母の死から4年、今は在るもの全てに感謝したい2020年09月11日 12時42分29秒

★ようやく自分の人生がこれから始まる

 私事を書かせていただく。
 2016年9月8日、今からちょうど4年前、我の母は死んだ。早いもので指折り数えてみるとまるまる4年が経つことになる。その命日に考えたことなど、今の気持ちを記す。

 あの日から4年。その間に、我の周りでは何人かの大事な人たちが老いも若きも逝き、家族の一員である犬猫も何匹も死んだ。我も還暦を過ぎた。
 しかしいちばん大事な我が父も我自身も、そして我の大切に思う人たちは幸いにして未だ健在でただただ有難いことだと思うしかない。こんな時代なのだ。何があってもおかしくはない。ならば神に感謝、である。
 特に父は、亡き母より5歳は年長だったのだから、母が死んだとき、既に九十は卒えてたわけで、ついに来月、誕生日がくれば何と96歳となる。

 ちょっと信じられない気がするし、同世代の友人知人を見回してもそんな長生きしてている親がいる人はいない。いたとしてももはや寝たきりで介護病院施設などに預けて生活は共にしていないだろう。
 父はもう呆けに加えてほとんど歩けず、ろくに食べられず排便排尿は紙オムツの中に垂れ流しとなりまさに命は風前の灯火という感であるが、それでも大正生まれの元日本兵は頑健で、嚥下障害など誤嚥性肺炎の怖れはあっても内臓的にはどこも病気はないようなので廃人一歩手前となってもどっこい生きているのである。

 彼の介護に疲弊するときなど、我は、息子のほうが先に逝くかもしれないという不安に襲われることがままある。何しろ全盛期は、六尺男、つまり180㎝近くの身長と体重80キロを越す大男で老いても彼の妹弟たちが呆れるほどの健啖家だったから、今は骨と皮に老いさらばえても基礎体力がそもそも我らと違うのだ。
 大陸の苦難の戦地から無事帰還できた元日本兵は、日々衰弱は進み明日をも知れぬとはいえ、おそらくこの冬を超えて来春はともかく、来年の正月はたぶん迎えられるかと思う。そう、コロナにも負けずに。

 母も長生きしたほうだが、米寿を迎えられずに死んだとき、我はまさに想定外という思いがした。年長である父のほうが先に逝くと我も母自身も予想していたから、母亡きあとまさか父と我の男同士、二人きりでこの家で暮らしていくなんてまったく考えも想像もしていなかった。
 その父は今は週のうちかなりの日数を二か所の介護施設で介護保険をフルに利用してお泊りに行ってくれているから、我の介護する負担はだいぶ軽くなった。
 が、それでもこのところまた不穏が起きて来たから昼寝でも夜中でも寝かしつけても徘徊や妄動があるのでまったく気が休まらない。
 父がいるときは、夜勤警備員のように、横になったとしても数時間だけ、それも階下の父の部屋の物音に耳を澄ませながらだから、寝た気はしない。
 父を先に寝かしつけて0時過ぎに我も寝たとしても明け方にオムツ交換しないとならないし、ヘタに長く寝かせると父は自ら汚れたオムツを脱ぎ捨てて何も穿かずに寝たりするのでシーツはマットまで大世界地図である。
 昔は大食いでいくらでも食べられた人でもさすがにこのところは食も細くなり、しかもすくにむせて誤嚥する可能性が高いから、毎食食べさせるだけで一苦労である。食べないからと叱って無理強いすると一気に吐き戻したりもする。
 頭も、このところは収まっているが、些細なことに囚われ大騒ぎしたりもするし、おっかさんは、どこ行った!?こんな夜中なのに帰って来ない、と妻が死んだことをも忘れて我にしつこく繰り返し問うこともある。まさに泣きたい気分となる。
 もう、かつての几帳面かつ温和な性格は消えてしまい、ときに暴れもするし、繰り返す妄動や妄言暴言、徘徊行為にこちらも何度もキレたり、つい暴力行為を(お互いに)ふるうことも何度もあった。
 父は壊れてしまった、キチガイになってしまったと嘆き悩んだ日も多々ある。昔から我とは気が合わず、あまり親しい仲ではなかった老人と男二人の4年間、母不在の生活はまさに苦しく耐え難く、辛酸佳境に入るという言葉しかなかった。
 結果として、父が介護施設に行ってる間も我は疲れ果て寝込み、体調もすぐれず最愛の母の死の痛手も大きく何もかもやる気が失せ、すべてがネグレクトしてしまい、我家は今も内外ゴミ屋敷である。
 その有様に見かねたご近所がとうとう市に通報したらしく、先日は市職が訪れて来て、せめてお宅の道端、道路に出ている「ゴミ」だけでも片づけろと「通告」してきた。ゴミだと言う意識はなかったのだが、渡る世間は鬼ばかりという言葉が頭をよぎった。そう、全て自分が悪いのである。世間様から指弾されるにはそれなりの理由があろう。

 そしてそれはこのブログも同じことで、ネグレクトしたり書くことが亡くなったわけではないが、我の性格上、書くからにはきちんと時間かけられる状態でないと書き始められず、このところはともかく慌ただしいのと体調も悪かったり父の世話で疲れ果てていたりと書きだす「きっかけ」、つまりアティチュードというようなものがつかめず、ずっと更新できなかった。
 誰それのフェイスブックのように、日々思った事や出来事、したことなどを手短かに次々アップできたらと思う。が、我のスタイルはこれまでもそうであったように常に冗長、だらだらが基本姿勢だからそうはできやしない。
 何よりも我はバカだから、書く題材は決めていたとしても書きながら考えて、しだいにカタチにしていく形式だから、いきおい長くなるのは当然なのである。気の利いたことをツィッターのように、的確に「発言」できないしそもそもそんな気もない。また「いいね!」という反応、反響も求めはしない。
 顔の思い浮かべられるごくごく何人かの人たちが読んでくれる、いや、そう想定して彼らのために身辺報告も兼ねて書き記している。

 ともかく、この母の死後の4年間、ようやく喪の期間、死後の後片付け、それも現実の物的なことではなく、「心の後片づけ」がようやく終わったという気が今はしている。母が死んだ日の朝のような静謐な空気を感じている。
 母が死んだことは我の生涯最大の痛手であり、その痛恨の思いは何も変わらないが、今はようやくその死すらも肯定できずとも容認できる。もしそのまま今も母は元気で共に暮らしていたら、我は相変わらず全てを母任せにしてかつてのようにライブに旅行にと遊びまくっていたことだろう。まさにキリギリス生活は今も続いていた。
 しかし永遠の夏がないように、いつか季節は変わり、秋が来てやがては寒い冬が来る。母が死に、我に突然秋が来て、しかも不仲の父との二人だけの密接な暮らしが始まった。まさに身動きとれなくなった。自分のことは何一つできなくなってしまった。

 しかし、親はいつまでも生きていないし、いつかは人は一人で生きて自分のコトを自ら始末つけなくてはならない。これがやさしく理解ある妻や子が傍らにいたらまた話は違ったかもしれないが、我はそもそも一人で生きていくしかなかったのだから、未来永劫、母に頼ることは無理だった。ならば、こうして4年間、亡き母のことを思い何度も夢にも見、反芻し尽くし、今ようやく「過去」として記憶のフォルダに入れることができる。
 今風の言葉でいえば、新しいステージに移ったという感じだ。

 そして父とのことも、結局のところ、父という人間を深く知り味わい尽くすためにもこの4年間は必要だったのだと今は思える。
 我は母とは何でも語り合い、気も合い何でも無理が言え甘え尽くしたわけだが、父とはそもそも別人格であり、本当のところは何一つよくわかっていなかった。もし父が先に逝っていたら、いや、母の後を追うようにいなくなってしまっていたら、我は父のことは何も知らずに、わからないまま彼を喪っていたただろう。

 ならばすべてこれで良いのである。この四年、常に思い返しては母の愛の深さに今さらながら思い至り、ただ申し訳なく何度も何度も心中詫びてきたし、老いの行く末の姿として父のどうしようもなさに、我を構成するものを多々見出すこともできた。実に父と我はそっくりであった。
 まさに我はこの二人の顛末であった。拙い愛の結末だった。

 父は元気だといってもおそらく数年内には間違いなく死ぬ。いや、数か月先かもしれないし、近くある朝、我が彼の部屋の戸を開けたらもう息していないかもしれない。
 そしてようやくそこから、いや、父がいつまでも生きていたとしても我の本当の人生はそこから始まる。

 情けなく恥ずかしい話だが、世間の人ならば、就職して親元を離れたときや結婚したときに、そうして「我が人生=自分の人生」を開始しているのだと思う。
 我はほぼずっと親元に、親たちと一緒にいたから、自分のひとりの人生を生きてこなかった。老いた老親の世話をしているつもりだったが、実際は彼らに精神的にも経済的にも大いに依存していたのだ。母を亡くしてそのことを痛感した。母無しでは何一つできない自分がいた。

 ともあれ、実のところ一時期はもうブログも終わりにしようと考えもしたが、まだまだ書きたいことや書くべきことも多々あるような気がする。
 毎度同じうたで聞き飽きた、いや読み飽きたと思われるだろうが、しょせん営利目的でもないし、読み手は一円も損はしないのだから、読んでくれる人がいたらば幸い、という気持ちでこれからも続けていく。
 我には自分にしか書けないことがある、と信じて。そう、読み手にはこここの読み手しか読めないものを書いていく。

 今は、まだ我に、我の周りに在るものすぺてが有難い。ただただ感謝している。皆、生きて未だここに在る。それもこれも全ては神の計らい、神の愛の現れなのだと思う。
 こんな人間が父をも含め、死なずにまだ生き永らえていることだけで奇跡のように思える。まさに神に感謝、である。