溜まりに溜まったものを少しでも片づけ、なくしていこう2022年10月20日 21時40分21秒

★少しでも今できることを進めていく、が・・・

 またまた更新の間が空いてしまった。申し訳ありません。ともかくあれこれ多々雑事に追われてしまって・・・

 秋はたいてい、雲一つない爽やかな秋晴れが今頃は続くはずなのだが、今年はどうしたことか、雨や曇りの日がやたら多く、午前中は晴れても午後からはどんより曇ったり、夜中に雨が降ることが多い。
 昨日も、朝から晴れてたが、午後はどんより曇ってしまった。幸い雨は降らなかったが。
 しかし、今朝は、朝から晴れて久々の終日長く秋晴れとなり、この快晴は明日も明後日も続くとの予報である。東京の久々の晴れは、9日ぶりとのこと。やれやれ、という気分である。

 が、気温がこのところやたら低く、暑がりの我としては寒いほうが動くのは楽なのだけど、今朝方は、明け方いつも通りに起きたが、それは寒くて深く眠れずのことで、トイレに行ってから掛布団を出して、温かくしたらようやくぐっすり眠れた。
 ただ、そんなで風邪の引きはじめなのか、コロナでないとしたら今日は一日朝から喉もだが頭や腰が鈍く痛く、何か身体は怠くしんどかった。
 月末の父の納骨法要が迫って来て、やることは山積しているのに困った事態である。

 父の納骨の儀が、この30日と迫って来て、いま、それに向けていろいろ手配や準備に追われている。
 九州から妹も来て、二晩は泊まるので、寝るスペースも作らねばならないだけでなく、主に我の従弟・従姉たちだが、父方の親戚一同がほぼ勢ぞろいするので、応対に不備のないよう、喪主としては万全を尽くさねばならない。
 何しろ、父の葬儀自体は、火葬に付しただけで、それに来たのは、母方の甥っ子と我の女友達だけ、我を入れて四人だけであった。父方の親類縁者は一人も来なかった。
 今回は、四十九日前に納骨の法要ということであり、菩提寺であるウチのお寺に、従弟・従妹たちが各地から集まる。それでも我の妹も入れて10人程度であろうか。

 父の兄弟姉妹で今も生存している人は、もう妹が一人しかいなく、しかも施設に入っているそうで、今回、訃報の連絡ができたのも皆、父方は皆、もうその子たちの世代、つまり我にとって従弟たちであり、たぶん皆で会うのはこれが最後となると思える。
 というのも、我らもまたもう六十代、七十代であり、亡き父も含めて親世代が九十代ならば、とうぜんその子供ももう中年どころか初老の世代なのである。この先、葬儀の報が届いても行けるかどうか明日のことは誰もわからないではないか。

 残念だが、父方は、何故かその兄弟姉妹たちの関係は浅く、いとこ同士もさほど親しい付き合いはなかったから、この機会がなければ、たぶんこのまま縁も切れて縁戚関係は雲散霧消となっていたと思える。
 兄弟一族の長兄である我が父の死が、結果としてずっと疎遠であった我ら従弟たちを再び繋ぐこととなったのは、奇しき計らいというか、有難く善いことだといま思える。山口瞳の小説みたいだ。

 父には一人姉がいて、その方はもう何十年も前に早く亡くなっているのだが、そこの長男である方と、今回久しぶりに連絡がついて、もはや70代半ば過ぎだと思うが、法要に来てくれることとなった。
 我より10歳以上の歳上だと思うから、うんと幼少時、その家によく遊びに行ってた頃に会った記憶はあるけれど、今回会えれば、実に半世紀以上、の再会である。
 ウチにはその頃の古い紙焼き写真が多々まだ残っていて、できれば当日、それをスキャンしたものを皆で観れたらと夢想している。たぶん一族の昔の写真は他の家にはもう残っていないのではないか。

 そうした作業もあるし、当日に向けて多々支度や手配もあるのだが、それに加えて今頭痛めてるのは「猫」のことである。
 動物愛護団体に関係している方が、ウチの窮状を哀れみ問題視して今早急に子猫たちの貰い手と新たな出産を抑えるべく対策をとるべきだと精力的に働きかけて来ていて、そちらも同時進行的に対応せねばならず、身体は一つのうえ、愚図な我はいま心身追い詰められた気分である。

 しかしそれもこれも我のだらしなさと考えのなさ、つまり迂闊さと愚かさが招いたことであり、まさに自業自得なのだから、そうして関わって来てくれただけでも有難いと思わねば罰があたろう。
 自分でもこのままで良いとは思っていないが、もう子猫の貰い手は既に出尽くして、子猫は日々どんどん大きくなっていくのだから、一日も早く避妊や去勢の手を打たないと、最終的にウチは、つまり我は多頭飼育崩壊で破綻、破滅していく。経済的にも体力的時間的にも。
 
 何でこんなことになってしまったか、と自問するが、父の介護のこともあり、今春から慌ただしくて、ついつい何もかも放擲してきたことが原因であった。
 しかしそれは言い訳にはできない。ともかくこの問題を早く解決して、猫たちは貰い手がないとしてももうこれ以上絶対に増えないようにして、ともかく最後まできちんと世話し面倒見ていくだけのことだ。
 そのうえで、父たちのものも含めて、溜まりに溜まってしまったものを、これから少しでも片づけて無くしていくことだ。

 これからは我一人だけの人生なのだ。もう父や母はいないのだから、彼らの遺した物は、実際のところ思い出はあっても不要なのである。
 金になるものや再利用できるものは何とか有効活用するとして、それ以外のものは、場所も取り我の残りの人生のまさに足枷でしかないのだから、やはり捨てていくしかない。
 我が六十代のうちに、そうしたモノに関してはすっきり片づけが終わればと願うが、今のペースでやっていたら前途遼遠に思え溜息が出てくる。
 しかし、それは誰にも頼れないし、業者に金出して任せ片づけてもらったとしても、とうぜん何百万もかかるだろう。何も亡くなった部屋ですっきりしたとしても金もすっきり無くなっているわけで、無年金の我はどう生きて行ったらいい?
 先のことを考えるとまたウツウツして不安なってしまうから今は考えず、ともかく今月30日の納骨の儀と猫たちのことだけに専念していこう。

 今更だが、このブログをお読み頂けている方で、猫の飼い主、里親になってもらえる方はいらっしゃいませんか。
 本人でなくても誰かお知り合いに、子猫が欲しいとか飼ってみたいという方がいらしたらお知らせ頂ければ有難い。
 子猫も含めて10数匹の猫たちを避妊・去勢するだけでもかなりの出費であるのは仕方ないが、その後も食餌やトイレの掃除だけでものすごく時間がとられてタイヘンなのだから。
 一匹でも貰われて減るのならば本当に助かる。また、その方が猫にとって幸福であることは間違いない。
 貰い手誰かいませんか?

 老いてきて今思うのは、重い荷を背負い日暮れて道遠し、ということだ。しかし、ともかく歩を止めず歩き続けるしかない。

 そう、そしてだからこそ、そこに、そこからうたが生まれるのだと。

 体調悪くて午後に少しだけ横になって仮眠とった。そしたら夢の中で有馬敲さんが出てきた。彼は詩の集いか何かのシンポジウムなのか、長テーブルに向かい、両隣にも男性いてその真ん中でマイクに向かっていた。
 何かの発言の最中なのかわからないが、こちらは見ているだけで声はかけられなかった。声は聞けなかった。
 ただ、あの世でも元気に発言し活動しているのだなあとわかって(夢の中でも)安心した。でも目覚めて少しだけ泣いた。そう彼ももうこの世にはいないのだ。
 みんないったいどこに行ってしまうのだろう。今どこにいるのだろう。