あくまでも「要請」という名でのイベント「自粛・中止」考2020年03月07日 22時15分27秒

★コロナ恐慌後の大不況時代を我らはどう生きていくか

 新型コロナウイルスの感染が収まらず日々ぜんこく、世界各地でまた新たな感染者の報告が相次いでいる。
 そして今この国では、季節のイベントのみならず、コンサートや舞台演劇等、室内で多くの人が集まる催しそのものが感染拡大阻止のための「要請」として、自粛、つまり中止を余儀なくされている。
 先に、我は、先月末29日、そして3月1日と、二日連続で音楽のライブイベントの催しをともかく成し終えたが、今はまたさらにそうしたイベントに対しての風当たりが強くなってきている感がある。
 我の知り合いのミュージシャンからのメールでは、この三月初旬に開催予定していたコンサートの「中止・延期」の知らせが相次いでいる。
 フェイスブックでも同様の告知がいくつも届いた。新型ウィルスの感染拡大に繋がる恐れがあることもだが、確かに今は、音楽や芝居どころではない、国家的危機の非常時だという風潮が国民全体にただよっていて、この状況の中で、そうした「趣味・娯楽」的催しは開催しずらい。
 お客が少ないだろうという予測以前に、先だっての大阪のライブハウスのように、もしそのイベントから感染者が出て、報告されてしまえば、まさにアウトであって、主催者、ハコの持ち主はまさに戦々恐々としている。今回その名前が報じられた店は、改名して新規開店しないと経営は今後難しいのではないか。

 おかしな話だが、日本人というのは、何故かひとたび不幸な目に遭った人たちに会うと慰めいたわるどころか、逆に排斥する傾向がある。
 先の大震災と原発事故でも、フクシマからの避難して来た児童が新たな学校で「放射能がうつる」と排斥されたり、今回も感染したというだけで罪もない「被害者」を白い目でみて、あたかも感染拡大させた加害者のように除け者にしたりと、村八分的傾向はいつの時代も変わらない。
 我が祖母だって、渡良瀬の鉱毒被害で強制廃村となった旧谷中村出身だと言うだけで、「谷中の這い上がり」として移住した村の子からさんざん苛められたという話を聴いた。ニンゲンの傾向は百年たっても変われない。

 そのらいぶハウスから次々と感染者が出たとしても、それは店の責任ではまったくないのである。これが衛生管理を怠っての食中毒なら店側に責任もあろう。
 今回はただ単に、そこに保菌者が来ていて、狭い空間でクラスターっていうのか、一気に多くの観客たちに感染が広がっただけで、店側もミュージシャンもまったく責任も関係もない。単なる偶然でしかない。
 だが、ひとたびそうした騒動で名前が出、店の画像もニュースで出てしまうと、その店は、やはり怖いというイメージが出来て、人は足を避けるようになっていく。
 今、政府からの感染拡大防止のため「自粛」を求めるという、あくまでも「要請」を受けて、多くの興行主、イベンターが頭を痛めていることだろう。ふえて開催するか、断腸の思いで中止とするか。

 むろん「要請」だから「強制的」ではないはずである。が、もしその公演、運劇や音楽、講演も含め、それをあえて決行して、万が一、そこからまた新たな感染者が出たと報告されてしまえば、まさに非難ゴウゴウ、その責任者のキャリアというか、ビジネス生命は断たれてしまうだろう。社会的制裁を受ける。さらにその名前が出た店も閉店を余儀なくされよう。
 それでもあえて開催するというのは、まさに勇気と覚悟が問われる。そう、ほんとうに万が一のことが起きてもすべての責任を負えるのかということだ。

 基本、このウィルスはそれほど感染力は強くないし、罹っても致死率は低くさほどことさらに怖れる必要はないとWHOも含めて多くの専門家が諭している。
 が確かに死者だけを見ると、高齢者や他にも何らかの持病疾患がある人が多く、我も超高齢の父と暮らす者として、やはりことさらにそうしたライブイベントに行くことは「自粛」せざる得ない。
 何しろ父は、若い時に結核を病み、肺が薄く、しかもこれまでも何度も誤嚥性の肺炎を起こして入院した経歴の持ち主なのである。今度風邪であろうとインフルエンザであろうと、罹って入院したら高齢であり回復は難しいとは担当医の診断である。

 我は、何もこの新型ウィルスは怖れないし、罹ったとしてもそれで死ぬなんて考えもしないが、ともかく父に濃厚接触から感染させてしまえば、もうオシマイであろう。ならば、やはりこの大流行が終息するまでは、ともかく自ら企画のコンサートだけはさておくとして、他のイベントには極力、不要不急でないとしても出向くのは「自粛」するに越したことがない。
 安倍晋三の独断専行的、様々な突発的「対策」に、異論や不満は誰もがあろう。だが、その「感染拡大の怖れ」という文言を前にしては、誰も表立って抗議や批判は難しい。じっさい この我も様々なイベントに出向くことは自粛せざる得ないし、自らのも開催自体中止とするか迷い続けた。
 ただ、一番の問題は、こうした全国的「自粛」ムード、あらゆるイベント、行事の中止、公共のスペースが利用できなくなっていることで、そこに携わる人たちの経営、生活が成り立たなくなり経済活動の停滞として日本全体を大不況に陥らせることだ。
 このまま数か月もこの「自粛」状態が続けば、多くの企業が倒産する。それは観光業だけでなく、学校給食に関係する業界もだし、興行全般、演劇や音楽イベントに関わる人たち全てであろう。演者や興行ハコ側のみならず音響から舞台照明、宣伝美術までそれに携わって毎回収益を得て糧としていた人たち全てがまさに無収入となっていく。
 安倍晋三は、学童を自宅待機させた場合、親が仕事を休めば休業補償するとかあれこれ言っているが、フリーランスはその保証は受けられないし、まさに中止となったイベントは誰も補填してくれやしない。ただただ全て赤字持ち出しとなり、さらに逼迫困窮していく。

 オリンピック開催が可能か不可能か以前に、この国は、間違いなくこれまでに経験したのことない大不況となる。
 おそらくこの新型ウイルス終息後の日本は、多くの企業が倒産して姿を消して、働き方もそのものも変化して社会構造全体が変わってしまうだろう。
 コロナウィルスでの死者数の何倍、何十倍ものこの影響で自死も含めて不況による死者が出る。それも「関連死」と言えなくもないだろうが、その責任はまず誰にあるか、と考えればやはりいちばんは安倍晋三である。全てが後手後手と突発的独断専行で事態をさらに悪化、長引かせている。
 そして共犯はそのととりまきの安倍シンパというべき愚かな宰相を持て囃し支えてきた者たちであろう。官僚と御用学者、そしてNHKを筆頭にマスコミ、右派ネット市民もである。

 安倍政権は、石もて追われるごとに退陣していくことだろう。が、すぐその後に、我らが期待できる政権がすぐさま誕生して世の中は良くなっていくと安易に期待してはならない。
 大変な時代がやってくる。そのとき、もう一度我々日本人は、真にどう生きて行きたいか、この地球と向き合いまず何をなすべきかを自らに問い直さねばならない。
 それは、あの3.11の後に、国民は一度は誰もが気づかされ自らに問いかけたはずのことだ。だが、その「再考」をまた時間と共に忘れ、日々多忙とユーチュバー的享楽の最中で放擲してしまっていた。
 そしてまた今、再度の試練の時が来た。この非常時は乗り切れると信ずるが、「その先」の国家の在り方と、国民一人一人が真にどう生き直すか、あるべき姿を誰もがまたも問われているのだ。