大晦日に思う2021年12月31日 09時05分52秒

★この1年とこの10年を振り返って

 今年、2021年も今日一日となった。外はさほど冷え込みはしていないが、雲が多くどんよりとした冬日の大晦日である。
 いま、これを読んでくれている方々にとって今年はどんな年であったか定かではないけれど、ともかくまた一年が終わり、また新たな年を迎えられるのならば、それはとてつもく「良いこと」だと我は今思う。
 そう、生きているだけで有難い、のだから。
 また今年も多くの得難い人たちの訃報が届いた。我よりも年下で逝った方もある。かつていろいろお世話になったライブハウスのマスターも亡くなられた。思い出とともに様々な感慨がわく。

 さておき、まずは我の今年一年のことを振り返って書き記したい。誰もこんな人間について関心などはないだろうが、備忘録として自分のためにも記しておく。2021年はこんな年だったと。

 毎年のことだが、今年も多事多難で、実にたくさんお金を使った。金が使えたというのは、その分の収入というか余裕もあったわけで、ろくに働いていないこの身で、どうしてそれができたかという話は後でするが、本当にあれこれ頭悩ました年であった。

 いま、これを記しているのは、大晦日の夜9時前である。
 書き始めたのは、朝のうちだったが、あれこれ年内にやらねばならぬ雑事や買い物もあって、雪が降りそうな寒空の下、今日も相変わらず忙しかった。予報では、昼前後から霙とか湿った雪のマークが付いていたが、幸い降ることはなかったので助かった。

 このところ、今が人生最悪の時かはともかく、「今が苦難の時」と自らに言い聞かせて、この数年が過ぎていく。
 先日、久々にマジマジと自分の顔を鏡で見たらば、いつの間にか眉間に深いしわが刻まれている。韓国の大統領で、盧泰愚という人がいたと記憶するが、彼のように常に消えないシワが眉の間に我も残るようになってしまった。
 それだけこの数年、日々悩み頭抱えることが続いたからだろう。それもまた然りである。

 この一年を振り返る前に、まずこの10年のことも記さねばならぬ。
 今年2021年は、あの東日本震災からちょぅど10年目の節目の年で、いま住んでいるこの家は、その大地震のほぼ当日近くに完成した。
 あの3.11の日は、いちおう大工仕事は終わり、ほぼ完成となった家の台所部分の床を我は友人と自ら柿渋を塗っていたのだった。
 そのとき、母は、卵巣が原発の、かなり進んだ癌の摘出手術を終えて入院中で、我としては何としてもその改装・新築となった家で、母と父と三人でまた暮らせることをひたすら祈っていた。
 幸いにして、その手術は成功して、母はりとすぐ退院でき、以後数年間は、再びまたほぼ元の日常生活をこの家で送れるようになった。
 しかし、癌はまた必ず再発するもので、手術を担当した外科医からも言われていたが、取り切れていない癌の部位は体内に残っているからやがて再発するだろうとの予告通り、癌の部位は再び肥大し始めて、けっきょく2016年の年明けから母は体調崩し、あれこれ治療を試み何度かまた手術や入院を繰り返した挙句、この新築となった我が家で、その年9月に息を引き取った。
 手術を終えて退院して5年目のことで、そして母の死からまた5年が過ぎて今年となったということになる。

 10年ひと昔という言葉もあるが、10年というのは、いろんな節目、モノゴトの経年の節目であり、この家も内外あちこちでいろいろ劣化や不具合が目立つようになった。
 ウチがゴミ屋敷と化したのは、我の個人的問題であり、それはさておき、外装も屋根も劣化が目立ちそろそろメンテナンスしないと雨漏りやひび割れの怖れも現実問題となってきた。
 その上さらに問題は家電製品全般で、元々父母たちが暮らしていた部屋のエアコンは壊れて修理もできず交換部品もないと言われそのまま使用できなくなったし、長年使ってきたオーブンレンジも先年壊れ買い替えたし、いくつかあるトイレもすべてウオッシュレットが使えなくなったり難儀を極めるようになった。
 ウチはこのところ冬は、火事が怖いので掘りごたつは止めにして、父が食事とる居間は、電気カーペットを敷いて、その上に布団被せてコタツ代わりにしているのだが、去年まで使っていたのが壊れたのでこの秋に新たに買ったのも先日早くもスイッチが入らなくなってしまった。
 さらに、今父が帰宅時に寝ている部屋のエアコンまで、電源は入るのに、ランプが点滅するだけで起動しなくなり、さてこの冬はどうしたものか深刻に悩んでいる。
 そのどれもメーカーに電話して相談したところで、保証期間はとうに過ぎて、修理部品のパーツの保管期限も過ぎていると処置なしと言われて、全部新たに買い替えなくてはならなくなった。
 しかし、エアコンにしろトイレの便器にしろ、今は、部品の半導体不足で、商品の在庫がそもそも少ないとのことで、その工事費のことも含めて今現在買い替えには至っていない。

 さらに加えて、そこに我のパソコンがこの夏突然クラッシュしてしまい、メーカーまでもあちこちに修理に持ち込んだが、けっきょく手の打ちようがなく、仕方なくまた新たに一台買い替えることとなった。
 そこに、また後ろ脚にケガした猫がこの夏登場して、その治療に、入院費や手術代も合算すると40万円を超えた。
 一昨年の、やはり脚に大ケガして一本切断したキジ子が退院時に総額の支払いで50万円かかったが、ほぼそれに匹敵する額になってきている。
 その猫、しんのすけ君は、幸いにして脚は落とすことなく多少の障害は残るようだが、無事元気に今もケージの中で療養中だから、それはそれで良かったのだが、そんなこんなで本当にものすごく金が出て行った年であった。

 先だって、車の車検でもメンテナンスも加えてとことん不具合のあるところを修理・交換してもらったら購入時20万円の車に11万円かかったし、そんなこんなで金は飛ぶように消えていった。

大晦日に思う・続き2021年12月31日 21時33分15秒

★どこからその金があったかというと

 実は、亡き母が、この我に積立貯金のようなものを残してくれていて、それが今年、突然振り込まれた。
 その額が約100万円~。壊れた電化製品をいくつか買い替えたりはしたものの、主に猫の治療費や増えた猫たちの餌代、さらにパソコンを買い変えたりもしたので、もう一銭も残っていない。それどころか足らずにまた貯金を取り崩している。
 昔、内田百閒の随筆で、借金王でもあった彼が、いみじくも書いていたことが頭をよぎった。「金とは自然現象である」と。
 つまり雨風などと同じく、人為の成せることではないということなのだろう。そのときは、意味が分からなかったが、今はそういうことか!と。
 入ってきても金は右から左に消えていく。手元に残ることはない。自然現象だから自分ではどうすることもできやしない。しかし、それでも使える金が入ってきたことはともかく有難く助かったわけで、亡き母の愛にただ感謝するしかなかった。

 むろん金の工面で頭を全く悩まさなかったということでは全然ない。
 いまも、これから来年のことで、さて支払いどうしていくか考えるとまたまた眉間にしわがよるけれど、まあ、汝、明日のことは思い煩うなかれ、と母がよく聖書の言葉から言っていたように、まあ何とかなるだろうと今は思う。
 確実に毎回自腹切って持ちだしていたコンサートのお金もその企画がなくなったので、出費は減るだろうし、猫の治療も間もなく完了する。
 願わくばまたケガした猫が登場しませんように。

 そんなこんなで、この10年のツケ、というかその歳月からの限界が露になって全てが一気に押し寄せてきた大変な今年であったが、一言でいえば、どう思うかと問われれば我は答える。
 今年もまた良い年、それもとてつもなく良い年だったと。

 そう、信じられないほどの歳となった父もまだ何とか生きているし、我も体調不調でも無事生きてこうして好きなことがやれている。犬猫たちも数が増えてその世話がタイヘンでも共にみな生きている。そう、生きているだけで丸儲け、損も得もない。それだけで良いのである。皆、まだこちら側にいるのならば。それは素晴らしくとてつもなく良いことではないか。
 我にはまだ夢と希望がある。

 果たして来年何が起きるか、父はどうなるか、あれこれ心配し先行き悩んでも意味ないことだ。
 ともかく一日一日、少しでもそのときできる、すべきことを少しでも少しづつでもやっていくだけだ。そして何事も逃げずに後回しにせず、きちんと向き合い、きちんとすっきりはっきりさせていく。
 コロナでなくても人は死ぬ。先のことはわからないからこそ、希望をもって生きていこう。きっと良いことも必ずある。

 皆様にもご多幸と神のご加護がありますように! ただ神に感謝、である。