冷たい雨が降り続く神無月に ― 2022年10月07日 11時40分27秒
★ずっと憂鬱気分に囚われていたが
冷たい雨が断続的に降り続いている。どうしたことかおまけに寒い。
このところしばらく雨が降らず、だいぶ野外の草木は乾いて水を求めていたから、久しぶりの本降りの雨は良いことなのだが、どうしたことか気温は低く、12月の陽気だとのこと。
父の死に追い打ちをかけるかのように、お世話になった師、有馬さんの訃報が届き、この数日本当に苦しかった。特に明け方、まだ暗いうちの午前4時頃に起きてしまうと、まさに暗澹たる気分に囚われた。
亡き人たちに対する哀しみや何ひとつ彼らにできなかったことへの悔いもあるけれど、それ以上にこれから先行きのこと、こんな自分が一人で生きていかねねばならぬこと、その不安と怖れでパニック障害気味となっていた。
そう、何が辛いかというと、この明け方、窓の外はまだ暗い時間帯に目覚めるのが本当に辛く苦しい。それからなかなかすぐに寝なおせないのだ。
父が生きていた頃からの習慣で、彼のオムツ交換のために必ず朝方一度起きていたのだが、それが今も習い性となって続いていて、何時に床に就いたとしても必ず4時過ぎか5時頃にはトイレ起床もあって一度は目が覚めてしまう。
そしてそれからが眠れないのが辛く苦しい。以前、夏場は夜が明けるのも早いから、それで起床し散歩したり一仕事できたが、今はまだ外は真っ暗闇で、世界の底でたった一人で取り残された気分になる。
そしてあれこれつい先のこと、まだまだやらねばならぬことを考えてしまい大きな不安と怖れに囚われ悶々となる。
それは、山を歩く人が疲れ果てて来たのに、これからまだ登らねばならぬ山塊を仰ぎ見たときに感ずる怖れや不安、絶望感に近い。
しかし、近くに泊まれる小屋もなく、キャンプ装備もろくに持たないならば、もう引き返すことができないのならば、ともかくその山に向かって歩を進めねばならない。
困難に思える山でも、麓から見た山と登ってから見える景色は違うはずだ。きっとその先に新たな光景、出会う人もいるかもしれない。
立ち止まっていても日が暮れていくだけならば、ともかくその山に向かって歩き続け越えていくしかない。
そう、父には申し訳ないが、父という荷物は我の肩から下りて我はその分身軽になったはずだ。
母と父のことは、思い出の中に留めて、高く聳え立つ大きな山であろうと足取り軽く一歩一歩ともかく進んでいこう。その先にまたさらに山並みが連なっていようとも。先のことはもう考えない。今はそれしかできることはないではないか。
まだここで我もうっかり死んではならない。そう、全てここから始まる、始めなくてはならないのだ。
冷たい雨が断続的に降り続いている。どうしたことかおまけに寒い。
このところしばらく雨が降らず、だいぶ野外の草木は乾いて水を求めていたから、久しぶりの本降りの雨は良いことなのだが、どうしたことか気温は低く、12月の陽気だとのこと。
父の死に追い打ちをかけるかのように、お世話になった師、有馬さんの訃報が届き、この数日本当に苦しかった。特に明け方、まだ暗いうちの午前4時頃に起きてしまうと、まさに暗澹たる気分に囚われた。
亡き人たちに対する哀しみや何ひとつ彼らにできなかったことへの悔いもあるけれど、それ以上にこれから先行きのこと、こんな自分が一人で生きていかねねばならぬこと、その不安と怖れでパニック障害気味となっていた。
そう、何が辛いかというと、この明け方、窓の外はまだ暗い時間帯に目覚めるのが本当に辛く苦しい。それからなかなかすぐに寝なおせないのだ。
父が生きていた頃からの習慣で、彼のオムツ交換のために必ず朝方一度起きていたのだが、それが今も習い性となって続いていて、何時に床に就いたとしても必ず4時過ぎか5時頃にはトイレ起床もあって一度は目が覚めてしまう。
そしてそれからが眠れないのが辛く苦しい。以前、夏場は夜が明けるのも早いから、それで起床し散歩したり一仕事できたが、今はまだ外は真っ暗闇で、世界の底でたった一人で取り残された気分になる。
そしてあれこれつい先のこと、まだまだやらねばならぬことを考えてしまい大きな不安と怖れに囚われ悶々となる。
それは、山を歩く人が疲れ果てて来たのに、これからまだ登らねばならぬ山塊を仰ぎ見たときに感ずる怖れや不安、絶望感に近い。
しかし、近くに泊まれる小屋もなく、キャンプ装備もろくに持たないならば、もう引き返すことができないのならば、ともかくその山に向かって歩を進めねばならない。
困難に思える山でも、麓から見た山と登ってから見える景色は違うはずだ。きっとその先に新たな光景、出会う人もいるかもしれない。
立ち止まっていても日が暮れていくだけならば、ともかくその山に向かって歩き続け越えていくしかない。
そう、父には申し訳ないが、父という荷物は我の肩から下りて我はその分身軽になったはずだ。
母と父のことは、思い出の中に留めて、高く聳え立つ大きな山であろうと足取り軽く一歩一歩ともかく進んでいこう。その先にまたさらに山並みが連なっていようとも。先のことはもう考えない。今はそれしかできることはないではないか。
まだここで我もうっかり死んではならない。そう、全てここから始まる、始めなくてはならないのだ。
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