新しい時代をどう生きていくか2020年05月10日 08時17分36秒

★ひとつの時代が終わった、と

 『君たちはどう生きるか』という、近年マンガ化されて再びベストセラーになった大昔の名作があるが、それの返答とすれば、『僕たちはどう生きるか』となろう。
 僕たちはともかくも、このところずっと「僕は」、どう生きるか、これからどう生きていくべきか、ずっと自問している。

 バカだからなかなか気づかなかったが、今ようやく事態がはっきりわかった。これまで続いてきた一つの時代が、この五月の大型連休を境に終わってしまったんだと。
 むろんそれはこのコロナウィルス流行禍が原因である。このところは感染者数発表の数字だけ見れば収束の傾向にあるようだが、まだ油断も予断もできないはずだし、ならば先は見えやしない。いつ元通りになるのかは。

 ただはっきりしていることは、これが収まり、元の社会生活が戻ったとしてもそれは、かつての日常、コロナ発生の前のものとは、大きく違ってしまっているということだ。
 そう、かつてあった良き時代は終わってしまったのだ。もう元通りにはなりはしない。

 この5月の大型連休、かつては毎年、僕は、大阪服部緑地での「祝・春一番コンサート」に通い続けていた。
 1970年代の、天王寺野外音楽堂にも十代の頃から行ったほどのフォークソングフリークであったから、再開後のそのコンサートもにも僕自身のフォークシーン「復帰後」は毎年ごと全日通い続けていた。
 ※「復帰」とは何か、については、我がブログで何度も書いて来たが、要するに高田渡の死後以降である。彼の死によってフォーク熱がぶり返し、中川五郎氏に手を引かれるようにしてフォークの世界に再び戻ったのだ。
 ぼくはそこで、気の合うほぼ同世代のコアなフォークマニアたちと出会い意気投合し、好きなシンガー、ミュージシャンを観ることに加えて、その場所で彼らと一年に一回「再会」することも大きな楽しみとなった。
 春が来ると毎年その5月の大型連休中の関西旅行の計画で胸はわくわくしていた。ときに10日近くも家を空けたこともある。
 その頃は、父も母も老いてもまだ何とか健在で、不安ながらも家のことは彼らに託して格安夜行バスで「春一」への旅を決行した。ついでに京都にも寄って、向うの知人たち、古川豪さんや詩人の有馬敲氏にも会うのを常にしていた。
 が、それも突然終わりの年が来た。それは東日本大震災の年だったと記憶する。
 とつぜん禁止となった写真撮影などで主催者の福岡風太と大げんかして、会場の出入りを禁じられて、録音や撮った写真など全てのデータは消されて、開催日の途中で急遽東京に帰ることになったからだ。

 今思うと、そこにもいくつもの原因があったことに気づく。風太と縁の深かった清志郎の死がまずあり、さらに彼の盟友、春一番運営の相方、阿部ちゃんの急死による風太の「独裁」体制完成である。
 風太と阿部ちゃんの二人三脚でやってきた「春一番」は、相方が消えたことにより、誰も彼の方針に異を唱える者、口を挟む者がなくなった。ここで彼の性格についてあれこれふれる気はないが、とかく狷介固陋気味のその人を和らげる「緩衝材」的な人が不在となったことで、春一はそこにあった春一独特の緩さ、自由さを突然失ってしまったのだ。

 大阪の春一番コンサートに通わなくなってから、ぼくは、あちこちのライブハウスや音楽酒場のようなところに毎週末ごと通うようになった。いや、それはその以前からのことだったが、それがよりいっそう。
 そこで五郎氏や古川豪さんを通して多くの素晴らしいシンガーの知己を得、岡大介やみほこん、館野公一さんたちと出会えた。
 そして自らの私的春一番だったと今気づく、「共謀コンサート」を、谷保かけこみ亭という素晴らしく自由かつ緩やかつ寛容な場を舞台に不定期ながら企画・開催するようになっていく。

 そして今年はついに毎月ごと、一年間の全12回、『月刊・共謀コンサート』としてこの春4月の回までコロナの嵐迫る中、ご批判も含めて多事多難の風を感じつつ何とか開催して来た。
 が、ついにこの大型連休後以降も「緊急事態宣言」継続の状況下、感染拡大予防のために店の意向で、店で企画していた他のコンサートも全て中止という流れの中で、今月5月の回から以降、開催の予定は未定となった。

 再開の予定は立たない。いや、立てられない。かけこみ亭自体は営業できたとしても、不特定多数のお客が、どれほど来られるのか予測も想定もできないコンサートというのは、感染拡大のリスクが大きく、そこが「三密」に当たるかはともかく、ほんとうに都内、国内が感染者ゼロとならないかぎり開催は難しいというのが「現実」なのだろう。
 今ようやくそのことをはっきり理解した。頭が悪いからなかなかわからなかったけれど、やっとわかった。マスクはどこであれ常に装着しないとならないし、レジに並ぶのにも一定の距離を取らないといけない。人はどのような理由であれ集まってはならないのだ。
 それが政府や御用学者たちが言う「新しい行動様式」ということなのだろう。

 そう、いつの間にかひとつの時代は終わり、新しい時代が始まっていたのだ。この5月の大型連休を境に。
 「春一」もそのときは漠然と、いつまでもこんなことが続くと、また来年もあると思っていた。が、父母の老化と衰弱は進み、特に母の癌罹患など我を取り巻く環境は彼らを介護する側面からも厳しくなって、そんな旅行の自由は狭まれていたわけで、春一出禁もある意味潮時だったのだと気づく。
 奇しくも今年の春一番コンサートも「自粛」余儀なくされたと聞く。今回こそ最期の春一とか、早くから噂されていたけれど、結果としてこれで幕引きとなるのか、それとも執拗な彼のことだから、ならば来年は必ずやりまっせ!!やったる、やったろうやないか!!と燃えるか。ともあれ我はもう関係も関心も一切ない。むろん彼は自分にとって両国フォークロアセンターの国崎さんと同様にフォークソングの「恩人」であることに変わりはないが。

 今思うのは、いったいこれから僕はどう生きていくか。コロナ以後の新しい時代に、何を、どうすべきかという「自らのこと」だけだ。
 世の中は、いや、時代は望む望まぬとはカンケイなく、あるとき突然、何かをきっかけにして大きく変わってしまう。人は少しづつしか変わらないのに対して実にダイナミックに大きく変わってしまう。
 ならば、そのとき人はどうその「変容」に対処、対応すべきか。生物学者たちが示したように、その突然の環境変化に対応できないものたちは、恐竜たちのように絶滅するしかないのであろうか。

 そう、全ては失ってから気づかされる。いつまでもずっと続くと思っていたけれど、あの良き時代はもう二度と戻らないのだと。
 さてこれから僕はどう生きるか、だ。

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