春、四月、まだこちら側にいるうちに2021年04月01日 12時35分15秒

★気がつけば、早や春爛漫、四月に。

 つい先日、年が明けたと思っていたのに、早やくも三か月が過ぎ、今日から4月、新年度である。もう1年の四分の一が終わってしまった。

 このところ日中は、外の陽射し浴びていると汗ばむほどの陽気で、今春は異常に早くも気温が高い日がこのところ続いている。先日、東京では夏日を迎えた。我はこのところ昼間はTシャツ一枚だ。
 ともあれ、コロナ渦中であろうとも季節は冬から春へと、今年も厳冬を乗り越えて新しい春、快適な季節が迎えられたことをまず心から喜びたい。
 春は出会いと別れの季節、と昔から言われる。が、歳とって来ると、出会いなどまずなく、次々と季節を問わず別ればかりが増えていく。そして最後は、自らもこの世界と別れを告げる側となるのであろう。
 
 今日から、4月。先月はずっと体調がすぐれず、微熱程度でも風邪のような症状が続いていて、もしやついに我もコロナに罹ったかもと不安な憂鬱な気分でずっといた。なので時間あらば、大事をとってひたすら寝てばかりいた。
 が、今はやっとその不調も収まり、やはりそれは我の持病、毎年恒例の季節の変わり目に起こる、寒暖差アレルギーだったのだろうと思うことにして気持ち新たに、まさに心機一転がんばろうと今は思っている。

 家のことも、我が実生活ももうスゴイ状況になってしまったままなのだが、幸いにしてこのところは我が父は、体調が安定しているので、介護施設にも滞りなく通ってくれているので、本当に助かる、有難いことである。
 年明け、一時期は、父の呆けが悪化して、歩けないとか食べられないとか体力低下以前に、何故か、真冬でも睡眠中に衣服を全部脱ぎ捨てて素っ裸で寝ていたりで、結果、糞尿をベッドに撒き散らすことになり、その対応に我は大いに苦慮した。毎日毎日洗濯に明け暮れた。
 何より、困るというか、情けないのは、施設から帰宅してもここが自分の家かどうかよくわからなくなって、病院だとか施設だとか言いはったり、ここではなく別のところに家があるとか、記憶が混乱し騒いだことだ。むろん我、息子のことも誰なのか認知できない。

 一時期のように、徘徊朦朧として、深夜に戸を破壊して外に出たりする体力気力はなくなったものの、そもそも基本的なことが何一つわからなくなっているときもあって、起こしてトイレに連れて行っても、そこで何をすべきなのかも、食事のとき、料理をテーブルに出しても、食べる、という意味、行為そのものが「わからない」状態のときもあって、こちらとしては本当に情けなかった。これ、どうするのか?、といった態で、ぼうっとして自らでは何もアクションを起こさない。
 仕方なく介助して口元までスプーンで運んで付きっきりで食べさせないとならないわけだが、食べたくないとべっと吐きだしたり、苦労して食べさせたと思ったとたん、全部吐き戻したりもして、もうこの家で暮らすのは、「限界」だと、覚悟も決意もした。

 まあ、いま、96歳。百歳にもう手が届くほど齢を重ねてきたのだから、生きているだけで奇跡ともいえるわけで、ついに我が1人で世話することは終わりが来たと思えたものの、どうしたことかこのところは持ち直し頭の方もクリアで、受け答えもまっとうのことも多く人間味がまた戻っている。
 実際のところ、息子として老父の汚れたお尻を拭いたりオムツ替えしたりすることは今はちっとも苦痛ではない。逆に、そういうした行為をしてあげられることこそ「有難い」ことだと思っている。
 母のときもだが、こうした下の世話は、我を我がままし放題に育ててくれて、世間的常識からすれば親不孝の極みをしてきた我だからこそ、その恩返しであり、ある意味、すべての帰結なのだとわかった。

 しかし、それもこれもそこに当人間の意識、意思が通い合ってこそであり、実際、介助されている側が、今、自分はどこにいて、誰がそれをしているのかもわからない状態になってしまっているならば、あえて我がそれをやる意味はあまりないと考える。
 つまり特養とか、介護老人施設で、我ではなく専門の職員たちがしたとしても同じことなわけで、家族が介護するとは、当事者とまず意思の疎通があってこその話だと我は思うが・・・。
 ともかく今は、そんなわけで、我が体調悪かったときは、いつもより長めに施設に預けられて、おかげで息子も何とか体調取り戻せたという次第である。
 いまは、体力はともかくも気力は元通りに立ち直ったことを報告したい。

 何もできないまま、相変わらず片付けはちっとも進まないまま、季節は進み、時間だけが過ぎていく。まさに忸怩たる思いにもなる。
 しかし、ともかく父も我もまだここに、こちら側に共にいられるのならば、犬猫たちも含めて今在るものたち、モノゴトも含め全てに感謝して、関わるすべてを慈しみ大事にしてとことん愛していこうと思う。
 ときに倦み疲れて、すべてを投げ出したり全てもうどうでもいい、どうなってもかまわない、という投げやりな気分、ネグレクト衝動に囚われることも多々あるが、終わりは近いし残された日々も僅かなのだから、一日一日丁寧に生きて行こうと思う。

 コロナはいつまで続くかはともかく、こんな大変な時代でもすべては神の計らいだとすれば今はそこに意味を見出したい。そして「その中」で何ができるか、何をすべきか、自問していく。 
 毎度のことながら、いろいろご心配おかけして申し訳なく思う。 
 だからこそ「その中」で、今、自分ができること、まだすべきことがあると信じて頑張っていこう。