今のこと、これからのこと、来年のこと~⑤2020年12月15日 13時00分57秒

★そしてこれから

 大地震などの大災害は一たび起きてしまえば、その復旧・復興に多大な時間を要するものだから、当然ながらそれに罹災した人々のライフスタイル、つまり生き方、考え方さえ変えてしまうのは言うまでもない。
 思い返せば、過去の大地震、首都東京を大火に見舞った関東大震災では、多くの人々がその後に東京を離れて別の地に移住した。
 文人墨客も当然のように、壊滅と化した東京を離れて被害の及ばなかった別の都会、京都や大阪に移り住んだ。
 ちゃきちゃきの江戸っ子だった谷崎潤一郎もその一人で、今ではその作品から関西出身の作家と思われるほど、その地で優れた彼の代表作を多々残している。が、そもそもきっかけは関東大震災なのである。

 また、先の東日本大震災でも、被災それたけでなく原発の放射線被害も怖れて多くの家族、中でも幼い子供がいる世帯は、被害の及ばなかった遠い西の地方、四国や九州へと移住している。
 我の知っている若手ミュージシャンたちも何人もが元々は東京に住んでいたのに子供を連れて、家族で四国や沖縄の島へ移り住んでしまった。
 
 そして今、コロナウィルスという新たな大禍の最中にいる我々もまた同様に東京都心から離れて地方へと移り住む人たちが増えているようだ。
 先だってのニュースで、東京の人口が減少したと報じられていた。「人口」というのはおかしいが、都に住んでいる人の数が初めて減ったのである。そこにはコロナが関係しているそうだ。
 リモート何タラやらで、仕事も学業も通勤・通学の必要性が減り、まして家に居ることが多くなれば、何も息苦しい都会にいる必要はない。何でもオンラインやリモートで済むのならば、もっと自然環境の良い家賃も安くて広い場所に移住したほうが全てが得策だと気づきはじめた、と。
 じっさいテレビでは、奥多摩の格安民家に移住した若い女性が取り上げられていた。奥多摩なら、都心に出るのもさほど大変ではない。彼女はそこで民宿だか、やりたいことが多々あり喜々として抱負を語っていた。
 そう、コロナ禍でさまざまな自粛を強いられ不便な生活を都心で送るよりも在宅で何でも出来るのならば、都心に居る必要性はもはやなくなってきているのである。
 たぶんそれは大阪などの他の大都市圏でも同様の流れではないか。
 ただ、それができるのは、若くて元気で身軽なフリーランス的立場の人たちで、公務員など勤め人の多くはどうしても一か所に固定されてしまうから誰もがカンタンにそうできるわけもない。
 考えてみれば、文人、つまり作家もミュージシャンも基本自営・自由業で、昔も今も身軽だからどこにいたって仕事はできるのである。
 ただこのコロナという大禍で、東京への一極集中という流れは大きく変わったことは間違いない。そしてそれと同時に、経済的なことだけでなく様々な格差も大きく広がってしまった。
 コロナという病気は、罹る、罹らないという以前に、その流行により立場や収入に影響を受ける人とほとんど受けない人とに大別されている。
 影響を受けているのは、まず医師や看護師、保健所などの医療関係者ではあるのは当然として、外出自粛や時短により、飲食業の関係者、そして旅館・観光業などの人、さらには交通機関の人たちもだろう。
 逆に恩恵を受けている人たちもまた確かにいて、ネット通販は当然のこと、マスクなどの医療品の製造・販売に関わる人たちや飲食の配送業、自転車やウクレレなどの楽器もかなり売れ線だと報じられていた。
 が、結果として多くの自営業の人たちは、コロナ不況で商売が成り立たずこの冬のボーナスは出ないと嘆いているのが現実だろう。
 一方そうした「世相」とは一切関係ない人たちもいる。公務員や年金生活者は、収入は常に安定しているからほとんど何も影響は受けない。むろん仕事は煩雑になるなど部署によってはタイヘンだと思うが、経済的な心配はしないですむ。
 今、国民の間ではそうした二極化がさらに進んでいるのではないか。コロナで店が潰れ仕事を失い路頭に迷う人も出てきたと聞く。一方、政府のGoToキャンペーンで年末年始は、優雅に高級旅館で過ごそうと計画していた人たち、その差はいかほどか。
 コロナウィルスは、他の大災害とは異なり結果として人々の間に格差と分断を広げてしまった。

 東日本大震災のときは、被災地に対して全国から支援の輪が広がり様々なボランティアの人たちも駆けつけ、物資だけでなくその被災地の人々と交流も可能だった。
 が、このコロナという感染症では、そもそも他者と関わる事すら厳禁なのである。密になってはいけないし人との距離は常に取らねばならない。視覚障碍者の人に声かけたり手を引いて歩くことから躊躇われるのならば、人と人との繋がりで成り立つ人間社会は崩壊していくということだ。
 感染しない、させないよう、自分と大事な人を守ると言う名目で、他者との繋がりを自粛させる「新しい日常」は、非人間性の日常社会であり、断絶と孤立の深い穴にニンゲンを落とし込む。それはウイルス以上に怖く結果としてそこでの死者、特に自殺者が増えて行くことは間違いない。
 そんな世界で我々はどう生きていくか。何が出来るか、すべきなのか。