苦難の先の「生涯最良の一日」2020年04月26日 22時42分23秒

太田三造&ヘビータんたちも感染対策は万全に
★我は我の務めを無事に果たし終えられたか。

 腕時計を見て目を疑ったが、10時にはウチに帰って来れた。まあ当然か。コンサートが終わったのが7時半頃で、その後カンタンな懇親会を内内で残っている人たちで設けて、皆で軽く食事して店を出たのがまだ9時すぎだったのだからまあ当然の帰宅時間である。
 そして、今、今日は一日留守番していた犬の散歩終えてこれを記している。

 「共謀コンサート4月の回」改め、詩朗読とフォークソングの集いは盛況にはならずに、かといって無人形式ではなく、それなりの過密にならない程度の演者の知人、友人的お客様もぼちぼち来られて無事予定時間内に終了した。
 終えて今ほっとしている、と書きたいけれど、無事に開催できもっと感激し泣くかと思っていたが、来られた女性シンガーの顔見たとたん、いつも通りでいいんだと気づき、そして皆誰もが最良最善の、現下今できるベストのステージをご披露して頂いた。そう、まったくいつも通りの、いや、さらにこの閉塞状況だからこそ素晴らしい場を今回もつくりあげることができた。
 当日が来てしまえば苦難も何も何も大変なことはちっともなかった。出る側、シンガー、詩人たちはいつも通りに素晴らしく、その最良、ベストのステージを示してくれた。
 そう、我も皆もいつも通りのことを粛々とした。

 あえて書くが、ずっと自問していたのは、この今回のイベント、「緊急事態宣言」下、「ステイホーム週間」の中でまず中止という「自粛」をせずに催すことは正しいのか、悩み迷っていた。それは当日を迎えて今日もまだ。
 そして苦難と書いたが、終えて今はそれは苦難でも何でもなく、それはいつも通り当たり前にそこにあったものだったのだ気づく。
 我はそれを企画し手配し、その場を担当しただけに過ぎない。ただ、この情勢、周りがとやかく言い、誰もが過敏に自粛以前に「委縮」してしまっているから、我もまたあれこれ余計なことまで考え思い患いことさらに大変なことと思い込んでしまったに過ぎないと今気づく。

 そう、小池都知事たち、政治家の思惑、、自らの責任は棚に上げやたら危機意識を常に煽り立て、今ここで家にじっとして自粛しないと大変なことになるという、その要請に従わないと、その先は東京もロックダウンだぞ、という脅しに屈するところであった。
 我はともかく、周りはこれまで親しく懇意にしている人たち、ミュージシャンまでが、その要請を唯唯諾諾と受け容れて、今はじっと我慢しましょう!と言い、我の行動に、ご意見、ご批判もあって気の弱い我の心は大きく揺れ動いた。

 が、今日を終えて、我の確信は揺るぎないものとなった。フェイスブックに、そのフライヤーを上げてもほとんど誰も「いいね!」はつかなかったけれど。ならば、自分だけはこの自らの弱い魂を労り慰労してあげたいと思う。お前は間違ってなかったと。

 むろん奢って、自分のやっていること、目論むことが常に正義だとか理があるなんて思わない。このご時世、他者の流れを見て、同調するほうが理であり、結果として社会正義ということもあろう。それが時代の流れということだ。
 わざわざあえて天邪鬼に、社会の風紀や常識を乱して話題になることなど望まない。
 しかし、来られた出演者の多くからも、「この場が開いていて良かった。今日は出られて良かった」と暖かい望外のお言葉を頂き、いろいろ当日まであれこれ迷い悩み心労を重ねたが、やはり開催して良かった、これで良いのだと全てが報われた気がした。

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