涼しさに一息ついて原爆忌2022年08月06日 07時59分51秒

★ようやく気持ちは立ち直ってきた。

 一昨日、久しぶりに本格的な雨が降ってから曇り空が続いている。気温はやっと下がり一月ぶりに昼夜つけっぱなしだった冷房は切った。
 まさに一息つけた。このまま猛暑が続いていたら頭も体もおかしくなっていたかもしれない。それぐらい追い詰められていた。

 一昨日から涼しくなったこともあり、久しぶりに夢を貪るほどだらだらと昼夜問わず断続的に眠った。この一か月、夏到来してから暑くて夜も深くぐっすりと眠れていなかったとわかった。
 コロナ感染後の続いていた喉の痛みと咳もようやく小康状態となってきた。気持ちも戻り、やっと前向きに動いていこうと気力が出てきた。

 父がいなくなって、情けない話だが、いったいどう、何をどうすべきか何もわからなくなった。
 つまり、父の存在があって、彼のショートステイやデイサービスでのお泊りの日程があってこそ、こちらも毎週の日程、計画がたち、自分の人生も合わせて動いていた。
 それが、父不在となると、自分一人で自由に解放されたはずなのに、急に何をどうすべきかわからなくなってしまった。何もやる気が失せたというか、気力がなくなってしまった。

 そんなで8月1日に、父を転院させてから、この一週間、暑さと咳に苦しみながら悶々としていた。これからどうなるのか、先も見えないし、いったい何ができるのか、いま何をすべきなのか、人生のコア、核のようなものが見えなくなった。
 改めて、我は父に依存していたとは思わないが、その存在を中心に自分の人生を組んでいたのだと気づかされた。

 が、この数日、急にやっと涼しくなり、猛暑で草臥れた身体を休息させて頭を冷やしてみると、何をすべきなのかようやく見えてきた。

 まずはこのコロナ後の不調に苦しむ身体を早く治し戻して、父不在の間に父を帰宅させること前提に、家の片付けや掃除を進めていくことだ。
 父が再び、この家で暮らせるかそれはわからない。ただ、病院で死なせたくはないし、もしそうした場合でもこの家に一度は帰らせてあげたいと切に願う。
 コロナ禍が続く今、葬式などはもうしないしできないと思うし、何よりもう親類縁者も父があまりに長生きしたため、もう誰も来ないのだから、葬儀は不要であろう。
 ただ、別れの儀式として、我とごく近所の人たちだけでもその場を設けたいと思う。※九州から実の娘、我の妹は来るかどうかはともかく。

 そうした準備を粛々と進めていくことだ。やがて八月も終わればまた涼しさも戻るだろう。先のことはわからないし、事態は急展開するかもしれないが、やるべきこと、いまできることをやろうと決めた。
 そう、まだできることがある、すべきことがあることは有難い。生きているということだけで有難い。

 ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ、ウクライナ である。※東京新聞、今日の平和の俳句。