2021年が始まった。2021年01月01日 18時37分32秒

★2020年、思い出す10の良かったこと

 なにはともあれ年が明け、新年2021年が始まった。
 明けましておめでとうございます。と、書いてもコロナ感染者数が史上最高の状況最中では、ちっともオメデタイとも誰も思えないだろう。
 そう、我は元々何で新年になると、オメデタイのか、ずっと不思議に思っていた。ただ日付が新たになっただけのことでしかないではないか。
 が、今年はそんな災厄に見舞われた年がともかく終わったから、心機一転、気分を変えるためにも、新年が来たことを率直に喜びたい。感染者数はさらに増え続けて死者すらも身近になったとしても。

 それでふと思いついたのは、昨年、我に起きた「良いこと」をともかくランダムに10並べて記しておこうということだ。果たして10も良いことがあったか思い出してみないとわからないが、悪いことのベストテンを挙げるよりも良いことのほうが「建設的」であるのは間違いない。

 順位は付けないが、ともかくまず一番目は、こんなご時世なのに、我の周りでは葬式に出なくてはならぬような死者が出なかったことだ。
 葬儀は、昨年はかけこみ亭のぼけまる氏の生前葬程度で、喪服着るなり参列はゼロですんだ。これはある意味、自分の年齢を考えれば珍しく、それはそれは素晴らしく良いことではないか。
 親しい人が誰も死なず、皆無事であることはそれだけで喜ばしい素晴らしいことだろう。

 その他、思い出してみると次々と良いことが浮かんでくる。
 まずは音楽のことなどから、どんどん書き記していきたいが、今日元旦から三日の朝までは、父が在宅なので、パソコンにゆっくり向き合えない。
 父を昼寝させたり、早く寝かしつけたり、合間合間を見て書いていくつもりでいる。もしお時間ありましたらお付き合い願いたい。

その後・・・の報告など2021年01月03日 23時13分15秒

★正月三が日を終えて

 というわけで、何とか父と二人、無事に新しい年を迎えられた。
 昔ならば、数えで年齢を表したから、新年となったので、父は97歳となったこととなる。そして息子である我も60代半ばとなる。
 老々介護というが、まあ、介護できているうちは良いわけで、老いても大男である我が父を小男である我が抱きかかえたり持ち上げることは間もなく不可能となろう。
 何にせよ、そのときはそのときで、父が百歳過ぎて、息子が70になるまでは生き続けることはないと「予想」して、先のことはあれこれ悩み煩うことなかれ、今日は今日のことだけで足れり、という気持ちで今年もやっていきたいと願う。
 
 さて、モンダイのコロナ罹患であるが、幸いにして我も父もその後、発熱などの症状は現時点では出ていない。
 また、その当日、感染した人の近くに居た人も含めて、我が知る限りその後も新たな新規感染者の報告は届いていない。
 まだ「経過観察中」なので、油断はできないし気も緩めてはならないわけだが、26日のコンサートから感染した人はこのまま出ないことを祈り願うだけだ。
 感染・発症したご夫妻も幸い、経過は軽く良好とのことで、個々に隔離入院されていると思うのだが、それぞれから状況のお知らせが届き、ほっと安堵した。
 が、それとは別ルート?で、陽性と思しき人も出たとの報も届いたので、また我は、新たな対応、連絡に追われることになろう。詳しいことは、はっきりしたら告知いたしたい。

 いずれにせよ、この見えないウイルスという脅威に、まさに年を跨いで翻弄されている年明けである。
 どうか皆さんも改めてご注意、ご自愛ください。自らは感染してなくても、また「濃厚接触」していなくても、身近で一人でも陽性者が出るとタイヘン面倒な事態が起こるのである。
 ただ、感染者を出さない、感染しない!と叫んだとしても、好きで感染する者などいないのだから、常にマスクして手洗い消毒していても運悪く感染された人たちを非難したり謗ることは絶対にしてはならない。
 自分に起きなかっただけのことで、それは自分にも起きて然るべきことなのだ。ならば、まさに「共助」し合って支援、応援していかねばと今回の件で改めて強く思った。

 年が明けて、新たな一年が始まったとしても、コロナは急に収束はしない。年末年始に限らず、これからもまたさらに感染者は増え続けることであろう。
 政府は、またも「緊急事態宣言」を発出せざるえないはずだ。
 先のコトはまさに誰にもわからないが、これからも身近に「感染者」「陽性者」が出る事を覚悟し想定して、慌てず徒に騒がず怖れず対処していこう。
 それこそがまさに「新しい日常」なのである。ワクチンなどに期待はしない。人の世は、常に「明日は我が身」と覚悟していけ。

2020年の良かったこと・その2~32021年01月04日 11時48分59秒

★「音楽」と「うた」に新たな自信と自覚を得たこと

 2020年の個人的「良かったこと」について書いている。
 やはり、まず思うのは、ともかく我が企画し責任を負っている「共謀コンサート」の「月刊」の回が、このコロナ状況下でも一年間ほぼ毎月やり終えられたことだ。
 中止となったのは、一度目の「緊急事態宣言」が出た頃、5月と6月の二回だけで、後の月は、コロナ禍でも少数の観客を前に12月の回まで、全部で10回、ともかく終えられた。
 これは何でも中途半端で最後は尻切れになってしまうことの多い自分としては稀有なことだと今思う。
 むろん、ぼけまる氏や多くのシンガー、ミュージシャン仲間、そして観客の厚い暖かい思いに支えられてのことで、自分一人でそもそもどうにかなることではなかったが。
 しかし振り返って、よく10回、ほぼ毎月続いたなあと感慨でいっぱいだ。我は、もともと自己承認度はともて低い人間だが、珍しく自らを誉めてやりたいと思う。同時に結果として多くのことを学び得た喜びもある。自信もついた。

 ともかくコロナによって、様々な「自粛」要請をうけて制約の中でのことで、無観客のときも一回あったし、かつてのような「盛況」はかなわぬ事態なので、真に満足のいくわけではない。何より観客も出演者もいない、制限しないとならぬ、という状況下の開催なのである。
 が、ともかくこのコロナ禍という難条件の中で、「不要不急」と目されることと向き会うことこそ意味があったと信ずる。そして我らは挫折しないでともかく乗り越えられた。まさにウイ・シャル・オーバーカムという気持ちでいる。

 そもそも「毎月」やろうと思ったのは、音楽のライブだけに囚われず、もっと映像までも含めたパフォーマンス全般を取り入れて、これまでよりさらに緩~く自由に、活性化したものに、というのが発露であった。
 だか、コロナの大流行により結果として何とか音楽コンサートを維持し続けるだけで精いっぱいであった。できなかったことや、かなわぬ思いは多々あるが、それを悔やめばきりがない。
 またそうした「思い」はこれからに繋げていけばいいだけのことだ。

 ついでにこの我も太田さんに手を引かれて、企画・裏方に留まらずに臆面なくも「歌い手」としてもデビューしたことも付記しておかねばならぬ。
 じみへんで太田三造さんの前座としてのことだが、自分としては大失態という苦い結果に終わったものの、この2020年が、いちおう正式デビューの年として記憶しておきたい。
 またそれに関連して、このところ自らの楽曲が創れるようになってきた。つまり詞も曲も自作自演、自給自足できるようになってたのである。
これは個人的には実に大きな出来事である。

 以前から、他人の詩、たとえば有馬敲さんの詩作に、曲をつけて、みほこんさん唄ってもらうことなどのことはできていた。
 それは手慰み的に、さほど苦労せずに自分にはできることであった。じっさい、そうしたことは、高校生の頃からやってたことで、詩に曲をつけることはさほど難しいことではない。
 が、では、自ら詞も書いての、所謂「シンガーソングライター」としては
どうかというと、詩はかけたとしても自分の詞にはメロディがつけられなかった。何故かわからないが、そのことは分離していた。
 しかし、このコロナ禍中、替え歌をつくったりあれこれ歌詞を考えていたからか、歌詞とメロディーがほぼ同時に出て来るようになった。
 一番ができれば後はカンタンで、一番の歌詞の延長すれば二番もさほど苦労せずにできることに気がついた。何だこんなことかという感じでいる。浜口庫之助の手法である。

 そしてそうしてできたうたを盟友太田さんに渡す。すると、彼は彼なりに我の詞にまた新たなメロディーをつけて唄ってくれる。そしてそれもなかなか素晴らしい。
 我は、自分自身では自分のつくった楽曲を思い通りにしっかり唄う子事ができないから、結果として太田さんバージョンが世に広まる。
 そうしてできた2020年の世相をうたにした『二人の恋はアフターコロナ』は名曲だと自分でも思う。もっとこれからも様々な場でうたっていきたい。YouTubeにもアップしたい。
 今年2021年もこうした作詞作曲活動にもっと取り組んで、彼と共に様々な音楽活動をしていきたいと願っている。

 というわけで、順不同ながら『マスダの2020年良かったこと』の2~3は、「月刊・共謀コンサート」が一年間続き無事終了したことと、自らの「音楽活動の新たな発展・展開」であろうか。

皆、元気です。が2021年01月07日 19時49分33秒

★ともかく慌ただしくてブログゆっくり落ち着いて書けない

 なかなか更新できず申し訳ありません。
 私も父もその後も発熱など感染症状は一切なく、また他の26日の「共謀者」たちからも感染・陽性の報告はありません。
 まあ、何とか無事に、様子見の二週間は終わりそうな感じです。

 が、年明け早々、関連していろいろなやりとりや連絡に追われて慌ただしかったりで、ちっとものんびり落ち着いてパソコンに向き合うことができずにおります。届いた年賀状の返事もまだ。

 父もまた今夕帰ってきて、明日は一日在宅で、その父を土曜朝に送り出してやっと一息というところ。
 
 詳しいことはそれからまとめて書き足していきたいと考えております。
 ともかく皆、無事で元気なのが有難く、まずはその報告だけでも。

 また寒さが厳しくなるとのこと、皆様どうかご自愛ください。

役者は舞台の上で、ミュージシャンはステージで2021年01月08日 11時16分19秒

★南正人のある意味、幸福な死

 自分とは接点のなかった方だが、むろん大昔からよく存じている。今も昔も敬愛していた。
 偉大な、唯一無二の存在感のシンガーが、昨日7日、横浜サムズアップのステージで倒れ、そのまま搬送先で死が確認されたと報じられた。
 南正人、ナミさん、と誰もに愛され慕われ尊敬された、フォークソング創成記から活躍してきたシンガーが亡くなられた。

 昔から役者は、舞台の上で死ねたら、本望と言われるが、シンガー、ミュージシャンならステージの上で死ぬるのが本望であろう。ファンの前で、ファンたちに囲まれてあの世へと旅立った。
 知る限り日本人ではこんなシンガーはいなかった。まさに若き日から世界を旅した人らしいある意味、幸福な死ではなかろうか。
 彼らしい最高の死に方だと我は思える。

 76歳。今の時代なら早すぎる死とも言えなくはないが、あれだけ自由勝手に生きてきた人なのだから、それもまた仕方ないかと思える。そう、まさに生涯ヒッピーであった。
 また一人、かけがえのないシンガーが消えていく。淋しいとか、哀しいとか一言で言えない気持ちでいる。
 
 合掌。そして彼に神の恵みを。

「要観察」の二週間が終わった。2021年01月10日 12時55分40秒

★コロナの真の怖さを思い知った。

 昨年12/26日のコンサートを終えた後、数日して当日来られた客からウイルス陽性者が出たことは記した。
 以降、昨日1/9日までの発症の期間とされる二週間、、我を筆頭に、その場にいた者全員が、もしかしたら感染している可能性があるとされ、この年末年始できるだけじっと自宅待機していたのだが、昨日やっとその期間が終わった。
 昨日夜、その26日の参加者全員に、「要観察」期間の二週間が終わった、と報告の同報メールを送った。
 幸いそこにいた誰からも感染した症状や陽性の連絡はなく、皆元気でこの二週間を終えたと思われる。喜ばしいことである。正直、ほっとした。安堵の溜め息が出、やれやれ、と言うしかない。昨晩は久々に枕高くして深く眠れた。
 何も無かったというだけのことだが、まずそのことをお知らせしたい。
 そして今さらだが、コロナウィルスという感染症の恐ろしさをようやく実感できた。

 我自身は、特に大きな基礎疾患などはないし、感染したとしても重症化することはないと信じてコロナ自体を特別に怖れてはいない。まあ、「コロナは風邪」だと断じはしないけれども似たようなものだという認識は変わらない。
 が、身近に感染者が出てしまうと、もしかしたらこの身も感染している可能性が高くなる。
 症状が出てなくても自腹で3万円?ほど出してすぐさまPCR検査を受ければいいとのご意見もあったが、それで陰性とされても発症までの約二週間の期間は、安心はできない。
 その時点では陰性でも翌日陽性に転ずることもあるとは保健所の人の談だ。

 けっきょく、万が一既に感染していた場合、無症状でもウイルスを持っているのだから、迂闊に宴会やパーティなどに出、密な空間で飲食を共にしたりすればその場で新たに他者にうつす可能性も高くなる。
 我は、二階さんに呼ばれて宴会の場に王選手やみのもんた、杉良太郎がいたとしてもそんなところには絶対に行かないし宴会などにはそもそも縁がないが、それでも老父とは常に濃厚接触している。
 父在宅のときは、抱きかかえたり飲食を介助したり下の世話まで日に何回もやっている。
 この年末年始は父も在宅の時間も長く、ときに父の体調がすぐれないときや体温がややいつもより高い時などはやはり、もしかしたら、うつしたかと不安に駆られ怯えた。
 また自分でも何か寒気がしたり風邪っぽい気がすると、コロナが出たかもと臆したときもあったことを正直告白する。
 コロナなど怖くないと言いつつも、超高齢の父に感染させてしまった場合、覚悟はしていても面倒な事態が多々起きるわけで、我はかなり神経質となり怯えてしまった。

 何しろ父に感染させたら、父からまた新たに通っている介護施設の他の老人たちにも感染させてしまうことだろう。クラスターが起きるかもしれない。
 仮に父は大したことがなかったとしてもその施設の他の利用者が亡くなったりすればやはりそもそもの責任は我にあることになるだろう。
 誰だって感染したくて感染する者などはいないが、無症状の陽性者として、気がつかないうちにまた他者に感染させてしまうことこそいちばん怖ろしいことではないか。

 父の死は覚悟できていたとしても、ことは父だけで終わらないわけで、見えない感染症、しかも発熱などが出ない、無症状の感染者というものに誰もが成り得ることこそ本当に怖いと今回思い知った。
 けっきょくこの年末年始の二週間、我はできるだけ誰とも会わずに、発熱などの体調に常に気を使いつつ、じっと息を潜めて暮らしていた。
 まあ、コロナは収束したわけではなく、ますますごく身近にウイルスは蔓延しているはずなのだから、今だって油断大敵、何も安心ではやしないのだが、「無罪放免」ではなくやっと気持ちだけは解放された気がしている。
 けっきょくそんなこんなでコロナに振り回されこの二週間は何一つ落ち着いてできないままであった。今年は届いた年賀状の返事もまだ出していない。
 ブログも腰据えて書けないまま時間が過ぎてしまったが、これでようやく新年、今年も始まったとして新たな気持ちで今できる、成すべきことを少しでも進めて行きたい。

 「緊急事態宣言」もまた再度出、コロナはこれからも当分の間続くことだろう。菅総理の言うように一か月程度で収束傾向していくかあまりにも甘い楽観的見通しにおもえる。
 しかし、コロナを特別に怖れることなく、自分も含めてコロナに誰もが感染することもある、「明日は我が身」だと備えて、冷静な対応をとっていくことだ。そしてともかく情報を共有し、感染したかもしれないときは、さらにまた他者にうつすことのないようまさに今回のように発症までの期間は「自粛」していくことだ。PCR検査ももちろん重要だが、ワクチンのような感染抑止の効果はない。
 政治家たちは懲りずに宴会や政治資金集めのパーティをこれからも繰り広げるだろう。我々市民ができることはこれまでの感染防止対策を徹底し、情報を広く共有し、身近に感染者が出た場合、その人を責めるのではなくまたそこから次の新たな感染者を出さないようやっていくしかない。
 今朝はすごく冷え込んだ。今年一番の寒さで今も台所の水道は凍ったままだ。
 しかし、風邪は冷たくても陽射しは暖かく春がもうすぐそこまで来ていることを教えてくれる。
 全てのことには終わりがある。元に戻らないとしても苦難のときは必ず過ぎ去る。そのときに対して備えて今できることをやっていく。