ここから、これから少しでも持ち直していく。2021年06月01日 23時44分55秒

★6月に入りました。

 何から書いたらよいものか。まずは父のコトを少し。

 父の体調、食べられなくなって痩せて体力が落ち衰弱がさらに進んでしまったことは先に書いた。
 じっさい介護施設から帰宅しても歩くのもやっとで、ウチの屋内はモノがあり過ぎて、とても車椅子は使えないので、我が常に手を引き、座椅子からは抱き起して立ち上がらせて、と、ベッドからトイレまで家中どこに移動するにせよ朝から晩まで介助さねばならない。
 ふらつきもひどく、先の帰宅時は、何度よろめいて家の内外で転んだかわからない。父に押され倒されて我も共に転んだこともある。身体中青あざだらけとなっている。

 ともかくこのところは食べさせるだけでも一苦労ゆえ、けっきょく先月後半から、父は介護保険の点数いっぱい施設に預けることにして在宅の日は極力減らすことにした。
 一晩程度の世話は労苦だと思わないが、二晩、つまり朝から晩まで終日家にいる日があると、こちらも睡眠不足もあって心身の疲労で精神的に疲弊して体調がおかしくなる。
 そんなでなかなか我が家には帰れない父には可哀想というか、すまない気持ちでいっぱいだが、父が帰宅する日は朝から気が重いというのも正直なところだ。
 これが母がまだ生きていたり、我に妻なり子なり他に家族がいれば、介護も分担でき、気持ちも体も楽だろうと思うが、ともかく今は父一人、子一人という家庭なのだから我一人ではとても24時間父の世話はできない。

 ただ、そうして今はデイサービスのお泊りとショートステイに預かってもらえているが、このままさらに老衰が進んでしまえば、食事が摂れないだけでなく、そこに行ってもひたすら眠ってばかりなら利用自体難しくなるだろう。
 その場合、特養などに入れて完全に我の手から父は離れることになると思うが、その日も間もないとひしひしと感じている。
 また、ひどく転んでまたもや骨折などしてそのまま病院介護施設に収容されるか、その可能性も高い。
 あるいは誤嚥性肺炎起こして即そのまま入院ということも。
 幸いなのは、今行っている介護施設でもコロナ患者は発生してなく、通常通り通えているから我も父も今までの日常の延長で何とかやっていけているわけで、コロナで施設閉鎖とか当人が感染ということになれば、その時点で嫌でも全ての終わりとなろう。有難いことである。

 父が帰宅する日の前の晩は、いつもあれこれ「この先」のことを不安に駆られて考えたものだが、もう百歳近くまで生きて来れたのだから何が起きようと「そのときはそのとき」だと思考停止という方便を覚えた。
 高齢の老人優先に、コロナのワクチン接種がウチの市でも進んでいるようだが、我としては在宅時にかかりつけ医が来て打ってくれるのならともかく、父を連れてどこかの会場に出向いて集団接種などまったく受ける気はない。コロナに感染しなくてももはや明日をも知れぬ年齢なのである。ワクチンは早く打ちたくてたまらない、もっと若い元気な年寄りにまわしてくれ、という気分だ。

 さておき、父のことはともかく、先月5月はともかく慌ただしかった。予期せぬ事態が次々起きてしまった。今も何一つ解決はしていない。
 が、今、月も改まり、ようやく事態はやっと収拾の方向に向かっている。むろん我の多事多難な(一概に何が多難かはともかく)人生はこれからも変わらず続く。
 実は今月、6月は、九星気学から見ると、我の運勢は今年最悪の月なのである。
 ならばこそ何があろうと父のことも含めて、今月を無事にともかく乗り切れれば、たぶんこの先しばらくはさらにこれ以上の悪いことはないだろう。運勢もだんだん持ち直していく。

 実はコロナ大不況で、我の商売も注文が途絶えて、父の年金も介護保険代と施設利用料の増加で振り込まれた分は右から左へ消えていく。生活のため我の貯金も切り崩して残高はゼロに近い。
 それに加えて、Amazonなどでの支払いでの引き落としも嵩み、我の通帳の引き落としできないマイナス残高は20万近くとなってしまった。
 このままだと、父母名義の定期預金を解約しないとこの家の家計は破綻してしまうと真剣に考えるこのところではあるが、なにはともあれ父はまだ生きているし、我も何とか無事生きながらえている。
 今ここを凌げば、ここを乗り切れば持ち直せると思いたいし、きっと良くなっていくと思っている。
そのためにもともかくまずは、今月を無事に乗り切ることからだ。

 無理せず、慎重に丁寧に何事もきちんと向き合っていく。
 これから、ここから少しでも少しづつでも持ち直していく。元の生活を取り戻していきたい。もうダメだと思うことも、つとあるが、まだできる、まだまだがんばれると信じてやっていく。

父を何とか今寝かしつけて2021年06月02日 23時11分49秒

★一日一日、ともかく乗り切るしかない

 今、父を自室のベッドに何とか寝かしつけ、鍵もかけた。あとは明日明け方まで大人しくじっと眠ってくれることを期待するしかない。
 早朝、5時か6時前頃、我はいったん起きて、眠ってる父のオムツを交換して布団などかけ直してから、父を起床させるまで1時間~ほど寝直す。
 そして、父を叩き起こしてトイレへ誘いそこで着替えさせ、歯や顔も洗ってから居間に連れて行き、朝食をとらせて介護施設に送り出す。

やっと猫問題、終わりが見えてきた。2021年06月12日 23時21分50秒

★まだ根本解決にはほど遠くとも

 久々にブログアップする。先月からの慌ただしい日々はやっと一段落してきた。
 何から書くべきか、そして我がことを書いたとしてどれほど読み手がいてその関心をひくかわからないが、ともかく近況を記す。
 今回の「猫問題」、と言ってもようわからんかもしれんが、ウチでまたまた迂闊にも生まれてしまった子猫たち7匹は、ほぼ貰い手がついて残すはあと二匹となった。
 それも来週半ばに都内のネイルサロンの方と「お見合い」をするので、たぶん今回の子はほぼ全部引き取られるかと思う。

 実は、今日も夕刻、八王子市鑓水のホームセンターの駐車場で、子猫二匹を一緒に飼ってくれる方に引き渡せた。
 それであと二匹となったしだいで、今回はかなり貰われる率が高い。有難いことである。皆幸せになってほしい。
 前回のときなどは、貰われて行ったのは4匹のうち2匹だけで、結局残った子はウチで飼うこととなり、それがまた子を産むという悪循環というか、ネズミ算ならぬ猫算展開で、とうとう多頭飼い飼育崩壊寸前となってしまった。
 今回も雌だけ室内飼いしていたはずなのに、我の判断ミスと迂闊さから出産に至り、一時期はどうして良いものか途方に暮れた。下手すると動物愛護活動に熱心な方々がまた執拗に乗り込んで来てあれこれ煩く我に指示し糾弾してくるかと怖れ危惧し頭痛めた。
 が、幸いにして、三留まゆみさんをはじめとして我の女友達があちこちに声をかけてくれて、彼女たちのフェイスブックなどで宣伝告知してくれたおかげで、多くの子たちが新たな家庭で幸福な猫人生をスタートできることとなった。
 しかし、これで「解決」、事態収束というわけではない。猫問題に関しては、まだまだ続く。「今回の問題」はとりあえず、終わりが見えただけで、真に根本的解決、最終的解決案、つまり策を実現しない限り、パレスチナ問題のように何度でもまだまだ「紛争」はこれからも続く。

 我の人生は猫たちの世話するためにあるのではない。そもそも自分の人生だってきちんと確立していないのに、だ。まあ、そんなだらしないニンゲンだからこんな愚かな事態を招くのだとご批判されても反論できないが。
 ただ、あまりそうして「正義」や「常識」を振りかざし、「動物を飼う資格がない」などと皆して我を糾弾してこられると、我としては自己を苛み家に火をつけ猫もろとも自殺するか逆にキレて世間様に復讐したりするのでほどほどにお願いしたい。
 ブログも今月頭に書いたきり、10日以上も空いてしまった。まずその間の出来事など何があったのかを記して、これからについても思うところを書いていきたい。

あと一年、何としても父を生かしていく2021年06月14日 07時37分50秒

★すべてに「時」はあるけれども

 関東、東京は梅雨に入ったかわからんけど、鬱陶しいじめじめとした「梅雨どき」らしい曇りか雨もよいの日が続く。
 梅雨と書く、字義通り、いまどこも梅の実がたわわになり、その梅で梅酒や梅干しを漬ける季節である。
 昨日は、自立型脚立に昇ってウチの庭の梅の実をもいで、ついでに伸びた枝の剪定も行った。
 そう、ウチには右隣の隣家に接してさほど大きくない梅の木もあって、先年、故あって一度枯れかけたが、幸い持ち直してこの数年多くはないが再び実をつけるようになった。
 今年は、低い枝についた手近にもげる分の実は、先にその隣家におすそ分けしたので、ウチのぶんは2キロもないけれど、これからそれを洗って梅干し用に漬けこむことにする。この数年、とれる分はごく少しで、とれても隣家にそれは全部あげてしまうので、ウチで梅を漬けこむのは久しぶりである。少しづつまた母が生きていた頃に戻って来た感がある。

 さておき、後ほどその脚立の画像をあげるが、これは、アルインコ社製の高さ約3m以上ある、同型のうち一番大きい自立型の脚立だ。※庭師などが使う、下部が広がっている梯子を1本のポールで支え、どこかに立てかけなくても自立して使えるタイプの本格的なものだ。
 あまりにウチの庭の植栽が伸びすぎ、隣近所から煩く言われていたので、先日、突発的にAmazonで注文してしまった。値段は3万円近くした。
 当初は我家まで配達、とのことだったが、あまりに大きくてヤマトや佐川では扱わず、アルインコ自社から配送なのだが、ウチの前の道にはその配送する車が入らないとのことで、仕方なく一番近くの集荷センターがある狭山市日高の物流倉庫まで自ら出向いて引き取りに行った。
 じっさいかなり大きく、アルミ製で軽量だけれど扱いに苦労する。
 その日は、我が盟友フォークシンガー太田さんにウチまで来て頂き、二人で圏央道の日高インターまで走り、その物流倉庫で引き取り、ウチの軽のミニワゴン車の屋根に苦労して前後にかなり飛び出しながら無理無理にロープで括りつけて持ち帰って来た。
 一人ではその脚立を持ち上げて屋根に縛るのは難しかった。二人で何とか乗せて無事に持ち帰れた。それが先月30日のことであった。

 そして、今月5日、土曜の午後には、かけこみ亭をお借りして、ウチの子猫の譲渡会を開いた。
 今回まず生まれた七匹のうち、既に予約が入っていた2匹を除いて、残る5匹を連れて行き、三家族が来てくれてそれぞれ一匹づつ、三匹が新たな家庭に貰われて行った。三留まゆみさん、かけこみ亭関係者の方々にも改めて厚く御礼申したい。
 ※その「予約」されていた子猫二匹は、前回記したように、12日の土曜に八王子市鑓水のショッピングセンターの駐車場で引き渡せた。

 そんなでやたら慌ただしく、父の介護施設の利用もこちらの都合で変則的になってしまい、通常は、土曜日に送り出し月曜にいったん戻るのが、今月頭は水曜までに延ばしてもらった。
 またさらに続いて今月3日の木曜から次週10日の木曜までロングで別の施設に預かってもらうことにしてもらった。七泊八日の利用は初めてのことであった。それもこれも猫騒動の余波である。おかげで父の介護はせずに家のこと、猫のことに専念できた。
 しかし、この10日にそのロングのお泊りから帰って来た父は、さすがに呆けと衰弱が進み、我家に帰宅しても意識が朦朧としてなかなか反応が戻らなかった。

 その老人介護施設では常に車椅子で移動させられているし、基本、個室で寝てばかりいたようで、食事もあまり進まなかった感じで、また一回り小さくなったというのがまず帰宅時の印象だ。
 翌日は、終日我が家に居て、医師と看護婦の訪問診察などがあり、人も来たりして刺激があったせいか、何とか夜にはこちらの声かけに真っ当な反応が戻ってくるようになった。彼の愛する猫たちの存在も大きい。
 やはり施設に預けぱなしにしてしまうと結果的に老衰はさらに進み、体力低下だけでなく呆けも進んでしまうのだと痛感、反省した。
 今回は何とか幸い彼の人格、自意識が「戻った」が、一か月も我が家に帰れないと、ウチに帰って来たとしてももう何もわからず反応もなく、ひたすらこんこんと眠り続けて食事も摂れないだろうと予想できた。
 そういう状況は目前だが、そうなってしまえば衰弱がさらに進み死期はさらに早まり、年内もつかも危ぶまれる。

 じっさい別施設で月ごと体重測定してもらったら、昨年暮れの時点では約60キロあった体重が年明けからじょじょに減り続けて、58、57、56と落ちて来ていたのが、今月はそんなこんなでなんと54キロ台である。
 かつての六尺男、背が約180㎝近くもあり、初老期には体重も80キロもあった偉丈夫が、いまではこの我よりも小さく体重も少なく、まさに骨と皮となってしまった。いよいよ危険水域に入ってきたと思える。

 さて、どうしたものか。いま、父がすぐ死んでしまえば、一時的に保険金は少しは入る。が、古本稼業もとうとう行き詰ってしまった我には年金もなく、我家は完全に「無収入」となる。
 恥ずかしい話を記すが、いまこの家は何とか父の少ない年金がともかく二カ月おきに入って来るので、介護施設利用料も家の食費も様々な税金、光熱費なども何とかそれでまかなっている。
 といっても父の施設利用料だけで10万円近くかかるので、じっさいは父の年金だけでは赤字続きで、我の貯金を取り崩したり、九州の妹からときに送金してもらい何とかやりくりしてきた。※我の「貯金」とはAmazonからの売り上げ収入で、かつては100万以上あったが、少しづつ支払いに下ろして今では数万円台となってしまった。
 しかもこのところ猫たちが大量に増えてしまい、その餌代や猫砂だけで月に何万も出費がかさむ事態となってしまった。
 あれこれ先のコトを考え出すと頭が痛くなり不安でウツウツとしてくる。いったいどうしたらよいものか、どうなってしまうのかと。

 で、今回気づいたのは、そんな手のかかる父であるが、どのような状態でもともかく生きてくれていて、施設に通い、定期的にウチに帰って来てくれるのは有り難いことだということだ、と。
 というのも、父が不在だと我は自分のことに専念できるわけだけれど、逆に生活が不規則となってしまい、さほど効率が上がらないだけでなく体調も崩してしまうことに気がついた。
 父がいないと気ままにヘンな時間にだらだら昼寝したりすると食事も不規則となり夜もなかなか眠れずに明け方まで起きたりして日中もぼうっとして体調もすぐれない。
 わかったことは、この我は、自分一人では何一つ自らを律することができず、食事もきちんと作らず、インスタントラーメンやスーパーで出来合いの弁当など買ってきてはアルコールで流し込み酔っぱらって寝てしまうことばかりしてしまうのだ。
 まだ父や猫たち犬など、世話しないとならない他者がいるから、とことん崩れないが、今室内は、汚れた皿や缶ビールの空き缶が散乱して、よく報じられる、あたかもアパートで孤独死した一人暮らしの老人の住いとなっている
 人は人のために生きてこそ、という言葉があるが、我は何より自らに関心が薄く自己愛も低いので、自分のためには何もしない。よって誰か他者がいてくれてこそ、その人のために動くことができるし、何でもしようと思える。じっさいこんな我にも求められれば何でもやってきた。
 今はまだ父がいるから、父の施設とのローテーションで我の生活サイクルも成り立っていることに気がついた。
 そう、ある意味、手のかかる父や動物たちがいるから我はまだ生きていけるのだった。

 ただ父は間もなく死に臨むことは間違いなく、あとはやたら金のかかる猫たちだけが我に残される。父亡きあと一人でどうやって生活していくべきか。

 それで考えた。かなり難しいことだが、ともかくあと一年と期限を決めて、来年の6月まで父をともかく何としても生かし、その期間にまず猫問題はこれ以上増えないよう、完全解決をはかる、ということだ。
 父が施設に定期的に通ってくれて、父の年金も定期的に入って来る間に、猫のことも家の片付けのことも処理、管理を進めて、まさに今後も維持、継続可能なようにこの生活を立て直していく。

 それが出来なければ、この我の人生も先はない。行き詰ってさらに自らへのネグレクトは進み、やがて荒れ果てた家で孤独死するか、隣近所とのトラブルにキレて隣人たちを殺して家に火をつけて動物たちもろとも破滅していくだけか、だと考えている。
 そうしたヒサンな情けない事態にならぬよう、ともかく父をあと一年は何とか生かして、その中でできること、やるべきことを少しでもやっていく。
 嗤われても呆れ果てられてもかまわない。これが現実だ。どうしようもない人生の決着をつけていく。

子猫問題は一段落2021年06月17日 11時41分53秒

★さあ、ここから一気に歩を進めていく

 昨夜、そぼ降る雨の中、かけこみ亭へ出向き、都内でネイルサロンを経営されているご夫婦に今回の子猫、残る2匹一緒に引き取って頂けた。
 ご自宅は横浜方面にお住まいとのこと、先住の老いた猫もいるご家庭なので子猫が新しい環境に慣れるかまだ様子見というところもあり、もしかしたら出戻りの可能性もなきにしもだが、ともかくこれでまず今回産まれた子たちはすべて片付いた。
 沢山いた子猫たちが突然ゼロになってしまうと、淋しいような哀しいような、祭りの後のような気分に少しだけ泣きたい気分に襲われている。
 が、ともかくこれで一段落はしたわけで、さあやっとここからまた次のことに向き合えると奮起するところもある。

 考えてみると、決して事態、状況は良くなったわけではなく、さらにひどい状況から、また元のひどい状況に少しだけ戻せただけに過ぎず、悪化している事態は何一つ良くなったわけではない。
 ともあれ少しだけでも悩み事や時間とられることが減ったことは間違いなく、今また気持ち新たに一日一日、少しでもやるべきこと、いや、それ以前に今できることを進めていきたいと思う。

なし崩し的に開催される東京五輪へ怒りと抗議の声を上げていく2021年06月23日 23時13分37秒

★不安と危惧の東京五輪まであと一か月に

 先日来あれこれ書きたいこともあり、実際に書いたのだが、このところパソコンが老朽化してきたせいか、数日前は五輪への思いについて渾身の回を書き上げアップしようとしたら、送る途中にコピペに失敗して、書いたものはすべて消えてしまった。
 意気消沈し気力も失せてまた間がやや空いてしまっていた。

 このアサヒネットのブログ、ウチのパソコンが悪いのか、それとも何かブログ管理側のシステムの問題なのか、書いたものを送信しても、「ただ今アクセスが集中し混雑してる」とかいう表示が出、「後ほど送ってください」、と送れないことがよくある。
 で、そうしたとき「送信」したものは全部消えてしまうので、こちらとしては保険として送る前に一度コピーして、アップできない時に備えておく。
 ところが、ウチのパソコンが不調気味で、このところうまくコピーすることができない。
 おわかりのことだと思うが、一度コピーするところをマウスを使いカーソルでなぞって色が変わったところがコピーできた部分のはずが、コピーそのものがうまくいかず、そうしたなぞる作業を繰り返していたらせっかく書いた渾身の長文がコピーどころか一瞬で消えてしまったのだ。
 ならばもはやブログ用のパソコンを新しいものに全面的に移行するか、ブログ自体違うブログ運営会社に変えるか、解決策はなくもながだが、いまはともかく慎重に、少し書いてはコピーして送信し、少しづつアップさせてと、面倒だが書き溜めたものが雲散霧消しないようちびちび書いていくしかない。

 さておき東京五輪開催まで一か月と迫って来た。安全安心どころか感染再拡大の不安と心配でいっぱいのオリンピックである。このコロナ禍、まさに常識では「開催はない」が、緊急事態宣言下であろうと、「ハルマゲドンでも起きない限り(コーツ氏曰く)開催される」ことになるようだ。
 言うまでもなく、開催国日本国民の八割が中止もしくは延期を望み、このコロナ禍、オリンピックどころではないという気分であるのに、政府や都知事、そしてIOCなど為政者、大会関係者たちは一切そうした声には耳を傾けず、ひたすら「安全安心な大会を目指す」と、お題目のように何の保障も確約できないことをくり返すだけで、ついに開催まで一か月となってしまった。
 おそらくなし崩し的に、このままどんなひどい感染状況、医療崩壊となろうともオリンピックは開催されていくことたろう。始めてしまえばもう途中で中止はできやしない。菅政権とIOCの幹部たちは国民の命よりもオリンピックのほうが重大事なのはどうしたことか、誰もが理解に苦しむ。

なし崩し的に開催される東京五輪へ怒りと抗議の声を・続き2021年06月24日 10時54分44秒



 というわけで、コロナウイルスが日本のみならず全世界的に未だ終息みえないどころかまた新たな感染拡大の兆しが見える中、世界中から何十万人もの人が集まる一大イベント、オリンピックは誰もが常識的に考えて開催はない。
 ところが多くの国民の不安と医療関係者の危惧を完全に無視して日本政府はIOCと謀って、中止という選択肢こそないと、「開催ありき」で突き進み、やるならば無観客が望ましいという提言さえも無視、約半分の観客を入れて開催するということにいつしか決まってしまった。
 さらにそこに、会場内での酒類提供容認も、と言い出したので飲食店でのアルコール類を自粛させられてきた世論は怒りで紛糾、結局、一日で発言撤回、アルコールなしとなってしまった。

 しかし、その丸川五輪相が、その6/22日会見でぽろっと口にした「現在、飲酒や酒類の提供のあり方については組織委員会が検討していると伺っている。《略》大会の性質上、ステークホルダーの存在がどうしてもある。組織委員会としては、そのことを念頭において検討されると思う」という発言こそが、何が何でもオリンピック開催に固執する政府、IOCの本音なのである。

 丸川は誰に知恵つけられたか、ステークホルダーと言う耳慣れないカタカナ語を用いているが、字引では、「ステークホルダーとは、企業の経営行動などに対して直接・間接的に利害が生じる関係者(利害関係者)のことをいう。 ・具体的には、株主、消費者(顧客)、従業員、 得意先 、地域社会などが挙げられる」とのことで、要するに利害関係者、つまりスポンサー様なのである。
 スポーツを通して平和の祭典のはずのオリンピックは、近年、膨大な放映料をはじめとした利権の祭典、金権五輪と揶揄されているように、そこに巨額の金と利権が絡む。
 海外からの観客も含めて膨大な人流の移動があり、箱もの建設による公共投資だけでなく経済効果は計り知れない。

 一たび中止という先例を拵えてしまえば、全世界へのテレビ放映料も何もかもがIOC幹部の懐に入らなくなる。国内多くの賛同企業も損しか残らない。自民党への献金も減ってしまう。
 菅政権としても、感染再拡大の可能性大という大きなリスクよりも開催決行し、スポンサーの顔を立て、運よくばともかく「無事」に最後まで開催終えられれば、忘れやすく熱中しやすい日本人の気質として、「オリンピックでたくさんのカンドー有難う」と、支持率も上がる、秋の総選挙も勝てると危険な賭けに出たのである。要するにGoToキャンペーンの延長なのである。感染拡大の怖れより経済効果なのだ。
 果たして菅首相、自民党、公明党そして小池自分ファースト都知事は、この賭けに勝つことができるか。
 その結果は間もなく出る。もし、この開催に義があるならばきっと天は菅首相に微笑むことだろう。

 しかし、たとえオリンピック後に感染拡大が大したことなかったとしても根拠のない安全安心論で、国民の命と健康をもてあそんだことの責は厳しく問われねばならない。

五輪開催強行に憤りと無力感、だが「選挙」がある2021年06月26日 08時39分51秒

★都議選、衆院選でまたも自公を勝利させれば、彼らの無法非道の強権政治を「信任」したことに

 無理やりというか、なし崩し的にというか、東京五輪は一気に開催に向けて猛スピードで走り出したようだ。
 一時期は、今回のコロナ禍での五輪開催に再延期、もしくは中止を求め国民の八割が、反対していると、開催に異議をとなえる報道も多く報じられたが、政府、五輪関係者たちは一切耳を傾けず、新型ウィルス対策分科会の尾身会長ら医療関係者からの「この状況で何のためにやるのか」という開催に危惧する提言さえも無視して、ひたすら開催に突き進んでいる。
 まさに丸川五輪相の「全く別の地平から見てきた言葉を言ってもなかなか通じない」(6月4日)の発言のごとく、彼らは我々国民とはまったく違う地平にいるのである。
 それは、五輪開催によって生じる金儲けの視点であり、国民の命と不安よりも経済活動優先という姿勢なのである。

 そして開催まで一か月を切るともはや開催の是非どころか、有観客での人数が問題とされ、次に会場内のアルコール類提供の是非、さらに今は、五輪出場に誰が確定した、落ちたとか選手選考の話題でメディアは大騒ぎである。
 まさになし崩し的に開催に突き進む一方、並行して東京、近県ではこのところまた新規感染者数が日々増加傾向にある。
 またしてもコロナは感染拡大するのかと不安な気持ちで今でも開催を疑問する多くの国民は、この流れに深い憤りと諦めの気持ちでいるかと思う。この我もである。もう何を言ってもともかく五輪は何が何でも強行されていくのか、たとえ「緊急事態宣言下」であろうとも、だ。
 そのとき、医療体制はどうなってしまうのか。自分の命は守れるのか。今、全国各地で起きているワクチン接種の狂騒騒ぎは国民の不安の表れなのである。

 思うに、こうした「民の声に一切耳を傾けず無視して決めたことは突き進む」という政府の政治姿勢は、これまでも沖縄でずっとこの自公政権がやってきたことだ。
 沖縄県民が何度も何度も選挙などを通して、新基地建設反対!!の意思を政府に突き付けてきたのに、その願いは一切無視して県民の負担軽減と言う詭弁を弄し、まさに民意と逆行することを平然と強行し続けてきた。
 そうした「強権政治」がこの五輪開催で、沖縄のみならず日本国民すべてに降りかかってきたと言えよう。
 強大な権力を持った者たちの前で民は無力である。しかし、そうした非道な為政者たちを選びこんなヒドイ政治を委ねたのもまた国民一人一人なのである。
 幸い今、東京都では、都議会議員選挙の最中である。このコロナ禍中でも、五輪開催を容認する都民ファーストと自公の議員たちを一人でも減らすことが、「五輪反対」の意思を示すこととなろう。
 そして秋には、間違いなく衆院選挙がある。
 その国政選挙で、政権与党の自民、公明のみならず野党のフリはしているが、全くの補完勢力である維新の議員をどれたけ減らせるかで、日本の未来は決まって来る。
 政治を今こそ都民、国民の側に取り戻していく。我らの声と思いは、選挙でしか届かない。

 もし、この状況下で2021年、またしても自公政権が勝利してしまい、「コロナは憲法改正の好機!」だと、政権側の失態は問われることなく感染防止策を有効にするためにも国民の「私権制限」が強くできるよう、憲法が改正されてしまえば、この国は現在の香港のようになってしまうことだろう。
 つまり政権を批判し反対する者たちは、治安を乱す者として逮捕拘禁されメディアも政権批判の報道は一切できなくなる。
 沖縄で起きていること、そして東京五輪で国民の声を一切無視して政府、自公政権が示した政治姿勢が日常的になるのである。
 そうした「悪夢のような自公政権+維新」が完成しないためにも我々はまず選挙に行って民意を、自らの意思を示さねばならない。

反五輪で「共謀コンサート」7月18日開催!!2021年06月27日 18時59分29秒

★オープンマイクですのでどなたでも自由参加できます。

 観覧も含めて参加ご希望の方は、まずは私マスダか、かけこみ亭に連絡ください。当日いきなりのご来場は座席、枠がいっぱいの可能性があります。
 現在は若干まだ時間も席にも余裕があります。どうか皆さんお越しください。※「共謀コンサート」は年内で終了の予定です。あと、この回を含めて3回の開催を予定してます。

★★なお、出演者枠はいっぱいとなりましたので、締め切りました。「観客」としてのご参加はまだ余裕ありますので、ぜひお気軽にお越しください‼

小林亜星を偲ぶ2021年06月29日 19時25分02秒

★亡くなられて初めて気づく、彼の偉大さ。

 人はおそらく誰もが、幼児期から青春時代まで、その成長に見聞きした、あるいは読んだものでその人格が形成されていると断言出来るかと思う。
 むろん教育とか親の躾などの家庭環境、とうぜん遺伝的要素も大きい。が、人格とか性格まで広げなくともその嗜好、趣味的傾向は、大人になるまでにテレビやラジオなどでよく見聞きしたものの影響が大きいと言えよう。
 ここは本と音楽のブログだから、本や漫画など読んだものの「影響」についても書くべきだが、まずは「音楽」について、我の個人的経歴、いや、そんなエラソーなものではなく、幼児期から聞き慣れ親しんで、今に至る我の音楽嗜好を形成しているものを振り返ってみたい。

 我は、基地の町で育ち、父母共々進駐軍勤めで知り合い結婚したように、半アメリカ人だったから、幼児期より「洋楽」は家に溢れていた。ラジオのFENはもちろんのこと、一番最初に与えられたレコードは、父が基地から持ち帰って来たマーベレッツの「プリーズ・ミスター・ポストマン」の赤盤であった。
 と、「洋楽」についてまで広げてしまうと収拾がつかなくなる。
 今回のテーマは、亜星さんである。自分がリアルタイムで聴いて来た日本の音楽、邦楽というより、ジャパニーズ・ポップスというべき洋楽に影響受けたうたの数々とその作曲家、流行、ムーブメントについて書いていく。

 我より少し下の世代の人たち、1960年代生まれの人は、もの心ついたとき、つまり意識して始めて聴いた音楽は、GS、つまりグループ・サウンズだという言う人が多い。
 我はもっと旧い、昭和30年前半の世代だから、その少し前のブーム、『シャボン玉ホリデー』や、『ザ・ヒットパレード』『夢で会いましょう』でさんざん唄われた、日本語詞で唄う米英、そして仏・伊のカバァー曲、そしてそれに影響受けた中村八大、宮川泰らの楽曲にも強く魅了された。
 むろんその歌詞は、超訳の天才、漣健児である。そこに永六輔が加わる。
 シンガー、ミュージシャンとしては、ダニー飯田とパラダイスキング、坂本九、弘田三枝子、伊東ゆかり、森山加代子、スリーファンキーズたちがまず思い浮かぶ。

 ここまでが、幼少期、小学校低学年の頃の記憶で、その後、60年代半ば頃からのエレキ、GSブームを経て、70年代に入ると自分も思春期というか、青春の門口に立って、ラジオを通して深夜放送に慣れ親しみ、日本のフォークソングに魅かれていく。
 そのシンガー、楽曲については書き出すとキリはないから割愛するが、一方並行して歌謡曲もラジオ、テレビでずっと聴いていたわけで、当然アイドルにも夢中になり、南沙織、岩崎宏美、太田裕美らを手掛け大成させた、あまりにも偉大な筒美京平の仕事に多大な影響を受けた。

 その筒美氏が昨年亡くなられ、もうこれで自分を創り上げてきた音楽的基盤の人たちは、すべていなくなってしまったと感慨を覚えたが、ところがまだもう一方いたのである。
 それが小林亜星氏で、死後、彼の成した仕事を確認し、幼少期からのアニメソング、CMも含めてあれもこれも実は彼の仕事であったと気づかされ正直驚き、自分の不明を恥じた。
 今思うと、その影響力は、これまで書き記した人たちの誰よりも実は大きいかもしれないと気がついた。そう、自分の中のかなりの部分は亜星さんでできていたのである。

 個人的には何故か好きなタイプではなく、寺内貫太郎的な役者としても評価のしょうがなく、人間的にはまったく関心も興味もなかった。
 が、やはりすごい人だと思う。ある意味もっとも近しいのはあの浜口庫之介であろうか。ハマクラ先生や、三木トリローにも自分は少なからず影響を受けていると思うが、いかんせん、やはり時代が少し遅すぎた。
 リアルタイムで同時代的に生きて直の影響を我に与えてくれた人は、亜星さんしかいない。
 ハマクラ先生もだが、彼もきちんとした音楽教育は受けずに、趣味の道楽が高じてプロの作曲家として大成した。どちらも才人、詞も曲もちゃちゃっと手掛けて仕上げてしまう。ある意味、真の天才だと思う。
 もうこれからはこんな人は出てこないのではないか。

  ともあれ、あの巨体で米寿まで無事生きたのだから運のよい幸福な人生ではなかろうか。普通ならば、デブの人は、老いと共に糖尿病などで痩せ衰えて大橋巨泉の晩年のように見る影もなくなってしまう。
 ごく近年の姿は知らないが、少なくとも彼はテレビに顔を出すようになってからはずっと約半世紀変わらぬ姿で、デブの貫太郎そのものであった。それもスゴイことではないか。
 我が内なる小林亜星を偲びつつ、ここらでペンを置く。素晴らしい音楽の数々、有難う亜星さん。

♪どこまでも行こう 道はきびしくとも 口笛を吹きながら 走ってゆこう

 どこまでも行こう 1966年 小林亜星詞曲