この「非常時」、何を、まずどうすべきか2020年03月10日 18時25分04秒

★フリーランスを殺すには

 コロナウイルスの拡大感染の猛威が止まらない。今が、拡大阻止の「瀬戸際」だと言って、次々独断で場当たり的対策を打ち出し、学校休校をはじめ国民に様々な「自粛」と言う窮乏を「要請」している安倍政権である。が、相変わらずいつまでこの「瀬戸際」が続くのか、まったく先が見えやしない。
 当初の「二週間」が過ぎたと思ったら、次は19日頃が目安だと言う。果たしてそれで終息の兆しが見えてくるのか、またさらに「自粛」が続き高まり、強制力をもって国民に迫って来るのか。

 ただはっきりしているのは、公務員的な立場の人たちは、仕事が休業や自宅待機になろうときちんと給料は変わりなく毎月もらえるだろうが、フリーランスの人たち、例えば、アーチストやミュージシャン、役者や舞台関係者たちは、個々のコンサートやライブイベントで飯食っているわけで、それが全面的に中止となれば、まさに収入は途絶えて生きていけやしない。
 また、観光バスの運転手、ガイド、旅館経営者たち、各種アミューズメント施設、さらには学校給食などに携わる方々等、街には人が出ないのだから客商売全般閑散として上がったりだ。全ての経済活動が停滞している間は、フリーでないとしても経営悪化でその会社組織じたいが倒産し、多くの労働者が失業となるのではないか。
 今、早くもリーマンショックや、東日本大震災のときよりも経済活動が低下しその損失は大きいと報じられているが、まさに国家的、いや全世界的「非常時」である。

 我は谷保かけこみ亭でこのところ毎月「月刊・共謀」コンサートを毎月末の土曜に企画しているわけだが、1月、2月の回は、まあ幸い何とか無事に終えられたが、正直この先については大いなる不安を抱いている。
 じっさい、そこかけこみ亭でも、予定されていた企画が「中止」されたりと、他のライブハウス、音楽イベントと規模は違えど同様の傾向が出始めている。困ったことである。
 この状況が、さらに数週間続けば、ライフハウスなどの箱ものだけでなく、イベント会社や照明、音響会社などすらもコンサート中止による多額なキャンセル料と言う負債も相まって次々と倒産していくと危惧されている。

 コロナウィルスが奪うのは、人命だけでなく、接客業という商売もだが、文化的、非文化的は問わず人間活動全般だと見えてきた。
 そしてまず何よりも、被害を受けるのは、「あってもなくてもいいようなもの」、つまり腹の足しにはならない「芸術・文化」関連の事業、企画であり、それに携わる人たちの生活と人生であろう。
 ともかく歯を食いしばってここを乗り切り、この新型ウイルス騒動が終息するのを待つしかない。

 トイレットペーパー、ティシュやマスクに関して我は微塵も不安は持たないが、「これから」の先行きについて、漠然とだがいったいこの国は、いや、世界中がどうなってしまうのか、大いに憂慮している。
 今、何ができるのか、何をどうすべきなのか、ずっと自問しているが答えは出ない。
 ※実はさらにそこに家庭の事情で、先日もひと騒動起こり「「心配事」に心囚われていた。が、何とかそれは一つ、収まったかのように思える。後ほど拙ブログで書き記していく。そう、我が父のことだ。
 
 昔からミュージシャンを殺すのには、刃物はいらぬ、客が行かねばそれで済むと言われてきた。
 じっさい、我が関わるフォークソングの世界でも、かつて世がバンドブームなどで停滞期にあったとき、客が入らず多くのシンガーがうたをやめて別の仕事に就いたし、中には失望のあまり自殺してしまった方もいた。
 今この状況では、ライブイベント自体が自粛を余儀なくされているのだから、そもそも休業補償もない彼らはいったいどうやって生活していけば良いのであろうか。まさにギターケースを抱えて路頭に迷うしかない。

 音楽とか演劇とか文化的事業は、そもそもが食えない仕事なのである。それでも熱いファンたちに支えられて彼らは何とかそれを続けてきた。いま、そのシステムというか、その関係じたいが、この新型ウィルスと安倍晋三の腹ひとつで大きく揺らいでいる。

 すべてが収まったときに、街に流れる音楽はどういうものであろうか。
 昭和20年、敗戦後の焼け跡には並木道子がうたうセンチメンタルな楽曲「りんごの唄」が流れたが・・・
 果たして、そこに「うた」はあるのか?文化は残っているか。