新しい月、新しい季節に・続き2022年09月02日 11時23分30秒

★夢の啓示を、真摯に受け容れていく

 不思議な夢を昨日の朝方見た。月も季節も変わった9月1日の早朝のことだ。その有難き啓示について書く。

 古代より夢とは、異世界もしくは神のような人智を超えた何かがもたらすメッセージ、啓示だと人々は重く大切に受け止めてきた。
 近代の精神分析家たちは、夢とは、人のたんなる心中の悩みや願望など、つまり脳内に考えたり気になっていることが、睡眠中も頭の中にあって、そうした意識の反映に過ぎないと考えたが、我はそうは思わない。
 聖書にも多く記されているが、主は、幻や預言者の言葉、そしてまず夢を通して、自らはその姿は現さなくとも、多くのメッセージを聖人たちに与えてくれている。

 むろん、日ごろ気にかかっていることや、悩み心配事がそのまま夢に出てきて、ほぼ現実の反映という夢も確かにある。
 我も学生時代とそれ以後も、学校に関係する夢をかなり度々見た。
 たいていは、不登校で落ちこぼれだった自分が久々に学校に行っても自分の教室がみつからなくて焦る夢とか、つまるところ居場所のない不安からの悪夢のようなものばかりだったが、さすがに歳とってからはもう見なくなった。
 代わりに、ライブの企画をやったりしてた頃は、開演時間が近いのに、まだ何の準備もできていないとか、出演者が来ないなどのトラブルが次々起き、さあ、どうしたものかと慌て焦る夢は何度となく見た。

 確かに、その時々の心中、つまり脳内にある不安や悩み、心配事がそっくりそのまま現実の続きとして夢になることは確かにある。
 我も亡き母が出てくる夢や、母との暮らし、生前の頃のことは何度も見た。幸いなのは、夢に出てくる母は、死の間際の弱り痩せ衰えた姿ではなく、いつも元気な姿でいちばんよい状態のときだから、我は母は天国?、あの世では今も変わらず無事に幸せでいると思い、そう確信できその夢で安心できた。
 そうした善きメッセージもある反面、当然ながらまさに「悪夢」や哀しい夢もまた多々ある。

 ただ夢は、まさに夢の中の出来事だから、現実に目覚めると同時にそれまで見ていたこと、つまり夢の中の前のこと、最初のほうのことから忘れていく。
 夢を見たことは確かでも、起きたらよく思い出せず、ごく最後の部分だけだったり、夢の名残の気分だけ残っていることも多いだろう。つまり何か楽しい夢の心持ちだったり、哀しみの気分だったり、思い出せないが確かに見た夢が残した感情、感想だけが目覚めてもずっと残っていたりもする。
 しかし人は起きて目覚めるとそうした夢の中のことは、すぐに忘れて日々の現実に向き合わざるえない。そしてそうして人生は進んでいく。

 が、我が先日見た夢とその後にもたらされたメッセージは、不可思議かつ大きな転機になるものだった。