申しわけないが調子が悪い2020年10月01日 23時59分08秒

★新しい月、中秋の名月の下に

 10月に入った。またまたブログ間が空いてしまった。
 このところめっきり涼しくなって、ときには肌寒い日すらあって、我の持病、寒暖差アレルギーが起きたらしく鼻水や咳、微熱などの風邪の初期症状のような状態が続いている。

 コロナではないと信ずるが、母が生きていた頃から我は季節の変わり目には必ず風邪ひいたような体調が何週間も、ときに一か月以上も続き体調を崩す。特に秋口になると必ず。
 寒いなり暑いなりその気温の状態が安定すればそれは収まるのだが、先月のように残暑まだ厳しい日々から一気に気温が下がり涼しくなってきたり、朝晩は冷え込むようになっても日中は汗ばむほど気温が上がる日があると、その「寒暖差」、つまり気温の上げ下げに身体が対応できずアレルギー症状が出るわけだ。

 そしてそれに加えて、数年前に起きた足の裏の激しい痛み、「足底筋膜炎」も右足だけだが、再発して痛くて歩けないというほどではないが、片足を引きずって歩いている。
 さらに慢性的もう一つの持病、人様には公言するのは憚れる下の病気、過活動膀胱も悪化して、外ではまず起こらないが、家にいて、特に寝起きのときなど、小便が我慢できず毎回垂れ流しの状態となっている。トイレに行くまで我慢できないのだ。
 このままだと父の尿漏れパンツも借用しないと対応できないと真剣に検討中だ。しかし我はまだ60代前半なのである。この先どうなってしまうのか。
 そこに我の失態、積年ネグレクトして来たツケから猫が増殖してしまい、今初めてここに記すが、今も大小10数匹の猫が我が家にはいて、その世話で経済的精神的にももう限界気味なのである。
 間もなく96歳になる、超年寄りを抱えて、父が在宅でないときも、そうした体調の悪さに加えて猫たちに起こされたりで睡眠不足が続き、もうフラフラヘラヘラだった。さらに加えて我の唯一の糧、古本稼業もあり、細々とだが、注文あればそれに迅速に応えないと店子は家主のAmazon様からペナルティをくらう。※その脅し、「警告」がすごいんですよ。

 以前のように落ち着いてのんびりブログ書き、世のあれこれに思うところをまさに徒然なるままにだらだら書き進められた頃が懐かしくさえ思う。
 まさに申し訳ないが、今は日々何とか生きていく、つまりその日を無事に乗り切るだけで精いっぱいギリギリで。日々の出来事すらブログで書く時間も気力もない。もし、その時間あれば30分でも長く寝ていたいというのが正直な気持ちなのだ。
 
 父が逝けば、我はその世話から解放されて楽に自由になれるかというと、ウチの基本的収入である父の年金が途絶えるわけで、またそれはそこから新たな地獄が始まるだけのことでしかない。
 
 このところ芸能人の自殺が相次ぎ報じられているが、実のところそれは知名度高い有名人だから騒がれるだけのことで、まさに氷山の一角でしかなくその裏には大勢の無名の一般人の自死が激増しているのではないか。
 そこにどのように影響しているかはっきりしなくても間違いなくこのコロナ禍で新たに強いられた「新しい日常」が影を落としていることは間違いないと我は考える。

 人と人との距離をとることが推奨される社会は実におかしい異常な世界であり、移動の自粛も含め日々のストレスを発散する場すら、「三密」だからと奪われてしまえば、人は孤独のうちに自死するしかない。
 芸能人は世間の目が常にあるから特にストレスが大きく、ましてこのコロナで多忙のはずの仕事もなくなり社会的繋がりを失えば、結果誰にも悩みを相談できず突発的に自死を選ぶのだと我は想像する。

 我も体調に加えて、これからのこと、先の「問題」について真夜中に目覚めたときなど考え出すと、先年亡くなった友人T氏の口癖「暗澹たる気持ち」に囚われまさに絶望的になる。いったいどうしたらいいのだろう。もうダメなのではないか。どうしようもないと絶望的気分なってしまう。
 が、我には拙くとも我の音楽と神が在るから、自死は選ばないし、それで解決しようとは今は思いもしない。もしそれで人生を終わらせられたとしてもそれは根本解決ではなく、まさに「逃げた」だけのことでしかなく、あの世で後々までも地獄の業火に焼かれるだけのことだ。
 そう、これまでも我はずっと嫌なことや面倒なことなど誰もが当たり前にすべき人生からひたすら「逃げて」きたが、最後の最後までそれはしないしできやしない。

 いや、これは真実、真理の話で、古本稼業の傍ら、何十年も手元に来た様々な「あの世」について書かれた古今東西の記録本、研究書を読んで、宗教でなくとも「あの世」、「死後の世界」は存在するし、自死も含めて「殺人」はその責務をまさに死後も償うことを認識したからだ。ならばこそ地獄はこの世で迎えるしかない。いかにしっかり向き合えるかだ。
 いや、地獄は、自業として自らが招いたと同時に、与えられた荷であるのだから、やはりその荷を背負い続けて一生を終えねばならないはずだ。
 よく神はその人が背負えない荷物は与えないというが、正直なところ我はそれすら疑わしいとおもうときが多々ある。この世は悲哀の海だから。
 が、同病相憐れむという俚諺のとおり、困窮にあり悩み苦しむ者たちこそ共に手をとりあい荷は分け合えないとしても励まし慰労し合えるのではないか。何も解決しなくともそこに救いはあると我は信ずる。
 だが問題はコロナウイルスはそうした密接かつ大切な「人間関係」を感染拡大に繋がるからと禁止してしまったことだ。いや、それは専門分野のことしか頭にない非常識な「専門家」たちの謂いか。それを「ニューノーマル」とか「新しい生活習慣」と言い切ってしまう政治家たちのデリカシーのなさよ。

 と、書きだせば、つらつらととめどなくいくらでも書ける。が、気がつけば午前1時を回って日付は変わってしまった。今晩は父が在宅で、明日明け方もオムツ交換に我は起きないとならない。寝る時間がなくなってしまう。
 体調が悪いので、父を送り出す明後日、土曜日の朝まではブログは書けないと、それだけ告知として載せるはずだった。が、こんなに長くなる。
 ともあれ、間は空いたとしてもブログ書き足し続けている間は我はまだ生きていると思ってほしい。一か月も断りなく途絶えてしまったときは、とうとう何かの理由で死んだと思って間違いない。ご了解願います。