このところずっと鬱がひどい2023年06月13日 14時11分40秒

★人生を自ら終わらせる前に

 鬱状態がひどくてずっと死のことばかり考えている。
 昨日など、我をここまで追い込んだその隣近所の奴らを共に道連れにして、彼らを皆殺しにしてこの家に火をつけて、この失敗しハタンした人生を終わりにしようと真剣に考えた。
 が、そう考えて、思い描いた時点で、気持ちは落ち付いて何とか思い留まった。
 しかし、いつまた突発的にそうした事態が起こるか、自分でもわからない。あえてここにそのことを「示唆」しておく。
 もし、報道でそうした事件が報じられたらば、当ブログの読み手の方は、「いつか起こると思ってたよ」と胸を張るがよろしい。

 若い時から、自分はどこにもいない、自分の居場所はどこにもない、とずっと感じてました。
 ただ、若い頃は、それでも他者の視線や批判など無視して、我がままに好き勝手に、好きなことだけして生きてきました。また、周りにもそれを赦す状況、寛容さがあったと思う。何も考えない。それが若さという強さです。

 が、自らも年老いて、唯一の擁護者である母と父を失い、もう周りには恃む人、頼れる人は誰もいなくなって、たった一人で何一つできない生活無能者が生き続けていくのはかなりしんどくなりました。
 そして取り囲む悪意に打ちのめされ、日々排斥されて、若い時から感じていたこの世に居場所の無さ、その感じはますます強まり、誰からも嫌われ疎まれるだけの人生ならば、生きていく意味があるのかずっと自問し続けました。

 失敗した人生です。もう少し若ければ、そして誰か傍らにいてくれたらば、まだその人生をやり直せたかとも思いますが、もう70歳も見えて来て、体調も次第に落ちて朽ちて来て、我一人でその人生をもう一度やり直せる自信がありません。
 ただ、突発的にここでいきなり死んでしまうのは、残す飼い猫や愛犬たち、ウチの生き物たちや、我が実妹を筆頭に血縁ある者たちのことを思うとあまりに無責任であり、それはできませんでした。
 ただ、昨日など、終日、もういつ死んでもいい、とそのことばかり考えていました。
 そして死ぬならば、この我を追い詰めてきた、この隣近所の奴らをまず皆殺しにしてから、と考えたら少しだけ気が楽になりました。

 世の中には、積年のご近所間のトラブルから、ついには殺人事件発生に至り、悲惨な結末のニュースが報じられるのも心底よくわかります。※まあ、あいつは独りぼっち、だと揶揄されたぐらいで、近所の婆たちを殺そうとは思いませんが、我の場合はもっと直接的嫌がらせですから。
 
 正直な気持ち、今でも自分もいつそうした「衝動」に駆られるかわからないけれど、ともかくまずこれを書くことで、そのストレス、フラストレーションは、いちおう発散、昇華できるような気がします。
 これを読んで、また「御託をならべてやがる」と嫌がらせ電話をかけてくるならば、あんたをすぐさま殺しに行くので、そのつもりでいてください。どこの誰なのかは検討ついているので。我もその場で死んで共に全てを終わりにしましょう。その覚悟でいてください。

覚悟を決めて、ともかく生き続けていく2023年06月20日 22時18分04秒

★人生撤収の作業の流れの中で為すべきこと

 もういつ死んでもいい、すぐにでも、とカクゴを決めたが、かといって、自堕落に、今あるったけの金を湯水のように使い果たして、とことん自堕落に、好き勝手な放蕩の果てに死ぬことはできない。
 じっさい、そんな風に生きて、金を全て使い終えて、ついには泥酔のままどこかで野垂れ死にできたらば、それはそれで素晴らしいことだろうが。

 結局、死ぬためにも、その手順、道順があり、それをある程度は果たさないと、我の係累、それはとりもなおさず、地方にいる我が実妹とその家族、子達のことなのだが――、彼らに多々迷惑がかかるので、人生撤収に向けて、その作業をまず始めないとならない。
 今回、父の死後の書類上の様々な継承・相続等「後片づけ」に手を焼いて、頭悩ましてつくづくそう思った。実にめんどくさいのだ。まさに立つ鳥、後を汚してはならないのである。

 さらに我家には、今も抱えている多々大量のモノもあるし、大量の生き物たちもまだこの家にはいるのだ。
 それらを片付けて、いや、どうするか目途つけないことには、まさに死ぬに死ねないではないか。特に動物たちには何の罪もない。
 自分が急死したらば、閉じ込められた家の中で彼らは餓死してしまうか、何とか逃げ出したとしても路頭に迷い、最終的には殺処分ともなろう。これ以上不幸にしてはならない。
 そう、気軽にはおいそれと死ねないのである。覚悟は決めたとしても。

 また、さらにそこに、我の数少ない友人たちへの恩義のようなものもある。例えて言うと、長年借りていたものを返していく、未だ果たしていない「約束」を果たしていく、ということだ。
 それだけは生きている間に、自分の意識と記憶がはっきりしているうちに返し終えておかないと、我も気になって死後も成仏できないだろう。
 いや、聖書の中の逸話、ラザロと金持ちの喩え話のように、死んでからも地獄で苦しみ、悔いだけが残る。死んでしまえば一切もう手遅れなのだから。
 
 そうしたことをいくつか、備忘録的にここに記していこう。

最後に残った友たちの恩義に報いてから2023年06月22日 17時49分11秒

★未だ我を見捨てじ、友たちよ

 もういつ死んでもいいと書いた。が、だからといって、今日明日にもパパっとすぐさま死ねるわけではない。
 死ぬためには、それなりの手順、つまり準備や支度がある。そう、中村とうようや加藤和彦のように準備万端としないとならない。
 立つ鳥跡を濁さず、である。
 むろんまた隣近所からの嫌がらせやトラブルなど、我を非難糾弾する外的圧力にキレて、突発的に暴発するようなハメツ的事態を起こして終わりが来るかもしれないが、まあ今は、あえて急いで歩を進める気はない。
 心置きなく死ぬためには、死後、我の親族たちに迷惑かけぬよう、最低限の゛後片づけ」はしないとならない。

 それは、遺産と呼べるような金目の物ではなく、我家のほぼゴミ的がらくた類、つまり本やレコード、オーディオ類など大量のモノの「処分」もとうぜんながら、それよりも個人的には、自分がかつてしたこと、未だ果たせていないこと、つまりそのままにしたまま、関係された方々にきちんと「お返し」が出来ていないモノゴトが気にかかっている。
 我は、学生時代に、むろんバンド活動など音楽もやったが、同時並行的に、8ミリフィルムでの映画製作もやっていた。
 きちんと完成させて公開したものもあるが、けっきょく撮り終えたものの、「完成版」はできず、中途半端というか、作品として「そのまま」にしてしまい、指折り数えてみると、半世紀近くたつ「未完成」の映画もある。
 今さらそれを完成させ公開しようとか、できるとも思えないが、せめて、その中途のものでも出てもらった友人たち、関係した人たちに、青春の記録としてデジタル化してお渡ししたい。
 今思うと、呼び出しては無償で役者やスタッフとして使いまわしただけでなく、交通費さえもお渡しししていなかった。当時は、まったくそうしたことに頭も気も回らなかった。
 自分は今もどうしようもないバカだが、今振り返ると、かつてのさらにどうしようもないバカだった若い頃、してきた悪事に思い至り、まさに申し訳なさに胸が張り裂けそうになる。思い出すと真夜中でも思わず叫び声あげてしまう。
 彼らの善意というか、ご厚意にただ甘えて、当時はその有難さにまったく気がつかないでいたのだ。あの頃は。

死ぬ前に果たすべきいくつかのこと2023年06月26日 20時15分32秒

★そして、「音楽」に関して

 何としても若き日に、友人仲間と撮った八ミリ映画を、デジタル化して御礼として「青春の記録」としてお届けしたい。
 さらに、もう一つ、心に残っているのは、我が若き頃から録り溜めた「音楽」に関する事である。
 大阪の春一をはじめ、世の人たちから度々ひんしゅくを買い、トラブルの種になってきたが、我は、若い頃から記録収集マニア的気質があり、雑誌からチラシから何であれ手元に来たもの、関わったモノゴト、行って見たものは、どんなものであれ、何でも捨てずにとってきた。
 同時代同世代のみうらじゅん氏も同様の気質の方であり、彼もまたあらゆる身辺に届いたものをともかくひたすら収集してはスクラップして、膨大なコレクションを誇っている。
 彼のエライことは、きちんとその集めたものものを、整理してスクラップブックに貼付けるなり保管して、すべて自ら管理できていることだ。
 我は、収集はするが、その能力は人並み以上だと自負しても、それをきちんと博物館的に整理分別保管することは全くできない。
 ただ集めるだけ集めて、物は増えるが、いったい何がどこにあるのか、その全体像も個々の状態、状況も自分では皆目わからない。

 我はカセットテープ時代も含めて、1970年代から様々なイベントやコンサートの音を録音・記録してきた。また、テレビ番組も、80年代からずっと多々録画してきた。※当初は、ベータで、次いでVHSで、近年は、ブルーレイディスクで。
 さの他、宣伝広告やチラシ類など紙もの、紙ごみ類も膨大に未整理のまま残っている。

 そうした長年録り溜めたものの中でも、テレビやラジオの放送番組は、他にも録音録画した方が多々おられ、保存され、また世に流れていくと思うから惜しいとは思わないが、我が個人的にその場に立ち会い録音や撮影した映像についてである。
 たぶん、他に誰も録ったりしていなければ、我の手元にあるものが唯一の記録であろう。
 そこにどれだけの価値や意義があるかはともかく、そのコンサートやシンガー、ミュージシャンの知名度や人気は関係なく、やはりある時代と場の記録として、このまま我の死と共に消えてしまうのはいかがなものか。
 むろん、時というものは、一過性で、二度と戻らないし再現も復元もできやしないが、幸いにしてその一瞬を記録したものが今残っているのならば、それは、やはりきちんと後世へ伝えていくべきもの、残すべき価値があるのではないか。
 そうしたものを、我の死と共に雲散霧消させてしまうのは忍び難い。モッタイナイ気がする。

 むろん、誰か後を託せる人が現れ、その同好の士が、きちんとその「遺産」を活かしてくれるのならば良いけれど、現実的には、我にはそんな仲間はいない。誰にも託せない。
 我が死ぬば、最終的には、何もかも我が妹や甥っ子たちが全部ゴミとして処分してくれるはずだ。しかもさんざん我に悪態つきながら。

 ならば、せめてもう少しできるところまで、そうした「音源」を整理して、
何が入っているのか、中身がわかるようにして、せめて誰かモノ好きな人に、「形見」として貰われていくようまとめなければならない。
 むろんそこに価値があると思うのは我一人なのかもしれないが。