まず明日のぼけまるの生前葬が終わってからだ2020年08月08日 21時51分28秒

★大変な時代だがいつも通りに

 またまた拙ブログ間が空いてしまった。もう誰も読んでくれないかもしれないが、我はまだ生きているし相変わらず何とか生きている。

 8月も一週間過ぎてしまった。暑さと忙しさと体調不良で、ともかく日々やり過ごすだけで精いっぱいでブログに向き合う時間がとれなかった。
 明日は、盟友、かけこみ亭のぼけまる氏の「生前葬」が国立である。まずはこれをスタッフとして無事終えてこの先のコトに向き合いたいと思っている。
 が、ともかく短くても近況を記す。

 一か月以上の長さだった異常な長梅雨は、8月の訪れと共にやっと終わった。そしてとたんに猛烈な暑さがやってきて、まあこれが例年の本当の真夏だと嬉しくも思いつつも、百歳近くの老人を抱える身として、急な暑さに戸惑い、その父の介護に追われて寝る間もなかった。
 何とか今朝、彼を施設に送り出せ、やっと自分のことに向き合えてこれを記している。そう、父も熱中症気味で体調崩していたのだ。※下痢と夜間の不穏が止まらず息子は睡眠時間すらゆっくりとれなかった。
 毎日曇り空や雨もよいで、うすら寒いのも困ったことだが、突然真夏日や今年一番の暑さ、熱帯夜となってしまうとまたそれは体調を崩す。 我も老人の域に入って来たから、先日来、父を朝方無理に抱き起した時の腰痛が完治せず、今も痛む腰をかばいながら何とか日々生活を続けている。
 
 問題のコロナウイルスは、今も日々感染者数が新たに増え続け、反比例して相変わらず政府、自公政権は一切何も対策とらずに、国民各自それぞれ自らの感染対策頼みという無責任さで、ゴートゥ何トラでお盆帰省も含めて旅行を奨励している。まさに経済優先の感染拡大推進策である。
 これが国家、為政者と呼べるのだろうかと思うが、まあ、これもこの政府に相応しい国民が選んだのだと、まさに亀は甲羅に合った穴を掘るのだなあと思うしかない。
 たぶん選挙が今あってもまたも安倍政権や小池都知事を何度でも民は選ぶのだろう。いや、誰も選挙なんか行かずに、ごく少数の数割の組織票で政治は一方的に決まっていく。無関心もまた信任なのだと気づく人は少ない。日本の民主主義は名ばかりだ。

 さておき、我にとってうたも音楽もこのブログも胸の内の思いは溢れるほどに溜まっている。が、反面、誰それのフェイスブックやツィッターのように、手短かに、日々の思いを、ちょこっと気軽にその都度タイムリーに思うままに発信出来たらどんなに楽かとも思う。
 我は、昔から何であれ書くからには、ツィッター的にちょこっと軽口的に短く記すことができやしない。常にある一定の長さと結末まで記さねば、つまりその姿勢でないと書くことができやしない。そう、いつだって結論あるき、で書きだしている。短く書けやしない。

 その分頭が悪く不器用なんだと思うが、今のような日々状況が移り変わり、先が見えない状況だと、けっきょく書くに追いつかずに思いばかり溜まって日々の動きにこのブログが追い付かない。結果として書こうと思ってたことも書けないまままた新たな状況が次々起こって、書けなかった思いだけがさらに溜まっていく。
 これはこれで苦しく辛い。結局今の時代は、小泉元首相的、あるいは大阪吉村知事的なワンフレーズの、その場その場の気の利いた短い発言だけが大衆の心をつかむのだと諦めるしかない。
 が、我は我だけの下手くそなマンネリのうたでも唄いつづるしかないわけで、その思いがある限り、常に我が内に溜まったものを吐きだしていくつもりだ。

 ブログは顔が見えない、ある意味、バーチャルな観客相手のオンラインのテレワークのようなものだが、このコロナ時代だからこそ、もう一度その「密度」を高めて反応、反響を確かめたいと願う。
 そのためにも我はできるだけ正直に、ありがまま、あるがままに思いや悩みも含めて自分を曝け出して、読み手と繋がりたいと思う。

 そう、こんな先の見えない時代だからこそ、ずっとこのところ考え続けていることがある。
 そう、このコロナ禍時代に、何をどうしていくか、何ができるか、だ。

 この「三密」禁止の、分断と断絶の時代だからこそ、人と人はもう一度どう結びついていくか、改めてその手段、道筋を模索していきたい。

 明日のぼまるの「生前葬」終えたら、このコロナ禍時代に今我が思うことを思う存分書き記していく。お付き合いください。一人でも。

ぼけまるの「生前葬」を終えて2020年08月09日 23時34分09秒

2020/8/9 ぼけまるの生前葬 葬儀写真画
★コロナ禍中、最高最良のイベントに、「生」で参加・体験できた喜び~生きているって素晴らしい!!

 谷保かけこみ亭のぼけまる氏の「生前葬」に行ってきた。いまもコーフン冷めやらぬ気持ちでこれを記す。
 このコロナ感染蔓延中、果たして開催できるかと危ぶまれたが、国立市民芸術小ホール・地下スタジオにて、昨日8/9日、彼の72歳の誕生日に合わせて無事大盛況のうちに終えられた。※むろん三密を避けるため客席数を半減させ万全の感染対策の上で。その報告をしていきたい。

 当日の様子は、かけこみ亭のHPから開演から終わりまでライブ配信されていて、またこれからも観覧できるようだから、ネットを通した「見た」方は多いかと思う。状況はそれで確認、知ることはできる。
 ただ、当日その場で、リアルに生で観た者として、その不安と感動、そして喜びはきちんと記しておかねばと思う。やはり「その場」にいた者の感想は、現場で生で楽しみ、体感した者だけ独自のものだろう。

 我にとって生涯心に残る素晴らしいコンサート、いや、イベントとなった。当初の予想よりはるかに素晴らしく大いに感心、感動させられた。
 我も含め誰もが老境に入って来て、友人知人の訃報が相継ぐ昨今、、ほけまる曰く、「葬式でしか会えないのはいやだ!!」、しかも死んでしまっては本人は葬式に来た人に何も言えないし何もできない、のだからと『72th Bithday Event!~ぼけまるのコンサート(その22)生前葬大会』として、当人は唄わず棺桶に入って彼の楽曲を参列者たちが唄う「コンサート」として当初は企画されていた。

 だから、我も毎度の彼が企画する音楽イベントだと思い、ある程度予測・想定し臨んだ。が、実際は全く違った。予想はいい意味で裏切られた。真に驚かされた。
 一言で言えば彼の葬式を題材にした唄と笑いと感動の「演芸バラエティショー」であった。そしてそれはとても良くできていた。ほんとうに感心させられた。まるで吉本の公演である。きちんとした舞台監督もいないと思うのに、全てがうまく進み、台本もよく練られていた。大いに楽しめた。

 葬儀の喪主、司会進行役として友人代表・館野公一が「葬儀」を進めるのだが、じっさいは、かけこみ亭の屋根裏に住む二匹のネズミが、狂言回しとして転換時に何度も登場しショートコントで場を動かしていく。  その合間に、縁のシンガーや友人たちが次々手際よくうたや思い出を語り、弔電だけでなく、今回参加できなかったミュージシャンたちからもサプライズで「リモート」でのメッセージが届く。そして最後は、全員で「死んでいない音頭」を踊ってぼけまる氏の今後の健勝とかけこみ亭の繁栄を祈り願った。

 午後1時過ぎから始まり休憩を挟んで5時半頃までの約4時間、我は涙が出るほど笑い大いに楽しめた。感動した。繰り返しになるが非常によくできた「演芸バラエティショー」であった。かけこみ亭という場に集った人たちの思いと力が結集した、奇跡の最良最高のイベントとなった。
 当日その場に、生で観客として立ち会った者として順次画像で流れを報告していきたい。
 ※登場した方々の了解はとっていないが、当日は「生配信」もしていたので、基本問題はないものと考え掲載していく。が、氏名・肩書、我からのコメントは極力付けないことにしていく。

 まずは、当日の祭壇から。これもすごく巧く描けていて感心した。まあ、じっさいのぼけまる本人はもっと「毒」のある人だが、葬儀写真としてはこれでいいのである。手前の花檀、線香立ても素晴らしく描かれている。手前の棺桶に、ぼけまる氏は眠っていることになっている。

ぼけまる生前葬を画像で・12020年08月10日 06時14分33秒

お二方、お疲れさまでした!!
★かけこみ亭に住むネズミ二匹。祖母とくいしんぼうの孫。

ぼけまる生前葬を画像で・22020年08月10日 06時24分12秒

★司会役の館野公一と遺影の巨大画

ぼけまる生前葬を画像で・32020年08月10日 06時31分07秒

★まずは本人を代表して1曲

ぼけまる生前葬を画像で・42020年08月10日 06時33分31秒

★さまよえる亡者に驚くネズミたち

ぼけまる生前葬を画像で・52020年08月10日 06時35分46秒

★店の常連客代表が弔辞を述べて

ぼけまる生前葬を画像で・62020年08月10日 06時37分42秒

★おちょこ&ゆきちゃん

ぼけまる生前葬を画像で・72020年08月11日 09時06分18秒

★またネズミたち登場

ぼけまる生前葬を画像で・82020年08月13日 09時10分55秒

★ゲスト