人の死に方考2020年10月03日 21時23分00秒

★我が父、いよいよ末期のときが近づいて来たこと

 また極私的なことを書かせてもらう。関心ない方は読まないで頂きたい。縁起でもないと思われるだろうが人の死に方について思うところを書く。

 今日は土曜。朝方父を民家型お泊りデイサービスの介護施設に送り出して午前は買い物とか用事を済ませたあと、昼過ぎから自転車走らせ東中神の銭湯に行き、久々に身体を丁寧に洗い広い湯船で手足を伸ばしのんびり湯に浸かって来た。そこは小さいながらも露天風呂もある。きちんと湯に入るのは何週間ぶりのことか。

 帰り道、銭湯向かいの肉屋で揚げたてのコロッケとメンチを買い、齧りながらコンビニで缶酎ハイも買って、ほろ酔い気分でウチに戻り倒れ込むように夕方まで深く眠った。
 起きたらもう外は暗かった。でも久しぶりに寝足りた気分で身体も心もスッキリしている。
 犬猫たちに餌もやって、家事は一段落、とりあえず今9時すぎ、二階の自室でパソコンに向かっている。

 我が父は、このところ二か所の介護施設に通い、そこでお泊りもして家に帰ってくるのは、月曜と木曜の夕方で、月曜は翌日火曜日の朝、また別施設に送り出す。
 が、金曜は終日家にいて、医師の訪問診察や、看護師の訪問が交互にある。そしてまた土曜の朝施設に送り出す。つまり木曜の夜から金曜一日、晩も含めて二晩は在宅で我が面倒見ないとならない。
 が、このところまた呆けが進んで、夕方昼寝でもさせてしまうと、深夜に戸をこじ開け外に出ようと徘徊したり、穿かせた尿漏れ防止パンツを自ら脱ぎ捨て、下半身裸で眠ってシーツに小便で世界地図を広げるので、こちらはおちおち深く眠ることはできやしない。

 夜もテレビでも観せて、できるだけ遅くまで眠らせないようにして、何枚も尿漏れ防止のためバッドやパンツをきちんとセットしてそれからとに戸に鍵かけて部屋から出ないようにして寝かせる。
 寝かしつけたと思っても気を緩めると深夜に戸を自ら無理やりバカ力でこじ開け、何のつもりが真冬でも裸同然のかっこうで外に出たりするので、我は寝てても気は休まらない。常に物音に耳をすませ、衣類も着たままで仮眠状態でうとうとして、明け方必ず一度起きて彼のオムツを交換する。
 それが一晩ならさほど辛くないが、木曜、金曜の晩と二晩続くと睡眠不足でフラフラになってくる。父がいる時は日中も昼寝はできない。目を離すと何をしでかすかわからないのだ。いや、何もしなくてもうつらうつらさせると今度は夜中が怖い。

 このところ、我が責を負う「月刊・共謀コンサート」は毎月ごと月末の土曜日開催ということが多いから、そんなで二晩ほぼ不眠で場に臨むのは体調がしんどくて、たいがいその前日の晩、金曜の夜から夕飯はウチで済ませた上、車でお泊り施設に一晩早く連れて行くようにしている。利用料はかさむが、そうでもしないと土曜の朝に父を送り出したのではコンサートの準備も我の体調も取り戻せない。

 その父は、今月の21日が誕生日だということだから、大正13年生だから、何と96歳となる。そしてさすがにこのところますます老化による衰弱は進んできた。
 施設にお泊りさせる日は多いとしても、週の内三晩は、帰宅し在宅で我が世話しているわけだが、食事も下の世話も移動もいよいよ限界に近いとこのところ痛切に感じるようになってきている。
 先日、市がやってる特定健診があり、我は父つれてかかりつけの病院の診療所に行ってきた。肺のレントゲンやら血液や尿検査、心電図などとってきた。つまりミニドックである。

 その結果は未だ返されていないのだが、訪問診察のとき、担当医からは腎臓の数値が悪化していると告げられた。彼のパソコンに入ってる父のカルテには既にデータが届いたようだ。このまま進むと透析となるかもと。
 今通っている介護施設にもそのことを連絡した。むろん向うでもできるだけ塩分は控える食事は出ているとは思うが、ウチでもまた極力塩分は減らすよう毎食注意しないとならないわけで、誤嚥での吞み込みだけでなくまた新たにタイヘンな状態に入って来たという思いにとらわれた。そしてこれが超長生きした人の末期の状態なのかと感慨を持った。

 もはやほとんど自力で歩けない、吞み込みも悪くなって食べられない、排便も大小無自覚で常時垂れ流し、記憶も思考力も衰え曖昧となっている。
 身体のうち内臓だけは若い時から丈夫で健啖家だったからこの大男は今まで(結核は若い時患ったが、以外の)大病もせず元気でこの歳まで生きられたのだと思うが、とうとう腎臓もダメになったのだ。
 多臓器不全という言葉がある。老衰による、という「死因」もある。百歳近くまでほんとうに長生きしてしまうと、人はこうして我が父のように頭も身体も何もかも全てが衰えて、大木が樹勢が衰えやがて枯れ朽ちてついに倒れるがごとくに終わりのときを迎えるのだと我は知った。

 人の生、つまり人が生まれるにあたっては、そのカタチはほぼ大差ないと思う。異論はあろう。むろん難産や流産、そして死産などそこにも様々なドラマが多々あると。
 しかし、産まれたその後のことはともかく、産まれる姿はその死期のときと比べればさほど誰もが大差はない。
 が、死のとき、死に臨む姿はまさに人さまざまで、誰一人同じあり方はないと我はつくづく思う。まさに人の数だけ「死に方」はあるのだと。

 事故や自殺はともかく、一番多いのは、癌や心筋梗塞や脳卒中などの病死というパターンだが、それだってあっという間に治療のかいもなく逝くということもあれば、いくつも難病を抱えつつも存外しぶとくなかなか死なない人も多々いる。
 が、進行性の病気での死は、我が母の場合もだが、そこにある道筋、ストーリーが見いだせる。母のことを今思うとき、どうしてその死に向かう列車に乗せてしまったのか、どの段階で見誤ったのか今もずっと自問再考している。

 医師たちの言うがままに唯唯諾諾従っていたから母の乗せられた列車はあの行きだったと今にして思う。そう、医者たちは笑顔の裏でその行き先は早くからはっきりわかっていたのだ。ただ、その行き先は母にも家族にもきちんと知らせなかったのだと。
 また、それすらも母の人生の結末、運命だったのだとも今は思える。ならばこそ、どうしてもっとやさしくできなかったか!という慙愧と悔恨の思いは死後時間と共に今もさらに強くなっている。

 そういうカタチの死のあり方がある一方、父のように行き先がはっきり見えない、いつどこに到着するかすら定かでない死に方もある。
 母のように頭は死ぬ直前でもはっきりしていて、意識もある死はさぞつらいかとも考えるが、父のように何もかも判別できなくなって、ある意味人格崩壊して死んでいくというのもまたそれは辛いのではないか。
何もかもわからなくなってやがて眠るように死ぬというのが理想的なのか、自分にはわからない。
 ただ、はっきりしていることは死は、死ぬときすらも自分では選べない、ということだ。
 人は無意識のうち、無人格のうちにこの世に産まれて来る。自分では何もわからないし何一つできやしない。
 ならば死ぬときもまた同様に、自らの手で何か下すことはしてはならないのではないか。
 いずれにせよ、生ある者、生を受けた者は誰もが必ず死ぬ。天国地獄に限らずあの世があろうとながろうと、そことは没交渉なのだから、あくまでも現世だけが人生なのだ。
 ならばこそどんな死に方でも、それは生きているからということであり、短くても長くてもまさに人は一生懸命生きなくてはならないのだと気づく。自ら命を絶つことはできない。

 我は、我が父母から二つの極端な死に方を知らされ、いや、示されて、生きることの意味を教えられている。
 それもまた父母の愛なのだと今知る。有難いことではないか。

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