たとえそれが悪しきものでも我に訪れるものは受け容れていく2020年05月30日 19時48分54秒

★これは書くべきか大いに迷ったが

 霊的な世界やモノゴトって果たしてあるのだろうか。こんなこと書くと皆さんお嗤いになろうと思う。
 我もいちおう科学的社会主義を学んだ者として、そんな目に見えない非科学的な事物は、まやかしだと断言もできる。
 が、この世には、科学的にはどうしても説明できないことや、目に見えない考えても理解できない不可思議なこともあるのは絶対的真実であって、理解できなくても起こる不思議なことは確かにある。それは否定できないし、あったのに、なかったという立場をとるのは科学的ではない。原因不明でもやはりそれは事実でなのだから。

 このところ真夜中に玄関のチャイムが鳴る。深夜の2時とかまだ夜もあけぬ暗いうちで、最初は耳の迷いとか寝ぼけたかと思ったが、まだ寝てないとき、日中でも鳴るときがあって、その都度玄関戸を開けて外に出るのだが、人の気配はなく誰もいない。深夜のときは小心者ゆえ怖さと不安で正直ドキドキした。いったい誰が何の目的でウチを訪れるのかと独り身ゆえ本当に怖かった。
 ちょうど父が介護施設にお泊りに行っているときでもあって、父の体調に異変が起きたのかもと、ならば携帯に連絡があるかと、枕元に携帯を置いて一晩眠れない思いもした。

 実は先日のこと、とある友人のところに車で出かけ、そこの不要荷物の運び出しをした。
 そこは都内の高層マンションで、棟の最上階14階だったと思う。廊下通路からエレベータで下まで段ボール箱をいくつか何回かに分けて降ろしたのだが、運んでる途中の廊下でつい下を見下ろす妙に引っ張られられる場所がある。何故か必ずそこで立ち止まって下を見てしまう。
 何か不安な感じがしたので、後で訊いてみると、数年前その棟の通路から飛び降り自殺者が出たとのことだった。我がつい引かれた場所はどうもそこらしい。
 それ以降である。真夜中に、いや昼夜を問わずチャイムが鳴るようになったのは。参ったなあ、である。何かを連れてきてしまった、何かが我に憑いているのか。それは単なる迷信か。

 俗にこの世にはスピリチュアルな世界に詳しい人とか、霊感体質と呼ぶべき人たちがいる。いわゆる、江原さんや美輪さんたち、亡き宜保さんたち霊能力者の本もたくさん古本屋として扱って手にしてきた。
 彼らのように霊視したり、ときに悪霊をお祓いしたりするのは嘘くさいと思うし、そうした霊感商法「ビジネス」は、基本狐狸の類の起こすようなもので、まったく信じてはいなかった。それはきキリスト者のはしくれとして当然であろう。神は唯一なのだから。
 ただ聖書にも、悪霊の類は多々記録されていて、憑いたものを弟子たちは追い出すことはかなわなかったが、イエスはできたとはっきり書いてある箇所がいくつもある。ならば霊的世界は確実にあるのである。
 また、これは一度はきちんと書き記したいとかねてから考えていることだが、アルカシックレコードというようなものは確かにあって、かのエドガー・ケイシ―のような特異な霊能力者が実在したことは事実であると同時に、そうした現代科学では解明できない「世界」は、確かに存在することは間違いない。
 ただ我はちっとも霊感体質ではないはずだし、そうした幽霊のようなもの、霊的なものは見たことは一度もない。ただ、感ずるときはある。はっきりわからないが、感ずるとしばらく体調がおかしくなる。これは事実として。

 もう何年も前のこと、先年亡くなってしまった、精神を病んでいた友人が入院を余儀なくされていた精神病院に何回か見舞いに行った。
 彼に請われてのことだが行くのも何故か気が進まないだけではなく、行った後は必ず心身ともに体調がおかしくなっていつも一週間は寝込んでしまった。
 はっきり見えはないが、どんよりとした息詰まる「気」がそこには漂っていて、待合室というか、面会室にいるのも耐え難いほどだった。何でだか今もわからないが、イエスならば追い払えた悪霊のようなものがそこにはいたのだろうか我にはわからない。

 ただ、うちの真夜中のチャイムは、その自殺者の出た公団を訪れてから突然起こるようになり、真夜中にまず起こされたからだが、いったい何が原因なのか今もわからず、困惑し正直精神的にも消耗してしまった。これはブログに書くべきことではない。
 我の書くことは、たとえごく個人的些末なことでも、ある程度誰にでも起こる可能性がある、共有、共感可能なことを書くべきというスタンスでやってきた。
 が、今回の件は、きわめて特異な不可解かつ不穏な特殊事例であろう。誰にでも起こる事ではないし、そもそも我自ら理解できない。振り回されただ悩み困惑している。

 俗に霊障とかポルターガイストというものがあるとされている。ラップ音とかしたり、居る場所のないところに誰かがいたり、突然何かが動いたり起こるはずのないことが起こることだ。佐藤愛子の著作にもいくつかそうした不可解な事例がいくつも記されているし亡き色川武大の随筆にもぞっとするような話がさらっと書いてある。これはその類なのであろうか。

 今回のチャイム、これは確実に物理的かつ現実の話で、最初は真夜中の出来事だったから、誰かが深夜に来たのか、いたずらで誰か外からチャイムを鳴らしているのか、ほんとうに不安でならなかった。
 ドキドキしながら、「誰~!!」と叫びながら、明かりをいくつも点けて、防御する器具も手にしながら玄関戸を開けて外の気配を窺った。
 が、人の姿はなく、ウチの中にいる犬のベルコも特に騒いだり吠えたりはしないので、誰も人間はいないと次第に確信するようになった。
 じっさい日中でも、我が起きて下の部屋にいる時でも鳴って、慌てて外に出てみてもやはり誰もいない。
 単なる電気的故障や異常なのかと思うが、鳴るときは突然だし、ずっと鳴り続けることはなく、あくまでも誰かが来てチャイムを押しているようにしばらくすると鳴りやむ。不可解としか思えない。

 当初は、玄関戸の傍に設置してあるそのチャイム、つまりインターフォンを押してみると、確かにピンポンと鳴った。
 が、室内のその端末、奥の部屋で、表のそれを受けて返答できる機器もあれこれいじって鳴らないようにしたら、外から押しても反応しなくなった。もうこれで鳴らないと思って一安心したら、またその後も次の夜鳴ったのである。
 今度は、裏の部屋の壁に付いていたチャイムの音の出る部分も取り外した。もうこれで鳴るもの自体が無いのだから、と昨晩は枕高くして眠れた。
 しかし、今朝がた、父を施設に送り出すとき、もう鳴らないはずだと、スピーカー部は室内何処にもないはずなのに、またもやピンポーンと二回鳴った。壊れたのかもう通話はできないはずのインターフォンから鳴るのであろうか。本当に理解に苦しむ。

 思い余って友人に相談したら、単にその機器自体が古くなって誤作動起こすようになったのに過ぎないと断言されたが、じっさいそうだと考えるしかない。ただ何でいったい今もどういう仕組みで鳴り続けるのか、どうしてそれが突然始まったのか、本当に理解に苦しむ。こちらも振り回されて心身病んでしまい、睡眠不足にもなった。また今晩も鳴って我を起こすのであろうか。

 しかし今はこう考えることにした。それが単なる器具の異常であれ、あるいは霊的な何かの仕業、メッセージだとしても、我は全てを受け容れて行こうと。いたずらに怖れても仕方ない。
 たとえそれが悪しきものであろうともこの我に訪れるものは、抗わず受け容れていくべきであろうし、それしかできないではないか。

 全ては神の計らいなのである。この世らは理解できないことや科学でも解明できないことはいくらでもある。どれほどひどいことや理解に苦しむことでも起きる時は起こる。それは自然災害もこのコロナウィルスの流行も同様に。
 その都度悩み苦しみ逃れようとあたふたするよりも、ともかくその現実を前にして事態を冷静に対処してその都度、今できることをやっていくしかない。
 もう何であれ怖れない。そのことだけをまずここで記す。その先我に何が起ころうとも。まず今これを記しておく。誰も訪れはないのに真夜中に何故かチャイムが鳴ると。