父は、生きて再び帰宅できるか2022年07月28日 23時43分25秒

★現況報告 を少しだけ

 先に、我が家のコロナ感染状況について、快癒に向かっていると書いた。
 実際のところ、父は、熱も下がり酸素濃度も戻り、ほぼ回復できたらしい。この爆発的感染状況下、入院できたこともだが、重篤化することなく本当に良かった。僥倖というしかない。
 で、三日遅れて発熱、陽性となった息子のほう、つまり我は、一昨日は、もう熱もほぼ平熱に下がり、喉の痛みは残っていても普段の生活には何も問題感ぜずに動けるようになり、存外カンタンに治った、と思った。
 コロナなど、フツーの風邪と同じか、それより軽いものだと侮った。

 が、どうしたことか、昨晩遅く、というか明け方から妙な寝汗をかいて朝になって目覚めても、頭が重くぼうっとして、ほんとうの風邪ひいたような全身が気怠く火照る体調であった。
 熱もさほど高くはないが、37度前後にまた上がっていた。
 けっきょく、されからまた少し寝なおして9時半頃やっと起きた。どうしたことか。大した熱ではないのに、これまでにないふらつき感がある。今日は一日そんな体調であった。
 そんなで、我は、また「再発」したと思えた。しかし、また8度超すほど悪化はしないと思うし、自宅療養の終了まであと4日程度なのだから、もう少しの辛抱だと自ら慰撫するしかない。

 問題は実は父のことだ。
 父は当初の予定では、今週末30日には、コロナ入院期間は終わり、通常ならば自宅へ戻れるはずだった。
 が、在宅で看護する息子である我がコロナ患者となり自宅で身動きとれない「自宅療養」中のため、誰も父を迎えに行けないし、我も父が戻っても対応できない。
 で、当初、そのことを父の入院している病院と相談したら、我のコロナ隔離があける来月1日まで、入院続けさせてもらい、1日に、我がウチの車で父を迎えに行き帰宅させることに話がついていた。
 しかし、超高齢の97歳の父は、このコロナ入院の間、ほとんど口から何も摂れず日々うとうとしていたため、衰弱と呆けがさらに進み、このまま自宅に連れ帰って来ても家庭での生活は困難だろうと医師から今日相談の電話があった。
 じっさい、それは我も心配していたことで、いまの父がどこまで意識があり、人間性が残っているか、我の介助で少しでも食べてくれるのか予想もできなかったからだ。
 ウチに戻れても、意識がなく何も摂れないならば、また即病院に入れないとならなくなる。
 しかも、今は、父の利用していた二カ所の介護施設はその両方が、コロナ患者多数発生したため閉鎖中であり、仮に父が元気で元通りになったとしても行き場がない。
 最悪の場合は、介護の度合いが高い父を我は一人で背負ってこの家で身動きとれなくなって疲弊し倒れてしまうかもしれない。

 いろいろ悩み迷いもしたが、病院側の提案に沿って、そこの系列の療養型病院施設に転院することに同意した。
 そして運よく8月1日に、さっそく転院も確定した。ようやくその日、我は短時間だろうが、父に会える。※いろいろな入院手続きや立ち合いの要件も多々あるが、ともかく率直に嬉しい。ただ有難い。今から待ち遠しい。

 思えば、去る20日の夜、お泊りしていた施設で発熱した父は救急隊を呼んで、コロナ陽性者の入院受け入れ先を2時間近く探してもらったのにどこも満床でみつからず、仕方なく我が自宅に連れ帰り、翌日さらに体調が悪化してきて呼吸困難、酸素濃度が急低下しまい、もうここでただ死なすしかないのかと天を仰いでいたら、突然立川の病院に空きが出たと連絡が入って救急車呼んで送り出せた。
 その「奇跡」の続きなのだから、もう我は何をこれ以上望むことがあろう。
 すべては神の計らいだとするならば、これまでのことにただただ感謝しその流れを受け容れるしかない。

 願わくば、生きてもう一度この家に父を帰してあげたいと祈るが、先のことはともかく、まだ生きて父がこの世に在ることだけをただ感謝するしかない。