いったい今、何が起きているのか、これから何が起ころうとしているのか2021年02月15日 19時19分11秒

★オリンピックどころではないだろう

 心中穏やかざるものあり、という言葉がある。
 このところ、特に2月に入ってからは漠然とした強い不安に苛まれていた。
 いくつか付随する要因はあるが、最大は父のことで、「死期」がごく近くに迫ってきているのに、我は未だ何もその準備も、その後のことも対策ができていないからだ。
 むろん覚悟はある程度できている。もういつ死んでもまったくおかしくない齢なのだから。じっさい百歳近いのである。

 だが、備えあれば憂いなし、という諺は知りながら、日々の生活だけで手いっぱいで何一つその準備、「備え」に未だ至らず、刻々と残り時間だけは少なくなってきてさすがに「憂い」ばかり、つまり不安や焦りにかられてきた。

 このところ眠るとみる夢は、必ず高い所から何かを落としたり、落ちていく夢ばかりで、幸い結果として落としたモノ、例えばどこかの子供や犬たちは無事だったという結末なのだが、それでも毎回冷や汗ものである。
 たぶん心底に強い不安や恐怖があるのだと自分でも思える。

 そんなところに、一昨日13日の夜遅くのかなり大きい地震である。
 皆さん無事でありましたか。福島や宮城の人たちの心中いかばかりか。幸い今回は死者が1人も出なかったことは幸いであった。
 ウチは、積み上げた本の山が多少崩れて落ちた程度で、近くの倉庫も含めて大きな被害は特になかった。が、いつまたこの程度では収まらない強い大地震が来るかわからない。首都直下型だか、関東大震災級のものかはともかく、日本は地震大国なのである。
 東日本大震災から10年経っても未だこんなに大きい余震が来るのなら「次」も必ずあると心して常に備えなければならない。

 しかしもう毎度のことながら我はどこもいっぱいいっぱいで、汗牛充棟、本や楽器、レコード、機材などでまさに天井高くまで山積みだ。
 本当に大きな地震に襲われたら、他では死者は出なくても本の山に押し潰れて我だけは死んでもちっともおかしくない状態なのである。いや、家が重さで倒壊するのではないか。
 そうしたことも我の不安に拍車をかける。そして焦り苛立ちどんどん追い詰められていく。

 さておき、起こることはすべてが「メッセージ」だとするならば、大震災からちょうど10年目、3月11日を目前にして、再びそのときに匹敵する規模の大きな地震が起きたことは大きな意味があるのではないか。我には天啓のように思える。
 というのは、大震災からの復興五輪を謳った東京オリンピックが今、このコロナ禍中でも未だ開催ありきの方向で、森会長辞任の混乱下でも政府、マスコミ挙げて妄動中の「今」このときだからだ。

 確かに対外的というべきか、表向き、つまり目に見える部分では「復興」もなったかもしれない。震災遺構はほぼ姿を消し、かさ上げした土地には住宅が立ち並ぶ。商店街の賑わいも戻ってきたと聞く。
 しかしじっさいは、何も「復興」していないのではないか。今も避難し元の町に帰れない人たちと被災した全ての人々の心の中と、この地中地下、深い目に見えない部分では。
 大震災10年目の2/13日の大きな地震、オリンピックのお祭り騒ぎに気持ちを向けようとする人々への戒めとは言わないが「警告」ととらえるべきと我は考える。

 これは書くべきか迷ったが、翌日14日の昼過ぎ、ウチの前を救急車がサイレンを鳴らし通り過ぎ近くに停まった。
 不審に思い外に出て見たら、二軒先の家の前である。近所のオバサンたちも集まっている。
 その家は、七十代ぐらいの夫婦と子息二人の四人で暮らしている。我はてっきり、その親のどちらかに異変が起きて救急車を手配したと思った。しばらく庭先で、片付けものしながら様子を伺っていた。
 救急隊は屋内からなかなか出てこない。
 停まってから30分ぐらいたっただろうか、やっとストレッチャーに乗せられ隊員に心臓マッサージを受けながら男性が搬送させられ救急車に運び込まれた。意識はないようだ。
 倒れたのは、その家の親たちではなく、息子だとわかった。
 以下は隣家のオバサンたちの話である。詳しいことは直接その家の人から我は何も聴いていない。

 前日の夜の11時、かなり大きい地震があった。それとどう関係があるのかよくわからないが、その子息はその以後体調を崩し翌日容態は急変し、救急車を手配する事態となった。死因は心臓発作だか、心筋梗塞らしい。
 救急隊が来た時にはもはや心肺停止状況であったと。年齢は四十代とのことである。

 ごく近くの家ではあるが、我は、その家のオバサンとは猫のことなどで話はよくするが家庭内のことは何も知らない。
 ただ、その子息が心臓に疾患を抱えていたとはまったく思えないし、これまでも救急車が来たことも一度もない。知る限り家業を手伝い毎日朝早くから仕事に出ていた孝行息子である。急死する原因は思い当たらない。

 これは我の想像である。もしかしたら前夜の大きな地震が引き金となり、10年前の恐怖がよみがえり心臓に異変が起きたのかもしれない。
 フラッシュバックというのか、我も13日午後11時過ぎの揺れのときは、あのときのことをはっきり思い出した。新築となった家の床に友人と二人でワックスをかけているところであった。あまりの揺れに慌てて外に飛び出した。

 亡くなられた彼が、その10年前のときどんな体験をしたのかわからない。ただ、もしかなり強い恐怖体験、トラウマになるような強いストレスを抱えていたならば、心の揺れもまた大きく戻ってなかなか収まらなかったのではないか。
 普段は忘れて思い出さないようにしている大きなストレス、トラウマは、同様の事態が起きるとまた再び表に出て来る。今回の10年前の地震以来最大規模の「余震」は再びその恐怖を多くの人々に与えてしまった。
 そう、地球規模では、10年なんてごく短いスパンであり、これからもまた同程度もしくはそれ以上の規模の「余震」がいつ起きてもおかしくない。それは心に大きな負荷である。
 いつまた来る大地震に備えることは当然だが、恐怖心は備えることも克服することもできやしない。

 そのうえ、そこ以外の場所でも全国各地でこの国は大地震が多発しているのである。オリンピックを開催して「復興」を謳うのはいい。が、その前にこのコロナ禍の完全終息と、誰もの心の復興、つまりコロナで人間関係が断ち切られ自殺者が増えている今、真の補償と心的ケアをきちんとしないかぎり心からオリンピックは楽しめないはずだ。
 国民の八割が、延期もしくは中止を望んでいる今、東京オリンピックは大きな決断のときである。
 いまはオリンピックどころではないだろう。違いますか。