先が見えないことへの不安と困惑、そして苦悩と2021年03月03日 22時56分24秒

★なのに、東京五輪だけは開催ありき、という矛盾と詭弁

 東京も含む近郊諸県に出されている「緊急事態宣言」がまたさらに延長されることになったようだ。
先ほど、夜7時のニュースで、菅首相がそう考えていることを表明したことが報じられた。
 その延長幅も含めて、我としてはそのことについて今は意見も異論も差し控えておく。まあ、多少感染者数が減って来たとしても、またぞろ春になれば人々は浮かれて街や旅行に出、寛さんは再拡大することは間違いない。
 ならば、どれほどの効果があるかはさておき、緊張感を高めるためにもこの「宣言」は引き続き出し続けるしか手はない。
 しかし、当初終了予定の3/7日の目前である。飲食店など既に予定通りの解除を想定して開店の準備をしていたはずだ。
 いや、実際のところ、解除か延長かなかなかはっきりしないので、どう対応したらよいか迷い悩み、やきもき頭を痛めていた店も多かっただろう。
 飲食も含めた客商売を始めるには、まず飲み物も含めた食材を調達しならないし、店員も確保しておかねばならない。解除が決定ならばその手配を早くしないとならない。
 3月7日の直前になって、ともかく再度の延長することがやっと菅首相の判断で決められたが、それにしても遅すぎるのではないか。
 この政権、何につけて毎度毎度の後手、対応の遅れが指摘されて支持率を急落させてきたが、今回も医師会や医療担当者、都や近県知事からの延長要請を前に、何とか自らの判断で、首相の責任で延長を決めたわけだが、やはりそれでも後手後手感はぬぐえない。
 ドリフの長さんの言いではないが、ダメだこりゃ、としか言いようがない。
 実際のところ、コロナの新規感染者数は減って来てもまたさらに変異ウィルスも世界各国で感染拡大中で、国内でも次々と感染者が相次いでいる。先のことは誰にも見通せない。
 緊急事態宣言がさらに二週間?延長されたとしても我は、それでこのまま数字が下がっていくか大いに疑問視している。ある意味、このまま永続的、長期に「緊急事態」は続くのではなかろうか。
 それでもオリンピックだけは開催確定なのだから、緊急事態下でのオリンピックとはいかなるものか、その開催となれば見てみたい気がする。
 無観客どころか海外からも今は観光を兼ねてまず誰も来ないだろうし、そもそも「人類がコロナに打ち勝った証」ではなく、打ち負けた証のオリンピックとして歴史に残ろう。
 が、開催だけは可能かもしれない。かのモスクワオリンピックもそうだったが、参加国数がどれほど減ろうと、誰も観客はいなくとも「中止」や延期にしなければ確かに「開催」はしたというアリバイは成り立つのだから。

 何であれ、誰にとっても一番辛いのは、このコロナ禍がもたらした「新しい日常」「新しい生活様式」がいつまで続くかということだ。
 ニューノーマルというのならば、これが今後の社会のスタイル、未来永劫的に感染防止対策を恒常的に行いながら人類は生きていくことになるのであろうか。
 とりあえず、緊急事態宣言は再度また延長された。が、いったいこの先どうなるのか。はっきりしていることは東京オリンピックだけは森前会長が言ったごとく、コロナだろうが何が何でも開催するということだけだ。
※もう一回続きます。

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