リモートでの「コンサート」を終えて思う・追記2020年07月29日 22時16分20秒

★顔が見える関係を今だからこそ築いていきたい

 ケータイやスマホが物心ついた頃から身近にあり、日常生活の必需品である今の若い人たちは当たり前だと思うだろうが、我のような旧い世代の者には、誰もがごく簡単にスマホ一つで文字や文章だけでなく画像や映像、音楽までも素人でもごくカンタンに世に発信できる時代が来るなんてまさに夢のように思える。
 昔はチラシや文集などの印刷ですら、自分でやるとしたらごく簡単にでもガリ版刷りや「プリントごっこ」でいろいろ下準備して一枚づつ手作業で刷っていくしかなかった。
 写真だってカメラは 広く一般大衆に普及したものの高級趣味として自宅に暗室つくって自ら現像、焼き付けいる人もいたけれど、フツーは街の写真屋やプリントショップという専門店に持ち込んで焼いてもらうしかなかった。
 映像などはまたさらに金のかかる趣味であり、自分の子どもの成長を動画で記録。保存したいとしたら、フジカなどの8ミリカメラでの1本僅か3分という方式しか手はなかった。
 音楽に至っては、カセットテープの普及により、誰もがラジカセやカセットデッキなどで宅録もできるようになったが、友人や恋人に配布はともかく、それを世に発表する方法は、各種オーデション、コンテストのようなものや関係者にそのカセットを直接送ってまず聴いてもらうしかなかった。
 何にせよ 自らでするとしたらどれもが非常に手間と時間、そして金もがかかり、またそのための作業は楽しくもあったが、誰もがすぐできる簡便なことでは絶対なかった。
 我も十代の頃、ガリ版での様々な文芸同人誌的なものや軽オフでのミニコミ誌、プリントゴッコでの漫画同人誌などあれこれ各種出した懐かしき思い出がある。
 また拙い自分のフォークソングも、テレコに録音して友人に配ったものだ。

 それが今日では、スマホ一つあれば、事故や火災などの現場の映像も個人でカンタンに撮影してそのまますぐさまネットにアップすることもできるし、文章も長い小説のようなものでも自らサイトを作って配信することも可能だし、音楽でさえ映像付きで、コンサートそのものを世界中に生配信できるのである。それもプロや専門家でなく誰でも素人がだ。
 昔なら世間にそれを発表するのに時間だけでなくひと手間もふた手間も、さらにはお金もかけなくてはできなかったことが、今ではスマホやパソコンなどネット環境にあれば誰でも即時世界中に発信できるのだ。
 まさに今は、昔の、隔世の感がわいてくる。ものすごく便利で簡便である。しかし、ではそれで人と人はより繋がったのか、人との関係は深まったのか。

 スマホとさまざまなSNSアプリの普及で、まったくの素人でもときには誰でもユーチューバ―やブロガーとして世の注目を集めるようになった。数々の人気者や話題になる人たちも登場している。有名タレントや芸能人でなくてもフォロワーなる人たちを何百人、何千人も抱えている人もいるようだ。これも実に21世紀的な現象だと感嘆感心してしまう。
 そうした事象についても思うところ多々あるが、話を戻して、コンサートの生配信についてである。
 今回は、フェイスブックの機能を使って無観客コンサートの途中から「生配信」をお願いしたのだが、こうした「リモートでの「観客」は、やはり観客とは言えないのではないか。
 YouTubeもだが、コンサートの映像などをこうして配信をすれば、そのコンサートに来れなかった人や関心がなかった人、こちらを知らなかった人たちにも見て、知ってもらえる。それはとても良いことで大きな意味と宣伝効果もある。
 が、同時配信で、見ながらすぐさま感想を映像上に書き込んでくれたとしても、観客は観客だとしてもやはりそれはただ「見た」のであって、その場に来て、じっさいの観客として体験してくれたのとはやはり根本的に異なる。
 何故なら我々、ステージ側からは、その「顔」が見えないからで、向き合う顔が見えて、良くも悪くも「反応」がその場ですぐ確認できてこそ「観客」であり、それがコンサートなのだと気がつく。
 よってやはり残念だが、リモートで「見る」ことと、じっさいの「観覧」、つまり「体験」とはまったく別なものだと言うしかない。むろん「見て」「知って」もらうこともちっとも悪いことではないしそこにも大きな意義と価値があろう。
 が・・・

 いつの頃か、YouTubeなどにプロの有名ミュージシャンでなくても、アマプロ問わず、様々な映像がアップされるようになって、我も時おり調べ者的に覗いてみることがある。
 内外問わず貴重なものや昔の懐かしいものなどまさに映像の宝庫であり、しかもタダで観覧できるとあれば、これは素晴らしいライフラリーである。
 そしてミュージシャンやシンガー自らがその音楽映像をアップしてることもあるが、ファンや関係者が撮ったライブのものも多く、画像の質も様々であることに気づく。
 巷では、グーグルで検索するがごとくに、YouTubeでよく知らないシンガーや楽曲を確認する人も多いかと思われる。じっさい、音楽好き仲間が集まってとあるシンガーの話題になったときなど、すぐさまスマホ取り出してYouTubeからそのシンガーのライブ映像を探し出し、その場で見せてくれたこともある。特に我が知らなかったシンガーの場合は。
 だが、我は基本的に、まだ生で見たことのない未知のシンガーやミュージシャンについてはその映像を見ないようにしている。
 というのは、じっさいのライブで観るのとYouTubeなどに上がったものとは出来が大きく違うことが多いからだ。画質も音質も違うだけでなく、その場の状況、雰囲気がわからないから、その「切り取られた」一部分だけで判断して、この人はこういう感じの人だ、と即断、決めつけてしまうのは大いに危険かつ誤りではないかと考えるからだ。

 我は、若い頃から人の話はろくに聞かず、それは友達が好きなかったからでもあるが、ともかく独断専行、自分勝手に自分のルールで生きてきた。それは、自分の目と耳で見たこと、聴いたこと以外は信じないということだ。
 そう、何であれ、体験してみないことには実際、ほんとうのことはわからない。特にそれは芸術こそ顕著で、何でもオリジナルかそれにできるだけ近いものに直接ふれるにこしたことはない。
 中でも音楽こそ、生の歌声、そのステージを観て評価、判断すべきはずのものであろう。YouTubeであれ、画質も音も悪い映像を見て、それでこんな感じのシンガーかと即断してしまうのは実に非礼なことだ。
 そしてそれはニンゲン関係もまた同様のはずで、我は百人の「顔の見えない」フォロワーよりも一人のそこにいる実際の「観客」が嬉しいし有難い。
 いや、これは音楽に関係する人は皆そう思っているはずだ。コンサートの告知に対して、100のいいね!よりも、一人の生の観客こそが有難いと。

 このコロナ感染拡大最中、人と人とが直に出会い集える場はきわめて難しい。しかし、だからこそ我は、これからも顔の見える関係をもう一度築けるよう、できるかぎりのことを模索していきたい。

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