「共謀コンサート」も含めすべて「再開」していきます。続き2020年07月03日 08時42分36秒

★どんなときでも「うたの場」を維持していく

 先にも書いたが、「共謀」コンサート開催の趣旨、コンセプトとは、同じ思いを抱きながらも分断されている人たちを、演者、観客の境をなくして一つに繋ぐ、結びつけること=新たな「共謀」の場として誰でも広く緩~く自由に参加を求めたくて始めたわけだ。
 いわば、より「密に」しっかりと新たな人間関係を再構築していこうとの思いからだった。
 しかしそれが、このコロナ下、人と人は集って密になってはならない、ソーシャルディスタンスやらで常に距離をとらねばならないとの「新しい生活様式」と相容れぬどころか、真逆の行為として、「自粛」という名目で禁止されてしまう。ならば、あえて抗いはしないまでもこのコロナファシズム、全体主義に抗議の意味も込めて、開催は中止するべきとも考えもした。
 
 が、多くの関係者、演者の方からも貴重なご意見を頂き、自らも考えに考えて気持ちは変わった。何であれ、どんな状況下でもその「灯」は消してはならないのだと。
 そこには現況の香港市民の苦境を知ったことも大きい。彼らの絶望、今の閉塞状況を思えば、我らの苦境などいかぼとのものかであろう。
 とにもかくにも表現の場があるのならば、そして広く世にカクサンする手段があるのならば、それを活用しない手はない。
 100%思い通りにならないからといってふてくされネグレクトする子供であってはならないのである。

 何であれ、ちょっとした躓きや不自由、不具合があったとき、それを理由にしてやめてしまうのならば、それはそれだけのものでしかない。
 このコロナ騒動下、うたの場がなくなったからと音楽活動を休止してしまった人は多いかもしれない。それは仕方ない現実だけれど、それを了として、そのまま音楽を手放してしまうのならば、それはそれだけのものでしかなかったということだろう。つまりそれは趣味、道楽の類だったんだと。
 この我も、自問した。ヒトを招くコンサートの場が設けられないからといって、「共謀」コンサートも含めて企画活動をここで終わりにしてしまうのならば、しょせんそれだけの思いでしかなかったということではないか、と。

 思いは誰にでもある。が、それはじっと自らの心の内に閉じ込めているのならば、誰にも伝わらない。誰も気づかない。何も変わらない。
 ほんの少しでも、少しづつでも外に出してカタチにして、「表現」していくこと。人と人の関係も含めて、世界を変えていくには目に見えるものや、声や言葉にして「表現」していくしかない。つまるところ「行動」である。
 そしてもう一つ大事なことは、それを続けていくことだ。もしそれが良いこと、良い習慣であるならば、どんなことであれ「反復と継続」していくことが肝心なのである。
 もし月一で、「゜うたの場」がまだ存在し続けるのならば、たとえ無観客でも、ともかくその場とその「習慣」を維持していこう。

 先のことはわからない。連日100人を超える感染者数が再び報告されている今、おそらく都知事選が終われば、またしても都と国は謀って、都と隣接諸県にまた再度の「緊急事態宣言」を出すことだろう。そしてまた再度の夜間外出禁止、飲食店の営業休止「要請」も。
 じっさいそうなれば、また店側も「休業」余儀なくされるだろうが、無理して抗いはしないが、そうした状況でもできる限りまた「共謀コンサート」は再開し継続していく。そのことを約束する。

 で、まず今月は、7月25日(土)。無観客だが、一部は、生配信する予定でいる。かけこみ亭のサイトから観れるように調整中だ。