すべての終わりを前にして、今 ①2022年05月01日 07時30分36秒

★何ができるか、何をすべきか

 5月に入った。風薫る爽やかな季節のはずだが、今年は雨が多くほぼ二日に一度は、雨模様。晴れても翌日はすぐまた曇りとなり短時間でも雨の降る日が続いている。

 今日も朝からどんよりとした曇り空で、昼過ぎからまた雨が降るとの予報である。
 今日から5月、ということは、今年も三分の一が終わったことになる。この1月から4月までの四か月、本当にあれこれ次々とトラブルというか、多事多難なことが続いた。
 正月から三本脚の猫の歩行困難からの病院通いが続き、またまた昨年暮れに産まれた子猫五匹の飼い主探しとその受け渡し、さらには、我自らの自宅階段から足を滑らせて転落、右の肋骨の軟骨にヒビが入り完治まで一か月かかったこと。

 それに加えて、我が老父が、先月半ばには、滞在していた介護施設で尿に血尿が出て救急往診を頼む事態となった。一時期は救急車を呼ぶことも考えたほど体調が悪かったらしい。
 幸い現在は、血尿は収まり未だ原因は不明だが、その件は落ち着いている。が、先だっては、彼の入れ歯、上下一つづつ入ってる部分入れ歯の一つをトイレで落として失くしてしまい、近くの歯医者にすぐ連れて行ったが、超高齢ということもあって、医師は誤飲の可能性を怖れて新たに作ることは検討するとして、父は今も左の奥歯の入れ歯はないままだ。おかげでやはり食べづらいのか、このところ食事介助がタイヘンになってきた。

 さらに一昨日は、長年使ってきたウチの二槽式洗濯機の脱水槽が壊れてついに回らなくなり、洗濯自体はできてもそれを脱水することは不可能となった。仕方なく手で必死に絞って干すことにしている。
 新たに同様のタイプを中古で買うことも検討しているのだが、二層式のタイプはもう今ではリサイクル店でも出てなく、どうしたものか思案中だ。※我は、このタイプの洗濯機しか使ったことがないし、簡便な現在の通常のタイプは粉石けん使用のため使う気はない。

 その他、先週の日曜には、近くのドラッグストアで、店に入ろうとしたら自動ドアが誤作動し、我は頭を強く挟まれる事故に遭い、幸いケガなどはなかったものの、メガネの柄が折れて使えなくなった。
 店側と交渉して、メガネの購入時の代金の半額を補填してもらうことで合意したが、個人的にはどうにも納得できず、一昨日は、立川の法律事務所に出向いて、弁護士と会い事案として相談してきた。
 その他、些末なことも多々まだまだあるが、ざっと思いつくだけでも面倒な事案はこれほどある。※猫は高価なレーザー治療が効果あってか再び三本脚でも歩けるようになりました。

 自分でもまさに多事多難と言うしかなく、何でこんなに次々と面倒なこと、頭を痛め時間をとられることが続くんだろうと情けなく思う。いったい何がいけないのか。
 我が身の不徳、自業自得だとしても、何で今それが次々と続いて起こるのか。

 昔なら、面白おかしく拙ブログに自嘲的に「報告」として、愚痴的に書き記すこともしたが、じっさいにその渦中にあるときは、ともかく慌ただしく対応に追われ頭がいっぱいで時間も気持ちも余裕がなく、とても落ち着いてブログなどに書く時間などなかった。
 このブログが先月はかなり長く空いてしまったこと、申し訳なく思う次第だが、そうした事態であったこと、どうかご容赦いただきたい。
 ごめんなさい。

 本当に、ただただ情けないとしか言うしかない。人生とはかくも面倒なものなのかと自ら呆れ果て嘆息している。
 かといって、メンド―だからもうや~めた、と逃げることも自ら自死して終わらせるわけにもいかず、老父や多頭飼いの猫たちを抱えて、ともかく必死に日々何とか生きている。

 そう、思えば、先だっての階段転落事故もだが、我も入院などに至ることはなく、父も衰弱はかなり進んだものの、ともかく今現在は我らはまだ「生きてている」わけで、それだけでも良しとするしかない。※胸のケガはもう打ち付けた部分を押しても痛みはほぼ消えた。ご心配おかけしました。

 先日は、敬愛する偉大なシンガー小坂忠さんの訃報が届いた。、一度は彼の教会に出向いて、ゆっくり音楽の話をしてこようという悲願はかなうことなく、彼は先に天に召された。

 先に逝かれた人たちに対して様々な思いがわく。きちんと「追悼」したいしすべき義務のようなものがあると思うが、ともかく我が身は一つで、時間に限りあり、あれこれ日々の雑事が優先されて、まずそれを片付けないことにはとてもゆっくりブログも書けやしない。
 秋も落ち葉掃きなどで庭がある家は忙しいが、春もまた樹々は鬱蒼として来て、伸び行く枝の剪定などしないとご近所がまた騒がしい。

 このところ我に強く湧き上がる思いがある。それは、すべてに「終わり時」が来ている、近づいているという「感慨」だ。父の命も我自身の人生も。
 その終わりの時を前にして、まず、ならばこそ何をどうすべきなのか。断捨離などしている人は、まだそのための時間がとれるのだから幸福だと断言する。
 世界の終わりを前にして、マクロ的に、そして日々の雑事などミクロ的にやるべきこと、やっておかねばならぬことがまだいっぱいある。
 人生を破滅的に、自滅的に終わらせるのではなく、少しでも建設的に、後顧の憂いが少なくなるよう、我にできる、すべきことをやらねばならない。

 トートツなお知らせだが、今月、5月14日(土)、谷保かけこみ亭で、コンサートを企画した。盟友太田三造さんと謀って『三密クラスターズ解散&反戦フォーク・クラスターズ結成記念コンサート』だ。たぶん、我にとって自らが出て歌うライブとして最後になるかと思う。
 先だってのウクライナ人民支援、反戦を願うコンサートのようなライブ企画はこれからも続けるかもしれないが、もう趣味としての「音楽活動」はこれで終わりのときが来たと感じている。
 うたい納め、として、もし私マスダの拙いうたと楽器に関心などある方は、ぜひお越しいただきたい。生配信などの予定はないしする気はない。ぼけまるさんに倣って、自分のフォークソングの歴史を語りつくしたい。
 簡易チラシを昨日つくって、観たいライブもあったのでかけこみ亭に持って行った。後ほどアップします。

5月14日、反戦と護憲のための「フォーク・クラスターズ」結成コンサート開催!!2022年05月07日 10時29分34秒

みほこんも参加決定しました。
★お気軽にお越しください。

すべての終わりを前にして、今②2022年05月08日 11時14分41秒

★5月14日、たぶんの自分のラストステージに。

 2010年の、フォークロアセンター記念コンサートの後、その前からのブログを閉鎖して、ここ「アサブロ」に移り開始して十年以上が過ぎた。
 その間、様々な折々のこと、考えたことや起こったことを多々記してきた。好きなフォーク音楽のことも、もちろん本のことなども。
 まだ、生きている限りこうした「ブログ」という外部の他者を想定して、「発信」していく行為は続けていくつもりだが、我を取り巻く全ての状況が終わりに向かう今、なかなかかつてのように気軽に更新はできないと改めてお伝えしておく。
 この「すべての終わりを前にして」も、何が全てであるのか、順次下記進めていくつもりだが、その前に喫緊のコンサート、来る5月14日土曜日の「三密クラスターズ解散&反戦フォーク・クラスターズ結成コンサート」についてお知らせと説明いたしたい。

すべての終わりを前にして、今② の続き2022年05月10日 14時08分03秒

★ここらで「ライブ」関連の活動はいったん終わりにします。

 これまで拙ブログや、その他あちこちで書いてきたことだから、手短に書くが、我、マスダは、2005年4月の、高田渡の死がきっかけでフォークソングの世界に戻ってきた。
 戻ってきたというのは、それ以前、もっと若いとき高校生の頃は、吉祥寺のぐゎらん堂に出入りして、大阪の天王寺野音での「春一番」にも、東京から夜行列車で何回も参加したり、自らもギターを手に下手な自作のうたを唄ったりといっぱしのフォーク少年であったからだ。
 しかし、学生の頃を過ぎて社会に嫌でも出るようになると、時代は80年代となり、フォークソングそのものも下火になり、我も生活に追われて、MTVなどで洋楽は見聞きしていたものの、日本のフォークとはすっかり疎遠になってしまっていた。

 そんな我を、ネット古書店仲間が、渡が死んだってよ、と、小金井公会堂で催された、彼の友人たちによる直後の「お別れ会」に誘ってくれて、そのコンサートで大きな衝撃と深い感動を受けた。まさに人生がそこで大きく転換してしまった。
 それを機に焼けポックリに火がついたの喩え通りに、我のフォーク熱は再燃し始め、すぐさま若い頃から存じていた中川五郎氏に連絡して、彼のライブに出入りするようになり、岡大介やみほこんや多くの若き素晴らしいシンガーとも出会うことができた。
 そして京都の古川豪氏を通して館野公一さんとも懇意となり、谷保のかけこみ亭にも出入りするようになり、またそこで多くの素晴らしいシンガー、ミュージシャン、ライブ仲間とも知り合うことができた。
 そうしたことを折々にブログで書き記していたら、それを読んでくれた漂泊のシンガー太田三造さんから連絡があり、彼を通して偉大かつ伝説的な両国フォークロアセンターの国崎氏とも親しくお付き合いするようになった。
 そうした多くの素晴らしい出会いから、我のフォークソングの世界は大きく広がり、コンサートの企画を立てたり、やがていつしか若い頃のように、自らもまたギターやハーモニカを手に拙いながらも唄い、自作の曲も作るようになっていった。
 そして近年は、谷保かけこみ亭のぼけまる氏のご厚意により、、館野、太田さん他多くの仲間たちのご支援・協力を得て、そこで『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』も昨年末まで4年間で30回近くも我の企画、司会進行で開催することができた。有難いことだと言うしかない。

 だが、2016年の秋に、我が母が先に逝ってから、認知症かつ超高齢の老父を我一人で介護するようになり、樹々生い茂る庭を持つ家の維持管理に加えて増えすぎた猫たちの世話もあって、家のことは我の手に余るようになってしまい、今や我が家は内外「ごみ屋敷」化してしまった。
 父もまだ健在だが、百歳近くとなってきて、我も還暦を過ぎて、まさに老々介護となってきてしまい何をするのも疲労困憊、すべてが手いっぱい、何一つかたづかず何もかも行き詰まり収拾つかなくなってしまった。
 そうしたことから我の趣味であるフォークソングのライブ企画も昨年2021年末で終わりにしたのだが、このロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに、今春、4月3日、反戦と難民支援のコンサートを企画・開催したのは、まさに、やむにやまれず、の思いからだった。
 ※当日寄せられた寄付金は、きちんと全額国連に送りました。

 我、マスダは、この近年、特に、かけこみ亭での「共謀コンサート」での「前座」として、主催者特権として、自らも下手くそながらも臆面なくコンサートの幕開けに毎回少しだけうたってきた。
 また盟友太田さんとのユニットで、我の詞に彼が曲をつけた「共作」のうたも何曲も生れ、それなりに一部では評価されるようになってきた。
 今回、5月14日のコンサートを企画したのは、そうした二人で作ってきた「うた」を、ぜんぶ存分に唄い尽くそうと思ったことと、前回のコンサートの続編として、今一度、今も続く「ウクライナ危機」について、うたを通して問い示し考えてみたいと思ったからだ。
 残念ながら、「三密クラスターズ」の準メンバー、館野氏と森人氏は、諸事情で不参加だが、今回は助っ人としてバイオリン弾き語りのみほこん嬢が参加されるので、今一度、反戦と護憲について「うた」を通して我らの思いをアピールできるかと思う。

 そしてもう一つ。我マスダが、人前で唄うのは、今回でいったんしばらくの間、終わりにすることにした。これは太田さんからも諭されたし、もう我の人生そのものがとことん行き詰り、状況的にもはやコンサートどころではなくなってしまったからだ。
 まだ父も存命で我も体が動ける今、ここらでじっくり腰据えて、もう一切先のばしや後回しにせず、自らの人生の課題に向き合い、持病の治療も含めてまず一年間は、家のことも含め「再建」に取り組みたい。
 もし、一年後、人生の問題が少しでも解決して、状況もすっきりして再び音楽活動もできるようになったとして、かけこみ亭もまだ存続していたらば、来春のこの季節、「復帰」コンサートを開催したいと今は考えている。
 まあ、我の人生のメンテナンス時期を設けるということだと思って頂きたい。むろん定期報告として、これからもできるだけ拙ブログでは折々の進捗状況などを報告として書き記していくつもりではいる。

 5月14日、先のことはどうなるかわからないから、もうこれで我のうたは唄い納めだという気持ちで、たっぷりしっかり存分に唄いたいと思う。
 たぶん、お客は来たとしても2~3人しかいないだろう。
 これでマスダが唄うのは本当に最期かもしれないので、拙い歌とギターだが、ぜひぜひ聴きに来てください。太田さんとたっぷり唄い尽くします。今回もまた、素晴らしい仲間、友人たちが応援に来てくれます。
 
 思えば、渡氏の死去から約20年近く、いろんな意味でまさかここまで来るとは思ってもいなかった。予想も願いもしなかった。人生は不可思議というしかない。
 フォークソングと再び出会えたこれまでの日々を振り返ると、まさに春の夜の夢のような気がしている。多くの人と多くのうたと出会えた。
 苦難も喜びも含めていろんなものを得た。それはただ全てが有難いという気持ちで今はいる。多くの素晴らしい得難い人たちを見送り、金は多々失くしても我が人生は豊かになった。今は何の悔いもない。
 ここでいったん終わりにして、我に新たな「始まり」のときはあるだろうか。

 すべては神の御心のままに。そのためにも来るべき「そのとき」に常に応えられる体制をつくりたいと願う。先に召された小坂忠さんの背中を見据えて我も生きていきたいと。
 皆様にも神のご加護を。すべては愛と平和、愛こそがすべてなんだと、その思いをこれからも伝えていきたい。

明日。コンサート、心よりお待ちしてます。2022年05月13日 22時23分42秒

★改めて詳細~「みほこん」は残念ながら不参加に

 三密クラスターズ解散&反戦フォーク・クラスターズ結成記念コンサート!!
★5月14(土)開催!!at.かけこみ亭

 「三密クラスターズ」とは、谷保かけこみ亭で、「共謀罪」が2017年に成立後、その年の8月より、2021年12月まで不定期ながらも約30回続いた『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート』出演のミュージシャン中心に、自然発生的に生れた社会派フォークシンガーによるユニット。

 当初は、名称はなかったが、2020年秋の「砂川秋祭り」で、コロナ禍流行に乗じて「三密クラスターズ」として対外的にデビュー。メンバーは、サンデーオータとレイニィマスダを中心に、槙篤、館野公一、森人、三留まゆみ他、その時々その場に居合わせた者が加わるという誰でも参加可能の緩~いユニット。
 このたび、コロナ禍終息とウクライナ停戦への願いを込め、新たに『反戦フォーク・クラスターズ』として本格的活動開始。かけこみ亭では、「共謀コンサート」の前座として、世相や社会風刺を唄い、少ないが熱烈なファンを擁した。中でも「二人の恋は、アフターコロナ」はローカルヒットを狙い、シンガー、ミュージシャン間からも高い評価、人気を得ている。
 今回は、館野、森人は不参加だが、新たなユニット名で、これまでのクラスターズの持ち歌、名曲の数々を和製ジョンとポールの太田三造&マスダがたっぷり歌いつくします。

・5月14日(土)出演/「反戦」フォーク・クラスターズ  槙篤 三留まゆみ
・ゲスト/奥主榮 白糸雅樹 

★午後5時開場・開演~午後9時終演予定 ★参加費:予約¥500当日千円+ワンドリンクorワンフードのご注文お願いします。
※予約・お問い合わせ/マスダ:090-8175-8479
  かけこみ亭:042-574-3602 ※谷保駅下車3分★コロナ禍中ですので予約者優先です。

では、マスダのラストコンサート、がんばります2022年05月14日 13時20分40秒

★いよいよ当日、今日午後5時から 谷保かけこみ亭にて。

人生、混乱と混沌の「本と音楽の日々」は終わった2022年05月15日 07時42分24秒

★さあ、次の人生のファイナルステージへ

 2022年5月14日の「フォーク・クラスターズ」解散&結成コンサートは昨夜無事終わった。
 毎度ながら失態失敗の嵐は吹き荒れ、個人的には苦い悔やむ思いもワインの底の残滓のように心に残るけれど、ともかく成し終えられて良かった。
 これも場に来られた皆さん、親愛なる気心知れた仲間たちのおかげだと今心から思う。終えられて満足している。

 自分の実力、つまりじっさいの姿をそのまま曝け出すことはできた。音楽にこれからも関わり続けたいと思うけれども、もう人前で演ること、唄うことはないと今は思っている。まあ、当面の気持ちだが。
 高田渡の盟友かつ主治医でもあった故藤村直樹氏は、医師として自らの死期を前にして「中休みコンサート」と題して京都拾得でラストコンサートを企画しそのダンディな姿を観客の前に永遠に残してくれたが、今回の「解散・結成コンサート」も我マスダにとって、それに倣い臨んだつもりだった。
 ただ、直前になって我の老父の体調に異変があったり、予定していた出演者が急病で不参加となったり、いつものことながら不休不眠、多事多難な状況のなか、練習も準備何もかも思う存分に取り組むことができなかったことが心残りである。
 しかしそれもまた神の計らいであり、問題はその苦い杯を我はきちんと感謝の上で飲みほせたかどうかだ。我の罪はまだ深い。

 「うた」とは、つまるところその人の人生そのものなのだと今は思う。人生とは人柄、人間性、生き方も含めてのことで、「本」と「音楽」とを比べれば、本は、その人生の外側に在るもので、うた、は、内側、内面のものだと言えよう。
 本は、自己表現とはならぬが、読み手自らに多大な影響を与えてその人の人生を変え新たな道への指針となり動かしていく。
 うたは、やはり自らの表現でまずあって、一人自宅でカラオケでマイク握るのはともかくも、やはり他者を前に「聴いてもらう」限り、こうした文章と同様に、その人の内面、表現も含めて大きな発出と言えよう。※文章はすぐその場で反応、反応は返ってこないが・・・。
 そして、我は、その混沌、混乱の人生そのままに、自らの「うた」も、自らが出るライブの場も含めて、ただ拙く混乱と混迷の極みであることを今回今更ながら確認できた。
 つまるところ、これが自分のうた、そして人生なのだと得心した。情けないがこの現実を受け容れていこう。

 世の中には、本当に唄うことが好きで、どれほど喰えているのか知らないが、こうしたフォークの世界でも専業シンガーが多々いる。
 そうしたプロのシンガーを数多く観てきて、その精神的タフさと共に、やはり本当にこうした表現行為そのもの、唄うことが心から好きなんだと気づかされる。
 残念ながら我にはそれはなく、表現行為だけ捉えれば、やはり書く側、つまり「本」や文章の人間なのだと思える。恥ずかしくも今さらそれがはっきり認識できた。
 また、それは、「編集」や「企画」などプロデュースの仕事とも近しく、よって音楽のコンサートなどを企画すること等は、そうした流れの一環としてやってきたのだとも気がついた。
 これからも時間的、体力的、そして経済的な余裕もあれば、そうしたライブ企画はやっていくとも思えるが、ともかくこれで我は「唄う側」とは「中休み」して当面終わりとすることをこの場で記したい。

 人生の折り返し地点はどこにあるのか、何歳なのかは、その人が死んでみないとわからない。70歳で棺の蓋を覆えば、35歳前後がその人の折り返しの年齢だとわかろう。そこに意味はない。
 ならば、折り返しではなく、人生をある年代ごとに分けて考えれば、青年期、壮年期、そして老年期とするのが正しいとして、三つに分別できる。
 我の人生があとどれぐらいあるかは神のみぞ知るとしても、我が父と亡き母の歳を合わせて、二で割れば、我も90歳までは生きるとして、少し通り過ぎてしまったが、いま、三分の二を過ぎたとしよう。
 ならば残りの三分の一を、これから、心新たにして「今日から」スタートさせようと思う。

 青年期の狂騒と混乱、そして壮年期の混迷と混沌、ただただ愚かさと内的衝動のまま突き動かされその場しのぎで生きてきたと振り返って気づかされる。まさに愚かであった。多くの人に迷惑かけた。
 それは我の根源的ビョーキであり、治せるものではないのだろうが、カレー沢薫の謂いではないが、「治りはしないがマシにはなる」かもしれない。
 残りの人生、本と音楽は傍らに置いて、もう一度人生そのものにとことん正面から取り組みたい。
 まず父を送り、我が人生も総括し見つめ直して、若き日から続けてきた混乱と混沌の日々と今度こそ決別しよう。

 新しい恋はもうしないだろうが、新しい人生は始められる。もう自らの愚かさに端を発する多事多難の混乱、収拾のつかない状況とは本当に終わりにしていきたい。
 昨日唄った高坂一潮さんの「バイバイ」といううたの歌詞ではないが、町の明かりが見えなくなるまで手を振って、「バイバイ」さ。

 我マスダを支えてくれた心優しい多くのみんな、太田三造、三留まゆみ、槙篤、藤しんいちろう、詩人の奥主夫妻、ぼけまる、館野公一、そしてみほこん、さらに篤志ある温かい観客の皆さん本当に長い間有難うございました。
 皆様の人生に幸と神の恵み、ご加護がありますように!!

その後、のことなど、近況報告を少し2022年05月21日 19時02分00秒

★2槽式洗濯機を買い直しました。

 コンサートを成し終えて、「その後」のことなど、近況をお知らせしたい。

 雨の多い今年の春から初夏5月であるが、この数日、この3日間は久しぶりに晴れの日が続き、やっと溜まっていた洗濯物を洗って干せた。
 と言っても、先にお知らせしたように、ウチの古い二槽式洗濯機の脱水槽が動かなくなって、洗濯槽だけは回るので、洗いや濯ぎはできるものの脱水は不能となったため、いちいち一つづつ手で絞って干していたのでタイヘンな作業であった。
 幸い我住む多摩地方は、まず18日は朝から久しぶりにカラっと晴れて、湿度も少なく、19日は、やや曇りがちだったが爽やかな風が強く吹いて、さらに昨日20日は、曇って湿度も高かったものの雨は降らず、ボーダイな量の父の下着類やシーツなど溜まっていた洗濯すべきものは順次洗いすべて干し終え乾かせて取り込めた。

 今日、21日は、朝からどんより曇ってきて、昼前に一時かなり強く雨も降った。昨日までに洗濯し終えて本当に良かったと今思う。
 そうして、手で自ら絞って干す作業をやって思ったのは、やはりこれは無理だということだ。
 洗濯機からぽたぽた水が滴る洗濯物のかたまりを大まかにぎゅっと絞って、大慌てで外に運んで、またさらに一枚づつ両手で水気を絞り出すのだが、靴下や下着類など薄くて小さいものならともかくも、トレーナーやスエット類、バスタオルなど厚くて大きいものは手に収まらずどうやっても絞り切れない。

 つまるところ、片手に掴みとれるサイズのものしか絞ることはできないわけで、何かのテレビで見た洗濯機などはない村落の人たちは、柱にかけたロープに一度巻き付けて、それから両手でぐるぐる絞っていたと記憶するが、そのように工夫しないと、中空では一人では大きな衣類は絞り切れないのだと得心した。
 そしてどんなに力まかせに絞っても完全に水気は切れていないから、化繊のものはともかく木綿のものは、乾いてもものすごくシワになる。
 やはり当たり前のように使っていた洗濯機の脱水という機能はものすごく便利なものなのだと今更ながらわかった。

 昔、こうした脱水槽が付いた洗濯機が発売された頃、その機械の絞る能力の高さを示すために、濡れた洗濯物をまずお相撲さんが二人で両側から両手でぎゅっぎゅっと絞って、さらにそれを脱水槽に入れて絞るというCMがあったのを思い出す。
 力士二人が力任せに完全に絞ったとしても、機械の遠心分離?の仕組みで脱水すれば、さらにまだ絞った水がしっかり出てくるということを、じっさいにガラスコップに出てきた水を、ほらっ、このように、と見せるという秀逸なCMで、子供心にも鮮烈に残っている。
 むろんその以前の、ローラー式の、のしイカやタラの干したロールを作るような、手動で廻す二つのローラーの間に、濡れた衣類を挟んで送ってプレスする機能が付いた洗濯機も記憶にあるしウチでも昔使っていたと思うが、あれでどれだけ絞ることができたのだろうか。また、厚手や大きなのものはそこに挟めたのか。

 今回、長年使ってきた二槽式洗濯機の脱水が壊れて脱水だけができなくなって、どうしたものかあれこれ悩んだ。
 洗濯そのものは変わらずできるのだから、脱水機能の付いた「脱水機」のようなものを買うべきか、それとも近くのコインランドリーに洗濯し終えたものを運んでそこで乾燥だけやってもらうか、とか。
 また、新たに中古の二槽式の洗濯機をリサイクルショップで探して買い直すか。
 じっさいにともかく手で絞る作業を何回かやって、やはりこれは何とかしないとこれでは限界だとつくづく思った。量も多いからだが、ものすごい力仕事なのである。干し終えるつど、へとへとになり疲れ果てて横になる始末であった。

 昔、雑誌の通販広告に載っていたプルワーカーという筋肉をつけるための健康器具があったが、力任せに必死で絞っていると、ふとそれを思い出した。
 これを続けて上半身だけムキムキになることは、我の本意ではないので、さていったいどうしたものか、どうすべきか。このままではいけない。
 とりあえず、近くのリサイクルショップに行ったり、Amazonのサイトを見てみた。
 そして今の二槽式洗濯機を取り巻く状況がわかってきた。

 ※今日は体調もう一つなので、この続きは明日また書きます。結局、Amazonを通して日立の新品を買いました。その話を。

その後の、近況報告・続き2022年05月22日 11時08分23秒

★昨今の「洗濯機事情」を知ったはなし

 言うまでもないが、その人が当たり前に思っている考えや、行動、習慣は、いつの間にか世の流れとは、ズレてしまっていることがままある。
 東京オリンピックでの、当時の森会長のアウトな発言や、先だっても牛丼の吉野家のエライ人のセミナー会場での発言など、特にオジサンたちにそうした傾向が強くみられる。
 自分ではそれが「常識」だと思い込んでいるわけだが、常識というのは、存外あてにならない、そのときどき変わっていくものだと気づく。

 今回、長年使っていた2槽式洗濯機の洗濯機の脱水槽が回らなくなり、何人かの友人にそのことを話したら、予想はしていたが、2槽式の洗濯機など今では使っている人は一人もいなく、新たに全自動のそれを買い直せば、という反応が返ってきた。今のはとても便利だよ、と。
 で、今さらながら自問してみた。なんで2槽式でなくてはならないのか。そしてやはり2槽式の洗濯機でないと我は洗濯できないと思い至った。
 コインランドリーも含めて、我は、二槽式以外の洗濯機で洗濯したことは生涯一度もしたことがない。

 ウチでは、昔から常に昔ながらの2槽式洗濯機で洗濯をしてきた。ご存じのように、左側の洗濯槽で粉せっけんを泡立ててまず洗って、右側の脱水槽に移して脱水する。それを繰り返す。
 次いで洗濯槽に綺麗な水を入れて、水道の水は流しっぱなしにして洗い終えたものを順次濯ぎ直しまた再度脱水、これで洗濯は終了。庭先に干して乾いたら取り込む。
 はやりの洗剤などは使わず、昔から袋に入った純粉石けんを使っている。
 それは母が生きている頃、彼女が元気で洗濯してくれた頃からずっと変わらず、自分ではそれが当たり前だと信じ思い込んでいた。
 ただ、世の中は、ドラム式の全自動のそれが今では一般的であることは知っていたし、いちいち洗濯物を移し替えずに、すべて脱水まで機械がやってくれるのは便利で楽だとは理解はできた。
 ただ、それだともとめて一回だけしか洗えない。衣類ごとのこまかい調整はどうなのか。

 2槽式の良い点は、一度入れた粉せっけんの洗う効力がある限り何度でも繰り返し洗えて、最後は雑巾など汚れものを洗えばいいわけで非常に効率的だということだ。
 汚れのひどいものは、時間かけて洗えばいいし、軽いものは水洗いだけにするとか、そうした自在な調節が1槽式や全自動では難しいと思える。
 また、一方で洗いながら他方で同時に脱水もできるわけで、濯ぎも含めてある意味流れ作業的に洗濯は進むわけで、全自動のように「お任せ」にできない分、常に傍らに居なくてはならないけれど、我はこのやり方を好んでいた。

 ウチでは、こまめに洗濯しない分、洗うときはどうしても大量になるし、老父の下の世話の関係上、下着類、シーツ等も含めて洗濯物の量がそもそも多い。
 むろん全自動ですべて脱水まで機械任せにして、日々こまめに洗濯すれば良いという考えもあるわけだが、外干しの関係上、晴れの日ばかり続くとはわからないので、やはり天候を鑑み、晴れた日に2槽式で一気にまとめて洗濯したいと考えていた。

 ただ、もう今も2槽式の洗濯機がそもそもこの世にあるのか、まずそれが心配であった。
 近くのリサイクルショップにまず出向いてみたが、全自動の一槽のは縦型のがいくつかあったが、昔ながらの2槽のは一つもない。まあ、予想通りである。
 ただ、Amazonなどで「2槽式洗濯機」で検索してみたら、信じられないことに日立製のも含めて今も「新品」が各種何機も販売されていることがわかった。多くはないものの今も現役で作り販売されているのだ。
 それらの購入した人からのコメントを読むと、どうやら大量に洗濯をする人たちや工場等では今も根強い人気があることがわかった。
 工場や寮などで作業着などを大量に洗うところとか、タオルを多く使う美容院などでは今でも2槽式でないと不便だと変わらぬ需要があるようだ。確かにこっちのほうが結果として水も洗剤も無駄がないし早くてリーズナブルであろう。

 ならば、中古品でもあちこち探せば、きっとみつかるとも思えた。しかしその前に、まずは近くの大手家電量販店に行って、それが現物として売られているかの確認である。
 駅前のk電気とY電気の二店に行って洗濯機売り場を回ってみた。わずかだが、確かに昔ながらの2槽式のもはじっこのほうに数台は並んでいた。
 ただ、日立製のを除けば、あとは、中国のハイアール社以外は聞いたこともないメーカーで、値段は安くても修理や保証のことを思うと信頼性に欠けた。まあ、日立製といっても機械そのものは中国生産だろうし、要するにメーカー自体が「国産」かどうかの違いでしかないが。

 こうしてAmazonなどのネット通販も含めていろいろ調べてわかったことは、2槽式洗濯機を今でも販売している国産メーカーは、唯一日立だけであり、まったく昔ながらのネーミングのまま、「青空」という機種を洗濯容量が違うタイプをそれぞれほそぼそと生産、販売していることが判明した。残念なことに他の日本家電メーカーはこうした旧い機種から全て撤退してしまっていたのだ。
 さすが白物家電の雄、日立である。実に奇特だとしか言いようがない。我は株はやらないが投資家ならば迷うことなく日立の株を買おうと思った。

 ※その洗濯機を家に運び入れ、腰が痛いので、いったん休憩して続きを書きます。

その後の、近況報告・続きの・続き2022年05月22日 21時21分21秒

★迷った末に、日立製の新品2槽式洗濯機をAmazonを通して買った。

 この今まで使っていた2槽式洗濯機が壊れたのは、先月末であった。
 洗濯しようと思ったら突然、脱水槽が回らなくなった。洗濯だけは、問題なく回るので、要するに脱水、濡れた衣類を絞ることだけができない。
 当初は、ならば、と脱水だけの機械を買うことも考えたが、あったとしてもそれだけで一万円以上するようだし、あっても容量が小さく役に立たない。
 で、あれこれ考えて、洗濯だけはできるのならば、コインランドリーの乾燥機で乾燥させれば、とも思いついた。
 近くのコインランドリーへ出向いて確認してみたら、たしかに乾燥だけのマシンはあるのだが、それはそこの機械で洗って脱水したものを乾燥させるもので、濡れたものをそのままいれると故障の原因になるなどと書いてある。
 ならば、いっそ、そのコインランドリーへ汚れものは全部持ち込んで、洗濯から乾燥まで機械任せにすることも考えもした。
 が、見たら、その場合代金も高いだけでなく、洗剤から柔軟剤まで自動で投入とあるので、これはとんでもないと断念した。

 というのは、我は、洗剤の臭いもだが、特に柔軟剤の臭いにアレルギーがあり、ああした臭いが良い匂いだと思い好きで何とも感じない人もいるとは思うが、過敏に反応してしまい着るものゆえその臭いに耐えられない。咳やくしゃみで体調おかしくなる。
 ならばけっきょく2槽式の洗濯機をともかく手に入れるしかないわけで、洗濯の都度、手で絞って干すことにも倦み疲れ果ててきて、さてどうしたものかと悶々としていた。
 近隣のリサイクルショップを車でくまなく回ればみつかるだろうか。

 実は今使っていた、脱水槽が回らなくなった洗濯機も、もう10年か、それ以上前に、立川のリサイクルチェーン店のどこかでみつけて買ったと記憶するわけで、確か7000円~そこらではなかったか。一万円はしなかったことは間違いない。
 今回もそこも含めてあちこち探してみようとはまず考えたが、ともかく急を要する話で、行けば今の時代、すぐにみつかる可能性は非常に低い。
 みつかったとしてもおそらく一万円台は超すことも予測された。
 
 で、先だって大型家電店で、そうした2槽式のを見た際、近くで新型の全自動のを下見に来た夫婦に店員が話していた話が頭をよぎった。
 夫婦はいろいろ各機種ごとにあれこれ店員に機能や値段を訊いていたのだが、店員は、今は生産国の中国がコロナ禍の影響で、今ここに出ている以外のは、次回入るのは早くても夏ごろになる、しかも先の予想はできず、入ったとしても材料も払底しているため値段も高くなるかもと言っていた。

 確かに、昨今、トイレのウオッシュレット機器やエアコン類なども材料の貴金属が入手困難で、すぐに入荷しないことはテレビのニュースなどで我も聞き及んでいたから、この先を思うと、こうした家電類は次はいつ入ってくるか、また値段も上りはしろ今と同じかまったくわからない、と思い至った。
 ならば、あちこちリサイクル店を回って、見つかるかわからない中古のを探すのも時間的に面倒に思えてきて、価格コムという最安値を調べるサイトで検索したら、Amazonに出品している通販店が一番安いことがわかったので、もうあれこれ深く考えずすぐにポチってしまった。
 むろん日立の製品で、今うちにあるのと同じ、その名も「青空」であった。つまり新製品はもう新たに開発していないのである。

 値段は消費税入れて、3万8千円~であった。今の我には高い買い物だが、中古のでも10年以上使えたのだから、この先、あと20年ぐらい使えれば、わが生涯の最期まで洗濯機はこの一台でモツのではないかと期待してのことだ。
 そして一昨日の金曜夕方、さっそくウチに佐川急便のトラックでそれは届いた。思ったよりデカく、外に出してもおけないので、箱から出して必死で持ち抱えて家の中には運び込んだ。※そのとき父も傍らにいたのだけど全く何の役にもたたなかった。
 まだバスルームに設置もしていないから洗濯機として使っていないが、ともかくこれでこの問題は解消、やれやれという至福の気持ちでいる。

 それと・・・ 今回、大型家電店で、これまでまったく関心のなかった洗濯機売り場を覗いて歩いて驚いたのは、高級全自動の洗濯機の相場は、20万円前後だということだ。
 大型で場所も取るのだろうが、その機能がすごい。乾燥までそれ一台できるだけでなく、洗剤も柔軟剤も機械任せで自動投入されるとある。
 つまり、人間は、洗濯するものはその洗濯機に投げ込めば、あとは一切を機会が洗って濯いで乾かしてくれて、その綺麗になったものを取り出すだけで良いわけなのだ。
 これまで有史以来、家事のうち、炊事、洗濯、掃除は昔から主婦に限らず家人の必須作業であったはずなのに、今や洗濯は、金とスペースさえあれば、人は一切解放されたということになる。
 掃除も床のゴミ掃きは自動でしてくれるルンバ?とかいう掃除機があるようだし、炊事も作るのはともかく食器を洗うのは全自動の食器洗い機もかなり普及しているらしい。※食事をつくるのも今は、出来合いの冷凍食品をレンジでチンしたり、スーパーやコンビニでおかずや弁当を買ってくるのが当たり前なのだろう。
 そうして人がそれまで時間かけてやらざる得なかった家事から次々解放されて、その余った時間、人はいったい何をしているのだろうか。
 男も女もそれだけ仕事して働いているとも思えないし、ほんとうに不思議でならない。

 ともあれ、あれこれ悩み迷った末、けっきょく新品の日立製の2槽式洗濯機を買いました。その報告の話はまずこれにてオシマイ。