コロナ禍でも、ともかく続けていくこと、だと ― 2021年02月02日 22時14分52秒
★人生を自ら終わりにしない。
今朝は雨上がりの暖かい朝だった。朝のうちは曇っていたが、しだいに陽射しも出て、暖かい穏やかな早春の一日となった。
2月となった。このところ雨が多く、まさに一雨ごとに春めいていく感がある。むろんまだまだ冷え込み、時に雪が舞う日もあるかもしれないが、たぶん今年はもう積もるような大雪や水道が凍る程の強い寒気は東日本、太平洋側ではないような気がする。
こうして一雨ごとに春へと向かっていくと期待したい。もう辛い、最悪のときは終わったと。
まず我が父のことだが、小康状態というべきか、先日来の急激に悪化した呆けは今は下げ止まり、記憶はともかくも人間性はまだ何とか維持、確保している。そんなで今朝も介護施設に何とか苦労したが送り出せた。
ただ、今年に入ってから我としては朝、父のオムツ替えや起こすときなど、父は果たして今朝も無事で何も異変はないか、戸を開けて確認するまでドキドキし、常に最悪の覚悟のうえで臨んでいる。
じっさい、もう寝ている間に、老衰で不意に呼吸が止まっていたり、不慮の事故で死んでいてもちっともおかしくない状態なのである。
96歳という超高齢の老人を自宅で我一人で介護し共に暮らすということは、同じような経験をしている人はまずいないと思うしその気持ちはどう語るべきか。
認知症もひどく何をしでかし何が起きてもおかしくないし、常に死はごくごく側にあるとひしひし感じている。俗に薄氷を踏む、という表現があるが、まさに命の薄氷を毎日怖ろ怖ろ父の手を引いて歩いている気がする。
このところ、父は何故か必ず朝、オムツ替えのとき確認すると、毛布一枚だけしかかけていない。何枚もの他の毛布や布団は、傍らの椅子にきちんと折りたたんで重ねてある。
そして時に、穿いているオムツ、紙パンツなども全部、一切脱ぎ捨てて、すっぽんぼんで下半身丸裸で眠っている。
これは、たぶん暖房いれてるので暑いのだろうと考えて、温度を下げるのではなく、布団を厚めにかけて暖房は切って寝かせたら、先日は朝までそのまましっかり布団も毛布も掛けて眠ってくれた。
やはり一兵卒として先の大戦で、酷寒の満州でも生き抜いた人だから、寒さには格段に強いのだとわかった次第で、ならば暖房は不要かと、オフにしてこの数日寝かせていた。
が、今朝は、春めいてきてそれでも暑かったらしい。早朝5時のオムツ替えのときには、毛布一枚だけで寝ていたので、風邪ひくと思いしっかり布団かけておいたら、朝8時過ぎ、施設に送るために再度起こしたらば、下半身はなんと丸裸であった。紙パンツすら履いていない。オムツも何もかも全部脱ぎ捨ててあった。
とうぜん、シーツの上に小便は大量に漏らしていて、まさに大世界地図であった。父はその小便の湖のうえで眠っていたのだ。
何でそんなことをするのか問い責めても意味はない。要するに無意識のうえでそんな妄動に励むわけで、先日は、この寒中に、深夜に窓をこじ開けて外に出ようとカクサクした形跡があり、キジ子ら猫たちはその開けた窓から外へ逃亡してしまい連れ戻すのにまた苦労した。
昨年はじっさい、厳冬1月なのに、寝ている部屋の引き戸を外し台所から戸を壊してそこから父自ら外に出、徘徊のあげく、車の中で早朝眠ってるのを発見されたこともある。我が朝起きたら部屋は空っぽで父の姿はなくまさに仰天、卒倒した。
そのときも真冬なのに裸足でほぼ裸だったのだから、ヘタすれば即肺炎起こしてコロナでなくともとうに死んでいたはずで、スーパー呆け老人は何しでかすかまさに予測不可能なのである。父がいると気が休まらないとはこういうことだ。
大・小便を垂れ流したり寝小便したりするのは介護苦労の度合いとしてはごく軽いものである。
当然、そんな父と暮らしていると騒動やトラブルは日々絶え間なく、我は心身疲弊してしまう。気が休まらないから夜もろくに眠れず常にイライラしてときに父にも暴力であたる。そして繰り返し自己嫌悪となる。誰も助けてくれないし、ブログで愚痴すら書くのも憚かられる。どこにも出口は見えやしない。
今だから記すが、何度も自暴自棄となって、父を殺してこの家に火をつけて自分も自殺しようと考えた。じっさいゴミ箱に火をつけたこともある。
そうして人生を終わらせようと衝動的に何度も考えもした。もううんざりであった。何もかも。すべて思い通りにならず、誰にも頼れず孤独であった。
が、今はこのコロナ禍中、全世界的にこれまで誰も経験したことのない状況下、誰もが苦難のときにあって、父とのことも考え方が変わった。老いも若きも多くの人たちがコロナとその関連死で亡くなっていく。その人たち残す思いはいかほどか。
つまるところ人は誰もが必ず死ぬのである。望むと望まざるとに関わらず誰もが必ずいつかは死ぬ。
ならば、何も自らその死を願ったり望む必要などどこにもないのではないか。どれほど大変で手がかかろうとも父はもうすぐ、間もなく必ず死ぬ。その父と共に我もまた自ら人生を終わらせる必要はどこにもない。ましてそんなふうに、ははを看取り父を殺し終えて自らも死ぬのならばいったい自分の人生はどこにある? 何のために生きて来たのか?
我はまだ己の人生を生きていないではないか。
そう、このコロナ禍で多くの店が廃業に追い込まれている。また失業者や自殺者もものすごい数で増えている。
そこでのキーワードこそ、「持続化」なのである。つまり、大変な状況だからこそ、そこでついにやめて、終わりにしてしまうか、何とか持続していけるか、なのだ。
持続化給付金という処方も受け競れる人や事業者は良いことだ。が、とてもそれではやっていけないという人も多々いるだろうし、そもそもそんな援助や「救い」は得られない人もたくさんいるかと思う。
先日もどこそこの何代も続いた老舗の有名な名店が、ついにこのコロナで客足が減りやむなく閉店したと報じられていた。そんなニュースは後を絶たない。
じっさいそうするしかないという限界的状況なのであろう。つまりコロナが収まらず先も見えず、これ以上赤字で貯金を取り崩していくなら「閉店」「廃業」やむなしということ。それを他者が咎めることもあれこれ口はさむこともできやしない。
だが、あえて今思う。他者が無責任な言いで、他人にどうこうは言えやしないし言うべきではない。が、自らにおいては、何はともあれともかく何事も続けていくことが肝要・大事なんだと。特に「人生」こそは。
終わりはいつか必ず嫌でも誰にでも来る。そのときは今なのか、とまず問うことだ。そう、それは「今」ではない。ここでもない。自ら下すべきことでもない。やっと気がついた。
今ここに書き記す。我はもう人生を投げ出さない。逃げずにきちんと向き合っていく。最後の最期、その日が来るまで、とことんもがきあがいても生き続けていく。
まだここでは死ねないし、こんなことでは死ぬに死ねない。その日、そのときが来るまで、生き続けていく。
善き力にわれ囲まれ という思いでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=8CAEZz9OExs
善き力にわれ囲まれ
守り慰められて
世に悩み共にわかち
新しい日を望もう
過ぎた日々の悩み重く
なおのしかかる時も
さわぎ立つ心しずめ
み旨に従いゆく
善き力に守られつつ
来るべき時を待とう
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます
たとい主から差し出される
杯は苦くても
恐れず感謝をこめて
愛する手から受けよう
輝かせよ主のともし火
われらの闇の中に
望みを主の手にゆだね
来るべき朝を待とう
善き力に守られつつ
来るべき時を待とう
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます
作詞: Dietrich Bonhoeffer 1944
作曲: Siegfried Fietz, 1970
今朝は雨上がりの暖かい朝だった。朝のうちは曇っていたが、しだいに陽射しも出て、暖かい穏やかな早春の一日となった。
2月となった。このところ雨が多く、まさに一雨ごとに春めいていく感がある。むろんまだまだ冷え込み、時に雪が舞う日もあるかもしれないが、たぶん今年はもう積もるような大雪や水道が凍る程の強い寒気は東日本、太平洋側ではないような気がする。
こうして一雨ごとに春へと向かっていくと期待したい。もう辛い、最悪のときは終わったと。
まず我が父のことだが、小康状態というべきか、先日来の急激に悪化した呆けは今は下げ止まり、記憶はともかくも人間性はまだ何とか維持、確保している。そんなで今朝も介護施設に何とか苦労したが送り出せた。
ただ、今年に入ってから我としては朝、父のオムツ替えや起こすときなど、父は果たして今朝も無事で何も異変はないか、戸を開けて確認するまでドキドキし、常に最悪の覚悟のうえで臨んでいる。
じっさい、もう寝ている間に、老衰で不意に呼吸が止まっていたり、不慮の事故で死んでいてもちっともおかしくない状態なのである。
96歳という超高齢の老人を自宅で我一人で介護し共に暮らすということは、同じような経験をしている人はまずいないと思うしその気持ちはどう語るべきか。
認知症もひどく何をしでかし何が起きてもおかしくないし、常に死はごくごく側にあるとひしひし感じている。俗に薄氷を踏む、という表現があるが、まさに命の薄氷を毎日怖ろ怖ろ父の手を引いて歩いている気がする。
このところ、父は何故か必ず朝、オムツ替えのとき確認すると、毛布一枚だけしかかけていない。何枚もの他の毛布や布団は、傍らの椅子にきちんと折りたたんで重ねてある。
そして時に、穿いているオムツ、紙パンツなども全部、一切脱ぎ捨てて、すっぽんぼんで下半身丸裸で眠っている。
これは、たぶん暖房いれてるので暑いのだろうと考えて、温度を下げるのではなく、布団を厚めにかけて暖房は切って寝かせたら、先日は朝までそのまましっかり布団も毛布も掛けて眠ってくれた。
やはり一兵卒として先の大戦で、酷寒の満州でも生き抜いた人だから、寒さには格段に強いのだとわかった次第で、ならば暖房は不要かと、オフにしてこの数日寝かせていた。
が、今朝は、春めいてきてそれでも暑かったらしい。早朝5時のオムツ替えのときには、毛布一枚だけで寝ていたので、風邪ひくと思いしっかり布団かけておいたら、朝8時過ぎ、施設に送るために再度起こしたらば、下半身はなんと丸裸であった。紙パンツすら履いていない。オムツも何もかも全部脱ぎ捨ててあった。
とうぜん、シーツの上に小便は大量に漏らしていて、まさに大世界地図であった。父はその小便の湖のうえで眠っていたのだ。
何でそんなことをするのか問い責めても意味はない。要するに無意識のうえでそんな妄動に励むわけで、先日は、この寒中に、深夜に窓をこじ開けて外に出ようとカクサクした形跡があり、キジ子ら猫たちはその開けた窓から外へ逃亡してしまい連れ戻すのにまた苦労した。
昨年はじっさい、厳冬1月なのに、寝ている部屋の引き戸を外し台所から戸を壊してそこから父自ら外に出、徘徊のあげく、車の中で早朝眠ってるのを発見されたこともある。我が朝起きたら部屋は空っぽで父の姿はなくまさに仰天、卒倒した。
そのときも真冬なのに裸足でほぼ裸だったのだから、ヘタすれば即肺炎起こしてコロナでなくともとうに死んでいたはずで、スーパー呆け老人は何しでかすかまさに予測不可能なのである。父がいると気が休まらないとはこういうことだ。
大・小便を垂れ流したり寝小便したりするのは介護苦労の度合いとしてはごく軽いものである。
当然、そんな父と暮らしていると騒動やトラブルは日々絶え間なく、我は心身疲弊してしまう。気が休まらないから夜もろくに眠れず常にイライラしてときに父にも暴力であたる。そして繰り返し自己嫌悪となる。誰も助けてくれないし、ブログで愚痴すら書くのも憚かられる。どこにも出口は見えやしない。
今だから記すが、何度も自暴自棄となって、父を殺してこの家に火をつけて自分も自殺しようと考えた。じっさいゴミ箱に火をつけたこともある。
そうして人生を終わらせようと衝動的に何度も考えもした。もううんざりであった。何もかも。すべて思い通りにならず、誰にも頼れず孤独であった。
が、今はこのコロナ禍中、全世界的にこれまで誰も経験したことのない状況下、誰もが苦難のときにあって、父とのことも考え方が変わった。老いも若きも多くの人たちがコロナとその関連死で亡くなっていく。その人たち残す思いはいかほどか。
つまるところ人は誰もが必ず死ぬのである。望むと望まざるとに関わらず誰もが必ずいつかは死ぬ。
ならば、何も自らその死を願ったり望む必要などどこにもないのではないか。どれほど大変で手がかかろうとも父はもうすぐ、間もなく必ず死ぬ。その父と共に我もまた自ら人生を終わらせる必要はどこにもない。ましてそんなふうに、ははを看取り父を殺し終えて自らも死ぬのならばいったい自分の人生はどこにある? 何のために生きて来たのか?
我はまだ己の人生を生きていないではないか。
そう、このコロナ禍で多くの店が廃業に追い込まれている。また失業者や自殺者もものすごい数で増えている。
そこでのキーワードこそ、「持続化」なのである。つまり、大変な状況だからこそ、そこでついにやめて、終わりにしてしまうか、何とか持続していけるか、なのだ。
持続化給付金という処方も受け競れる人や事業者は良いことだ。が、とてもそれではやっていけないという人も多々いるだろうし、そもそもそんな援助や「救い」は得られない人もたくさんいるかと思う。
先日もどこそこの何代も続いた老舗の有名な名店が、ついにこのコロナで客足が減りやむなく閉店したと報じられていた。そんなニュースは後を絶たない。
じっさいそうするしかないという限界的状況なのであろう。つまりコロナが収まらず先も見えず、これ以上赤字で貯金を取り崩していくなら「閉店」「廃業」やむなしということ。それを他者が咎めることもあれこれ口はさむこともできやしない。
だが、あえて今思う。他者が無責任な言いで、他人にどうこうは言えやしないし言うべきではない。が、自らにおいては、何はともあれともかく何事も続けていくことが肝要・大事なんだと。特に「人生」こそは。
終わりはいつか必ず嫌でも誰にでも来る。そのときは今なのか、とまず問うことだ。そう、それは「今」ではない。ここでもない。自ら下すべきことでもない。やっと気がついた。
今ここに書き記す。我はもう人生を投げ出さない。逃げずにきちんと向き合っていく。最後の最期、その日が来るまで、とことんもがきあがいても生き続けていく。
まだここでは死ねないし、こんなことでは死ぬに死ねない。その日、そのときが来るまで、生き続けていく。
善き力にわれ囲まれ という思いでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=8CAEZz9OExs
善き力にわれ囲まれ
守り慰められて
世に悩み共にわかち
新しい日を望もう
過ぎた日々の悩み重く
なおのしかかる時も
さわぎ立つ心しずめ
み旨に従いゆく
善き力に守られつつ
来るべき時を待とう
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます
たとい主から差し出される
杯は苦くても
恐れず感謝をこめて
愛する手から受けよう
輝かせよ主のともし火
われらの闇の中に
望みを主の手にゆだね
来るべき朝を待とう
善き力に守られつつ
来るべき時を待とう
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます
作詞: Dietrich Bonhoeffer 1944
作曲: Siegfried Fietz, 1970
森喜朗という幸福な人を羨む ― 2021年02月06日 20時28分40秒
★己の愚かさと過ちに気づかぬまま、絶大な権力を手に人生を終えられるならば
緊急事態宣言再発出から一か月過ぎた。当然、コロナはその一か月内で収まるわけもなくまたさらに一か月延長された。今さら菅首相の定見なき無責任発言をとやかく批判しても意味がない。威勢のいい言葉だけのパフォーマンスは小池都知事に任せとけ、だ。
そしてようやくこのところやや新規感染者数も減少傾向との報道が続き、おそらく来月頭には、いったんは「とりあえず」収束したと政府や御用学者たちは公言することだろう。
先のことはわからないが、ワクチンも含めて、あらゆる手を尽くしてともかく一日も早く元通りの自由な生活、かつての当たり前の日常が戻ってほしいと誰もが望んでいる。そう、この我もが、さすがに恒常的マスク生活などには心底うんざりしている。
ともかく息苦しく不便なのである。元々呼吸器系が弱く咳の発作が続くことが多い我はマスクするのが好き嫌いではなくそもそも苦痛である。新鮮な酸素が入らないと息苦しくてたまらない。
またどんなマスクでもメガネは曇るし、そうならぬよう「鼻マスク」というのか、これまでは鼻だけ出していたのだが、今ではそれさえもアウトなのだと批判される。常に顔の半分、目の下は全部マスクで覆い隠さないことには、世間様からうるさく叱られる世の中となってしまった。
今では、父の訪看さんとか訪問診療、あるいは介護施設の職員との応対時にも父も我もマスク着用が義務づけられているので、家の中でもマスクせざる得ない面倒な状況となってしまった。
そんな誰もが生き苦しい不自由な今の世で、一人、特に自由好き勝手に放言吐きまくる御仁がいる。そう、東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会、森会長である。
これまでも過去に、日本は神の国、から、女性スケーター選手を名指しして、肝心な時に必ず転ぶ、とか、好き勝手に思いつくまま多くの放言を口にしてきた人だが、つい先日また組織の会合で、マスメディアを前にして、女性蔑視、差別と受け取られても仕方のないトンデモ発言をしてしまった。
失言大王とも揶揄される御仁が何を言ったかは、今さらここで細かく検証して批判する余裕も時間も我にないので、あちこちで多くの人が紹介してるのでそちらをお読み頂きたいが、さらにまた呆れかつ感心したのは、その「謝罪会見」である。
その「女性がたくさんはいってる会議は時間がかかる」発言その他が、国内のみならず全世界的に大きな批判を浴び、オリンピック精神にも反するとして、会長の責任が問われる事態となっての会見であった が、けっきょく、神妙に「発言は撤回します」、と謝罪したのは冒頭のみで、後の質疑応答では、報道陣の質問に逆ギレして、謝罪は本心からではないと知らしめる醜態を示しまたさらに顰蹙をかう結果となった。
この人はほんとうにこれまでも常に自分勝手に自ら都合しか頭にないまま、好き勝手に放言し放題で生きてきた人で、どれほど批判されてもそれを「悪口」だとしか受け取れないほど面の顔が厚い鈍感、無反省な何も考えていない男なのである。よって、「発言」は本心からのものであること、「謝罪」もうわべだけのものであると、さらにこんな愚かな問題人物が、東京オリンピック開催運営の中枢にいるということをさらに世界中に発信してしまった。
こんなに自分勝手な人はアメリカのトランプ氏以外に日本にもいたことを久しぶりに思い出させてくれた。が、トランプは、ともかく熱烈な人気も一部の人望もあり、多くの支持者が今もいるが、何故にこの愚かな正直者が、これほど厭い嫌われてしまうのか考えてみる必要があろう。
ネットの世界では、そもそもこんなトンデモ人物がどうしてオリンピック組織委員会の会長なのか、そのこと自体を疑問視し批判する意見で溢れているが、我に言わせれば、それもこれも自民党政権と長く続いた安倍政治の負の遺産そのものであり、東京オリンピック開催が決まった時から彼以外に相応しい成り手はいなかったのである。
また彼を罷免しろとか、クビにせねばという発言も多いが、独立した組織なのだから、外部がとやかく口出して指示することもできやしない。カメは甲羅に似せて穴を掘るという喩え通りならば、彼はある意味、日本社会の象徴なのである。
彼の存在こそが、日本という国がオリンピックを開催するということの暗喩なのである。
だか、当然常識的に様々な批判が噴出していく。
いちばん気になるのは、老害だとして、政治家も65歳定年制を、とか、挙句に、働かない国会議員もついでに減らせ、という極論である。
歳とった政治家は、二階幹事長や麻生副総理も含め、身勝手でトンデモ発言ばかりして国民のために全くならないと我も思うが、だからといって老人全部がある一定の年齢になったら公職は退いて隠居しろというのはまた暴論だと考える。
「老害」の老人は確かにいる。それは会社でも街でも家でもどこにでもいる。しかし、それを老人全般、年寄り全てに当てはめてしまうのは、「女性は話し好きだから会議が長くなる」からという偏った認識による極論的一般論と同じで、○○人は××だから、という偏見と同じレベルに陥ることではないのか。
歳をとっても若い時と変わらず昨今の若者よりリベラルで柔軟な考え方や行動をとっている人はたくさんいる。また若くても頑迷固陋の人も多々いよう。
モノゴトは何かコトが起こると一つの事例から極論に考えが及ぶ。政治家の定年制に問題を移すこと以前に、森会長の発言の裏にある思想、つまりある意味日本的男性思考こそが再考すべきことではないのか。
同時に、その考え方と周りの対処法こそが国際的に今日本は問われているのではないか。
男性優位社会で、どのような場でも力のある、上位にある男性が何か口にしたり行動したりすると、下位の者は女性でなくとも誰も異論や反論は口に出せないしすべきではないという社会構造。
その「男」がどれほど誤った問題ある発言をしたとしても周りは、追従の笑いしか出せず、きちんとそのモノゴトの本質を指摘したり面と向かって批判はできないという日本社会の立て構造。
実はそれこそがスポーツの世界なのである。
我は、昔から文弱の輩であり、学校でも体育会的クラブ活動は大嫌いでほとんど参加しなかったのだが、今にしてそれは何故かはっきりわかってきた。
体育会的世界では、上下関係は絶対であり、先輩や指導者が命じたことがどれほど無意味、非道であろうともそれにともかく従うしかない。抗ったり誤りを批判したり諫めたりすることは絶対的に許されない。
理不尽でも我慢して、自分が上の立場に立ったとき、今度は新たに下に来た者にそれを同じく押し付ければ良いのである。
つまりこれは軍隊の論理であり、日本の社会は、今も実は多くの会社でも政治の世界でも同様の立て構造が続いている。強い者にはまかれろ、忖度せよである。
中でもスポーツの組織こそそれが厳然確固たるもので、相撲も同様だし、オリンピックの組織委員会もまた然りなのである。
そうした中で当然のこととして出た森発言。しかし、何で今さらこのコロナ禍で、オリンピックは開催困難なタイヘンな最中に、女性差別発言をするのかまったく理解できない。
このところ新規感染者数もようやく減少して来て、もしかしたら東京オリンピックもどのようなカタチならば開催できるかも、と希望が見えてきた矢先なのである。
森会長の発言とまたその後の「謝罪会見」はさらに火に油を注ぐ結果となった。いや、オリンピックの火に会長自ら水をかけたというべきか。
ともあれ、森喜朗のように状況も一切顧みず、好き勝手に放言を自由に口にして、一切何も反省しないしその批判の裏に潜む真の問題にも頭が回らないし気がつかない。そうして好き勝手に存分に生きて一生を終えられるならば実に幸福な人生ではないだろうか。
私はこういう人になりたい。
緊急事態宣言再発出から一か月過ぎた。当然、コロナはその一か月内で収まるわけもなくまたさらに一か月延長された。今さら菅首相の定見なき無責任発言をとやかく批判しても意味がない。威勢のいい言葉だけのパフォーマンスは小池都知事に任せとけ、だ。
そしてようやくこのところやや新規感染者数も減少傾向との報道が続き、おそらく来月頭には、いったんは「とりあえず」収束したと政府や御用学者たちは公言することだろう。
先のことはわからないが、ワクチンも含めて、あらゆる手を尽くしてともかく一日も早く元通りの自由な生活、かつての当たり前の日常が戻ってほしいと誰もが望んでいる。そう、この我もが、さすがに恒常的マスク生活などには心底うんざりしている。
ともかく息苦しく不便なのである。元々呼吸器系が弱く咳の発作が続くことが多い我はマスクするのが好き嫌いではなくそもそも苦痛である。新鮮な酸素が入らないと息苦しくてたまらない。
またどんなマスクでもメガネは曇るし、そうならぬよう「鼻マスク」というのか、これまでは鼻だけ出していたのだが、今ではそれさえもアウトなのだと批判される。常に顔の半分、目の下は全部マスクで覆い隠さないことには、世間様からうるさく叱られる世の中となってしまった。
今では、父の訪看さんとか訪問診療、あるいは介護施設の職員との応対時にも父も我もマスク着用が義務づけられているので、家の中でもマスクせざる得ない面倒な状況となってしまった。
そんな誰もが生き苦しい不自由な今の世で、一人、特に自由好き勝手に放言吐きまくる御仁がいる。そう、東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会、森会長である。
これまでも過去に、日本は神の国、から、女性スケーター選手を名指しして、肝心な時に必ず転ぶ、とか、好き勝手に思いつくまま多くの放言を口にしてきた人だが、つい先日また組織の会合で、マスメディアを前にして、女性蔑視、差別と受け取られても仕方のないトンデモ発言をしてしまった。
失言大王とも揶揄される御仁が何を言ったかは、今さらここで細かく検証して批判する余裕も時間も我にないので、あちこちで多くの人が紹介してるのでそちらをお読み頂きたいが、さらにまた呆れかつ感心したのは、その「謝罪会見」である。
その「女性がたくさんはいってる会議は時間がかかる」発言その他が、国内のみならず全世界的に大きな批判を浴び、オリンピック精神にも反するとして、会長の責任が問われる事態となっての会見であった が、けっきょく、神妙に「発言は撤回します」、と謝罪したのは冒頭のみで、後の質疑応答では、報道陣の質問に逆ギレして、謝罪は本心からではないと知らしめる醜態を示しまたさらに顰蹙をかう結果となった。
この人はほんとうにこれまでも常に自分勝手に自ら都合しか頭にないまま、好き勝手に放言し放題で生きてきた人で、どれほど批判されてもそれを「悪口」だとしか受け取れないほど面の顔が厚い鈍感、無反省な何も考えていない男なのである。よって、「発言」は本心からのものであること、「謝罪」もうわべだけのものであると、さらにこんな愚かな問題人物が、東京オリンピック開催運営の中枢にいるということをさらに世界中に発信してしまった。
こんなに自分勝手な人はアメリカのトランプ氏以外に日本にもいたことを久しぶりに思い出させてくれた。が、トランプは、ともかく熱烈な人気も一部の人望もあり、多くの支持者が今もいるが、何故にこの愚かな正直者が、これほど厭い嫌われてしまうのか考えてみる必要があろう。
ネットの世界では、そもそもこんなトンデモ人物がどうしてオリンピック組織委員会の会長なのか、そのこと自体を疑問視し批判する意見で溢れているが、我に言わせれば、それもこれも自民党政権と長く続いた安倍政治の負の遺産そのものであり、東京オリンピック開催が決まった時から彼以外に相応しい成り手はいなかったのである。
また彼を罷免しろとか、クビにせねばという発言も多いが、独立した組織なのだから、外部がとやかく口出して指示することもできやしない。カメは甲羅に似せて穴を掘るという喩え通りならば、彼はある意味、日本社会の象徴なのである。
彼の存在こそが、日本という国がオリンピックを開催するということの暗喩なのである。
だか、当然常識的に様々な批判が噴出していく。
いちばん気になるのは、老害だとして、政治家も65歳定年制を、とか、挙句に、働かない国会議員もついでに減らせ、という極論である。
歳とった政治家は、二階幹事長や麻生副総理も含め、身勝手でトンデモ発言ばかりして国民のために全くならないと我も思うが、だからといって老人全部がある一定の年齢になったら公職は退いて隠居しろというのはまた暴論だと考える。
「老害」の老人は確かにいる。それは会社でも街でも家でもどこにでもいる。しかし、それを老人全般、年寄り全てに当てはめてしまうのは、「女性は話し好きだから会議が長くなる」からという偏った認識による極論的一般論と同じで、○○人は××だから、という偏見と同じレベルに陥ることではないのか。
歳をとっても若い時と変わらず昨今の若者よりリベラルで柔軟な考え方や行動をとっている人はたくさんいる。また若くても頑迷固陋の人も多々いよう。
モノゴトは何かコトが起こると一つの事例から極論に考えが及ぶ。政治家の定年制に問題を移すこと以前に、森会長の発言の裏にある思想、つまりある意味日本的男性思考こそが再考すべきことではないのか。
同時に、その考え方と周りの対処法こそが国際的に今日本は問われているのではないか。
男性優位社会で、どのような場でも力のある、上位にある男性が何か口にしたり行動したりすると、下位の者は女性でなくとも誰も異論や反論は口に出せないしすべきではないという社会構造。
その「男」がどれほど誤った問題ある発言をしたとしても周りは、追従の笑いしか出せず、きちんとそのモノゴトの本質を指摘したり面と向かって批判はできないという日本社会の立て構造。
実はそれこそがスポーツの世界なのである。
我は、昔から文弱の輩であり、学校でも体育会的クラブ活動は大嫌いでほとんど参加しなかったのだが、今にしてそれは何故かはっきりわかってきた。
体育会的世界では、上下関係は絶対であり、先輩や指導者が命じたことがどれほど無意味、非道であろうともそれにともかく従うしかない。抗ったり誤りを批判したり諫めたりすることは絶対的に許されない。
理不尽でも我慢して、自分が上の立場に立ったとき、今度は新たに下に来た者にそれを同じく押し付ければ良いのである。
つまりこれは軍隊の論理であり、日本の社会は、今も実は多くの会社でも政治の世界でも同様の立て構造が続いている。強い者にはまかれろ、忖度せよである。
中でもスポーツの組織こそそれが厳然確固たるもので、相撲も同様だし、オリンピックの組織委員会もまた然りなのである。
そうした中で当然のこととして出た森発言。しかし、何で今さらこのコロナ禍で、オリンピックは開催困難なタイヘンな最中に、女性差別発言をするのかまったく理解できない。
このところ新規感染者数もようやく減少して来て、もしかしたら東京オリンピックもどのようなカタチならば開催できるかも、と希望が見えてきた矢先なのである。
森会長の発言とまたその後の「謝罪会見」はさらに火に油を注ぐ結果となった。いや、オリンピックの火に会長自ら水をかけたというべきか。
ともあれ、森喜朗のように状況も一切顧みず、好き勝手に放言を自由に口にして、一切何も反省しないしその批判の裏に潜む真の問題にも頭が回らないし気がつかない。そうして好き勝手に存分に生きて一生を終えられるならば実に幸福な人生ではないだろうか。
私はこういう人になりたい。
いったい今、何が起きているのか、これから何が起ころうとしているのか ― 2021年02月15日 19時19分11秒
★オリンピックどころではないだろう
心中穏やかざるものあり、という言葉がある。
このところ、特に2月に入ってからは漠然とした強い不安に苛まれていた。
いくつか付随する要因はあるが、最大は父のことで、「死期」がごく近くに迫ってきているのに、我は未だ何もその準備も、その後のことも対策ができていないからだ。
むろん覚悟はある程度できている。もういつ死んでもまったくおかしくない齢なのだから。じっさい百歳近いのである。
だが、備えあれば憂いなし、という諺は知りながら、日々の生活だけで手いっぱいで何一つその準備、「備え」に未だ至らず、刻々と残り時間だけは少なくなってきてさすがに「憂い」ばかり、つまり不安や焦りにかられてきた。
このところ眠るとみる夢は、必ず高い所から何かを落としたり、落ちていく夢ばかりで、幸い結果として落としたモノ、例えばどこかの子供や犬たちは無事だったという結末なのだが、それでも毎回冷や汗ものである。
たぶん心底に強い不安や恐怖があるのだと自分でも思える。
そんなところに、一昨日13日の夜遅くのかなり大きい地震である。
皆さん無事でありましたか。福島や宮城の人たちの心中いかばかりか。幸い今回は死者が1人も出なかったことは幸いであった。
ウチは、積み上げた本の山が多少崩れて落ちた程度で、近くの倉庫も含めて大きな被害は特になかった。が、いつまたこの程度では収まらない強い大地震が来るかわからない。首都直下型だか、関東大震災級のものかはともかく、日本は地震大国なのである。
東日本大震災から10年経っても未だこんなに大きい余震が来るのなら「次」も必ずあると心して常に備えなければならない。
しかしもう毎度のことながら我はどこもいっぱいいっぱいで、汗牛充棟、本や楽器、レコード、機材などでまさに天井高くまで山積みだ。
本当に大きな地震に襲われたら、他では死者は出なくても本の山に押し潰れて我だけは死んでもちっともおかしくない状態なのである。いや、家が重さで倒壊するのではないか。
そうしたことも我の不安に拍車をかける。そして焦り苛立ちどんどん追い詰められていく。
さておき、起こることはすべてが「メッセージ」だとするならば、大震災からちょうど10年目、3月11日を目前にして、再びそのときに匹敵する規模の大きな地震が起きたことは大きな意味があるのではないか。我には天啓のように思える。
というのは、大震災からの復興五輪を謳った東京オリンピックが今、このコロナ禍中でも未だ開催ありきの方向で、森会長辞任の混乱下でも政府、マスコミ挙げて妄動中の「今」このときだからだ。
確かに対外的というべきか、表向き、つまり目に見える部分では「復興」もなったかもしれない。震災遺構はほぼ姿を消し、かさ上げした土地には住宅が立ち並ぶ。商店街の賑わいも戻ってきたと聞く。
しかしじっさいは、何も「復興」していないのではないか。今も避難し元の町に帰れない人たちと被災した全ての人々の心の中と、この地中地下、深い目に見えない部分では。
大震災10年目の2/13日の大きな地震、オリンピックのお祭り騒ぎに気持ちを向けようとする人々への戒めとは言わないが「警告」ととらえるべきと我は考える。
これは書くべきか迷ったが、翌日14日の昼過ぎ、ウチの前を救急車がサイレンを鳴らし通り過ぎ近くに停まった。
不審に思い外に出て見たら、二軒先の家の前である。近所のオバサンたちも集まっている。
その家は、七十代ぐらいの夫婦と子息二人の四人で暮らしている。我はてっきり、その親のどちらかに異変が起きて救急車を手配したと思った。しばらく庭先で、片付けものしながら様子を伺っていた。
救急隊は屋内からなかなか出てこない。
停まってから30分ぐらいたっただろうか、やっとストレッチャーに乗せられ隊員に心臓マッサージを受けながら男性が搬送させられ救急車に運び込まれた。意識はないようだ。
倒れたのは、その家の親たちではなく、息子だとわかった。
以下は隣家のオバサンたちの話である。詳しいことは直接その家の人から我は何も聴いていない。
前日の夜の11時、かなり大きい地震があった。それとどう関係があるのかよくわからないが、その子息はその以後体調を崩し翌日容態は急変し、救急車を手配する事態となった。死因は心臓発作だか、心筋梗塞らしい。
救急隊が来た時にはもはや心肺停止状況であったと。年齢は四十代とのことである。
ごく近くの家ではあるが、我は、その家のオバサンとは猫のことなどで話はよくするが家庭内のことは何も知らない。
ただ、その子息が心臓に疾患を抱えていたとはまったく思えないし、これまでも救急車が来たことも一度もない。知る限り家業を手伝い毎日朝早くから仕事に出ていた孝行息子である。急死する原因は思い当たらない。
これは我の想像である。もしかしたら前夜の大きな地震が引き金となり、10年前の恐怖がよみがえり心臓に異変が起きたのかもしれない。
フラッシュバックというのか、我も13日午後11時過ぎの揺れのときは、あのときのことをはっきり思い出した。新築となった家の床に友人と二人でワックスをかけているところであった。あまりの揺れに慌てて外に飛び出した。
亡くなられた彼が、その10年前のときどんな体験をしたのかわからない。ただ、もしかなり強い恐怖体験、トラウマになるような強いストレスを抱えていたならば、心の揺れもまた大きく戻ってなかなか収まらなかったのではないか。
普段は忘れて思い出さないようにしている大きなストレス、トラウマは、同様の事態が起きるとまた再び表に出て来る。今回の10年前の地震以来最大規模の「余震」は再びその恐怖を多くの人々に与えてしまった。
そう、地球規模では、10年なんてごく短いスパンであり、これからもまた同程度もしくはそれ以上の規模の「余震」がいつ起きてもおかしくない。それは心に大きな負荷である。
いつまた来る大地震に備えることは当然だが、恐怖心は備えることも克服することもできやしない。
そのうえ、そこ以外の場所でも全国各地でこの国は大地震が多発しているのである。オリンピックを開催して「復興」を謳うのはいい。が、その前にこのコロナ禍の完全終息と、誰もの心の復興、つまりコロナで人間関係が断ち切られ自殺者が増えている今、真の補償と心的ケアをきちんとしないかぎり心からオリンピックは楽しめないはずだ。
国民の八割が、延期もしくは中止を望んでいる今、東京オリンピックは大きな決断のときである。
いまはオリンピックどころではないだろう。違いますか。
心中穏やかざるものあり、という言葉がある。
このところ、特に2月に入ってからは漠然とした強い不安に苛まれていた。
いくつか付随する要因はあるが、最大は父のことで、「死期」がごく近くに迫ってきているのに、我は未だ何もその準備も、その後のことも対策ができていないからだ。
むろん覚悟はある程度できている。もういつ死んでもまったくおかしくない齢なのだから。じっさい百歳近いのである。
だが、備えあれば憂いなし、という諺は知りながら、日々の生活だけで手いっぱいで何一つその準備、「備え」に未だ至らず、刻々と残り時間だけは少なくなってきてさすがに「憂い」ばかり、つまり不安や焦りにかられてきた。
このところ眠るとみる夢は、必ず高い所から何かを落としたり、落ちていく夢ばかりで、幸い結果として落としたモノ、例えばどこかの子供や犬たちは無事だったという結末なのだが、それでも毎回冷や汗ものである。
たぶん心底に強い不安や恐怖があるのだと自分でも思える。
そんなところに、一昨日13日の夜遅くのかなり大きい地震である。
皆さん無事でありましたか。福島や宮城の人たちの心中いかばかりか。幸い今回は死者が1人も出なかったことは幸いであった。
ウチは、積み上げた本の山が多少崩れて落ちた程度で、近くの倉庫も含めて大きな被害は特になかった。が、いつまたこの程度では収まらない強い大地震が来るかわからない。首都直下型だか、関東大震災級のものかはともかく、日本は地震大国なのである。
東日本大震災から10年経っても未だこんなに大きい余震が来るのなら「次」も必ずあると心して常に備えなければならない。
しかしもう毎度のことながら我はどこもいっぱいいっぱいで、汗牛充棟、本や楽器、レコード、機材などでまさに天井高くまで山積みだ。
本当に大きな地震に襲われたら、他では死者は出なくても本の山に押し潰れて我だけは死んでもちっともおかしくない状態なのである。いや、家が重さで倒壊するのではないか。
そうしたことも我の不安に拍車をかける。そして焦り苛立ちどんどん追い詰められていく。
さておき、起こることはすべてが「メッセージ」だとするならば、大震災からちょうど10年目、3月11日を目前にして、再びそのときに匹敵する規模の大きな地震が起きたことは大きな意味があるのではないか。我には天啓のように思える。
というのは、大震災からの復興五輪を謳った東京オリンピックが今、このコロナ禍中でも未だ開催ありきの方向で、森会長辞任の混乱下でも政府、マスコミ挙げて妄動中の「今」このときだからだ。
確かに対外的というべきか、表向き、つまり目に見える部分では「復興」もなったかもしれない。震災遺構はほぼ姿を消し、かさ上げした土地には住宅が立ち並ぶ。商店街の賑わいも戻ってきたと聞く。
しかしじっさいは、何も「復興」していないのではないか。今も避難し元の町に帰れない人たちと被災した全ての人々の心の中と、この地中地下、深い目に見えない部分では。
大震災10年目の2/13日の大きな地震、オリンピックのお祭り騒ぎに気持ちを向けようとする人々への戒めとは言わないが「警告」ととらえるべきと我は考える。
これは書くべきか迷ったが、翌日14日の昼過ぎ、ウチの前を救急車がサイレンを鳴らし通り過ぎ近くに停まった。
不審に思い外に出て見たら、二軒先の家の前である。近所のオバサンたちも集まっている。
その家は、七十代ぐらいの夫婦と子息二人の四人で暮らしている。我はてっきり、その親のどちらかに異変が起きて救急車を手配したと思った。しばらく庭先で、片付けものしながら様子を伺っていた。
救急隊は屋内からなかなか出てこない。
停まってから30分ぐらいたっただろうか、やっとストレッチャーに乗せられ隊員に心臓マッサージを受けながら男性が搬送させられ救急車に運び込まれた。意識はないようだ。
倒れたのは、その家の親たちではなく、息子だとわかった。
以下は隣家のオバサンたちの話である。詳しいことは直接その家の人から我は何も聴いていない。
前日の夜の11時、かなり大きい地震があった。それとどう関係があるのかよくわからないが、その子息はその以後体調を崩し翌日容態は急変し、救急車を手配する事態となった。死因は心臓発作だか、心筋梗塞らしい。
救急隊が来た時にはもはや心肺停止状況であったと。年齢は四十代とのことである。
ごく近くの家ではあるが、我は、その家のオバサンとは猫のことなどで話はよくするが家庭内のことは何も知らない。
ただ、その子息が心臓に疾患を抱えていたとはまったく思えないし、これまでも救急車が来たことも一度もない。知る限り家業を手伝い毎日朝早くから仕事に出ていた孝行息子である。急死する原因は思い当たらない。
これは我の想像である。もしかしたら前夜の大きな地震が引き金となり、10年前の恐怖がよみがえり心臓に異変が起きたのかもしれない。
フラッシュバックというのか、我も13日午後11時過ぎの揺れのときは、あのときのことをはっきり思い出した。新築となった家の床に友人と二人でワックスをかけているところであった。あまりの揺れに慌てて外に飛び出した。
亡くなられた彼が、その10年前のときどんな体験をしたのかわからない。ただ、もしかなり強い恐怖体験、トラウマになるような強いストレスを抱えていたならば、心の揺れもまた大きく戻ってなかなか収まらなかったのではないか。
普段は忘れて思い出さないようにしている大きなストレス、トラウマは、同様の事態が起きるとまた再び表に出て来る。今回の10年前の地震以来最大規模の「余震」は再びその恐怖を多くの人々に与えてしまった。
そう、地球規模では、10年なんてごく短いスパンであり、これからもまた同程度もしくはそれ以上の規模の「余震」がいつ起きてもおかしくない。それは心に大きな負荷である。
いつまた来る大地震に備えることは当然だが、恐怖心は備えることも克服することもできやしない。
そのうえ、そこ以外の場所でも全国各地でこの国は大地震が多発しているのである。オリンピックを開催して「復興」を謳うのはいい。が、その前にこのコロナ禍の完全終息と、誰もの心の復興、つまりコロナで人間関係が断ち切られ自殺者が増えている今、真の補償と心的ケアをきちんとしないかぎり心からオリンピックは楽しめないはずだ。
国民の八割が、延期もしくは中止を望んでいる今、東京オリンピックは大きな決断のときである。
いまはオリンピックどころではないだろう。違いますか。
大切なことは、現実=人生ときちんと向き合い、常に声を上げていくこと。つまりプロテストしていくこと ― 2021年02月17日 20時16分11秒
★森会長の後任人事などどうでもいいが・・・
正直、我の人生がもはや何もかもがいっぱいいっぱいになってしまって、機能不全となってしまった。
が、それでなし崩し的に、破滅させて人生を終わりにいるわけにもいかないので、ともかく毎度のことながら、一つ一つ今できることをひとつづつ片づけていくしかない。
焦り苛立つだけでなく精神的にも追い込まれてすごく苦しい。が、このコロナ禍下、誰だって苦しいのは皆同じのはずで、まして我は自業自得でもあるのだから、逃げずに、つまり自死することなどなく最期まで何とかできることをやっていくしかない。
少なくとも我が父を看取るまでは、だ。
かつての美少年だった我も老いて、もう蓬髪ぼうぼうの老人となつてきた。身体のあちこちに不調はあれど、今まで生きて来れたのだから、神のご加護に感謝して終わりの日までとことん必死にがんばるしかない。もうあと少しの感もある。
長く生きて良かったと思うことも多々ある。この「世界」は変わりはしないが、天網恢恢粗にして漏らさず、との諺通りに、このコロナ状況下、今まで隠されていた矛盾や様々な問題点がようやく白日に曝されてきた。
ロシアや中国、北朝鮮のように独裁的に未来永劫的に続くかと思えた安倍強権長期政権も桜とコロナの不祥事でようやく終わり終わりをつげたし、それを引き継いだ菅政権も次々ボロが出、支持率も落ち自公政権の「限界」も見えてきた。
そして森会長の「失言」により、女性蔑視というより、そもそも男社会の差別的格差が日本社会全体に蔓延していることが問題視され始め、今さらながら男女問わず多くの人たちが声を上げ始めた。
かつてのサヨクが信じたような「社会主義的絶対的正義」などは存在しないが、自ら信ずる「正義」以前のこととして、当たり前のコトとして「おかしいこと、ヘンだと思うこと」について声を多くの人たちが上げ始めた。
オリンピックに限らず、日本社会は、男女の数は半々なのに、女性だけが下位に置かれ社会、組織の中では不当に扱われその役割は固定化されてきた。
男たちは、昼間の会議で、白日の下きちんと意見を出し合い互いの意見を尊重し決をとることよりも、夜間の仲間内の密室的会席において、談合的にモノゴトを決めることを好み、立法府国会すらろくに審議もせず、形式的な議決機関となり下がってしまった。そこには女は入らない。会社もまた然り。
それもこれも自民党的、村社会的、日本社会の旧弊的システムであり、五輪に関する役員すべても含めその軛、制約から逃れられない。それはアスリートなら男女問わず同じことだ。そもそもスポーツの世界こそ、昔ながらの上位下達のスポコン体質なのだから。
常に上の、年長的権力者の顔を立てねばならないゆえ、若手、一選手の自由な発言など許されない。
だが、ようやくそうした古い世界は、やはりオカシイ、何せよ密室で談合的に決めるのはオカシイ、と森会長の差別的放言以後、これは日本社会の問題なのだと多くの国民が気づき声を上げ始めた。
そう、何にしろ、まず誰もが、これはヘンだ、何かおかしいと気づいたらともかくそれを良しとはせずに、呟きであろうとブログやフェイスブックであろうと「声を上げていくこと」だ。
世界はおいそれと変わりはしないが、そうした量が増えれば質さえも変わっていく。
今回、次期会長に「内定」していた川渕氏のメディアを前にした迂闊なおしゃべりから「裏事情」が広く世に知られなければ、これまで通り密室人事で、引責辞任した人から「後継者」が指名され、それが表に出ることなく、新会長として全会一致で粛々と決まっていたことだろう。
森会長の辞任を促したのも、川渕氏への次期会長の密室人事を阻んだのも、名もなき国民一人一人のこれはヘンだ、おかしいぞ、という声なのである。
どんな不満や疑義が゛あろうとかつては新聞の読者欄に投書するぐらいしかなかった人々の「声」は、今は誰でもSNSなどを使って、気軽に広く世界に発信できる。
それが集まり高まれば、為政者、権力を持つ者たちも無視できなくなる。さすればもしかしたら世界は変わっていくかもしれないではないか。
我も「神」に対してすら日々声を上げている。「神様、これ以上私に苦難を与えないでください。救い、お助け下さい」と。
むろん返事は返らない。神は沈黙したままだ。だが、祈りとは、信仰とは、そうした語りかけ、天を仰ぎ見、声を上げていくことなのである。
だからこそ人は、まずこの悲惨で矛盾に満ちた現実に向き合い、声を上げていくこと、異議申し立てをしていくことからだ。
おかしなことはおかしい、真っ当なことをしてくれと。そうした思いが世界を変えていく。
正直、我の人生がもはや何もかもがいっぱいいっぱいになってしまって、機能不全となってしまった。
が、それでなし崩し的に、破滅させて人生を終わりにいるわけにもいかないので、ともかく毎度のことながら、一つ一つ今できることをひとつづつ片づけていくしかない。
焦り苛立つだけでなく精神的にも追い込まれてすごく苦しい。が、このコロナ禍下、誰だって苦しいのは皆同じのはずで、まして我は自業自得でもあるのだから、逃げずに、つまり自死することなどなく最期まで何とかできることをやっていくしかない。
少なくとも我が父を看取るまでは、だ。
かつての美少年だった我も老いて、もう蓬髪ぼうぼうの老人となつてきた。身体のあちこちに不調はあれど、今まで生きて来れたのだから、神のご加護に感謝して終わりの日までとことん必死にがんばるしかない。もうあと少しの感もある。
長く生きて良かったと思うことも多々ある。この「世界」は変わりはしないが、天網恢恢粗にして漏らさず、との諺通りに、このコロナ状況下、今まで隠されていた矛盾や様々な問題点がようやく白日に曝されてきた。
ロシアや中国、北朝鮮のように独裁的に未来永劫的に続くかと思えた安倍強権長期政権も桜とコロナの不祥事でようやく終わり終わりをつげたし、それを引き継いだ菅政権も次々ボロが出、支持率も落ち自公政権の「限界」も見えてきた。
そして森会長の「失言」により、女性蔑視というより、そもそも男社会の差別的格差が日本社会全体に蔓延していることが問題視され始め、今さらながら男女問わず多くの人たちが声を上げ始めた。
かつてのサヨクが信じたような「社会主義的絶対的正義」などは存在しないが、自ら信ずる「正義」以前のこととして、当たり前のコトとして「おかしいこと、ヘンだと思うこと」について声を多くの人たちが上げ始めた。
オリンピックに限らず、日本社会は、男女の数は半々なのに、女性だけが下位に置かれ社会、組織の中では不当に扱われその役割は固定化されてきた。
男たちは、昼間の会議で、白日の下きちんと意見を出し合い互いの意見を尊重し決をとることよりも、夜間の仲間内の密室的会席において、談合的にモノゴトを決めることを好み、立法府国会すらろくに審議もせず、形式的な議決機関となり下がってしまった。そこには女は入らない。会社もまた然り。
それもこれも自民党的、村社会的、日本社会の旧弊的システムであり、五輪に関する役員すべても含めその軛、制約から逃れられない。それはアスリートなら男女問わず同じことだ。そもそもスポーツの世界こそ、昔ながらの上位下達のスポコン体質なのだから。
常に上の、年長的権力者の顔を立てねばならないゆえ、若手、一選手の自由な発言など許されない。
だが、ようやくそうした古い世界は、やはりオカシイ、何せよ密室で談合的に決めるのはオカシイ、と森会長の差別的放言以後、これは日本社会の問題なのだと多くの国民が気づき声を上げ始めた。
そう、何にしろ、まず誰もが、これはヘンだ、何かおかしいと気づいたらともかくそれを良しとはせずに、呟きであろうとブログやフェイスブックであろうと「声を上げていくこと」だ。
世界はおいそれと変わりはしないが、そうした量が増えれば質さえも変わっていく。
今回、次期会長に「内定」していた川渕氏のメディアを前にした迂闊なおしゃべりから「裏事情」が広く世に知られなければ、これまで通り密室人事で、引責辞任した人から「後継者」が指名され、それが表に出ることなく、新会長として全会一致で粛々と決まっていたことだろう。
森会長の辞任を促したのも、川渕氏への次期会長の密室人事を阻んだのも、名もなき国民一人一人のこれはヘンだ、おかしいぞ、という声なのである。
どんな不満や疑義が゛あろうとかつては新聞の読者欄に投書するぐらいしかなかった人々の「声」は、今は誰でもSNSなどを使って、気軽に広く世界に発信できる。
それが集まり高まれば、為政者、権力を持つ者たちも無視できなくなる。さすればもしかしたら世界は変わっていくかもしれないではないか。
我も「神」に対してすら日々声を上げている。「神様、これ以上私に苦難を与えないでください。救い、お助け下さい」と。
むろん返事は返らない。神は沈黙したままだ。だが、祈りとは、信仰とは、そうした語りかけ、天を仰ぎ見、声を上げていくことなのである。
だからこそ人は、まずこの悲惨で矛盾に満ちた現実に向き合い、声を上げていくこと、異議申し立てをしていくことからだ。
おかしなことはおかしい、真っ当なことをしてくれと。そうした思いが世界を変えていく。
再開!!「共謀コンサート」2月28日(日)夕刻より ― 2021年02月18日 00時21分51秒
★今年は「季刊」で開催できたら
南武線谷保駅前の「かけこみ亭」で、共謀罪成立後に始まった『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』、昨年2020年は新型コロナウイルスが全国、全世界的に感染・拡大となるとは予測も予想もできず、共謀さておき無謀にも毎月ごと「月刊」開催の予定で始めたことはご存じのことであろう。
幸いにして、一度目の緊急事態宣言下の二月、2回だけ中止したものの、コロナ禍でのイベントや集会が困難な最中、多くの志ある参加者の方々のご支援、ご協力で全部で10回も成し遂げられた。今改めて思うと実にスゴイことだ。繰り返しとなるが厚く御礼、感謝いたしたい。
そして今また二度目の「宣言」下ではあるが、今年2021年も「共謀コンサート」は続けていきたいと願う。
ただ、毎月開催はコロナが収束したとしても我マスダ自身の状況が困難で、時間も体力も含めて可能と思えるのは、季刊開催、つまり、年に4回程度の予定で再開することにした。季節ごとに三か月程度の間隔でやっていこうかと。
新年第一回目、まずは春の回として、今月2月末日、28日の日曜日で決行していくことになった。
春と言ってもまだ早春で、ときにまだ真冬の寒さも残っているかもしれないが、何であれ早めに始めるのが何事もヒケツだとこのところ痛感しているので、今月末日からいよいよ再開スタートである。
コロナ状況下ではあるが、ぜひぜひご参加頂き、生のライブをご覧頂きたい。今回は、気骨ある実力派ミュージシャンを揃えての熱唱大会である。
以下、出演者などの詳細
・日時/2021年2月28日(日) 午後4時半開場・開演 本編スタート午後5時~終演・営業時間は、午後8時まで。 ※緊急事態宣言が解除された場合は開始、終演とも一時間遅くします。
・出演/バラッドショット 三密クラスターズ(太田三造・マスダ他) 生田萬弐 館野公一 森人(もりんど) ぼけまる他 ※企画・司会進行役 マスダ昭哲
・参加費/投げ銭制 ※生活困窮者の方は1円~でも可です。
・ 会場/谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
★入場者数を15人までとしていますので、予約をお願いします🙇⤵
★マスク着用と手指の消毒をお願いします🙇⤵
南武線谷保駅前の「かけこみ亭」で、共謀罪成立後に始まった『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』、昨年2020年は新型コロナウイルスが全国、全世界的に感染・拡大となるとは予測も予想もできず、共謀さておき無謀にも毎月ごと「月刊」開催の予定で始めたことはご存じのことであろう。
幸いにして、一度目の緊急事態宣言下の二月、2回だけ中止したものの、コロナ禍でのイベントや集会が困難な最中、多くの志ある参加者の方々のご支援、ご協力で全部で10回も成し遂げられた。今改めて思うと実にスゴイことだ。繰り返しとなるが厚く御礼、感謝いたしたい。
そして今また二度目の「宣言」下ではあるが、今年2021年も「共謀コンサート」は続けていきたいと願う。
ただ、毎月開催はコロナが収束したとしても我マスダ自身の状況が困難で、時間も体力も含めて可能と思えるのは、季刊開催、つまり、年に4回程度の予定で再開することにした。季節ごとに三か月程度の間隔でやっていこうかと。
新年第一回目、まずは春の回として、今月2月末日、28日の日曜日で決行していくことになった。
春と言ってもまだ早春で、ときにまだ真冬の寒さも残っているかもしれないが、何であれ早めに始めるのが何事もヒケツだとこのところ痛感しているので、今月末日からいよいよ再開スタートである。
コロナ状況下ではあるが、ぜひぜひご参加頂き、生のライブをご覧頂きたい。今回は、気骨ある実力派ミュージシャンを揃えての熱唱大会である。
以下、出演者などの詳細
・日時/2021年2月28日(日) 午後4時半開場・開演 本編スタート午後5時~終演・営業時間は、午後8時まで。 ※緊急事態宣言が解除された場合は開始、終演とも一時間遅くします。
・出演/バラッドショット 三密クラスターズ(太田三造・マスダ他) 生田萬弐 館野公一 森人(もりんど) ぼけまる他 ※企画・司会進行役 マスダ昭哲
・参加費/投げ銭制 ※生活困窮者の方は1円~でも可です。
・ 会場/谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分 TEL042-574-3602
http://www.asahi-net.or.jp/~yi7k-ttn/kakekomi/
★入場者数を15人までとしていますので、予約をお願いします🙇⤵
★マスク着用と手指の消毒をお願いします🙇⤵
再開‼「共謀コンサート」は、2月28日 ― 2021年02月24日 20時49分17秒
★二度目の緊急事態宣言下ですが、時間早めて時短で「共謀」
谷保かけこみ亭で、希代の悪法「共謀罪」が2017年に成立後、不定期で連続開催してきた『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』は、約20回を迎えます。昨年春先からの全世界的に流行中の新型コロナ禍は今も収束は見えませんが、今年も「うた」のパワーでウィルスに分断された人と人との「距離」を取り戻します。
今回は、今もっとも熱い実力派シンガーたちを揃えての共謀です。乞うご期待!!
かけこみ亭がクラスター発生源とならないよう、出来る限りの感染防止対策を徹底したうえでの開催です。どうかご理解とご協力の上、大変な時代だからこそどなたでもお気軽に『「共謀」コンサート』へ「共謀者」のご参加お待ちしております。コロナで断ち切られた大切な関係を取り戻すためにもリアルなライブの場にぜひお越しください。 ※今年は、季節ごと「季刊」での開催予定で次回は5月を想定。
谷保かけこみ亭で、希代の悪法「共謀罪」が2017年に成立後、不定期で連続開催してきた『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』は、約20回を迎えます。昨年春先からの全世界的に流行中の新型コロナ禍は今も収束は見えませんが、今年も「うた」のパワーでウィルスに分断された人と人との「距離」を取り戻します。
今回は、今もっとも熱い実力派シンガーたちを揃えての共謀です。乞うご期待!!
かけこみ亭がクラスター発生源とならないよう、出来る限りの感染防止対策を徹底したうえでの開催です。どうかご理解とご協力の上、大変な時代だからこそどなたでもお気軽に『「共謀」コンサート』へ「共謀者」のご参加お待ちしております。コロナで断ち切られた大切な関係を取り戻すためにもリアルなライブの場にぜひお越しください。 ※今年は、季節ごと「季刊」での開催予定で次回は5月を想定。
再開‼「共謀コンサート」いよいよ明日開催!まだ残席あります!!! ― 2021年02月27日 20時58分29秒
★明日午後4時半から~どなたでもお気軽にご参加ください。
谷保駅前のかけこみ亭での不定期ながら2017年より続けてきた『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』、今年は、昨年度のように毎月ではなく、季刊開催として、いよいよ明日その新装第一回目が開催される。
もしかしたら、「緊急事態宣言」も解除されているかとも考えていたが、やはり♩コロナは続くよ、どこまでよ~と自分がつくった替え歌の如く、おいそれとは収束はまだ先のようだ。
が、それでもお店の終業時短と開催時間を早めて、新型ウィルスに対して万全の感染防止対策をとったうえで、予定通りにコンサートを決行します
客席も減らしてのことなので、大々的に宣伝もできないけれど、これまでに増して今回は熱くアグレッシブな歌い手を集めたので、ぜひ席数削減での満席いっぱいのお客が来てほしいと願う。
実は先週、相模大野のライブハウスの、オープンマイクのイベントに友人に誘われて参加して来た。
会場のお店は居心地も良く、出られた方々もアマチュアからかなり老練な名のある方もいたりバラエティに富んでいてなかなか楽しめた。
何より会場の雰囲気が気取らずフレンドリーで、進行役のシンガーの人柄もあって、これなら人は集まるなあ、と大いに勉強になり感心した。
しかし、あえて記せば、そこで唄われたうたの多くは、かつてヒットしたフォークソングのコピーであったりして、私的にはあまりピンと来なかった。
むろん、アマチュアにとって日頃練習して歌い込んできた曲を人前で発表できる場があることは有難いし、そうした外に向けて唄う行為は絶対的に正しく必要なことだ。
が、今の我は、正直に記せば、そうした人たちにお付き合いできる時間と精神的余裕はなく、皆さん我などよりはるかにテクニックも達者で感心はしたけれど、我の関心を引く人は少なかった。むろん旧知のシンガーも来られていたので、再会ありと収穫も多々あったけれど。
と、何でこんなことを書いたかというと、人がどこかへ出向くとき、行くときは、常に何か目的がある。その「目的」というのは、つまるところ「求めているもの」があるからであろう。
無目的に、脚の向くまま木の向くまま、という行為をとる人もいるかもしれないが、この忙しい現代、しかもコロナ禍の「不要不急」の外出はひかえるようお達しが出てる世相では、そんなお気楽は許されない。
今回、我はそのライブハウスへ行って帰って来て気がついたのは、自分が求めているものは、そこにはなかった、ということだ。
それは無駄、無意味だという意味ではない。行けたことは良かったし、大いに得るものや考えさせられることなど多々収穫はあった。
ただ、「求めているもの」は残念ながらあまりなかった、ということだ。
それは、何かというと、我の聴きたいうたは、そこにあるか、ということに尽きる。
ならば、我が手掛ける、企画する場はどうか、と問われよう。
はっきり答えると、間違いなく、それは明日、そこにある、と断言する。
自分が今、聴きたいと願い、聴くべきと信ずるうたが府下、かけこみ亭には間違いなくなくある。そう信じられるシンガーたちを集めた。
それが嘘か真実か、ともかく来られてその目でその桃で確かめてほしい。
今、気がついた。ようするに我は自分がそのときどき、自ら求めている、聴きたいうたと、唄い手をこの「共謀コンサート」で、表現として企画開催しているのだと。
そう、実は誰よりも明日が楽しみになって来た。
谷保駅前のかけこみ亭での不定期ながら2017年より続けてきた『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』、今年は、昨年度のように毎月ではなく、季刊開催として、いよいよ明日その新装第一回目が開催される。
もしかしたら、「緊急事態宣言」も解除されているかとも考えていたが、やはり♩コロナは続くよ、どこまでよ~と自分がつくった替え歌の如く、おいそれとは収束はまだ先のようだ。
が、それでもお店の終業時短と開催時間を早めて、新型ウィルスに対して万全の感染防止対策をとったうえで、予定通りにコンサートを決行します
客席も減らしてのことなので、大々的に宣伝もできないけれど、これまでに増して今回は熱くアグレッシブな歌い手を集めたので、ぜひ席数削減での満席いっぱいのお客が来てほしいと願う。
実は先週、相模大野のライブハウスの、オープンマイクのイベントに友人に誘われて参加して来た。
会場のお店は居心地も良く、出られた方々もアマチュアからかなり老練な名のある方もいたりバラエティに富んでいてなかなか楽しめた。
何より会場の雰囲気が気取らずフレンドリーで、進行役のシンガーの人柄もあって、これなら人は集まるなあ、と大いに勉強になり感心した。
しかし、あえて記せば、そこで唄われたうたの多くは、かつてヒットしたフォークソングのコピーであったりして、私的にはあまりピンと来なかった。
むろん、アマチュアにとって日頃練習して歌い込んできた曲を人前で発表できる場があることは有難いし、そうした外に向けて唄う行為は絶対的に正しく必要なことだ。
が、今の我は、正直に記せば、そうした人たちにお付き合いできる時間と精神的余裕はなく、皆さん我などよりはるかにテクニックも達者で感心はしたけれど、我の関心を引く人は少なかった。むろん旧知のシンガーも来られていたので、再会ありと収穫も多々あったけれど。
と、何でこんなことを書いたかというと、人がどこかへ出向くとき、行くときは、常に何か目的がある。その「目的」というのは、つまるところ「求めているもの」があるからであろう。
無目的に、脚の向くまま木の向くまま、という行為をとる人もいるかもしれないが、この忙しい現代、しかもコロナ禍の「不要不急」の外出はひかえるようお達しが出てる世相では、そんなお気楽は許されない。
今回、我はそのライブハウスへ行って帰って来て気がついたのは、自分が求めているものは、そこにはなかった、ということだ。
それは無駄、無意味だという意味ではない。行けたことは良かったし、大いに得るものや考えさせられることなど多々収穫はあった。
ただ、「求めているもの」は残念ながらあまりなかった、ということだ。
それは、何かというと、我の聴きたいうたは、そこにあるか、ということに尽きる。
ならば、我が手掛ける、企画する場はどうか、と問われよう。
はっきり答えると、間違いなく、それは明日、そこにある、と断言する。
自分が今、聴きたいと願い、聴くべきと信ずるうたが府下、かけこみ亭には間違いなくなくある。そう信じられるシンガーたちを集めた。
それが嘘か真実か、ともかく来られてその目でその桃で確かめてほしい。
今、気がついた。ようするに我は自分がそのときどき、自ら求めている、聴きたいうたと、唄い手をこの「共謀コンサート」で、表現として企画開催しているのだと。
そう、実は誰よりも明日が楽しみになって来た。
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