が見えるものにしていきたいと願う。
そしてそれはできると信ずる。というのは、これまでの10回続けてきた蓄積も経験もあるし、何より今回も志ある素晴らしいシンガーが集ったのだから。
不安なのは、先のじみへん以降、一度は消えかかってしまった我のうたの思いが、果たしてどこまで戻ってきているか、だ、一度枯れ果てた水脈に再び水が流れ出すか。ずっとギターすら手に取ってなかったから、今は左の指がともかく痛い。まだ固くなっていないからしっかりコードも押さえられやしない。が、精いっぱい頑張るしかない。
そう、何であれ、人生は一度きり、出会いも別れも含めて二度はない。ならばこそ、そのときどき、希少な場を、誰にとっても良い出会いの場となるよう、我は精いっぱいつくっていくだけだ。
明日は、スタッフも不足している。願わくば、お手伝いに来てくれる方を求む。が、誰もいないとしても無理せずに今後に繋げていくためにもしっかり緩~くやっていくだけだ。
そう、慌てず急いでやっていく。
★明日は定時午後6時スタートの予定。たぶん9時過ぎまでやってますので、どなたでもお気軽に、何時でもお越しください。出入りも投げ銭も一切ご自由ですので。
皆で心からお待ちしております!!!!! 朝のうちはどんよりとした曇り空も今陽が射して明るくなってきた。春はすぐそこまで来ている。
新年1月も終わりに近づき、大寒を過ぎてさすがに寒い日が続くが、いよいよ明日25日の土曜、国立市谷保のかけこみ亭で、『護憲と反戦平和他のための「月刊・共謀」コンサート~人が人であるために』が開催決行となった。
何でも同じかもしれないが、特にイベントというのは、当日を迎えるまでの下準備が演者を募ることからあれこれタイヘンで、その準備に常にかなり時間がとられる。
半面、その本番当日が来てしまえば、始まったとたんあとはただ時間は過ぎていき、気がつけばあっという間に終わってしまう。結果はともかく、もだ。
今回のコンサート、この後に今年一年間毎月続く全12回の「月刊・共謀」コンサートの幕開けというだけでなく、次回、次々回、そしての春先までの毎月の開催内容の告知の場でもあって、その先の回の手配と準備にずっと追われていた。
今何とか4月度までほぼ内容も出演者も目安が付き、ほっとしている。そして、自分のことも含めて、喫緊の初回の準備にまだ何も気も手も回らないことに気づく。
宣伝も不足してると思うし、はっきり言って広く世に知られたメジャーなシンカーは介在していない。つまりそれだけ集客力は落ちるかもしれないということで、後はこの企画のコンセプトだけでどれだけ観客が、つまり「仲間たち」が来てくれるかだ。不安はある。
が、今さら焦っても仕方ないし、次回に繋げていくためにも、観客の多寡よりも良い、内容のある熱く先が見えるものにしていきたいと願う。
そしてそれはできると信ずる。というのは、これまでの10回続けてきた蓄積も経験もあるし、何より今回も志ある素晴らしいシンガーが集ったのだから。
不安なのは、先のじみへん以降、一度は消えかかってしまった我のうたの思いが、果たしてどこまで戻ってきているか、だ、一度枯れ果てた水脈に再び水が流れ出すか。ずっとギターすら手に取ってなかったから、今は左の指がともかく痛い。まだ固くなっていないからしっかりコードも押さえられやしない。が、精いっぱい頑張るしかない。
そう、何であれ、人生は一度きり、出会いも別れも含めて二度はない。ならばこそ、そのときどき、希少な場を、誰にとっても良い出会いの場となるよう、我は精いっぱいつくっていくだけだ。
明日は、スタッフも不足している。願わくば、お手伝いに来てくれる方を求む。が、誰もいないとしても無理せずに今後に繋げていくためにもしっかり緩~くやっていくだけだ。
そう、慌てず急いでやっていく。
★明日は定時午後6時スタートの予定。たぶん9時過ぎまでやってますので、どなたでもお気軽に、何時でもお越しください。出入りも投げ銭も一切ご自由ですので。
皆で心からお待ちしております!!!!! 朝のうちはどんよりとした曇り空も今陽が射して明るくなってきた。春はすぐそこまで来ている。
新装「月刊・共謀」コンサート初回は、予想外の盛況に ― 2020年01月26日 06時01分30秒
★船は、無事動き出したが・・・波高しの感あり
今年は、毎月開催全12回の「月刊・共謀」コンサート。その記念すべき新装となっての初回は無事終えられた。改めて、参加者・出演者、その場に来られなかった方も含めて心から御礼申したい。
終えて思うことを記しておく。予想外の盛況となった。正直、出る側の人数よりも、客は少ないのではないかと心配していたが、かなりのお客様で盛況と言っていい入りとなった。コンサートとしては満足のいくものとなった。
ただ、反面、興行面だけ見ると、「投げ銭」収益はこれまでの「共謀」コンサートでは最低のものとなり、出た方々の人数で単純割したら、一人あたり千円にもならない額しか集まらなかった。店側へのバック等は一円もなしで。
それは、司会進行の我自身の責任が大きい。つい当日の進行と今後の予定告知などあれこれ気を奪われて、「投げ銭」のことは完全に失念していたからだ。その箱というか、容れ物さえ出ていなかった。呼びかけも後手後手となった。終演近くになって気がついた。
それでは、来られた観客は、見るだけ見たら、そういうものだとそのまま帰ってしまう。むろん「投げ銭」だから、来て見たたからには必ず払えとか強制はできないししたくもないが、そのシステムの「説明」すらしなければ、誰だって乏しい懐中は開かない。
けっきょく、終演後少しづつ自ら補填して、演者方には雀の涙ほどの「お車代」は渡したが、これが全12回続くと考えたら、強い不安に襲われた。このままこれが続けば夏までに我は経済的に行き詰まり、このコンサートは続けられなくなってしまう。さてさて、どうしたものか。
船は長い航海へ今出港した。行き先は見えてきた。当初は海図もなく大いに不安だったが、もう大丈夫、何とかなると思えてきた。が、このままでは沈没してしまう可能性もまだ高い。そう、燃料が不足している。乗組員も少ない。今後の課題も含めて、舵を握る我の手腕が問われている。
と、終えていきなりお金のことばかりで厭きられたかと思うが、コンサート自体は、我は大いに満足できた。休憩挟んで良い二幕のライブとなった。
今回は、これまでと違い、出演者の半数が「飛び入り」的出演希望者、つまりこのコンサート「共謀」志望者で、初めてお会いする方が三名もいた。顔も知らないしむろんその「音」すら聞いていない。いったいどんなシンガーなのか未知の世界だ。
今は、YouTubeなどで、調べれば何かしら彼らの「情報」は事前に得られたかもしれないが、我は時間もなかったのと、ポリシーとしてネット上からでは評価はしたくないので、ともかくリハを聴いて確認するしかない。
これまでの「共謀」コンサートでは、我は、事前に出演者の出順も決めてお伝えして当日も告知したりプログラムにも式次として載せていた。が、今回は、そもそも何もわからないのだから出てもらう順番すら立てられない。
果たしてそれでコンサートとして成り立つのか、正直いちばんそこが不安だった。
世の中には、歌い手が次々と出れば、それがコンサートだとお考えの人もいる。しかし、我は、手がけるからにはそこに一つの流れ、最後のフィナーレに至るまでの繋がりがないとダメだと考える。つまり「ショー」としての構成の有無である。これでもいかに綺麗にその流れがつくれるか演者の登場順では常に腐心してきた。
今回に限っては、前日になってまたさらに「飛び入り」参加者も決まったこともあり、どんな順番で誰に次に歌ってもらうかコンサートが始まってもずっと考えていた。こんなことは未だ経験したことがない。
しかし、結果として今振り返れば、行き当たりばったりではあったが、この流れ、この順番しかなかったと思うしきちんと流れのあるショーにもなり得たのではないか。ある意味、大いに自信も得た。そう、始まってしまえば何とかなるのである。これなら毎月やっていけそうだと館野さんと顔見合わせ頷き合えた。
ただ、繰り返しになるが課題も大いに見えた。「投げ銭」問題以外にもいちばんは、スタッフの不足で、我自身が1人で司会進行から、写真・動画撮影、録音まで何役も並行してやるしかなく、ともかく焦りまくり気が急いて胃やお腹が痛くなるほどだった。パニック障害気味であった。
正直、これが毎月続くとなると気が重い。いや、気が休まらない。どうか誰か一人でもお手伝いの方を募りたい。
当日の様子はいつものように何日かに分けてこの場で画像付きで「報告」していく。
いきなり「お金」のことばかり愚痴をこぼしてしまったが、コンサート自体はとても良いものとなった。中でも沖縄から来られた「やちむん刺激茄子」氏のステージは出色の出来で、観客を大いに盛り上げてくれた。
こうした新たな素晴らしい出会いがあるたび、我はこの企画、コンサートのプロデュース的なことをやっていて良かったなあと今つくづく思う。今回から「飛び入り」もOK と謳って新たに始めた甲斐があった。
そう、「飛び入り」歓迎というのは、不安も大きいが、その新たな出会いこそがまさに「共謀」仲間が増えたことになる。我も大きな刺激を受けた。
世の全てのモノゴトは、安倍オトモダチ政権を例に挙げるまでもなく、親しく気の合う「仲間内」だけで続けていくと楽だがやがては必ず腐敗し堕落してしまう。権力の問題だけではなく関係性の問題としても。
この「月刊・共謀」コンサート、我は改めて良い意味でもっと緩~く、さらに胸襟を開いて誰も拒まず受け容れていきたい。
今終えて、様々な反省と今後の課題に、今もちっとも気は休まらないけれど、不思議に悔いは何も無い。
何はともあれ船は動き出した。この一年間の長い航海、最後まで無事に続けていきたい。この非力な我の肩にその重責がかかっている。日本海側に難破して漂着する某国の漁船のようにならぬよう気持ちを引き締めて舵を握っていく。ボロ舟で乏しい燃料で荒れた海に出れば当然そうなる可能性は高くなるではないか。
しかし毎月はタイヘンだあ。どこかにポンと、一億五千万ぐらい出してくれる気前のいい金持や組織はないものか。あと11回だ。そう、コンサートは始まったばかりなのだ。
今年は、毎月開催全12回の「月刊・共謀」コンサート。その記念すべき新装となっての初回は無事終えられた。改めて、参加者・出演者、その場に来られなかった方も含めて心から御礼申したい。
終えて思うことを記しておく。予想外の盛況となった。正直、出る側の人数よりも、客は少ないのではないかと心配していたが、かなりのお客様で盛況と言っていい入りとなった。コンサートとしては満足のいくものとなった。
ただ、反面、興行面だけ見ると、「投げ銭」収益はこれまでの「共謀」コンサートでは最低のものとなり、出た方々の人数で単純割したら、一人あたり千円にもならない額しか集まらなかった。店側へのバック等は一円もなしで。
それは、司会進行の我自身の責任が大きい。つい当日の進行と今後の予定告知などあれこれ気を奪われて、「投げ銭」のことは完全に失念していたからだ。その箱というか、容れ物さえ出ていなかった。呼びかけも後手後手となった。終演近くになって気がついた。
それでは、来られた観客は、見るだけ見たら、そういうものだとそのまま帰ってしまう。むろん「投げ銭」だから、来て見たたからには必ず払えとか強制はできないししたくもないが、そのシステムの「説明」すらしなければ、誰だって乏しい懐中は開かない。
けっきょく、終演後少しづつ自ら補填して、演者方には雀の涙ほどの「お車代」は渡したが、これが全12回続くと考えたら、強い不安に襲われた。このままこれが続けば夏までに我は経済的に行き詰まり、このコンサートは続けられなくなってしまう。さてさて、どうしたものか。
船は長い航海へ今出港した。行き先は見えてきた。当初は海図もなく大いに不安だったが、もう大丈夫、何とかなると思えてきた。が、このままでは沈没してしまう可能性もまだ高い。そう、燃料が不足している。乗組員も少ない。今後の課題も含めて、舵を握る我の手腕が問われている。
と、終えていきなりお金のことばかりで厭きられたかと思うが、コンサート自体は、我は大いに満足できた。休憩挟んで良い二幕のライブとなった。
今回は、これまでと違い、出演者の半数が「飛び入り」的出演希望者、つまりこのコンサート「共謀」志望者で、初めてお会いする方が三名もいた。顔も知らないしむろんその「音」すら聞いていない。いったいどんなシンガーなのか未知の世界だ。
今は、YouTubeなどで、調べれば何かしら彼らの「情報」は事前に得られたかもしれないが、我は時間もなかったのと、ポリシーとしてネット上からでは評価はしたくないので、ともかくリハを聴いて確認するしかない。
これまでの「共謀」コンサートでは、我は、事前に出演者の出順も決めてお伝えして当日も告知したりプログラムにも式次として載せていた。が、今回は、そもそも何もわからないのだから出てもらう順番すら立てられない。
果たしてそれでコンサートとして成り立つのか、正直いちばんそこが不安だった。
世の中には、歌い手が次々と出れば、それがコンサートだとお考えの人もいる。しかし、我は、手がけるからにはそこに一つの流れ、最後のフィナーレに至るまでの繋がりがないとダメだと考える。つまり「ショー」としての構成の有無である。これでもいかに綺麗にその流れがつくれるか演者の登場順では常に腐心してきた。
今回に限っては、前日になってまたさらに「飛び入り」参加者も決まったこともあり、どんな順番で誰に次に歌ってもらうかコンサートが始まってもずっと考えていた。こんなことは未だ経験したことがない。
しかし、結果として今振り返れば、行き当たりばったりではあったが、この流れ、この順番しかなかったと思うしきちんと流れのあるショーにもなり得たのではないか。ある意味、大いに自信も得た。そう、始まってしまえば何とかなるのである。これなら毎月やっていけそうだと館野さんと顔見合わせ頷き合えた。
ただ、繰り返しになるが課題も大いに見えた。「投げ銭」問題以外にもいちばんは、スタッフの不足で、我自身が1人で司会進行から、写真・動画撮影、録音まで何役も並行してやるしかなく、ともかく焦りまくり気が急いて胃やお腹が痛くなるほどだった。パニック障害気味であった。
正直、これが毎月続くとなると気が重い。いや、気が休まらない。どうか誰か一人でもお手伝いの方を募りたい。
当日の様子はいつものように何日かに分けてこの場で画像付きで「報告」していく。
いきなり「お金」のことばかり愚痴をこぼしてしまったが、コンサート自体はとても良いものとなった。中でも沖縄から来られた「やちむん刺激茄子」氏のステージは出色の出来で、観客を大いに盛り上げてくれた。
こうした新たな素晴らしい出会いがあるたび、我はこの企画、コンサートのプロデュース的なことをやっていて良かったなあと今つくづく思う。今回から「飛び入り」もOK と謳って新たに始めた甲斐があった。
そう、「飛び入り」歓迎というのは、不安も大きいが、その新たな出会いこそがまさに「共謀」仲間が増えたことになる。我も大きな刺激を受けた。
世の全てのモノゴトは、安倍オトモダチ政権を例に挙げるまでもなく、親しく気の合う「仲間内」だけで続けていくと楽だがやがては必ず腐敗し堕落してしまう。権力の問題だけではなく関係性の問題としても。
この「月刊・共謀」コンサート、我は改めて良い意味でもっと緩~く、さらに胸襟を開いて誰も拒まず受け容れていきたい。
今終えて、様々な反省と今後の課題に、今もちっとも気は休まらないけれど、不思議に悔いは何も無い。
何はともあれ船は動き出した。この一年間の長い航海、最後まで無事に続けていきたい。この非力な我の肩にその重責がかかっている。日本海側に難破して漂着する某国の漁船のようにならぬよう気持ちを引き締めて舵を握っていく。ボロ舟で乏しい燃料で荒れた海に出れば当然そうなる可能性は高くなるではないか。
しかし毎月はタイヘンだあ。どこかにポンと、一億五千万ぐらい出してくれる気前のいい金持や組織はないものか。あと11回だ。そう、コンサートは始まったばかりなのだ。
「月刊・共謀」コンサート初回1/25日の流れを画像で・1 ― 2020年01月26日 20時27分08秒
★初回1月の出演者を画像で追っていく・1.ぼけまる
何であれ、全ての行動、運動は、始める、始まるまでが大変であり、始まってそれを続けているうちにしだいに楽になっていく。
語学やギターの練習だってそうだし、ともかく続けていると加速度や浮力のようなものが付いてきて大変さは減っていく。仕事だってそうだろう。最初の慣れないうちはともかく大変に思えるものだ。
このコンサート、今年一年毎月開催の全12回、ということを思うとき、まだ初回が終わった段階でもその「先行き」、前途の長さに正直うんざりもする。
そして何よりも金銭的なことに不安を覚える。じっさいまだ我の動物病院の支払う残金は38万もあるのだ。そこに毎月、赤字の補填も加わるとどこにそんな余裕があるか、どこから工面する気か自問するしかない。
しかし、ともかく始まってしまったわけで、次回からはもう少し徹底して「投げ銭」もしっかり呼びかけていけば諸々理解してくれる方もいるはずだし、何より続けていけば観客も増えていくと期待したい。
そう、大変なのは最初のうちで、店でも仕事でも続けていけば観客、人脈も増えてきっと楽になると信じてやっていこう。
次回からは、毎回コンセプトも決まっているし、飛び入り参加者もいたとしても今回よりは旧知のメンバーで動かせるからかなりやりやすくはなる。
さらに3月、4月と、自分でも楽しみな、魅力的な企画の「共謀」も目白押しだから、1カ月があっという間に過ぎていくように、気づけば今年一年も瞬く間に終わることだろう。
ならば、タイヘンと考えるよりも楽しみだと気持ちを切り替えてこの「月刊・共謀」コンサート、残りの11回しっかり取り組んでいく。
その前に、ともかくタイヘンだったこの、昨日終わった初回を、どんな様子だったか、ごく簡単なコメント付けて出演の順に画像で報告していく。
まずトップに登場したのは、かけこみ亭の現場担当・ご存じぼけまる氏。実は、その前に、我マスダがちょこっと2曲唄って、コンサートの「前説」はしたのだが、その画像はないので、まずはぼけさんから画像アップする。
約15分、1曲半うたった。今年は年男!?となる我らがぼけまるが変わらぬアグレッシブな歌声を披露してくれた。
何であれ、全ての行動、運動は、始める、始まるまでが大変であり、始まってそれを続けているうちにしだいに楽になっていく。
語学やギターの練習だってそうだし、ともかく続けていると加速度や浮力のようなものが付いてきて大変さは減っていく。仕事だってそうだろう。最初の慣れないうちはともかく大変に思えるものだ。
このコンサート、今年一年毎月開催の全12回、ということを思うとき、まだ初回が終わった段階でもその「先行き」、前途の長さに正直うんざりもする。
そして何よりも金銭的なことに不安を覚える。じっさいまだ我の動物病院の支払う残金は38万もあるのだ。そこに毎月、赤字の補填も加わるとどこにそんな余裕があるか、どこから工面する気か自問するしかない。
しかし、ともかく始まってしまったわけで、次回からはもう少し徹底して「投げ銭」もしっかり呼びかけていけば諸々理解してくれる方もいるはずだし、何より続けていけば観客も増えていくと期待したい。
そう、大変なのは最初のうちで、店でも仕事でも続けていけば観客、人脈も増えてきっと楽になると信じてやっていこう。
次回からは、毎回コンセプトも決まっているし、飛び入り参加者もいたとしても今回よりは旧知のメンバーで動かせるからかなりやりやすくはなる。
さらに3月、4月と、自分でも楽しみな、魅力的な企画の「共謀」も目白押しだから、1カ月があっという間に過ぎていくように、気づけば今年一年も瞬く間に終わることだろう。
ならば、タイヘンと考えるよりも楽しみだと気持ちを切り替えてこの「月刊・共謀」コンサート、残りの11回しっかり取り組んでいく。
その前に、ともかくタイヘンだったこの、昨日終わった初回を、どんな様子だったか、ごく簡単なコメント付けて出演の順に画像で報告していく。
まずトップに登場したのは、かけこみ亭の現場担当・ご存じぼけまる氏。実は、その前に、我マスダがちょこっと2曲唄って、コンサートの「前説」はしたのだが、その画像はないので、まずはぼけさんから画像アップする。
約15分、1曲半うたった。今年は年男!?となる我らがぼけまるが変わらぬアグレッシブな歌声を披露してくれた。
「月刊・共謀」コンサート初回1月の回を画像で・2 ― 2020年01月26日 20時37分41秒
「月刊・共謀」コンサート、初回1月を画像で・3 ― 2020年01月26日 21時41分14秒
★初回1月の出演者を画像で追っていく・3.飛び入り「共謀」の稲垣剛治
このコンサート前日の午後、我マスダの携帯が鳴った。明日のコンサートに飛び入りで出たいけど出られるか、という「問い合わせ」であった。
実際のところ、その数日前に、沖縄から来られるシンガーの登場が決まったので、既に当日の時間枠に余裕はなくなっていたのだが、せっかくの「共謀」のお申し出ならば、断るわけにはいかない。
自分、マスダも唄おうと思ってた時間を削ることにして、2曲ぐらい、約10分ほどならばと応じて即お招きすることにした。
来られたのは、以前、都内両国で、川原先生の企画したコンサートで我とお会いしたことがあるという稲垣さんという若い方だった。当方は記憶がなかったが、2曲、我らと同じ志を飛び入りながらしっかりご披露してくれた。ぜひ、また今度はもっとたっぷりその歌声を聴いてみたいと思った。これからもヨロシクご参加願いたい。
このコンサート前日の午後、我マスダの携帯が鳴った。明日のコンサートに飛び入りで出たいけど出られるか、という「問い合わせ」であった。
実際のところ、その数日前に、沖縄から来られるシンガーの登場が決まったので、既に当日の時間枠に余裕はなくなっていたのだが、せっかくの「共謀」のお申し出ならば、断るわけにはいかない。
自分、マスダも唄おうと思ってた時間を削ることにして、2曲ぐらい、約10分ほどならばと応じて即お招きすることにした。
来られたのは、以前、都内両国で、川原先生の企画したコンサートで我とお会いしたことがあるという稲垣さんという若い方だった。当方は記憶がなかったが、2曲、我らと同じ志を飛び入りながらしっかりご披露してくれた。ぜひ、また今度はもっとたっぷりその歌声を聴いてみたいと思った。これからもヨロシクご参加願いたい。
「月刊・共謀」コンサート初回1月の回を画像で・4 ― 2020年01月27日 12時26分31秒
★初回1月の出演者を画像で追っていく・4. えいちゃん
マス坊は、去年からフェイスブックも始めたが、じっさいのところまだよく使い方もよくわからない。使いこなせてない故ほとんど更新もしていないし、正直なところそもそも他者が、何かを発信しようがあまり関心がない。だからチェックもしない。まあ、その友人は元気だという、お「知らせ」としては受け取れるので、有り難いシステムだとは感心しているけれど。ともかく今は忙しくて時間なくブログすらゆっくり書けないのだから。
が、何人か友達申請もあって、主に音楽関係の方々とはメッセンジャーで連絡をとりあうために利用している。今の人は、メールさえやらないようで、メールを送ってもすぐに返信がないので、仕方なくフェイスブック上でやりとりするしかないという時代の流れが大きい。しかしこちらもまだ良く使いこなせていない。つくづく年寄りだと自分でも情けなく思う。
この、「えいちゃん」なる方は、本名でフェイスブックで知り合い、友達申請があり関係を持った。やはり歌い手の方らしいと。そして今回、このコンサートに「共謀参加したい」との連絡があって、まずはこの第一回目の「月刊・共謀」コンサートに出て頂いた。
本来、事前に彼のうたや音が聴ければ良かったのだが、リニューアルして再開したこの「コンサート」は、何より参加される方の意思を重視するので、同じ思いと志あらば誰も拒まないというコンセプトでやっていく。今回は3人も初めてお会いし初めて聴く方々がいた。それぞれどんな歌い手であるか、期待といくばくかの不安を抱いて当日お迎えした。
歴代自民党政権最凶最悪の傲慢・強行・無責任安倍政権。オトモダチ優遇と忖度の政治、世相に対して、多くの良識ある国民は怒り続けている。歌い手ならば、その怒りを「うた」にして、外に向けて「表現」していく。
我の知る多くのプロテストシンガーは、安倍ヤメロ!!バカ野郎!とその怒りをストレートに全面的にうたに出す人が大部分だ。が、えいちゃんはそれと異なり、ソフトに、かつ揶揄するように「皮肉」的なことをゆっくりメローに唄うというスタイルであった。ちょっと意外であった。こういう歌い手は会ったことがない。
むろん逆説がかえって効果を生むことも常にある。が、このスタイルは好き嫌いも別れるし、イライラさせられる聴き手もいるかもしれない。個人的には面白いと思い評価もするが、もっとストレートな心情をどこかで出さない限り、その「本気度」が問われるのではないかと危惧するところもあった。特にここかけこみ亭では。
いずれにせよ、「飛び入り歓迎」と銘打って始めて良かったと今は心底思う。様々なうたとスタイルがあるのだからそれが一つの場で共に「共謀」していくことで力になり、やがては真に政権への打撃に繋がっていく。我の趣味・傾向、好き嫌いだけで出る方を選別などしていたらそこに本当の「共謀」はないし生まれない。それでは、オトモダチコンサートであろう。
みんな違ってよいのである。仲間内だけで留まっていては、わかる人にはワカルだろうが、わからない人には永久にワカラナイし届かない。それでは世界は変わらないし動かない。動かせない。
様々なスタイル、手法、ジャンルで、それぞれが自分のできることをやっていく。そうでもしない限り強大な金と権力を持った「体制」側に庶民が敵うわけがないではないか。
これからも飛び入り的に「共謀者」募集していく。同じ思いある方ならば誰も拒まずに。
マス坊は、去年からフェイスブックも始めたが、じっさいのところまだよく使い方もよくわからない。使いこなせてない故ほとんど更新もしていないし、正直なところそもそも他者が、何かを発信しようがあまり関心がない。だからチェックもしない。まあ、その友人は元気だという、お「知らせ」としては受け取れるので、有り難いシステムだとは感心しているけれど。ともかく今は忙しくて時間なくブログすらゆっくり書けないのだから。
が、何人か友達申請もあって、主に音楽関係の方々とはメッセンジャーで連絡をとりあうために利用している。今の人は、メールさえやらないようで、メールを送ってもすぐに返信がないので、仕方なくフェイスブック上でやりとりするしかないという時代の流れが大きい。しかしこちらもまだ良く使いこなせていない。つくづく年寄りだと自分でも情けなく思う。
この、「えいちゃん」なる方は、本名でフェイスブックで知り合い、友達申請があり関係を持った。やはり歌い手の方らしいと。そして今回、このコンサートに「共謀参加したい」との連絡があって、まずはこの第一回目の「月刊・共謀」コンサートに出て頂いた。
本来、事前に彼のうたや音が聴ければ良かったのだが、リニューアルして再開したこの「コンサート」は、何より参加される方の意思を重視するので、同じ思いと志あらば誰も拒まないというコンセプトでやっていく。今回は3人も初めてお会いし初めて聴く方々がいた。それぞれどんな歌い手であるか、期待といくばくかの不安を抱いて当日お迎えした。
歴代自民党政権最凶最悪の傲慢・強行・無責任安倍政権。オトモダチ優遇と忖度の政治、世相に対して、多くの良識ある国民は怒り続けている。歌い手ならば、その怒りを「うた」にして、外に向けて「表現」していく。
我の知る多くのプロテストシンガーは、安倍ヤメロ!!バカ野郎!とその怒りをストレートに全面的にうたに出す人が大部分だ。が、えいちゃんはそれと異なり、ソフトに、かつ揶揄するように「皮肉」的なことをゆっくりメローに唄うというスタイルであった。ちょっと意外であった。こういう歌い手は会ったことがない。
むろん逆説がかえって効果を生むことも常にある。が、このスタイルは好き嫌いも別れるし、イライラさせられる聴き手もいるかもしれない。個人的には面白いと思い評価もするが、もっとストレートな心情をどこかで出さない限り、その「本気度」が問われるのではないかと危惧するところもあった。特にここかけこみ亭では。
いずれにせよ、「飛び入り歓迎」と銘打って始めて良かったと今は心底思う。様々なうたとスタイルがあるのだからそれが一つの場で共に「共謀」していくことで力になり、やがては真に政権への打撃に繋がっていく。我の趣味・傾向、好き嫌いだけで出る方を選別などしていたらそこに本当の「共謀」はないし生まれない。それでは、オトモダチコンサートであろう。
みんな違ってよいのである。仲間内だけで留まっていては、わかる人にはワカルだろうが、わからない人には永久にワカラナイし届かない。それでは世界は変わらないし動かない。動かせない。
様々なスタイル、手法、ジャンルで、それぞれが自分のできることをやっていく。そうでもしない限り強大な金と権力を持った「体制」側に庶民が敵うわけがないではないか。
これからも飛び入り的に「共謀者」募集していく。同じ思いある方ならば誰も拒まずに。
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