暗い世相に暗い顔の菅首相を憐れむ2021年01月18日 11時40分52秒

★暗黒の屈託首相・ガース・ベイダー

 新しい年2021年の1月も早や半分が過ぎた。二度目の「緊急事態宣言」が出されてもコロナ禍は相変わらず収束の兆しもない。見る限り街には、そんな宣言どこ吹く風で、人出が溢れスーパーなどはかなりの混み合いだから、おそらく一か月程度で、感染者数を一気に減らすことは難しいだろう。

 ともあれ、新年を無事に迎えられた喜びや感慨を味わう余裕もなく、何も変わらず日々慌ただしく過ぎて、気がつけば今月も半ば過ぎてしまった。
 相変わらずまだまだ寒さは続くが、陽射しはずいぶん伸びて、晴れた日は、野外に出ればポカポカ陽気の早春の感がある。
 年明けから一時の強い寒波で、外の水道管が凍りつき日中も溶けずにウチの台所の水道は何日も水が出ず往生していたのだが、この数日は朝から問題なく水は出て、不自由することはなくなった。
 ※幸いトイレや室内の洗面所の水道だけは、常に出ていたのでそこからヤカンに汲んで料理とかはできたけれど、流しが使えないから食器が溜まっても存分に洗えないのでやや苦労させられた。

 このまま暖かくなってくれればと願うが、この先2月はまたさらに冷え込む日もあろう。三寒四温というにはほど遠いことは覚悟している。
 しかし、春はもうすぐそこまで来ているし、あれこれ逸る気持ちはあれどともかく日々すべきことを少しでも少しづつでもやっていくだけだ。
 そんなこんなで、冷え込む夜は、暖房もろくにないので起きていられず、早めに布団に入るしかなく落ち着いてブログも書けなかった。申し訳ない。

 さて、菅首相である。このところコロナ対策での失政で、各社世論調査で軒並み支持率を落としているが、今日はついに自民党の御用新聞「読売」の調査でも支持・不支持が逆転し不支持が49%、支持するが39%だと報じられた。
 朝日とかなら当然でも、読売が「支持率続落」としてこの結果を出したのは実に意義深い。まあ、当然と言えば当然だが、それだけ国民の間には広く彼の政権運営、政治手腕に不満が高まっているのである。

 政策は常に朝礼暮改、後手後手の対応だし、ろくに会見にも出ず、出ても自らの言葉で語らず下を向いて原稿を読むだけでは、誰もが、ダメだこりゃ、と彼に愛想をつかす。
 そんな男がいくら強く国民に向けてコロナ感染対策を呼びかけても誰も聞く耳を持たない。「1カ月で感染拡大を絶対阻止する」と言い切っても虚しく響くだけだ。
 これではこの政権も長くはないとおそらく自公支持者でさえも考えているかと思う。そもそも彼は首相の器だったのか、だ。

 思うに、何が一番いけないかといえば、ともかく彼は暗いのである。明るさのかけらもない。常に半白の目で、うつむき加減で表情が暗い。そして文切り口調で、「お答えはひかえさせていただく」とか「それは当たらない」と何一つ質問にまともに返答しない。
 この国民誰しもが苦難困難のコロナ世相に、彼の暗い屈託抱えた顔を見るだけでさらに憂鬱に、うんざりしてしまう。まさに不景気顔である。

 元々、そんな明るい顔の人ではなかった。それでも安倍政権の番頭としては卒なく実直に淡々とこなしていた。そこに面白みはなくとも今ほど暗い悪相ではなかった。いったい何が起きたのか。
 彼は、よく語られるように、昨今ではごく珍しい一から一代での叩き上げの政治家である。今では大政党の政治家ほとんどが親どころか祖父の、ときにまたそのさらに上の代からの世襲政治家一族の出で、安倍前首相にしろ麻生にしろ河野にしろ、民主党の鳩山にしろ、皆高名な政治家一族の末裔なのである。
 近年の総理大臣で、代々の政治家でなかったのは奇しくも同名異音の菅直人ぐらいではないか。

 菅首相は、元々、高卒後、東北秋田から集団就職で上京して、段ボール工場で働きながら夜学で法政大学を出、政治家の秘書を経て議員となったという刻苦勉励な苦労人として知られる。ある意味、田中角栄に並ぶ、今太閤なのである。
 安倍晋三たちが生まれつき銀のスプーンを咥えて政治家、そして首相になるべくしてなったのとは違い、まさに本人奮励努力、自助によってついに総理の座まで上り詰めた人だ。
 本当はそれだけで国民から高い支持を得て「偉人」として評価されても当然かと思える。それがこの体たらくである。読売新聞にまで見放されてしまった。何がいけないのか。

 思うに、菅義偉という男は、ここまで政治家として登りつめるまでにあまりに苦労し過ぎたのではないか。汚い政治の水を飲み過ぎたと言っても良い。
 それが顔に出て、あんなに暗く、屈託を抱えた顔、鬱屈した表情となってしまったと我は想像する。
 その反対側、対照的なのは、安倍晋三で、彼こそまさに「屈託がない」男であった。首相の席から野党議員の質問に野次を飛ばすなど、言語道断、まさに「屈託ない」が故にできることで、とうぜん彼は誰よりも明るかった。
 その明るさとは、苦労知らずのボンボン故のことで、ある意味何も考えていない、思考力のかけらもない証でもある。それは彼の盟友・麻生太郎も同様で、二人とも何一つ苦労せずに生きてきたからこそ、あんな「明るい」能天気でいられたのである。
 ※日本で最強の「屈託のない」夫婦は、安倍夫妻だということはさておき。

 晋三は、何も自ら考えられないから、ともかく早口で無意味なことを繰り返しまくしたて、その場を煙に巻き、誰もが信じがたい「嘘」まで臆面なくさんざんつき続けて、結果、「体調不良」で政権の後始末を菅官房長官に託して「逃亡」してしまった。
 菅氏も晋三同様に、明るく堂々と嘘であろうと臆面なくあれこれ国民に積極的に語りかければまだトランプ氏的人気も得られたかもしれない。
 ただ根が暗く、内にこもる鬱屈した性格ゆえ、それも苦手らしく何一つ自らは表舞台に立たない。それでは誰一人彼についてこない。国民の信頼も得られない。

 個人的には、我自身も彼のように暗く不器用だからこういう人は嫌いではない。苦労して自らの手腕で政治家のトップにまでのし上がったのだから実にエライと感心する。
 ただそこに至るまでにあまりにも汚い水を飲み、手を汚し過ぎた。それが顔に出てしまっている。あの暗さでは首相として国民を率いることは難しい。
 強いリーダーシップとは、明るさに裏打ちされた「信頼度」を伴う。かつて田中角栄が広く大衆的人気を得たのは、彼には無類の明るさと強い発信力があったからだ。嘘くさい無理難題でも角栄が口にすれば何か現実的に思えた。いや、思えさせた。それが政治家なのである。

 菅義偉、東北から出てきた集団就職の1少年が、ついに政治家の頂点に立った。本来ならば彼が味わってきたこれまでの辛酸、つまり「苦労」や「痛み」を政治に生かせば、真に偉大な後世に名を残す偉人となれただろう。
 が、彼は、権力と地位、巨額の金を手にし始めてから、かつての自分である弱く貧しい者の痛みを思うことなく、逆にそれを手段、「強権」として振りかざすことでまたさらに上へと昇りつめて行った。それが彼の顔に出、今の暗い悪相となった。
 そして今、まさにメッキが剥げて「そもそも首相の器ではない」と断罪されるような四面楚歌となってしまったのだ。
 人とは無理して巨大な権力を手にすると、こうなるという戒めであろうか。それとも銀のスプーンを咥えて来なかった者の僻みであろうか。

 追記。暗い顔の人はその周りにもう2人いる。二階幹事長と小池百合子だ。特に二階さんは、彼の笑顔は誰も想像できないかと思う。常にぶっちょう面だし、小池百合子に至っては、まるで中学校の教師のように常に取り澄まして隙を見せないよう必死である。この二人の「屈託」はどこから来るのか。この暗さは何ゆえか。
 屈託のない人、もう一人は、オリンピックの会長・森元首相なのは誰もが認めるはずだ。東京五輪を今でもやると言い張ることに、多くの批判を浴びると「ネットでは皆、私の悪口ばかりだ」と言い切れる神経こそ真に屈託のないおバカなのである。