春、四月、まだこちら側にいるうちに2021年04月01日 12時35分15秒

★気がつけば、早や春爛漫、四月に。

 つい先日、年が明けたと思っていたのに、早やくも三か月が過ぎ、今日から4月、新年度である。もう1年の四分の一が終わってしまった。

 このところ日中は、外の陽射し浴びていると汗ばむほどの陽気で、今春は異常に早くも気温が高い日がこのところ続いている。先日、東京では夏日を迎えた。我はこのところ昼間はTシャツ一枚だ。
 ともあれ、コロナ渦中であろうとも季節は冬から春へと、今年も厳冬を乗り越えて新しい春、快適な季節が迎えられたことをまず心から喜びたい。
 春は出会いと別れの季節、と昔から言われる。が、歳とって来ると、出会いなどまずなく、次々と季節を問わず別ればかりが増えていく。そして最後は、自らもこの世界と別れを告げる側となるのであろう。
 
 今日から、4月。先月はずっと体調がすぐれず、微熱程度でも風邪のような症状が続いていて、もしやついに我もコロナに罹ったかもと不安な憂鬱な気分でずっといた。なので時間あらば、大事をとってひたすら寝てばかりいた。
 が、今はやっとその不調も収まり、やはりそれは我の持病、毎年恒例の季節の変わり目に起こる、寒暖差アレルギーだったのだろうと思うことにして気持ち新たに、まさに心機一転がんばろうと今は思っている。

 家のことも、我が実生活ももうスゴイ状況になってしまったままなのだが、幸いにしてこのところは我が父は、体調が安定しているので、介護施設にも滞りなく通ってくれているので、本当に助かる、有難いことである。
 年明け、一時期は、父の呆けが悪化して、歩けないとか食べられないとか体力低下以前に、何故か、真冬でも睡眠中に衣服を全部脱ぎ捨てて素っ裸で寝ていたりで、結果、糞尿をベッドに撒き散らすことになり、その対応に我は大いに苦慮した。毎日毎日洗濯に明け暮れた。
 何より、困るというか、情けないのは、施設から帰宅してもここが自分の家かどうかよくわからなくなって、病院だとか施設だとか言いはったり、ここではなく別のところに家があるとか、記憶が混乱し騒いだことだ。むろん我、息子のことも誰なのか認知できない。

 一時期のように、徘徊朦朧として、深夜に戸を破壊して外に出たりする体力気力はなくなったものの、そもそも基本的なことが何一つわからなくなっているときもあって、起こしてトイレに連れて行っても、そこで何をすべきなのかも、食事のとき、料理をテーブルに出しても、食べる、という意味、行為そのものが「わからない」状態のときもあって、こちらとしては本当に情けなかった。これ、どうするのか?、といった態で、ぼうっとして自らでは何もアクションを起こさない。
 仕方なく介助して口元までスプーンで運んで付きっきりで食べさせないとならないわけだが、食べたくないとべっと吐きだしたり、苦労して食べさせたと思ったとたん、全部吐き戻したりもして、もうこの家で暮らすのは、「限界」だと、覚悟も決意もした。

 まあ、いま、96歳。百歳にもう手が届くほど齢を重ねてきたのだから、生きているだけで奇跡ともいえるわけで、ついに我が1人で世話することは終わりが来たと思えたものの、どうしたことかこのところは持ち直し頭の方もクリアで、受け答えもまっとうのことも多く人間味がまた戻っている。
 実際のところ、息子として老父の汚れたお尻を拭いたりオムツ替えしたりすることは今はちっとも苦痛ではない。逆に、そういうした行為をしてあげられることこそ「有難い」ことだと思っている。
 母のときもだが、こうした下の世話は、我を我がままし放題に育ててくれて、世間的常識からすれば親不孝の極みをしてきた我だからこそ、その恩返しであり、ある意味、すべての帰結なのだとわかった。

 しかし、それもこれもそこに当人間の意識、意思が通い合ってこそであり、実際、介助されている側が、今、自分はどこにいて、誰がそれをしているのかもわからない状態になってしまっているならば、あえて我がそれをやる意味はあまりないと考える。
 つまり特養とか、介護老人施設で、我ではなく専門の職員たちがしたとしても同じことなわけで、家族が介護するとは、当事者とまず意思の疎通があってこその話だと我は思うが・・・。
 ともかく今は、そんなわけで、我が体調悪かったときは、いつもより長めに施設に預けられて、おかげで息子も何とか体調取り戻せたという次第である。
 いまは、体力はともかくも気力は元通りに立ち直ったことを報告したい。

 何もできないまま、相変わらず片付けはちっとも進まないまま、季節は進み、時間だけが過ぎていく。まさに忸怩たる思いにもなる。
 しかし、ともかく父も我もまだここに、こちら側に共にいられるのならば、犬猫たちも含めて今在るものたち、モノゴトも含め全てに感謝して、関わるすべてを慈しみ大事にしてとことん愛していこうと思う。
 ときに倦み疲れて、すべてを投げ出したり全てもうどうでもいい、どうなってもかまわない、という投げやりな気分、ネグレクト衝動に囚われることも多々あるが、終わりは近いし残された日々も僅かなのだから、一日一日丁寧に生きて行こうと思う。

 コロナはいつまで続くかはともかく、こんな大変な時代でもすべては神の計らいだとすれば今はそこに意味を見出したい。そして「その中」で何ができるか、何をすべきか、自問していく。 
 毎度のことながら、いろいろご心配おかけして申し訳なく思う。 
 だからこそ「その中」で、今、自分ができること、まだすべきことがあると信じて頑張っていこう。

ようやく心が戻った。日常も戻りつつある。ブログ再開します。2021年04月13日 21時43分07秒

★ご心配おかけしましたが・・・

 まったく申し訳ない。またまたずっと拙ブログ、間が空いてしまった。
 父の体調は幸い特に悪いわけではなく、いつも通り介護施設に預け、お泊りさせているのだが、それとは別に、家庭内でトラブルというべきか、まさに想定外の事態が起きてしまい頭が混乱し不安に囚われて夜も眠れなかった。

 何が起きたか、包み隠さず書こうと思ったし、そうすべきなのだが、迂闊に起きたことをここに公に書き記すべきではないと秘としておく。
 通りすがり的に目にした人が、正義感にかられた諸団体に通報したりして、行政など赤の他人が我が人生に関与して来て事態はさらに面倒に悪化していく。
 その場合、我は自分の人生は自らで落とし前をつける覚悟を決めている。そう、自らすべてを終わりにさせる。

 そうならないためにも、何が起きたのか、は、申し訳ないがここに書くわけにはいかない。個人的に問い合わせや、友人知人などに訊かれればお答えも説明もする。基本、我を知る人には今さら隠し立てはしない。
 が、ブログなりSNSの世界の怖いのは、どこの誰だかわからない無記名の他人がそれを読んで取り上げたりして、やがて広くカクサンしたり結果として「炎上」や、ときに当人を追い詰めるような事態に発展する可能性が高いことだ。
 芸能人などの自殺も多くの場合、ネット上からの誹謗・中傷的コメントが要因で、自らの身勝手な「正義感」にかられて他者を糾弾していく人が世間には多いからだとされる。

 このブログを読まれている人は、有難くも良識ある心優しい方々ばかりだと我は心から信じているが、世の中はそんな善き人ばかりでないことは皆さんもご存じの通りであって、悪意はなくても結果として悪い、悲惨な結末に至る事だけは避けたいと願う。

 そんなで、何が起きたのか、何が起きているのかはともかくも、この何日か、いや、先月半ば来、ずっと心が落ちつかず何も手に着かず、まさに「心ここにあらず」状態であった。
 いま、ようやくこうしてブログを書きだして、内なる積もる思い、悩みというべきか、苦しい気持ちを吐きだせてずいぶん楽になった。
 一時は、もうブログは終わりにしようとも考えた。
 その余裕が精神的にも時間的にもないのである。かつてのようにつらつらと、まさに徒然なるままに昔話も含めて、思いつくまま好き勝手に書き散らせたらどんなに楽しいかと回顧する。
 父の世話だけでなく、あまりに抱えているモノが多すぎて、まさにいっぱいいっぱいとなってしまい人生そのものの維持が難しくなってきた。
 そこにまたさらに予期せぬ新たな問題ゴトが突発的に起きる。

 我はすべて起こることは良いことも悪いことも全部受け容れていくと決心しているが、正直揺らいだ。しかし、それでもまだ人生は続くし続けないとならない。それはまたしんどい気がするが。

 尾藤イサオの名曲『悲しき願い』のサビの部分、漣健児の超訳詞である「♩誰のせいでもありゃしない、みんなおいらが悪いのさ」、がずっと頭の中で鳴り響いている。

事において、どう適切な判断、対応がとれるか、だ。2021年04月14日 19時07分29秒

★事態をさらに悪化させないために

 久しぶりに音楽の話を少し。
 このところ我は、盟友太田三造さんと一緒に「うた」の活動を続けて、彼と共作でいくつものうたが生まれている。
 何か自分でも信じられない気がするが、このところ「詞」のようなものは、次々と我が内側から湧いて出て来て、それに曲も借り歌的についてくる。
 そうしてともかくできた詞を太田さんに渡すと、彼は即メロディーをつけてくれて歌にして唄ってくれる。これまでに4曲はできたか。
 自ら言うのもセンエツだろうが、このコロナ禍をうたった名曲『二人の恋はアフターコロナ』もそんな風にしてできたし、一番新しいところでは、『家なき女の淋しい死』といううたがある。

 これは、昨年の秋に起きた、渋谷区幡ヶ谷のバス停でのホームレスの女殺人事件を物語り歌にしたもので、約15分にもわたる事件の記録曲である。メロディーはディラン好きな人はわかるかと思う。
 自分ではとても唄う力はないのだが、太田さんはその長い長いうたを、聴き手を飽きさせず淡々と切切と唄ってくれている。元詞を創った我自身も泣かされた素晴らしいうただと記しておく。ぜひ機会あらばご一聴お願いしたい。

 そのうたのサビは、基本こうだ。
 
 ♩ いったい何が起きたのか どうすれば良かったのか 誰かおしえてほしい どうすればよかったのかと

 このところ、我自身もずっとこの部分を気がつくと繰り返している。その事件のことから離れ自らの問題として自問しているのだ。
 そして今もまだなかなか答えはみつからない。

 が、はっきりわかることはある。何か事件が起きた場合、その萌芽というべきかまず発端の部分でいかに適切な対応がとれるかが肝要なのだと。そしてそれを正しくメッセージとして外に、行動に出していくことだと。

 適切な例えではないかもしれないが、あの太平洋戦時下、日本は降伏の時期を見誤ったことは誰もが指摘することだ。
 そもそも戦争論によると、その国家は「制空権」を失った場合、そこから勝つことは不可能であり、今日の戦争では襲い来る空爆を地上戦で阻止することは絶対的無理なのである。
 歴史的事実として、日本は敗色が濃くなってきた1944年頃から米軍機により日本全土に空襲が蔓延してきた。地上からの迫撃砲のような対抗措置もあったようだが、日常的に本土上空に敵機が来襲できるような状況は、既に制空権は失われた状況であり、もはやそこからの反撃、反転攻勢は絶対的に不可能であった。

 ところが、この国は、負けられません勝つまでは、と、空襲に対しバケツリレーで消火訓練、敵の上陸に備えて竹やり訓練したり、警報時には防空壕に入ってしのぐという前時代的対応にかまけて降伏そのものは先延ばしにさせられた。※多くの人命が防空壕避難時にも失われた。
 その結果が、東京や大阪の大空襲による記録的な死者数であり、広島、長崎への原爆投下であった。
 1945年の年開け早々にでも降伏を申し出ていれば、東京の下町は壊滅的被害も受けなかったし戦後の復興も早かったのである。
 つまり事においてはいかに適切な判断、対応を早くとるべきか、そうできるかということだ。
 それは正義とか善悪の基準とは限らない。結果としていかに事態をさらに悪化させないで済むかという一点だけで考えるべきことだと思える。

 今、東京オリンピックを前に100日を切って、コロナウイルス第4波かはともかく、感染拡大が今またさらに進んでいるこの現状でもオリンピック開催ありき、でそのための聖火リレーを全国で強行するというのは、まさに愚行であり誤ったメッセージであろう。
 先のGoToトラベルも同様だったが、日本の政府は、常に今も昔も大事な局面において誤ったメッセージを出しては適切な判断を遅らせていると指弾せざるえない。

高田渡の命日にかけこみ亭で2021年04月16日 23時59分49秒

★懐かしい人たちと久々に会えた、が・・・

 あれこれあって、いまの自分は本当に薄情で、いちおうフェイスブックとかに登録はしていても、我の数少ないオトモダチ、つまりお仲間たちが、何かアップしようと、その通知が届いてもろくに確認もしないだけでなく、見たとしても「いいね!」とかレスポンスも返すこともなく、一切放擲して、ごくたまに自分の都合で身勝手にも我が企画などの宣伝告知だけしているわけで、まったくもって社会的に非常識と言うべきか心苦しく申し訳ない気もしている。

 こんな人間が、他の人様のこと、たとえ菅首相や、小池都知事のなさることとか、あれこれ批判したりとやかく物言いする資格があるのかと自問するが、今日、敬愛する高田渡の命日に、それに関係したイベントに参加して思い感じたこと等を書かせてもらう。
※でないともやもやして今晩は眠れない。

 高校生の頃から、吉祥寺の「武蔵野火薬庫・ぐゎらん堂」に出入りしていて、渡氏元より友部正人や、シバと、そこで出会い知った者として、今日のイベントは何とも物足りないというか、この表現が適切かわからないが、「片手落ち」であった。
 様々な事象が説明不足で、我ら年寄りはともかく、当時を知らない今の若い人たちにどれだけ伝わったのだろうか。
 オーナーの村瀬兄弟のこともきちんと語られなかったし、そこから、「のろ」とのつながりも、あの頃の吉祥寺のことも、のろの加藤氏ご当人がそこにいながら掘り下げが浅い気がしたのは我だけか。

 こうした企画こそ、かつてあった過ぎたときを、後の世に語り継ぐためにも大いに意義あると我も考えるし、そもそも我が今やっているライブ企画活動自体が、「昔語り」として、その頃、その時代、そこに誰がいたか、そのときどんなうたが流れていたか、ということを主題に、うたとしての場として「表現活動」を企画しているわけで、あえて言うが、いやはや何とも今日の企画は・・・物足りない気がした。
終始全てのツメが甘い、というか中途半端、企画者の立ち位置、目論見がよく見えない。渡氏の命日にかこつけて何がしたいのかよくわからない。
 むろん出られた方々、シンガーは皆さん素晴らしかった。この企画のおかげで久々に旧知の、我が敬愛するシンガーや、亡きライブハウスのろオーナー加藤氏にお会いできて本当に良かった、嬉しかった。そうしたお手配に感謝と共にご苦労様と労いたい。

 じっさい我に、人様の企画をあれこれ批判なり、とやかくいう資格があるのだろうか、ずっと今も自問している。何はともあれひとつの企画が、満席、盛況になれば、このコロナ禍、ヤボなことは言うな、であろう。
 が、ときにはダメなものはダメ、ときちんと誰がが言う、もしくは書き示すべきではないのか。我にその資格の有無はともかく。

 ならば、個人的には、自分なりにもう一度、あの頃、あの時代を、リアルタイムで生きて知る者として、ぐゎらん堂がどこにあったのか、そのビルは姿は変えても同じ場所に残っていることも含めて今の人たちにはっきり示し語り伝えたい。そこで何があったのか、と。どんな人たちが屯していたのかと。それも使命であろう。

 自分には、そうした店で知り合った恩人がたくさんいる。当時、実際にお付き合いしていた頃は、若くバカだったから、その人に対し有難くも「恩」ということがよくわからなかった。
 今老いて、年寄りになってその若き日の出会いを思い出し、ほんとうに彼らは「恩人」なのだとはっきりわかる。
 それは、まず何より、ぐゎらん堂の村瀬春樹氏、わが師・鈴木翁二、のろの加藤さん、京都の六曜社のオクノさん、偉大なる古川豪さん、詩人・有馬敲氏、御大中川五郎、そして両国フォークロアセンター国崎さん。もちろんぐゎらん堂で初めて観たシバも。&メーニーモアである。
 彼らと出会わねば、今の自分はなかった。本当に今の自分はここにいない。
 彼らがまだ健在のうちに、その偉大さをもっともっと世に知らしめたい。実の親に対してもだが、その「恩返し」しないで我も死ねようか。弟子は師を越えることは常にかなわないならば。

 我、マスダがまだ生きてこれからもやれることがあるとしたら、お世話になった方々への心からの恩返しだけなのである。
 恩、とは、つまるところ「愛」なのだ。愛を返していく。

季刊・共謀コンサート、5月 9日(日)開催!!2021年04月17日 08時50分19秒

★変異コロナ禍中でも、さこ大介御大を招いて開催いたします。

持続可能な人生を生きていくために2021年04月18日 08時52分22秒

★老いには老いの憂いあり

 昨日17日、土曜日は、雨が朝から断続的に終日降り続き、特に夜になってからは夜半までかなり強くたっぷり降った。
 今、日曜の朝は、雨も上がり強い陽射しが出て濡れた街並みを照らしている。空は雲ひとつなく降り続いた雨ですべてが綺麗に洗い流された感がある。
 ひんやりしているが晴れて雨後の瑞々しい気持ちの良い朝だ。開けた窓からは爽やかな風が吹き込んでくる。

 昨日は、日中も雨の音を聴きながらひたすら眠り続け、昨夜も夜中まで起きることなくたっぷり眠ったのでやっと頭も気持ちもようやくスッキリした。
 16日のかけこみ亭のイベントに次回の「共謀コンサート」のチラシを持っていくため、木曜から作成に取り掛かってたのだが、父も施設から帰宅し在宅だったことと、金曜の昼過ぎには訪問介護があったり、ともかく他のやらねばならぬことも多々あってともかく慌ただしかった。
 
 いつもの金曜は、その父は、終日家に居てウチで一泊し、翌土曜の朝にまた介護施設に送り出すのだが、16日はその金曜の夜開催のイベントだったので、けっきょく施設に無理言って前倒しで夕方から父を預かってもらうことにした。
 一泊多くの利用となるため、また利用料はかさむが仕方ない。父を一人で家に残しておくと何をしでかすかわからず、おちおちライブなど楽しめない。徘徊も火の元も猫たちのことも心配となる。
 その夕方、父を車で施設に連れて行き、それから大慌てで荷物まとめて即急で印刷したばかりのチラシも持ってかけこみ亭に向かったのだった。

 そのイベント、感想などは先に別項で書いたので割愛するが、数年ぶりにシバや村上律氏、のろの加藤さん他、敬愛する方々とお会いできお話もしほんとうに懐かしく嬉しかった。
 お互いさまと言えば、この我もだが、皆またさらに以前より少し老いた感もあり、この先いつまた会えるかも定かではなく感慨深いものがあった。そう、60代、70代ともなると、皆さん元気そうに見えたとしても先のことは何もわからずまさに一期一会の思いが強くわいてくる。

 そろそろ人生の終演の時期にさしかかり、残りの時間はあとどのくらいあるのか、誰もがその長さを勝手に予測、想定しながら、「その中」で何をどれだけ、どうすべきか手探りで模索している感がある。
 若いときは、時間はたっぷりそこにあり、常にいつでも明日は来るし、人生はこの先も続いていくと「確信」もあるから、ある意味、先のコトは考えず、その日その時、思いのまま刹那的にも生きられる。
 また、我はともかく誰もが人生設計のようなものも立てる。どう生きていくか、ということはまさに若き日の目的・主題であろう。

 が、誰もが相応に老いて、還暦を越したあたりからは、主題は、どう生きるかではなく、どう死ぬか、どう死んで行くか、という自らの終末の有様に移っていく。
 本当に日々刹那的、無計画に、まさに「アリとキリギリスの寓話」中のキリギリス的に生きてきたこの我でさえもこのところよくそのことを考えるようになった。
 人生が二度あればとか、あの日に帰りたい、若い頃に戻りたいとかは考えても意味がない。
 人生は一度きりで、イエスが説いたように「永遠の命」があるとしても、ともかくこの今皆と生きている人生、つまり現世はこれだけ、ここで終わりなのである。

 世界はこの先もある意味、永遠に続いていくが、死んでしまえば死んだ人はそこで終わりで、百年もすれば同時代的な人たちも皆すべて死に絶えて、何もかも消えてなくなり、そこにそんな人たちが生きていたことすら誰一人知る人はない。
 古代ローマの遺跡は今も残って、当時の人たちの暮らしは窺い知れるが、そのときそこには実際どんな人が生きていたのかその個々の姿はもはや誰もわからない。

 断捨離とか考える以前に、我は、自らの人生の「店じまい」について、さてどうしていくべきかさすがにこのところ考えるようになった。
 妻や子、子孫がいる方は、幸運、幸福なのである。自らにある日突然不測の事態が起きたとしても、彼ら家族が対応してくれて事後処理もしてくれよう。
 死後に家族を煩わせたくないとかよく聞くが、その家族をつくり養い守り育ててきたのだから、彼らはその恩に報いるためにもそれは当然なのである。それを拒み厭う者は恩知らずの人でなしであろう。

 我にはそれらはいない。今も昔も一人者だから。そして今さらながら結婚したいとか老後のパートナーが欲しいなんて気持ちもさらさらない。
 とことん自分勝手に生きてきたのだから、一人のほうが今も昔も心地がいい。我にとって人生とは=生活であり、生活とは自分だけのものだ。むろん友達や気の合う仲間は求めるし、多いに越したことはないのは当然だが。
 父を看取った後、ではどう生きていくのか、いや、どう死んで行くか、真剣に考えるときが来ている。
 ただ、まずは、そのためにもそのときまで、いかにこのどうしようもない人生を「持続可能」なものにしていくかだ。

どうしようもない人生だが2021年04月19日 19時44分13秒

★そのことをうたにしてみた。

         バカのうた  詞 マスダ 曲 三造


淋しさには名前がないと 誰かが言うけれど
愚かさにはしっかり名前がある
それはバカ どうしようもないバカ
何度でも過ちを繰り返すバカ
バカ バカ バカ バカ バカ バカ それが俺
救いようもない どうしようもない
愚かさには出口がないと 誰かが言うけれど
愚かさを抱えて ともかく生きていく

もう少し賢く 生きていきていきたいと願うけど
何故だかいつでも バカなことをしでかしてしまう
だってバカ どうしようもないバカ
何度でも懲りずに繰り返す バカ
バカ バカ バカ バカ バカ バカ それが俺
救いようもない どうしようもない だけど
愚かさに向き合い ともかく生きていく
愚かさを抱えて ともかく生きていく
バカだから
バカだからこそ

禁酒法と灯火管制を嗤い憤る2021年04月24日 10時17分46秒

★三度目の緊急事態宣言を受けて

 どうやらコロナウィルスとは、アルコール飲料と街の明かりで感染拡大するらしい。アルコールを飲ませなければ、夜の街を真っ暗にすれば感染拡大は抑えられる。貴方は、そう考えますか!?
 そんなバカなことは、子供だって思わない。が、小池都知事や菅政権の為政者たちは真面目にそう思い込んでいるらしい。
 呆れ果てた。頭がオカシイのではないか!!

先の「緊急事態宣言」から、「蔓延防止何タラ」やらしたものの、一月でまた再再度宣言「発出」となったのは、要するに為政者の判断が誤っているからなのである。
 何が何でも開催ありきの東京五輪に向けて、聖火リレーとかを決行し、感染予防の人心を緩めるという「誤ったメッセージ」を、昨年のGoToキャンぺーン同様に国が出すから、感染者はぶり返し増えていつまでたっても何度でも何度でも「緊急事態」が続くのである。

 そして今回は、明日25日から5月11日までの僅か17日間という短期間で、とれほど効果が現れて来るのか。
 多少感染者数は減少したとしても、またそこで解除してしまえば、また即、一か月もしないで、今回と同様の事態となろう。 
 今回、三回目の宣言はより厳しく短期間で効果を出すとして小池都知事は、酒類提供の飲食店の休業要請、イベントなどの原則無観客、さらに夜の街の明かりは、午後8時以降は消灯を要請して来た。

 この女性は何故か、コロナ発生当初から「夜の街」を目の敵にしていて、コロナ発生源は、そこだっ!と。そこへは行くな、利用するな、と飲食店やそこで働く人々を苦しめてきた。
 そしてついに今回もアルコールを提供する店は休業しろ、夜の街は明かりを消せと来た。
 むろんそういう場所から感染者やクラスターも出たことはあった。が、今は、各店舗万全の感染防止策はとっているからまずそうした事例は報じらないし、そもそもコロナは、日中だろうがいつでもどこでも人が集まる場所なら感染拡大するのである。
 図書館や映画館、劇場から、ましてデパートから感染するなんて事例は聞いたことはないし、それは人流抑制のためだとしても、ならば人はまた家や、路上、公園や河川敷などで集まって飲んだり食べたりするだけであろう。ゴールデンウイークの長い休みの期間、いったいどこで何をしていろと国は言うのか。家でじっとお茶飲みながら座禅ですか。
 アルコール飲料が発生元ならば、いっそコンビニでもどこでも一切アルコール類はとうぶんの期間は販売停止とすれば良いでないか。

 そもそも自分たち為政者の対応の遅れ、失態、判断の遅れに反省することなく、要請を守らない都民が、国民が悪いからと責任を押し付け、またさらに抑圧的手段に出て来るとは、まさにはらわたが煮えくり返る。
 国民は何も悪くない。この一年ずっと政府や医師会の言うことを粛々と言いなりに守って来たではないか。特に、これ以上飲食店を苛め苦しめて、彼らに責があるとするのは絶対に許せない!!!

 はっきり言う。このままでは永遠に感染者は減らない。医療体制は逼迫、崩壊する。よって何度でも何度でも緊急事態宣言は繰り返し出される。いったいいつまで「自粛」すれば良いのだろうか。我慢にもほどがあろう。
 もう誰も政府や都知事の言うことは聞かなくなる。感染者、死者はさらに爆発的に増え続ける。

 それでもバッハ会長が決めることだからと、五輪開催は変更ないと、強行、いや、狂行するのならば、この国はコロナウイルスではなく、為政者、つまり自公政権によって崩壊・滅亡していくことは間違いない。
 やがて生き残った人々はこう呟くはずだ。悪夢のような安倍・菅政権時代だったと。

 さて、では5月9日の「共謀コンサート」、どうしたものか、今思案中だ。近くお知らせする。

5月7日の「共謀コンサート」は予定通り開催いたします。2021年04月27日 23時47分52秒

さこ大介、甲府桜座のステージ
★東京五輪に倣って、どのような状況下でも万全のコロナ感染防止対策をもって「開催」します~ただし「原則無観客」として。

 菅政権や小池都知事たちは、どれほどコロナウィルス新規感染者が増加の一途となろうと、東京五輪だけは何としても開催するとの強い決意は変わらないようだ。その熱い思いで、もっと国民の福祉向上、全国民の所得アップ、貧困やあらゆる差別からの脱却をと願うが、それはさておき。
 ならば、我も彼らの五輪開催にかける熱意に敬意を表して、このタイヘンな状況でも何が何でも「共謀コンサート」は開催していくことにした。

 ただし、会場であるかけこみ亭は、「緊急事態宣言」の要請をうけ、アルコール類も出す店として臨時休業中とのことで、イベントも「原則無観客」で、ということだから、その上で5月9日は、先のお知らせしたメンバーで変更なく「開催」します。※生配信は、検討中。

 当日は、「観客」は無しとしますが、個人でライブの傍聴、立ち合いはかまいませんので、各自感染防止対策の上で来られる方は、私マスダ、もしくは店側にご連絡ください。
 開始時間なども無観客ですので早めることはなく、先の告知通りに午後5時半から開演いたします。

 希代のシンガーソングライター、さこ大介のかけこみ亭ステージはこれが最期となるかもしれません。お見逃しなく。

 詳しいことなどは、マスダ ℡ 090-8175-8479  かけこみ亭 042-574-3602 まで。

どこまで続くコロナ禍ぞ~専業ミュージシャンの苦境を憂う2021年04月28日 19時46分12秒

★豊田勇造ライブ@宮沢さん宅4/26日

 明治の代に、漫筆家斉藤緑雨は、いみじくも「筆は一本、箸は二本」と喝破していたが、いつの時代でも芸術というものは食えないもので、文学にしろ絵画にしろ、そして音楽にせよ、それを趣味とするならともかく、生業としてそれだけで食って行くことは難しいのは言うまでもない。※斉藤緑雨(さいとうりょくう)の言わんとするところは、食べるための箸は二本必要なのに、筆は1本しかないのだから、そもそも文学などで生活が出来るはずがない、という意味。
 昨年来のコロナウィルス感染拡大・蔓延により、今もまたまた「緊急事態宣言」下である。

 国民が上からの要請に従わないからいけないと我ら民に責任転嫁する以前に、菅政権や都や府、各県知事など為政者の施策が本当に効果があったのか、何度でも繰り返される感染拡大の波を見る限りまず問われるべきと考えるが、それはさておき。
 感染者がさらに増え続け医療が崩壊し死者がとれだけ増えようと、どんな状況であろうとも、まるでGHQバッハ会長の命令には抗えないから東京五輪は開催すると言うのだから、まさに狂気の沙汰である。自国民の命と健康よりもオリンピックというスポーツのお祭が優先される国って!?噴飯モノであろう。そんな政権を支持し五輪開催を心待ちにする人はそれはそれで見識だと呆れつつもカンシンするしかない。
 ともあれ、東京五輪開催ありき故、民には今もまた様々な自粛しろという「要請」という名の「強制」が政府や都から出されている。
 正直我はうんざりだ。もういい加減にしろと言いたい。

 このコロナ感染拡大と「自粛の嵐」で様々な業種が多大な影響を受けて企業や店舗ならば売り上げが減少し、結果として職を失う人も増え続けいる。収入も減少し住まい自体失う人も多いと聞く。
 ※医療従事者のご苦労と負担は今回あえてふれない。

 マスク業者?とかコロナ禍で儲かっている人も少しはいるのかと思いもするが、多くの国民がさまざまな不便と収入の減少、生活の困窮に悩み苦しんでいるものと我は想像する。
 じっさいこの我の古本稼業も、本などは、そもそも実用書以外、不要不急の傾向が強いものだから、特定給付金が出た頃はともかくも最近では注文がばったり途絶えている。たまにあったとしてもごく安い価格のものしか動かない。

 そして今いちばん我が気になるのは、観光業、居酒屋などもだが、音楽、イベント関連のライブハウスのような店舗や企業とミュージシャンやスタッフなど関係者たちのことだ。
 アルコールなどを提供するそうしたライブハウスは、軒並み「休業」要請が出たため、営業は「臨時休業」するしかない。
 スズメの涙ほどでもそれに対して協力金が出るならまだしも、ライブに出演する予定のミュージシャン、シンガーはどうであろう。彼に何らかの補償があるのか。

 店ならば前年度の売り上げなどにより、一定の額が算出もでるのかもしれないが、ミュージシャン、それもフリーランスの人はどうなのだろう。
 何らかの申請しお金が出たという話は寡聞にして訊いたことはないし、そもそもシンガー、ミュージシャンでそれだけで喰っている人、喰っていけていた人はどれほどいるのだろうか。
 我が知己を得たシンガーたちの多くは、専業ミュージシャンと言うべき人は数えるほどしかいない。

 専業というのは正しいかわからないが、うたや音楽活動以外に、大概の人は、別の「本業」を持っている。たとえば、介護ヘルパーや交通整理の誘導員であったりして、別に「定収」があってこそ、収入が不安定な音楽活動が成り立つわけである。
 しかしごく少ないが、音楽活動だけ、つまりシンガーならば、コンサート活動や自らのCD、物販の売り上げだけで、とにもかくにも生活している人たちも確かにいる。
 それは彼には熱烈なファンや支援者がいるということであり、つまるところ音楽だけで生活できる人気があるという証でもある。
 そうした人気ミュージシャン、シンガーの筆頭が、我らが豊田勇造であることは誰も異論はないだろう。

 しかし、このコロナウィルス感染拡大によって彼だけでなく専業のミュージシャンたちは、そうしたライブツアーそのものが困難となり、場としてのお店の休業要請、時短と客席数削減により大きなダメージを受け、専業ミュージシャンゆえ苦境に陥っているというのは広く知るところであった。
 ※この回、長くなってきたのでもう一回だけ続きます。