ニューノーマルという「分断」の時代をどう生きていくか・中2020年07月19日 23時00分16秒

★コロナで分断された「人間」を、連帯と共闘・共謀へ

 自分は、昔は良かったとか、(青春時代の)あの頃に帰りたいなんて絶対に思わないが、それでもこのところ過ぎた日のことがただただ懐かしく思い出される。
 そんな昔のことではない。せいぜい10年ぐらい前、移動も含めて何でも自由にやれていた頃のことだ。

 毎年、4月末から5月の頭にかけての大型連休は、毎年恒例の旅行として、我は関西、大阪、京都へと夜行バスで出かけていた。短くても一週間は向うにいただろう。
 目的は、大阪郊外の公園で開かれていたフォークソングの祭典、野外コンサート『春一番』観覧のためで、若き日、1970年代に天王寺野音で開催していた頃からも含めれば通算で10回は通ったかと思う。
 そのコンサートは、長い時は、5日間にも及んだときもあったから、まずそれを観て、ついでに京都にも立ち寄ってその地の友人知人と会ったりもする、ときに10日間近くにもなったときもある、年に一度の我にとって旅道楽であった。
 そのコンサートに何回も通っているうちに、いつしか同好の士というか、ほぼ同世代のフォークソングマニアの音楽仲間もでき、彼らと年に一度その地で再会するのも大いなる楽しみになっていた。

 が、いろいろあって、我はそのコンサートの主宰者側とトラブルとなって出禁、いや、入場禁止となってしまい、大震災の年、その2011年の回を途中で追い出されてからは、恒例の音楽旅行は途絶えてしまった。※その理由についてはこれまでも拙ブログやあちこちで書いて来たからもう今さら書く気しない。その後も春一は続いていたが、ついに今春はコロナ禍でやむなく中止となったらしい。
 
 懐かしく思うのは、コンサートそのものよりも、友人となった音楽好きの仲間たちと西成の同じ安宿に泊まり、通天閣下やジャンジャン横丁で終演後集い吞んだり、朝も待ち合わせして二日酔い気分で御堂筋線で春一番会場へと向かったことなどだ。
 また京都で古本屋仲間と会ったり、詩人の有馬敲さんや敬愛するフォークシンガーのオクノさんや古川豪氏とそれぞれのお店で会い語らうのも恒例の楽しみであった。
 好きな音楽のライブ観覧ももちろん楽しみではあったが、何よりそうした向うでの人たちとの出会いこそが今はとても懐かしく思い出される。だが、それはもう二度と戻らない。

 春一へは、来年また再開されたとしても行くことはないし、京都へもぜひとも再訪したいと強く願うけれども今はもうとても旅行どころではない。コロナ禍で移動自粛以前に、我は今は母を亡くし、超高齢の父を一人で抱えているので家を空けられないのだ。手のかかる犬猫たちもいるし。
 かつてはそんなに長く毎年関西へ出向けたのは、まだ母が健在で、我の留守の期間の家のことは安心して任せられたし父も今ほど老衰は進んでいなかったからだ。
 それでも最後に行った年は、その母は癌という病に侵されたけれども手術で病巣は取り除かれ一時期ほぼ平癒へと回復していたので何とか行けた次第で、ある意味、無理を押して出向いたが故に結果として入場禁止となったわけで、やはり本来はその年は行くべきではなかったのだと後から深く思い至った。
 そして今、いずれにせよ、このコロナ下、かつてのように満席の夜行バスに揺られて気軽に旅に出て、現地で楽しく密な人間関係を築くということは難しい状況となってしまった。

 さておき、新元号令和が昨年5月に始まって一年少しが過ぎた。新元号に喜び沸き立っていたわけではないが、まさか令和とはこんな大変かつ困難な時代になるとは誰一人想像も予測もしなかっただろう。
 今思うと「平成」の世が懐かしく感じてしまうのは我だけか。平成とは、まさに平静ではなかったし、二度の大地震など様々な大災害や原発事故など悲惨な大事件も多々起きたけれどもまだそれは地域の異なる局所的なことであったと気づく。
 大震災も西日本なり東日本と、それぞれ離れた地域で起こったものだったから、被災した当事者たちを救援、支援すべく被災地に向けて災害ボランティアやあらゆる支援の輪は移動も含めてすぐに広がることができた。
 ※移動の自由はあったから、原発事故の避難としてフクシマから遠く離れた四国や九州、沖縄の地へと疎開も移住もできた。

 が、このコロナ禍は違う。まさに日本国中、北海道から沖縄までまんべんなく患者は拡散し、感染の怖れある「当事者」でない人は一人もいない。つい先日の九州をまたも襲った豪雨水害でも感染拡大の怖れのため「三密」を避けるべく県外からボランティアを集めることすらできやしないのだ。復興のため現地では多くの人手を切望し、支援に駆けつけたいと思う多くの人がいても感染対策上それは許されないのである。
 実に理不尽というかおかしなことだと思うが、それが人から人へと感染する、見えないウィルス故に、確かに避難所などで集団感染が起きる可能性も高い以上それも仕方ないのかと嘆息するしかない。
 そう、日本国中どこにも安全な場所はないし、どこにも逃げられないし逃げても県外者は逆に排斥されてしまう。

 コロナウィルスが怖いのは、感染したら死ぬとか苦しくてタイヘンということ以前に、いつ自分もうつるか、そして気づかずに周囲にうつすかもしれないという「恐怖」と「不安」であり、結果として予防策として常時マスクと手洗いと「三密」空間を避けるという「ニューノーマル」、新様式施行しか手はない。
 が、それは人間関係そのものをも破壊することではないのか。人と人との距離を取らねばならないということは、人間そのものの存在じたいを根底から否定している。

 人は、ヒトであるけれど、日本語では、「人間」と書く。つまるところ「人との間」、そのヒトとヒトとの「関係」こそがニンゲンなのだとわかる。
 コロナはどこかへの移動も含めて、人間が本来持ち得る、人類が長い間に築き希求して来た「人間性」じたいを破壊している。
 そう、コロナは、人と人との間を「分断」してしまったのだ。

 だからこそ、もう一度「連帯」が求められる。人が人として元通りにあるべくために、何ができるか、どうすべきか。
 少なくともそれはリモートやらテレワークやら、オンラインやら今までの関係の代替・代行策では置き換えられないのではないかと我は考えている。