12月に入った。今のこと、これからのこと、来年のこと~①。2020年12月01日 22時04分05秒

★残りの人生、全てきちんとすっきり、はっきりしていこう。

 コロナに翻弄され、未だ感染拡大が止まらない今年2020年も残すはあと一か月となった。
 平成が終わり令和が始まり実質一年目に、こんな事態が起ころうとは、まさにこの元号の不吉さと先行きの不安を早くも感じるが、それはさておき今日から12月である。

 この状況下で東京オリンピックが来夏開催できると思い込み待ち望む人のお気楽さと楽観的思考は呆れかえる程に高く評価できるが、確かに世の中、先行きをどう捉えるか、ある意味気分次第なのである。
 瓶に残ったワインが半分になったときに、もう半分しかない、と嘆き悲しむか、まだ半分もある、と喜ぶか、その違いでしかない。
 我は基本、ダメ人間で不安神経症だから、常にネガティヴに考えてきたしその性向は変わらないが、さすがに歳とってくると鈍感力も高まり、このところは、まあどっちでもいいや、と思うようになってきた。
 嘆いても喜んでも状況は変わりはしないし、いずれにせよワインはいつかなくなる、つまりモノゴトには必ず終わりが来るし、そして人は死ぬのである。
 ならば、あれこれ嘆くより、希望的に見た方が精神衛生上は良いのかもしれない。が、今さら開催に向けて新たな予算組んだり、「妄動」はすべてきではないと批判的視点は持たねばならないと思う。ま、それももうどうでもいい。オリンピックなどそもそも関心が全くない我なのだから。

 さておき、そんな大過に見舞われ、今も出口の見えない2020年も間もなく終わる。コロナに関係なくとも個人的に様々な感慨がわく。そこに多少の喜びもある。
 それは、たぶん何とか父も含めて、我は大過なく今年をともかくも無事に乗り切れる(だろう)ということからだ。
 まず、少し早いが今年を振り返る。

 今から思うと何をとち狂ったか、今年は一年間、毎月開催しようと考えて始めた、谷保かけこみ亭での月例定期コンサート「月刊・共謀コンサート」である。
 後ほど全部終えたらばきちんと総括的に振り返りたいが、何とかあと一回を残すだけとなった。※12/26日、クリスマスの翌日の土曜日だ。

 コロナウイルスの感染拡大と、緊急事態宣言などで、結局5月と6月は中止となってしまったが、今月の12月の回も開催終えれば、全10回ともかくやれたということになる。

 実際のところ、毎月毎月必ず開催していくということは思ったよりかなり大変かつ面倒なことで、始めて気づいたのは、出演者の手配、交渉から連絡、宣伝告知なども含めて、毎回終えてもまたあっという間に月末になり次の「本番」が来てしまう。
 そんなで一息つく暇もなく、ともかく忙しく慌ただしくなった。しだいに疲れてきて中途でコロナ感染拡大余波で、5月と6月の2回、二か月お休みできて正直ほっとしたことを今ここに告白する。

 ただ、再開後も基本的に状況は回復せず無観客だったり、観客も数入れられず、企画・運営する身としては本当にまた辛かった。コンサートがコンサートとして成り立たないのである。
 観客も来なければ、出る側だって感染怖れ神経質になって出てくれない。何とか出てくれる人がいたとしてもお客がいないのだから投げ銭としても収益は全く出ない。結果、せめてお車代は我が自腹切らねばならない。
 かけこみ亭のご厚意で生配信することで開催の活路は見いだせたが、やはりそこに実際の観客がいるのと配信とではやっていてもまったく気持ちが違う。
 このコロナ禍で、我はライブとは何なのか、そこに観客がいることの重要性をはっきり深く認識した。
 そこに演者ではない人が1人でもいてくれれば、ライブは成り立つ。そうでないとそれは仲間内の練習、音合わせのようなものなのである。
 一人でも聴き手、お客がいてくれれば、その人に対してステージは成り立つ。そう、たった一人でも有難いことだと思い知った。

 しかし、お客を入れられるようになったとしてもコロナ禍続く現在、来られるのはやはり数人だけでしかなく、たいがいは出演者のほうが客数よりも多い現実にどう金を、つまりせめて「お車代」としてもどう工面するか頭を痛めていた。

 そしたらば実に有難いことに、旧知のフォークソングファンの方から、コロナ禍の窮状に対して店と我にもカンパ、手厚い支援金が届いた。まさに感謝感激と言うしかない。
 そのおかけで我は金のことには頭悩まされずにコンサートに向き合えるようになった。実に有難いことだ。そしてついにとにもかくにもあと一回となった。
 ※後ほど、前回終えられたらば、総合的、俯瞰的に、じっくり振り返って記録として思うところを書き記したい。

今のこと、これからのこと、来年のこと~②2020年12月02日 20時19分22秒

チュ~るに夢中のキジ子たち
★父のこと、家のこと、猫たちのこと

 「共謀コンサート」が仮に、公的なことだとすれば、「公私」の、私、つまり我の私生活、実生活についてもふれないとならない。

 我が父は、先日10月21日、96歳の誕生日を迎えられた。干支はネズミで、今年は年男でもあった。
 愛妻を2016年に先に失くして爾来4年、我と父の男同士の二人暮らしながら、よくまあ4年間も生かし続けられたなあ、といま改めて深い感慨が湧く。
 むろん軋轢というか、様々なトラブルが多々あった。彼の徘徊や妄動、我を侮蔑する発言に息子である我がキレて、危うく殺しそうになったこともあった。
 警察や医療沙汰にはならないで済んだが、市の福祉課の奴らがケアマネを巻き込んで勝手に虐待事案として乗り込んできて我が家に介入しようとさんざんな目に遭った。一時は、怒りのあまり、父を殺して家に火をつけ、我も自殺しようと考えたこともあった。
 そうしたことも拙ブログにその折々書いて来たはずだから今さらまた書く気はない。

 幸いにして父はこのコロナの年も風邪もひかず、骨折などで入院もせずに週の内の大半は、二か所の介護施設にお泊りに行ってくれている。彼が我が家で寝るのは、実質週に三日だけなのだが、それでも夜中に徘徊やオムツを勝手に外してベッドを汚すので、父在宅の日は、深夜もおちおち深く眠れない。
 しかしそれもこれもとことん信じられない程に長生きしたからで、母も含めて我は様々な老人を見て来てその死期と死に方を見届けてきたが、こういう父のような死に方、死んで行き方は、まだ経験したことがない。
 実際のところ、今年は何とか乗り切って、来年また新たな年を迎えられたとしても、2021年一年間はまず無理なのではないかと思える。もう百歳まであと少しなのだ。
 しかし、今年もそう不安に思ったものの、こうしてコロナ禍中でも一応元気で、ともかく無事に猛暑の夏も乗り切れたわけだから、存外来年も気づけば今の季節になっているかもしれない。
 その寿命はまさに天のみぞ知る、天命ということなのかもしれない。

 父と介護しつつ暮らしてわかったことは、人は癌などの持病がなく、脳溢血など突発性の病に襲われない限り、どこまでも生き続けられるのである。百歳以上だって可能かもしれない。
 ただ当然身体は全身経年使用からの老化により劣化衰弱していく。今の父は、歩けない、食べられない、排泄も垂れ流し、そして頭も呆けてしまった。
 「衰弱死」という死因があるのかわからないが、このところよく聞く、「老衰のため死亡」という結末となるのである。そう、身体機能も精神も全てが尽きて、まさに出し殻のようになって最後は体力尽き果て眠るように死んで行くのだと思う。
 そう、何も考えずに、何もわからなくなって、ただうつらうつらし続けてやがて息をひきとる。そこに痛みも悩みも苦しみもない。

 それが望ましい幸福な死に方か、今の我には何とも言えないが、我が母のように病に倒れ、多くの思いを残しつつ死期が迫って来る無念の死よりははるかに幸福な死に方ではないか。
 
 いずれにせよ、人の死期は自ら選べない。自殺という「殺人」を除けば。
 我はいま老いのとば口に立って、親たちの死に方、死に行く姿から多くのことを学んでいる。

今のこと、これからのこと、来年のこと~③2020年12月03日 08時10分42秒

キジ子(左)と、その妹や弟、姪っ子たち
★家のこと、猫たちのこと

 我が家の秋のいちばんの問題事である、庭のイチョウとケヤキの対盆の落葉騒動だが、この数日は、風もなく穏やかな日が続いているので落葉は一時であるが小康状態である。
 いずれにせよ、まだケヤキすら高い枝に朽ちた葉が付いているし、イチョウはやっと散り始めた段階だから、これから北風が吹き荒れれば終日落葉掃きに昼夜問わず追われることになる。ご近所さまの罵声を浴びながら。

 さて、ゴミ屋敷と化した家のこともだが、迂闊にも大量に増えてしまった今家にいる猫たちの件も報告しないとならない。
 そして、今も毎月動物病院に借金を払い続けている、大ケガした三本脚の猫50万円の「キジ子」のことも、だ。
 50万円、というのは、治療費の総額のことで、多くの友人知人方からいろいろご支援頂き、おかげさまで何とか年内に完済できる目途もついた。
 キジ子についてはまた稿を改め、最終的完済時にご報告したいと考えているが、ともかく今年は猫に追われ猫にあけくれた。それもこれも全て自分のネグレクトが引き起こしたことだ。

 「多頭飼育崩壊」という言葉があると先日ニュースで知った。どこそこの夫婦の家で、飼っていた猫たちが増えすぎて、動物愛護のボランティアの人たちがその家に踏み込んで、動物虐待の疑いで警察へも通報し百匹以上の、痩せ衰えた糞尿まみれの猫たちを「救出」したと報じられていた。
 詳しくはわからないが、その猫好きの夫婦は、避妊手術など受けさせないで室内で飼い続けていたら、どんどん猫たちは増え続けてしまい、ついに家の中は死骸も含めて惨憺たる有様と化したようだ。※その夫婦は事態が世に知られると猫たちは保健所に連れて行かれると思い込み、ひたすら家の中で飼い続けたがついに増えすぎて「飼育崩壊」してしまったのだ。
 実は、ウチもその傾向があり、昨年来からだが、我の多忙と自堕落、つまり生活全般ネグレクトしてしまっていたため、飼い猫が次々子供を産んでしまい、実はいまも十数匹飼う羽目となってしまっている。
 ウチは昔から犬猫たくさん飼ってきたが、こんなに猫が増えたことは始めてた。

 むろん、奇特な女友人を通して飼主を捜してかなり貰い手も見つかった。が二匹いる母猫、つまり雌猫を避妊手術しなかったため、またそれが今年も子猫を次々産んでしまい、結果として室内に閉じ込めている猫は、キジ子も含めて8匹、さらに自由に猫ドアから出入りしている猫も数えれば総数は十匹を超えるタイヘンな事態になってしまったのだ。
 
 そんなで、猫たちの世話、トイレの掃除と餌やりにあけくれ、餌代など、猫たちの経費だって毎月何万円もかかっている。そこにキジ子の支払いも加わりほんとうに金策に頭痛めた。コロナ特定給費金も父と我の20万円、右から左に猫たちに消えてしまった。

 が、先だって、母が生きていた頃からいる、全てのオリジンである黒猫は避妊手術を終えたし、あとはその猫の娘であり、近くキジ子の母である黒猫を避妊すれば、とりあえずは打ち止め、となる予定だ。

 そう、そもそも今年は我はともかく忙しかった。父の介護に加えて、毎月の「共謀コンサート」を始めてしまったから、どうしてもまずそちらを優先してしまい、自分の私生活、つまり家のことは自室から庭先までも一切後回し、ほったらかしで、家は、内外まさにゴミ屋敷と化してしまった。
 我は母の死後よりその傾向はあったのだが、結局それはいっこうに改まらず、いや、今年こそさらに悪化してしまっていたと今にして気づく。 
 例年ならば、毎年クリスマス恒例、拙宅での「クリスマス謝恩ライブパーティ」を催すはずなのだが、今年はコロナ未だ収束どころか感染拡大中ということと、そんな有様なので、とても開催はできない。
 いや、コロナが収まっていたとしても、また場所づくりに太田さんや槙さんや友人知人総動員で大騒ぎすることになっただろうから、中止の言い訳として今年は正直、コロナ様々という気でいる。まったく情けなく恥ずかしい。
 ようやくこのところやっと少しだが時間もでき、少しは落ち着いて腰据えて溜まりに溜まった古本の片付けなど始めているが、今もそんなで広かった部屋は足の踏み場がないのだ。

 12月に入り、庭先はこれから落葉シーズン真っ盛りで朝晩落葉掃きに追われている。が、それよりも下の居間を早く片付けて、父のためにコタツを出さないと父が帰宅しても寒くて肺炎起こしてしまう。
 この週末はともかくスペースをつくりコタツ設置こそ最優先なのだ。何しろストーブは危険で使えないから暖房はコタツだけが頼りなのだから。

今のこと、これからのこと、来年のこと~④2020年12月04日 21時12分22秒

★そして「商売」のこと。~もう、ほんまにあきまへん。

 我、マスダの実生活は、結局、家のこと、つまり老父の介護や家事のこともあるけど、ほんとうは古本稼業なのである。それこそが、まさに文字通りの「本業」なのだが、このコロナ不況でそれも行き詰ってしまった。いま、これからどうしたものかホント頭抱えている。

 実は、コロナ禍、先の第一波の頃は、まだ良かった。緊急事態宣言が出て、誰もがガイシュッ控えて自宅で引きこもり生活。しかも子供も親たちも皆が家にいて「自粛」していたから、通販であるネット業界は、注文が殺到した。
 しかもそこに国民一人当たり、10万円という、コロナと何一つ関係も影響も受けない富裕層まで誰もが一律10万円もの給付金がもらえたから、余裕ある人は、その金でネットで買い物三昧したと思われる。
 ウチ、「ますだあーと書店」も普段売れないような高額な本まで注文が相次ぎ、飲食業などはタイヘンだなあと横目に見ながら、コロナ景気にネット、つまり通販業界は湧いていた。

 が、それも一時のこと。この秋、またコロナが再燃して、第三波の流行が高まって来ると、株価だけは何故か高くてもじっさいの景気、庶民の生活はじわじわと冷え込んできて、この秋からウチもばったり注文は途絶えてしまった。

 それはウチだけでない。そもそも出品時にもっとも低価格で出して、他のどこより安くしててもそれでも注文がないのである。よって他店もまた同様だと思える。
 ごくたまに注文があり、売れてもそれは500円以下の、ほとんど儲けの出ない格安本だけで、それでこのコロナ不景気ははっきり実感せざるえない。これはどうしたことか。
 つまり、政府は、GoToキャンペーンとかで経済を回そうと躍起になっているが、それで踊るのは、元々余裕ある小金持ち、つまりコロナで影響をほとんど受けていない人たちだけで、おそらくそれは 公務員とか年金生活者とか、だと想像するけど、彼らはそれで手持ちの金を自在に使える。
 しかしもっとじっさいに影響を受けている飲食業などの自営業や小売り販売業者たちは、そもそも客が来なくてモノが売れず、そうしたキャンペーンは蚊帳の外なのである。※観光業もGoToで恩恵を受けるのは大企業というほどでなくても大手のホテル、高級旅館、高級レストランだけだ。
 じっさいの庶民、底辺部には何一つ金は落ちてこない。物が売れなくて、注文がなくてともかく金が入って来ないのだ。皆、お客の財布のひもは固く、GoToで浮かれる層と、何とか日々生活防衛に追われている層とで国民は二分されてしまったように思える。

 思うに、経済を動かすとしても、コロナ禍で大きな影響を受けている、困窮者にもっと直接的な手厚い支援をしないかぎり、真の経済回復はならず、結果として全国各地に新たな感染者を増やすだけに終わるのではないか。

 個人的には、以前よりうすうす感じていたが、もう商売としての「紙の本」、それは新古関係なく、紙の本を扱う商売はもう無理、限界ではないかということだ。
 コロナによって皆自宅で過ごす時間が増えたとしても、本よりもインターネット、ケームなどで過ごすのが今の人たちであり、時間できたとしても本を贖って読むという習慣はもはや成り立たないように思える。何しろ読むだけならkindleなどペーパーレスで済む。

 ならば我もまた新たな職掌、新たな収入を得る方法を考えねばならないわけだが、逆にだからこそ、我はこの商売「古本屋」という仕事に、いまこそ、このコロナ時代だからこそ真剣、本気に取り組みたいと思えてきた。
 むろんそれで儲けるは難しい。それで生活の糧と考えるべきではもはやないと思える。だが、だからこそ本という媒体、メディアと向き合い、今こうしてだらだら文字を連ねているように、文字を「読む」、そしてそれを届ける、そして共に書き手と読み手が考えていく、という流れ、スタイルを大事にしたいと思う。

 それこそが、文化であり、人が人であることだと人間の思考の営みなのだ、と信じて。
 でなければ、人と人はいったい何を媒体として、共通言語としてお互いに繋がるのであろうか。
 手短かな、ツィッターとかで、人の気持ちや真の感情は網羅も伝達もできないはずなのだから。いいね!がいくつ貰えても、我はそれを喜ばない。そんなもの糞くらえ、だ。

お詫び2020年12月11日 14時56分17秒

★コロナではなく風邪ひいて療養中

 このところ家のことで、昼夜問わずともかく忙しくて、不規則な生活が続き疲れが出たのかどうやら風邪ひいたらしい。ともかく寒気がして起きていられない。身体がだるくしんどい。頭も重く痛い。が、コロナではないと思いたい。
 申し訳ないが、13日まで、父の介護の合間、ひたすら寝て安静にして体調戻すのでブログはお休みにさせてください。書きたいことは多々あります。
 ※日曜は人と会う用事があるのでそれまでにはと。

今のこと、これからのこと、来年のこと~⑤2020年12月15日 13時00分57秒

★そしてこれから

 大地震などの大災害は一たび起きてしまえば、その復旧・復興に多大な時間を要するものだから、当然ながらそれに罹災した人々のライフスタイル、つまり生き方、考え方さえ変えてしまうのは言うまでもない。
 思い返せば、過去の大地震、首都東京を大火に見舞った関東大震災では、多くの人々がその後に東京を離れて別の地に移住した。
 文人墨客も当然のように、壊滅と化した東京を離れて被害の及ばなかった別の都会、京都や大阪に移り住んだ。
 ちゃきちゃきの江戸っ子だった谷崎潤一郎もその一人で、今ではその作品から関西出身の作家と思われるほど、その地で優れた彼の代表作を多々残している。が、そもそもきっかけは関東大震災なのである。

 また、先の東日本大震災でも、被災それたけでなく原発の放射線被害も怖れて多くの家族、中でも幼い子供がいる世帯は、被害の及ばなかった遠い西の地方、四国や九州へと移住している。
 我の知っている若手ミュージシャンたちも何人もが元々は東京に住んでいたのに子供を連れて、家族で四国や沖縄の島へ移り住んでしまった。
 
 そして今、コロナウィルスという新たな大禍の最中にいる我々もまた同様に東京都心から離れて地方へと移り住む人たちが増えているようだ。
 先だってのニュースで、東京の人口が減少したと報じられていた。「人口」というのはおかしいが、都に住んでいる人の数が初めて減ったのである。そこにはコロナが関係しているそうだ。
 リモート何タラやらで、仕事も学業も通勤・通学の必要性が減り、まして家に居ることが多くなれば、何も息苦しい都会にいる必要はない。何でもオンラインやリモートで済むのならば、もっと自然環境の良い家賃も安くて広い場所に移住したほうが全てが得策だと気づきはじめた、と。
 じっさいテレビでは、奥多摩の格安民家に移住した若い女性が取り上げられていた。奥多摩なら、都心に出るのもさほど大変ではない。彼女はそこで民宿だか、やりたいことが多々あり喜々として抱負を語っていた。
 そう、コロナ禍でさまざまな自粛を強いられ不便な生活を都心で送るよりも在宅で何でも出来るのならば、都心に居る必要性はもはやなくなってきているのである。
 たぶんそれは大阪などの他の大都市圏でも同様の流れではないか。
 ただ、それができるのは、若くて元気で身軽なフリーランス的立場の人たちで、公務員など勤め人の多くはどうしても一か所に固定されてしまうから誰もがカンタンにそうできるわけもない。
 考えてみれば、文人、つまり作家もミュージシャンも基本自営・自由業で、昔も今も身軽だからどこにいたって仕事はできるのである。
 ただこのコロナという大禍で、東京への一極集中という流れは大きく変わったことは間違いない。そしてそれと同時に、経済的なことだけでなく様々な格差も大きく広がってしまった。
 コロナという病気は、罹る、罹らないという以前に、その流行により立場や収入に影響を受ける人とほとんど受けない人とに大別されている。
 影響を受けているのは、まず医師や看護師、保健所などの医療関係者ではあるのは当然として、外出自粛や時短により、飲食業の関係者、そして旅館・観光業などの人、さらには交通機関の人たちもだろう。
 逆に恩恵を受けている人たちもまた確かにいて、ネット通販は当然のこと、マスクなどの医療品の製造・販売に関わる人たちや飲食の配送業、自転車やウクレレなどの楽器もかなり売れ線だと報じられていた。
 が、結果として多くの自営業の人たちは、コロナ不況で商売が成り立たずこの冬のボーナスは出ないと嘆いているのが現実だろう。
 一方そうした「世相」とは一切関係ない人たちもいる。公務員や年金生活者は、収入は常に安定しているからほとんど何も影響は受けない。むろん仕事は煩雑になるなど部署によってはタイヘンだと思うが、経済的な心配はしないですむ。
 今、国民の間ではそうした二極化がさらに進んでいるのではないか。コロナで店が潰れ仕事を失い路頭に迷う人も出てきたと聞く。一方、政府のGoToキャンペーンで年末年始は、優雅に高級旅館で過ごそうと計画していた人たち、その差はいかほどか。
 コロナウィルスは、他の大災害とは異なり結果として人々の間に格差と分断を広げてしまった。

 東日本大震災のときは、被災地に対して全国から支援の輪が広がり様々なボランティアの人たちも駆けつけ、物資だけでなくその被災地の人々と交流も可能だった。
 が、このコロナという感染症では、そもそも他者と関わる事すら厳禁なのである。密になってはいけないし人との距離は常に取らねばならない。視覚障碍者の人に声かけたり手を引いて歩くことから躊躇われるのならば、人と人との繋がりで成り立つ人間社会は崩壊していくということだ。
 感染しない、させないよう、自分と大事な人を守ると言う名目で、他者との繋がりを自粛させる「新しい日常」は、非人間性の日常社会であり、断絶と孤立の深い穴にニンゲンを落とし込む。それはウイルス以上に怖く結果としてそこでの死者、特に自殺者が増えて行くことは間違いない。
 そんな世界で我々はどう生きていくか。何が出来るか、すべきなのか。

やっと一段落、一息ついている2020年12月16日 22時50分03秒

★コロナはさておき、あとは、12/26日、「月刊・共謀コンサート」最終回だけだ。

 コロナの感染拡大が止まらない。何が勝負の三週間だ、と菅政権を笑い飛ばしたくも思うが、要するに個人ができることはもう限界なのだと思う。
 街を歩けば、マスクしていない人など皆無と言っていいし、電車内も含めて公共の場所では誰もがほぼ万全の予防対策はとっている。
 それでも何故に感染拡大が止まらないかといえば、ウィルスの性質上、はっきり表に出ない陽性者がいるからで、どれほどの対策をとろうと、GoToキャンペーンなど、各地で人の出を煽るような愚策を政府自ら旗降って喧伝すればこうなるのは誰だって予測がついたのである。
 結果、支持率も低下して菅首相自ら突然の方針転換とならざる得ない。ほんとうにこの政権は愚かでありまさに後手後手、場当たり的だと嘆息する。
 そもそも不要不急の外出は控えるよう、春先から何度も何度も繰り返し為政者は口にしてきた。ならば、「観光」はどうなのか。コンサートや演劇などが不要不急とされるならば、まさに観光旅行など「不要不急」の極みではないのか。
 なのに感染収束の兆しも見えていないのに、経済を回すという名目で、自らの政権の後ろ盾である二階幹事長のいいなりのまま、観光及び飲食事業に国民が出向くよう様々なキャンペーンを繰り広げた。
 むろんそれも意味ある経済効果となったのかもしれない。しかし、結果として感染拡大の波を全国に広げたのならば、まったく意味がない。患者は急増、医療体制は逼迫し、観光や飲食を楽しむ人たちの裏側で死者は増え続けていくのである。
 いったいこの政権は真に国民のことを考えているのであろうか。観光業で経済を回すのは、とにもかくにもコロナを収束させて誰もが安心してマスク無しでどこへでも気軽に出かけ飲食を楽しめる状況ができてからで良いのではないか。
 むろん観光及び飲食業の事業者には、万全の補償をしてともかく凌いでもらうしかない。しかし、それは決して不可能ではない。
 そもそも国民一人当たりにコロナの影響受けない人までも誰にも一律10万円配るというおかしな政策を考えるのである。これは悪平等ではないか。
 今、真に求められているのは、そうした自粛で困窮している観光、飲食業などの事業者、そして医療従事者、並びにその周辺の事業者に対する手厚い保護であろう。
 むろんコロナ禍で仕事が減り、収入が激減した人たち全てに対して政府はできる限りの保護と補償をしないとならない。それが国家であり、国民に対する義務なのだから。
 いま、このコロナ蔓延状況下、貧富の差がさらに広がり分断と孤立が進み結果として困窮のため自殺者が激増している。今、国に求められているのはそうした人たちへのセイフティネットであり、GoTo事業ではない。そんな風に不要不急の観光に喜々として行ける人はコロナの影響などほとんど受けていないのだから。
 カネモチを優遇するのもいい加減にしろ、という気持ちでいる。

 と、ここまでが毎度ながら長い前置き、前書きであり、自分のことを書く。
 今日、夜早くにかけこみ亭に行き、今月26日の、最終回となる「月刊・共謀コンサート」のチラシを置いて来た。先だって、人を通して今回のメインの出演者である五十嵐正史さんに、そのチラシは渡せたので準備としてできることはほぼ終わった。
 ※コロナ禍状況でなければ、もっと超満員、満席にすべく宣伝にさらに励まなければならないわけだが、現実のはなし、いまはお客すら人数制限があるのである。特に、ソウブラの皆さんはメンバー数も多いので場の総計が高くなり、他の出演者も含めて今回は、ほぼ出る側だけで「満席」近くとなってしまいそうなのだ。なので宣伝活動すら今は控えざる得ない。
 あとは当日を待つだけであり、個人的な対世間的なことも今日でほぼ終わったので、あとは庭先の残った落葉を掃いたり、真に自分のことだけに専念すればいいわけで、今ようやく少しだけほっとしている。
 荒井由実のうたで、「ロッジで待つクリスマス」というのがあったが、今まさにそんな気分で、クリスマスならぬ26日のコンサートを待つだけとなった。

 よほどの不測、不慮の事態が起きない限り26日も無事に開催できるとして、今年は毎月開催の全12回を目論んで始めた「月刊」での共謀コンサート、今さまざまな感慨が湧く。
 結果として26日も含め、計10回となるわけだが、やはりライブを毎月必ず開催することは予想していたよりもかなりタイヘンなことであった。何より出演者の手配・連絡と宣伝活動、そして毎回の報告を兼ねての後始末である。何しろあっという間に一か月は過ぎて次の回がすぐにまた来る。
 そこに春先からのコロナ感染拡大と緊急事態宣言発出により、5月、6月と中止を余儀なくされたわけだが、ある意味、そこで少しだけ中休みもでき、休憩もできたと告白しよう。
 が、また7月からの再開後もコロナ感染対策をとりながらと、という制約もありどう開催すべきか非常に悩んだが、ともかく何が何でも毎月開催は実現でき、今、年末を迎え最後の回を待つだけとなって感無量というか、さまざまな思いがわく。

 中止となって流れてしまった残念な企画もあるし、開催できてもコロナの影響で予定していた出演者が来られずに、ある意味自分の思い通りのものにならなかった回も多々ある。
 忸怩たるという言葉があるが、まさにコロナに振り回され何とも思い通りにならずにただあれこれ頭悩ました一年であった。
 しかし、出来なかったこと、かなわなかったことを惜しみ悔やむよりも、ともかくこの状況下にほぼ毎月10回できたことこそ特筆すべことではないのか。今はそう強く思う。

 じっさい、百歳近い我が父を抱える身なのである。どこか途中で父の容態が悪化したり、死去となれば、我のことだから葬式だけ済ませたとして、何食わぬ顔でコンサートが続けられたか自信がない。
 たぶん、また短くても数か月は「休止」としてしまったはずで、まさに薄氷を踏むような、ギリギリの状況でこんなことを考え、始めたのだと今にして気づき冷や汗が出る思いだ。
 運が良かったのか。いや、神が我に味方したのだ、と思いたい。

 そして何よりもこの一年、このコンサートに関わり、何よりも我には多きな成果があった。それは歌とは何か、ライブとはどういうものか、うたと歌い手との関係、距離など、今までずっと自問してきたことに対して、おぼろげでも答えがみえたことだ。
 またさらに、この我でも「うた」が次々湧いて作れるようになった。うたの作り方、コツがわかった。その出来はともかくも、作りたいうたが作れるようになった。そこに盟友太田三造氏と共に音楽活動が始まり、「唄う側」ではなく、音楽に関わる在り方が何とか築けるような気がしてきた。
 それはコロナとは関係なく成ったものかもしれないが、やはりコロナウィルスという難題があったからこそ、その流れで出来たと思える。

 全てがおわったら、総合的、俯瞰的に、今年一年、このコンサートについて振り返り、きちんと「総括」してみたいと思う。が、今はまだ最終の回を残している。
 好漢五十嵐正史とソウルブラザーズをメインに迎え、メディアで話題の志万田さをり他元気どころを多々集めた。妖怪アマビエに頼るのではなく音楽の力でコロナウイルスを吹き飛ばすという気概で、熱く「三密」に注意しながらも大いに盛り上がりたい。ネットでも配信できるかと思うけれど、ぜひ多くの人にできれば生で観覧願いたい。

 このコロナの年に、今いちばん聴いてもらいたい素晴らしいシンガーを集めたつもりだ。素晴らしいうたがある。その自信がある。共謀コンサートの集大成としたい。

これからのこと、来年のこと⑥2020年12月19日 10時49分14秒

★身体も含めすべてをメンテしながら希望の年にしていく

 いろいろご心配おかけして申し訳ない。体調は何とか戻った。
 といっても快適・爽快ということではなく、やっと昨日からやや寒さも和らいで来たので少し楽になったという感じだ。
 やはり風邪ではなく、毎度の寒暖差アレルギーが悪化しての不定愁訴のようなものだった気がする。
 むろん寒気がして朝起きた時からも頭も痛くフラフラしているのだから多少の熱はあったのかもしれないが、今回は咳の発作はさほどでなく今は起きて作業できるようになった。じっさいひどい時は寒くて身体の節々が痛くて布団に入るしかない。
 が、電気アンカを最強にしてもちっとも暖かくなく、脚からの寒気は続き眠っていても深く熟睡はできない。
 元々低体温かつ低血圧で、高血圧系の人たちに比べれば元気度が欠ける体質、性格の我だがその不健康度はますます歳と共に高まってきた気がしている。
 我が父のように、90歳頃まで自ら自力で杖使わずどこへでも歩けてメガネもかけず何でもできた頑健な人とは親子でもまったく違うと嘆息する。

 愚痴はともかく、さておき今年も残すは二週間足らずとなった。
 今さっき、父を何とか介護施設に送り出した。やっとまた月曜夕方までの父不在の二泊三日の週末である。
 この一か月毎朝、毎晩、真っ暗なうちから庭先の道路に散ったケヤキ湯イチョウの落葉掃きに追われていたが、一昨日の木曜で完全に散り終わった。が、まだ庭の中には大量の黄色い銀杏の葉が残雪ならぬ厚く積もっているので、それを早く処理しないと木枯らしなど吹けばまた隣近所に飛び散る。
 毎年のこと、呉羽忙しく正月も何もないようなものだが、今年はコロナ禍のおかげで、東京にいる甥っ子も来ないようだからお節も取り寄せないし大掃除も含め一切の正月の支度もしないで済む。
 そのぶんの時間を自分のコトに向けて、やっと対世間的面倒な家事雑事から少しだけ離れて、けんあんのことにしっかり取り組んでいきたい。

 そしてこれから、来年はどうしていくか。このコロナ状況下で、だ。
 ようやくわかった。抽象的な謂いで申し訳ないが、まず自らの引き出しをもっと増やして、それを分かち合うこと。そして何より「継続」「持続」していくことだ。
 もう一回だけそのことについて書きたい。

これからのこと、来年のこと・⑦~まとめ2020年12月24日 00時58分54秒

★何よりサスティナブルな人生を

 若いとき、マルクスというか、科学的社会主義をほんの少し齧った者として、世界は紆余曲折や後戻りはときにあったとしても、段階的に発展・進歩していくと信じていた。
 進歩というのは、前進であり、つまるところ良い方向に世界も人類も発展していくはずだと教わった。要するに差別も貧困もない、誰もがニンゲンらしく生きられる社会の構築と実現である。
 今でもそう信じて「活動」している人も多々いると思うが、残念ながら我は今はそうは思えないし考えられない。

 色川武大が生前繰り返し書き記したように、世界は、常に破滅へ向かっている。人もまた同様であり、決して良くはならないと我もいつしか思うようになった。むろん多少はマシになることもあってもそれは世知や経験則を学んだだけで、根本的に良くなるわけではない。進歩も発展もしない。
 その思いは、米国でのトランプ氏が大統領になったことで確信に変わった。彼が二期目の大統領になっていたら、暴政は加速しヒトラーやスターリンと並ぶ歴史的極悪人、大量殺人の犯罪者として後世に語り継がれたことだろう。
 
 キリスト教・カトリックでは、「七つの大罪」として、人間の罪の根源として以下の七つを挙げている。
 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲なのだが、かのトランプ氏にはほぼ全てが当てはまるとたぶん誰もが頷くのではないか。
 そしてそんな彼をアメリカ国民のほぼ半数の人たちが今も熱烈に支持しているのである。
 何故ならば、彼こそそんな人類のある意味七つの欲望、その本質を肯定し具現化した存在だからで、きれいごとを言いつつ実際は公約を守らなかったり私腹を肥やすこれまでの政治家とはまったく違う「正直」な人だったからだ。

 ニンゲンというのは残念ながらものすごく身勝手で、自分のことしか考えないものなのである。アメリカ人なら自国のこと、自国民のことだけ考えればいいわけで、国際協調や地球環境保全などカンケイない話だと断ずる彼こそが真の愛国者だと思われて人気は今も衰えないのである。
 むろんそんなアメリカ第一の一国主義を続ければ、地球的規模での世界の破滅はますます早く進んでいく。本来、常識的というか理知的に考えれば、彼のような人間を大統領に選ぶことはまず有り得ない話なのだが、おそらくこのコロナ禍がなければ今回もまた圧倒的大差で彼がバイデン翁に勝利していたことだろう。

 そして他国に目を向ければ、いま、中国やロシアがやろうとしていること、続けていることこそ結果としてトランプ的自分勝手な、自国第一主義であるわけで、世界はいま多くの国家でトランプ的独裁者が強大な権力を永年的に保持している。
 一番問題なのは、ナチス政権と同様に、隣国を除き彼らがいちおうは民主的選挙でまず選ばれその座につき、そして今もまだ強く国民に支持されていることだ。
 彼らはその権力で国内の少数民族や民主主義を求める人々を弾圧・抑圧しまさに息の根を止めるまでの独裁的政治を行っている。しかし他国がどれほど非難しようと内政干渉だと聞く耳はまったく持たない。
 さらに今も世界のあちこちで民族紛争・部族紛争、宗教による紛争が続き、行き場を失った避難民が大量に存在している。
 すべての原因はニンゲンの持つ七つの大罪、根源的な欲望によるもので、残念ながらどんな哲学や宗教をもってもそれは解決できやしない。

 各国は為政者自らの権力維持と自国の利益だけを第一に、これからもとことん追求し地球環境のことや民主主義など後回しにしていくだろう。
 その先に人類の未来はあるのか。そんな状況下に突如全世界規模で起こったのが、コロナウイルスの大流行であった。
 本来、国連的・WHO的視点で考えれば、各国はこの新型ウイルス根絶に向けて国を越えて協力、協調していくはずであろう。
 が、残念ながらそれぞれが他国を指弾・非難したり排斥し自国内に向けてそれぞれの国で独自のワクチン開発に熱中し、トランプ的な自分勝手さは相変わらずで為政者の意識の変化は何一つない。
 それでは破滅に突き進む世界の流れは変えられない。

 声高に言えないが、一説に、そもそもこのコロナの大流行は、あまりに増えすぎてしまった人類の人口調節のための「方便」なのだという指摘もある。
 というのもこの70年以上、大きな戦争はないが故に人類は、地球が維持できる数以上についに増えてしまった。とあるネズミは増えすぎると自ら海に飛び込みその数を減らすとか訊くが、同様に今回のコロナは何らかの「節理」だと言うのである。我はそれを神の意思だとは絶対に認めないが・・・

 世界は破滅に突き進んでいく。決して良くはならない。コロナはやがては収まるのであろう。が、またぞろ新たな感染症なり新たな病気が大流行するのではないか。拙速に開発されたワクチンによる副作用・後遺症のようなものも広まり問題化するかもしれない。

 ならばどうすべきか。我は残りの人生をどう生きていくか。
 今切実に思うのは、良くならないのならば、せめて今の、この現状を維持していくことからだ。つまるところ「継続」していくこと。
 昨今、サスティナブルという言葉をよく耳目するが、まさに自ら持続可能な人生をいかに構築していくか、である。
 我は、最愛の母、全て頼り切っていた母を亡くして以降、何一つ自分一人ではできなくなってしまい人生をネグレクトしほぼ破滅させてしまった。
 いま、母の死から四年が過ぎ、ようやく再建の道筋、その途上にある。とても母や父が元気で健在だった頃に戻るはずもないが、ともかく「今」を何とか維持してその中でできること、すべきことをやっていかねば、と強く思う。
 これで父が死に、また我が人生も崩れてしまえば、もう本当に破滅であり、残りの人生はないに等しい。
 そうならないためにも、ともかく我が人生を持続可能なものにすべく「あたりまえのこと」をきちんとやっていこう。
 できること、すべきことをたとえ一つでも少しでも続けていこう。

 そして自らの「引き出し」を増やし、それを分かち合おう。様々な破滅と崩壊を目前にし、誰もが孤立と分断に苦しむとてつもなく大変な時代だからこそ、自分のことだけを考えることなく、分かち合い助け合い共に生きて行かねばならぬはずだ。
「七つの大罪」はまさにキリスト教徒でなくともニンゲンにとっての罪なのである。それをそのまま肯定してはならない。自ら克服していくしかない。それこそが、マルクスが説いた人類の英知、真の人類の目指す、あるべき社会なのだと我は信ずる。
 希望の光はその先にある。そのためにもまず「今」を維持・継続していこう。ともかく何があってもまず生き続けることだ。自らの身体もきちんとメンテしていく。これからも人生を持続していくために。

いよいよ明日、「月刊・共謀コンサート」最終回。2020年12月25日 20時30分11秒

★まだ席に余裕があります。

 コロナによる感染拡大は日々その新規感染者数を更新中であるが、とにもかくにも今日はクリスマスで今年も残すは一週間である。
 大変な年にタイヘンなことを始めてしまったと今にして思うけれど、何とか老父も我も無事にこの大禍の年を乗り越えられそうなので、それだけでもただただ有難いことだと思える。
 人生は誰にとってもタイヘンなものではあるが、今年2020年こそおそらく国民誰もがその思いを痛感したのではないか。我が世の春を長年謳歌してきた安倍晋三も。
 そして、今年は毎月開催と銘打って始めた「月刊・共謀コンサート」もひとまず明日の回で「最終回」となる。
 今はまだ感慨も何もないが、2回中止となったものの全部で計10回もこのコロナ状況下に開催できたことは我ながら実に大したこと、素晴らしく偉大なことだと思える。
 むろん自分の力ではまったくない。我はただ場をつくり、かけこみ亭という極めてユニークな店が快く最大の協力をしてくれて、さらにウイルス感染拡大中でも出演参加してくれたミュージシャン、歌い手たちがいたから成し得た話で、彼らのおかげ様様だと言うしかない。

 というわけで、明日も観客側の数よりも出る側の数が多い集いとなるわけだが、まだ座席に余裕はあるとのことなので、どうか人数制限いっぱい迄の「満席」にしたいと願う。
 ぜひどなたでも我か店側にご一報のうえ、「共謀」にご参加頂きたい。
 090-8175-8479 マスダ

※画像は今年、奇しくも結成30周年を迎えた「五十嵐正史とソウルブラザーズ」。今回はたっぷり唄ってもらいます。