形骸にすぎないとしても生きていることに意義と意味がある2020年10月21日 23時58分17秒

★我が父、満96歳の誕生日に

 今日10月21日は、大正13年生まれの我が父の誕生日である。今年は年男だから、なんと96歳になる。
 母が死んで4年、我一人で何とか面倒見て来てついにここまで来た。決して平穏無事に歳月を重ねたというわけではない。老いさらばえた父と還暦過ぎた、老いてゆく息子との男同士の生活は、ある意味辛酸の極みでもあり、何度キレて殺しそうになったかわからない。
 通ってる施設の職員から暴行が疑われると通報があり、市の福祉課が乗り込んできて我ら当事者の意向を全く無視して「保護」されそうになったこともあった。
 このところはさすがに老化衰弱も極まり、深夜に徘徊して外に出たり妄動や暴言は収まって来たが、介護の度はさらに高まってきて、いよいよ最終介護施設に死ぬまで入所の日は近いとひしひし感じている。

 もういつ死んでもまったく不思議ではない歳まで生きたわけで、あと一年またさらに馬齢を重ねられたとしてもこの家で暮らすのはまず難しいとはっきり思える。
 何しろ足腰が萎えて、自力ではほとんど歩けない。介護施設では車椅子に乗せられ移動しているがウチでは車椅子は入らない。何かに掴まってからうじて立ち上がれたとしても歩き出したとたんよろけて転倒するのも日常的だ。
 また、このところ食べるのもかなり難しく、吞み込む力がさらに衰えたのでいつまた誤嚥性肺炎を起こすかその危険度は高まってきている。食も細くなってさらに痩せて来ているのでつい無理して促すと吐き戻してしまう。
 排便排尿は、もう常時紙パンツの中に垂れ流しだからさほど問題はないけれど、呆けがこれ以上進むと就寝中など、息子の目が届かないとき、それを自ら脱ぎ捨て糞尿まみれとなるかもしれない。
 じっさい寝ながら無意識にオムツを自ら外すのは夏場などこれまでも何度もあり、幸いにしてシーツと敷布団に世界地図を広げる程度で済んでるが、大便をあちこち撒き散らすまで痴呆となればもうアウトである。とても我一人で処理できなくなる。

 いまはもう死の瀬戸際というだけでなく、全てがギリギリ、限界となってきていて、人はここまで長生きするとこんなにまで頭も身体もダメになるのか!!という驚きと嘆きとが合わさった感心状態でいる。
 そう、頑健な体質に生まれて、酒もタバコもやらず、癌などの進行性の病に罹らなければ、結果として人はここまで生きられるのである。別に彼の行いが良かったとか、健康に常に自ら気を付けていたからではまったくない。
 今の時代は、医療じたいも、介護保険など介護体制も進んでいるから人は特に病気や事故に遭わない限り誰もが基本長生きできるのである。

 ただ、ここまで何もかもできなく、わからなくなってしまった父を見ていると、往年の几帳面で様々なことに興味やこだわりを強く持っていたかつての父は完全にすがたを消してしまったと情けなくも悲しくも思える。
 今の父は、まさに今はただ生きてここに在る、というだけの形骸であり、長生きと引き換えに、彼は彼自身の個性、ある意味「人間性」をも失ってしまったのだ。つまるところ今の父は抜け殻である。
 「形骸」という言葉で思い出すのは、今できもう誰もあまり語らないが亡き江藤淳のことである。自殺した彼の遺書にその言葉があったと記憶する。

 文芸評論の大家として戦後の文壇、論壇をけん引した江藤の業績や仕事については今ここでふれない。
 ただ彼の死は、ときどきこの我にも喉に刺さった小骨のように、我が心に痛みを走らせる。彼は1999年、自死したのだ。
 彼はその前年、愛妻を癌で亡くし、彼も脳梗塞で半身不随となり、夫婦には子もなく、飼っていたペットも手放して自ら自宅の風呂場で剃刀で手を切って自死したのである。今調べて歳を確認して驚いた。66歳とある。
 我の記憶ではもっと老齢、高齢でと思い込んでいたが、今の我の齢とほとんど変わらないではないか。

 その彼の遺書には確か「今の自分は形骸に過ぎず」と記してあったと記憶する。つまり、妻も先に逝き、自らも脳梗塞で不随となり何一つできなくなってしまい、絶望し自分を形骸だと断じ、ゆえに生きている意味がないとして死を選んだのである。
 彼の死はそのときも我に大きな衝撃を与えた。三島の死はある意味、愛国に名を借りた彼の美学の果ての情死だと理解できたからそのときはショックを受けたが、言葉は悪いがヒトゴトですんだ。
 が、江藤の死はヒトゴトにはできない。いや、誰にとってもそうではないのか。
 老齢でなくとても何かの理由で半身不随となり、自らでは何一つできなくなってしまったとき、人はその絶望にどう向き合えるか、だ。そしてそこに孤独も加われば、解決策は自死となってもおかしくはない。
 江藤淳は、妻を亡くし自らも半身不随となって仕事も難しくなり鬱状態となって結果として死を選んだのだと思える。

 この我も父がいなくなればたった一人でこの家で生きて行かねばならない。困窮もしてくるだろう。もしそこに脳梗塞などで身体が不随となってしまえば、それでも生きていく意味が見いだせるだろうか。
 いや、身体は動けても父という唯一の家族がいなくなってしまえば、子も妻もない我は、誰を頼りに一人で老いて行けば良いのか。その先、そこに希望は少しでもあるか。やがては父のように足腰立たなくなろう。

 真夜中にふと目覚めてしまった時など、トイレに行ったあとはまた布団に入ってもあれこれ先のことを考えると不安で眠れなくなる。そしてそんなときに江藤淳の遺書を思い出す。たった一人で形骸になってしまったとき、我は自死せずにいられるか。
 むろん、生来の意気地なしの我だから彼のようにスタイリッシュに振舞うことは絶対にできないと今は思えるが・・・

 幸い我には今は犬猫たち、手のかかる「家族」がいっぱいいる。モノも言わないし家事は何一つ手伝ってくれず、ひたすら要求ばかりする彼らだが、そこに「他者」という関係が結べるのが有難いしウレシイ。父がいなくなったとしても完全な孤独ではない。彼らがいる限り我は自死はしたくてもできやしない。
 我が父もまさに形骸にまで老いさらばえてしまったが、その「存在」だけで今の我には有難い。父がいなくなれば我の存在自体が意義と意味をかなり失ってしまうのだから。

 そう、ヒトは「存在」しているだけで意義と意味、つまり価値があるのである。そこにその人がまだ生きて在るだけで、様々な関係が生じるしあれこれ始まっていく。
 何一つできなくなったとしても、そこに一つのモデルとして「生き方」も「死に方」も示せる。我も人がとことん長生きするとどうなるか、父からとことん教わっている。
 呆けというのは老いて死に行くための神の計らい、賜物だと上智大学ホイヴェルス神父は記していたと記憶するが、確かに最愛の妻の死も含めて何もかも忘れてわからなくなっていくのはある意味幸福なことなのかもしれない。
 親しい人たちが先に逝き、自らも身体が動かなくなって何もできなくなって頭だけは明晰というのは実に辛いことであろう。江藤淳のように。

 そう、どんな歳になってもどんな状態となろうとも、死は自ずからやってくるものなのだから、自らそれに向かうことはない。
 その日までともかく生きてその「存在」を世に示していけば良い。
 あなたは一人ではない、とよく諭される。が、問題はこのコロナ禍で、ソーシャルディス、社会的距離の確保などとかいうバカなことを振りかざす世相が正義となっっていることだ。それでは「関係」が結べない。
 コロナより怖ろしいものがある。それは孤独である。今はコロナでは人はまず死なないが、孤独は確実に人を自ら死に追いやっていく。

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