森喜朗という幸福な人を羨む2021年02月06日 20時28分40秒

★己の愚かさと過ちに気づかぬまま、絶大な権力を手に人生を終えられるならば

 緊急事態宣言再発出から一か月過ぎた。当然、コロナはその一か月内で収まるわけもなくまたさらに一か月延長された。今さら菅首相の定見なき無責任発言をとやかく批判しても意味がない。威勢のいい言葉だけのパフォーマンスは小池都知事に任せとけ、だ。

 そしてようやくこのところやや新規感染者数も減少傾向との報道が続き、おそらく来月頭には、いったんは「とりあえず」収束したと政府や御用学者たちは公言することだろう。
 先のことはわからないが、ワクチンも含めて、あらゆる手を尽くしてともかく一日も早く元通りの自由な生活、かつての当たり前の日常が戻ってほしいと誰もが望んでいる。そう、この我もが、さすがに恒常的マスク生活などには心底うんざりしている。

 ともかく息苦しく不便なのである。元々呼吸器系が弱く咳の発作が続くことが多い我はマスクするのが好き嫌いではなくそもそも苦痛である。新鮮な酸素が入らないと息苦しくてたまらない。
 またどんなマスクでもメガネは曇るし、そうならぬよう「鼻マスク」というのか、これまでは鼻だけ出していたのだが、今ではそれさえもアウトなのだと批判される。常に顔の半分、目の下は全部マスクで覆い隠さないことには、世間様からうるさく叱られる世の中となってしまった。
 今では、父の訪看さんとか訪問診療、あるいは介護施設の職員との応対時にも父も我もマスク着用が義務づけられているので、家の中でもマスクせざる得ない面倒な状況となってしまった。

 そんな誰もが生き苦しい不自由な今の世で、一人、特に自由好き勝手に放言吐きまくる御仁がいる。そう、東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会、森会長である。
 これまでも過去に、日本は神の国、から、女性スケーター選手を名指しして、肝心な時に必ず転ぶ、とか、好き勝手に思いつくまま多くの放言を口にしてきた人だが、つい先日また組織の会合で、マスメディアを前にして、女性蔑視、差別と受け取られても仕方のないトンデモ発言をしてしまった。
 失言大王とも揶揄される御仁が何を言ったかは、今さらここで細かく検証して批判する余裕も時間も我にないので、あちこちで多くの人が紹介してるのでそちらをお読み頂きたいが、さらにまた呆れかつ感心したのは、その「謝罪会見」である。
 その「女性がたくさんはいってる会議は時間がかかる」発言その他が、国内のみならず全世界的に大きな批判を浴び、オリンピック精神にも反するとして、会長の責任が問われる事態となっての会見であった  が、けっきょく、神妙に「発言は撤回します」、と謝罪したのは冒頭のみで、後の質疑応答では、報道陣の質問に逆ギレして、謝罪は本心からではないと知らしめる醜態を示しまたさらに顰蹙をかう結果となった。

 この人はほんとうにこれまでも常に自分勝手に自ら都合しか頭にないまま、好き勝手に放言し放題で生きてきた人で、どれほど批判されてもそれを「悪口」だとしか受け取れないほど面の顔が厚い鈍感、無反省な何も考えていない男なのである。よって、「発言」は本心からのものであること、「謝罪」もうわべだけのものであると、さらにこんな愚かな問題人物が、東京オリンピック開催運営の中枢にいるということをさらに世界中に発信してしまった。
 こんなに自分勝手な人はアメリカのトランプ氏以外に日本にもいたことを久しぶりに思い出させてくれた。が、トランプは、ともかく熱烈な人気も一部の人望もあり、多くの支持者が今もいるが、何故にこの愚かな正直者が、これほど厭い嫌われてしまうのか考えてみる必要があろう。

 ネットの世界では、そもそもこんなトンデモ人物がどうしてオリンピック組織委員会の会長なのか、そのこと自体を疑問視し批判する意見で溢れているが、我に言わせれば、それもこれも自民党政権と長く続いた安倍政治の負の遺産そのものであり、東京オリンピック開催が決まった時から彼以外に相応しい成り手はいなかったのである。
 また彼を罷免しろとか、クビにせねばという発言も多いが、独立した組織なのだから、外部がとやかく口出して指示することもできやしない。カメは甲羅に似せて穴を掘るという喩え通りならば、彼はある意味、日本社会の象徴なのである。
 彼の存在こそが、日本という国がオリンピックを開催するということの暗喩なのである。
 だか、当然常識的に様々な批判が噴出していく。
 いちばん気になるのは、老害だとして、政治家も65歳定年制を、とか、挙句に、働かない国会議員もついでに減らせ、という極論である。
 歳とった政治家は、二階幹事長や麻生副総理も含め、身勝手でトンデモ発言ばかりして国民のために全くならないと我も思うが、だからといって老人全部がある一定の年齢になったら公職は退いて隠居しろというのはまた暴論だと考える。

 「老害」の老人は確かにいる。それは会社でも街でも家でもどこにでもいる。しかし、それを老人全般、年寄り全てに当てはめてしまうのは、「女性は話し好きだから会議が長くなる」からという偏った認識による極論的一般論と同じで、○○人は××だから、という偏見と同じレベルに陥ることではないのか。
 歳をとっても若い時と変わらず昨今の若者よりリベラルで柔軟な考え方や行動をとっている人はたくさんいる。また若くても頑迷固陋の人も多々いよう。
 モノゴトは何かコトが起こると一つの事例から極論に考えが及ぶ。政治家の定年制に問題を移すこと以前に、森会長の発言の裏にある思想、つまりある意味日本的男性思考こそが再考すべきことではないのか。
 同時に、その考え方と周りの対処法こそが国際的に今日本は問われているのではないか。

 男性優位社会で、どのような場でも力のある、上位にある男性が何か口にしたり行動したりすると、下位の者は女性でなくとも誰も異論や反論は口に出せないしすべきではないという社会構造。
 その「男」がどれほど誤った問題ある発言をしたとしても周りは、追従の笑いしか出せず、きちんとそのモノゴトの本質を指摘したり面と向かって批判はできないという日本社会の立て構造。

 実はそれこそがスポーツの世界なのである。
 我は、昔から文弱の輩であり、学校でも体育会的クラブ活動は大嫌いでほとんど参加しなかったのだが、今にしてそれは何故かはっきりわかってきた。
 体育会的世界では、上下関係は絶対であり、先輩や指導者が命じたことがどれほど無意味、非道であろうともそれにともかく従うしかない。抗ったり誤りを批判したり諫めたりすることは絶対的に許されない。
 理不尽でも我慢して、自分が上の立場に立ったとき、今度は新たに下に来た者にそれを同じく押し付ければ良いのである。
 つまりこれは軍隊の論理であり、日本の社会は、今も実は多くの会社でも政治の世界でも同様の立て構造が続いている。強い者にはまかれろ、忖度せよである。

 中でもスポーツの組織こそそれが厳然確固たるもので、相撲も同様だし、オリンピックの組織委員会もまた然りなのである。
 そうした中で当然のこととして出た森発言。しかし、何で今さらこのコロナ禍で、オリンピックは開催困難なタイヘンな最中に、女性差別発言をするのかまったく理解できない。
 このところ新規感染者数もようやく減少して来て、もしかしたら東京オリンピックもどのようなカタチならば開催できるかも、と希望が見えてきた矢先なのである。
 森会長の発言とまたその後の「謝罪会見」はさらに火に油を注ぐ結果となった。いや、オリンピックの火に会長自ら水をかけたというべきか。
 
 ともあれ、森喜朗のように状況も一切顧みず、好き勝手に放言を自由に口にして、一切何も反省しないしその批判の裏に潜む真の問題にも頭が回らないし気がつかない。そうして好き勝手に存分に生きて一生を終えられるならば実に幸福な人生ではないだろうか。
 私はこういう人になりたい。