2020年の良かったこと・その2~32021年01月04日 11時48分59秒

★「音楽」と「うた」に新たな自信と自覚を得たこと

 2020年の個人的「良かったこと」について書いている。
 やはり、まず思うのは、ともかく我が企画し責任を負っている「共謀コンサート」の「月刊」の回が、このコロナ状況下でも一年間ほぼ毎月やり終えられたことだ。
 中止となったのは、一度目の「緊急事態宣言」が出た頃、5月と6月の二回だけで、後の月は、コロナ禍でも少数の観客を前に12月の回まで、全部で10回、ともかく終えられた。
 これは何でも中途半端で最後は尻切れになってしまうことの多い自分としては稀有なことだと今思う。
 むろん、ぼけまる氏や多くのシンガー、ミュージシャン仲間、そして観客の厚い暖かい思いに支えられてのことで、自分一人でそもそもどうにかなることではなかったが。
 しかし振り返って、よく10回、ほぼ毎月続いたなあと感慨でいっぱいだ。我は、もともと自己承認度はともて低い人間だが、珍しく自らを誉めてやりたいと思う。同時に結果として多くのことを学び得た喜びもある。自信もついた。

 ともかくコロナによって、様々な「自粛」要請をうけて制約の中でのことで、無観客のときも一回あったし、かつてのような「盛況」はかなわぬ事態なので、真に満足のいくわけではない。何より観客も出演者もいない、制限しないとならぬ、という状況下の開催なのである。
 が、ともかくこのコロナ禍という難条件の中で、「不要不急」と目されることと向き会うことこそ意味があったと信ずる。そして我らは挫折しないでともかく乗り越えられた。まさにウイ・シャル・オーバーカムという気持ちでいる。

 そもそも「毎月」やろうと思ったのは、音楽のライブだけに囚われず、もっと映像までも含めたパフォーマンス全般を取り入れて、これまでよりさらに緩~く自由に、活性化したものに、というのが発露であった。
 だか、コロナの大流行により結果として何とか音楽コンサートを維持し続けるだけで精いっぱいであった。できなかったことや、かなわぬ思いは多々あるが、それを悔やめばきりがない。
 またそうした「思い」はこれからに繋げていけばいいだけのことだ。

 ついでにこの我も太田さんに手を引かれて、企画・裏方に留まらずに臆面なくも「歌い手」としてもデビューしたことも付記しておかねばならぬ。
 じみへんで太田三造さんの前座としてのことだが、自分としては大失態という苦い結果に終わったものの、この2020年が、いちおう正式デビューの年として記憶しておきたい。
 またそれに関連して、このところ自らの楽曲が創れるようになってきた。つまり詞も曲も自作自演、自給自足できるようになってたのである。
これは個人的には実に大きな出来事である。

 以前から、他人の詩、たとえば有馬敲さんの詩作に、曲をつけて、みほこんさん唄ってもらうことなどのことはできていた。
 それは手慰み的に、さほど苦労せずに自分にはできることであった。じっさい、そうしたことは、高校生の頃からやってたことで、詩に曲をつけることはさほど難しいことではない。
 が、では、自ら詞も書いての、所謂「シンガーソングライター」としては
どうかというと、詩はかけたとしても自分の詞にはメロディがつけられなかった。何故かわからないが、そのことは分離していた。
 しかし、このコロナ禍中、替え歌をつくったりあれこれ歌詞を考えていたからか、歌詞とメロディーがほぼ同時に出て来るようになった。
 一番ができれば後はカンタンで、一番の歌詞の延長すれば二番もさほど苦労せずにできることに気がついた。何だこんなことかという感じでいる。浜口庫之助の手法である。

 そしてそうしてできたうたを盟友太田さんに渡す。すると、彼は彼なりに我の詞にまた新たなメロディーをつけて唄ってくれる。そしてそれもなかなか素晴らしい。
 我は、自分自身では自分のつくった楽曲を思い通りにしっかり唄う子事ができないから、結果として太田さんバージョンが世に広まる。
 そうしてできた2020年の世相をうたにした『二人の恋はアフターコロナ』は名曲だと自分でも思う。もっとこれからも様々な場でうたっていきたい。YouTubeにもアップしたい。
 今年2021年もこうした作詞作曲活動にもっと取り組んで、彼と共に様々な音楽活動をしていきたいと願っている。

 というわけで、順不同ながら『マスダの2020年良かったこと』の2~3は、「月刊・共謀コンサート」が一年間続き無事終了したことと、自らの「音楽活動の新たな発展・展開」であろうか。