さあ、新しい年に向けて2021年12月22日 08時58分42秒

★まだ人生が続くならば
 
 共謀コンサートの最終回を終えた晩は、毎度のことだが、なぜか気が昂っていてなかなか寝付かれなかった。
 それでも朝もさほど寝坊できず、結局、深く寝たのはその晩からで、父不在の日ということもあり、寝坊もしたが、昨日の午前は、コンサートの収支決算に頭痛めて、未払いに気づいた方には振り込みに出向いたりと慌ただしく、朝昼兼用の昼食をとったら午後はどっと疲れが出、起きてられず、少しの午睡をと思ったら夕方までひたすら眠ってしまった。いま一番昼が短いから気がついたら外はもう暗かった。
 大慌てでその日発送しなければならない注文本三冊を在庫棚から探し出し、梱包して7時直前に郵便局に持ち込み発送することができた。
 で、結局、昨晩はそんなことしかできないまま友人とメールや電話でやりとりしたら眠くなってきてまた起きてられず猫や犬たちに餌だけやったが、すぐ床に就いた。
 なんか、今年一年は日々こんな感じで、やることに追われて何とかそれだけは終わらせているけど、他のことは何もできず疲れ果て寝てしまい一日が終わる、ということの繰り返しであった。
 今朝も、いつもよりは寝坊してたっぷり眠った。ようやく疲れと睡眠不足は解消してきた気がしている。が、今日の夕方からは父が施設から帰宅して明後日、いや、土曜日の朝また送り出すまでウチで3泊する。
 またかなりこちらは疲れることは必至だから、どこまで持ちこたえられるか、だ。
 しかし、ともかく皆生きていて無事に人生が続いていくのは有難いことだとつくづく思う。
 何であれ満足はいかなくともやるべきことが、ともかく終えられる、終わっていくのならば。

 この「共謀コンサート」も、繰り返しになるが、父が生きているうちに終わらせることができて本当に良かった。いや、終えられて、良かった。
 施設に預けることが多くてもこの家で、父が生きているという状況があったから続けられたので、父が逝ってしまえば、我一人でその後の様々な「後始末」などに追われてコンサートどころではなくなり、精神的、経済的にも多分何となく続けることは難しくなって「自然終了」していたのではないか。
 じっさい、今でさえ既に限界間近で、今回もほとんど寝てない状況で、よくほぼ立ちっぱなしで6時間以上も倒れずに動き回れたと自分でも感心している。
 終えて帰り道、車を運転しながら、時おり意識が飛んでハンドルもふらつき危なかった。事故を起こさぬよう慎重にゆっくり帰った。
 このところそんな感じで、まだ本当の取り返しのつかないことは起きていないが、毎回、綱渡りのようなことが続いている。まさに神の加護があってのことだと思える。

 体調的にも、恥ずかしい話だが、このところ尿失禁が続いていて、持病の一つ「過活動膀胱」はさらに進んだのか、尿が溜まってくると、意識したとたんトイレに行くまで我慢できずに漏れ出すことが多々ある。
 眠っていてお漏らしはまだないのだが、早朝とか起き抜けにトイレにかけこむまでに我慢できず下着に漏らすことは始終だ。
 今回も、実は父の尿漏れ紙パンツを穿いてコンサート当日は臨んだ。幸い気が張って汗もかいていたので、垂れ漏らすようなことはなかったが。
 コンサートが終わる都度、忘れものはないかとあれこれ不安になり、次にかかった経費と得た投げ銭の額などの収支決算をするのだが、このところ何回かは一度も計算が合わない。1万円は超えないが必ず何千円か足らずに何度も計算しては頭痛めてけっきょく投げ出してしまう。
 今回も、出演した方たち全員に、交通費として「お車代」は渡したと思ったが、一人、払った額のリストに名前がないことが気づき、翌日メールしたらばやはり貰っていないとのことだった。昨日、その人の口座に振り込みに行った。
 終演後の多忙は言い訳にはならないが、こんなことの繰り返しで、自分でももう頭がおかしくなってると心底思う。目もろくに見えないし、ギター弾くにも指は動かない。歌うのも声が出ない。
 家のこともだが、抱えているものが多すぎて処理対応できなくなってきている。このままだと、大きな失態、事件・事故が起きるかもしれない。
 例えば、また交通事故とか火事を起こすとか、とても大切なものを紛失するとか。
 そうした怖れに囚われはしないが、危機は回避できるはずだし、そのためにはともかくこれ以上手は広げずに、少しづづでも抱えているモノゴトを減らしていくしかない。戦略的撤退である。

 コンサートは、また機会あらば名称は違えど再開はできよう。いまは、ともかく体調を戻して、いっぱいいっぱいになってしまったこの人生を少しでも軽くしていくことだ。
 本当にこれ以上の荷は背負えないし、老いていく身には、できるだけその荷は軽くしていかねばならない。
 そうして本当に身軽、気軽になったらば、どんなことでも何でもできるだろう。家も広く大きいはずなのだから、もっとすっきりさせてまた皆で集まれるようにしたい。
 何としても来年のクリスマスには、コロナはどんな状況かはわからないが、また皆で拙宅で音楽パーティが開催できるよう、希望と期待をもって皆にお約束したい。